目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

令和初登山、吾妻山

2019-05-26 | 山行~中国・四国地方

標高 1239m 広島県

2019年(令和元年)5月1日(水・祝) 曇り  

メンバー 山の神と私

コースタイム 10:30休暇村吾妻山ロッジ直下駐車場10:50--休暇村吾妻山ロッジ11:02--小坊主--11:45吾妻山山頂(昼食)12:14--キャンプ場--12:55駐車場

6:00頃ホテル28広島で目を覚ました。山の神とともに昨日コンビニで買っておいた惣菜パンで朝食をとり、7:30チェックアウトした。その後近くにあったファミマで本日の昼食とテント泊(2泊)で必要な食糧を買い込み、カーナビに目的地を入れる。広島自動車道から中国道へ、そして松江道に入る。広島県民が出雲に遊びに行くのか、結構な交通量があった。ようやく高速を下りると、すぐに道の駅高野があり、このまま休憩だと自然とそこに吸い込まれた。ここで高速を下りた人たちは誰しも同じ気分だったのだろう。この道の駅はマイカーばかりか観光バスも何台も停車中で大混雑だった。

 
左:休暇村吾妻山ロッジ直下にある駐車場(登山者はロッジの駐車場使用可) 右:休暇村吾妻山ロッジ

道の駅で一息ついた後、途中通行止めの道もあって迂回を余儀なくされたが、10:30には無事休暇村吾妻山ロッジ直下の駐車場(キャンプ場用の駐車場なのか?)に到着した。この駐車場にはトイレがあって、出発前に寄っていこうと思っていたが、なんと閉鎖されていた。仕方なくロッジまで移動してトイレを借りたのち出発する。

 
左:ロッジ上の原池 右:小高い丘は小坊主

時計を見るとすでに11:00を回っている。こんな遅い時間からの登山は久々だけれども、今日はハイキングだから問題なし。天気は予報どおりのくもりではっきりしない。ただどんよりではなく、うすぐもりなのは救いだ。

ロッジ裏を上がっていくと、まず右手に吾妻山の山影を水面に映した原池が出てくる。木の柵が設けられていて、牧場チックなのがいい。


小坊主方面から吾妻山を見る

まずは目の前にある丘のてっぺん、小坊主に登っていく。ところどころ芝を突き破って、黒土を盛り上げているのはもぐらの仕業で、ロッジ横から延々と続いていた。


ロッジと原池を見下ろす

小坊主で水分補給していったん下り、ハイカーが吾妻山から下りて来た道を山の神とたどった。ふと山頂を見やると、いつの間にか雲がかかってしまっている。登っていくうちにあの雲はとれないのか。

ハイキングコースということもあり、小坊主からあっけなく山頂に到着してしまった(11:45)。すでに数人がこの狭い山頂で昼食をとったり、ひと休みしたりしている。山座同定盤が景色のよさをアピールしていたが、雲はとれず、まったく何も見えなかった。

 
左:吾妻山山頂 右:山頂には山座同定盤。何も見えないが、、、

それでも昼食をとっている間にもしかしたらと密かに期待していたのだが、山頂付近に白いガスはへばりつき居座ったままだった。登山者が続々と登ってきたこともあり、12:14あきらめて山の神と下山を始めた。さすがはGWで、家族連れやハイカーと多くすれ違った。

下山路はピストンにはせず、途中で左へ方向を変えてキャンプ場へ向かった。車道に出てキャンプ場を通過して、駐車場には12:55に到着した。

 このあと、広島県民の森へ移動したのだが、この道行きは試練の連続だった。ロッジで教えてもらった、島根側の道をチョイスしたのだが、分岐から狭くてくねった道になり、違うと判断して引き返してしまった。じつはその道が正しかったのだが。

戻った分岐から下りの道を進んでいくと、なんと休工中の工事箇所があった。横をすり抜けるときにもしやこの道はロッジに向かうときに通行止めと標示されていた道ではないかと直感で思った。

完全に下りきってT字路に出て、そうとわかった。ここまで来てしまったのなら、ロッジで通行はやめたほうがいいとアドバイスしてくれた道ではあるが、県民の森への最短コースを行ってみようと決断した。

比婆山公園線(254号)に入っていく。たしかに狭くてくねっていて、四国で走った国道439号(通称ヨサク)を彷彿とさせる道だった。

それが早く通過したいという気持ちを私に起こさせて、さらに失敗を重ねることになる。分岐が現れて確かめもせず、まっすぐ進んでしまったところ、なんと行くつもりのなかった立烏帽子駐車場に出てしまったのだ。ここはどこだと山の神と地図で確認して、Uターンする羽目に。元来た道を戻り、間違った分岐を下へと向かい、やれやれとなる。やがて人里に出て、比婆山県民の森線(256号)に入り、14:30苦労の末、目的地の広島県民の森公園センターに到着した。

到着直後テント泊の申し込みをし、1区画分2100円×2泊=4200円を支払う。第4キャンプ場に車で移動しテントを張ったのち(上の写真)、公園センターに戻って一風呂浴びる(500円)。さっぱりして出てくると、なんとこの施設では登山用の弁当申し込みもできることが判明。明日用に山の神と私の分2個を頼んだ。

テント場に戻り、人心地ついて、山の神と缶ビールを開けた。

比婆連峰へつづく
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大移動~津和野・秋芳洞・原爆ドーム

2019-05-22 | まち歩き

2019年4月30日(火・祝) 曇り   

前日の話からしよう。4月29日石見銀山の散策から世界遺産センターの駐車場に戻り、山の神とあーでもないこーでもないと議論が始まった。議論の中身はといえば、今日の宿。この時点で宿無しだった。最悪道の駅で車中泊だなと私がいうと、山の神が屋根なしは嫌だと必死にスマホで検索を始めた。明日は秋芳洞に行くから、近所の秋吉台家族旅行村でテント泊か、県庁所在地の山口か萩のビジネスホテルか。予報ではこれから夜まで雨といっているから、テントはきついか。でもいくら検索しても空いている宿は一切出てこなかった。山の神が温泉津(ゆのつ)だったら、どっか民宿が空いてるかも? といいながら観光協会に電話するもアウト。

そのうち山の神の執念がこちらにものり移り、諦めずにいろいろ調べていると意外な展開が待っていた。元々計画上余裕があれば立ち寄る予定だった津和野の安野光雅美術館を私は思い浮かべていた。そこで津和野はどうだろうと調べてみたら、津和野ホテルに空きがあったのだ。しかも1泊2食付ツインで1人10,800円(税込み)という安さだった。市中から少し離れているためこの価格なのだろう。

雨がパラパラ落ちてくる中、テント場でなくてよかったと、さっそく移動してチェックインする。漢方の湯に浸かって疲れをとり、夕食は鍋料理をたらふく食べて就寝。朝はバイキングだった。この価格にしてそこそこの内容で十分満足できた。

さて、翌日の4月30日。ホテルから車で1,2分のところにある安野光雅美術館へ向かう。開館して間もない美術館はまだ空いていて、ゆっくりと観賞できる。おかげで安野光雅ワールドにどっぷりと浸かれた。なかでも三国志やシェークスピア、平家物語の作品は目を引くすばらしさだった。さらには映像を流している部屋や昔懐かしの教室、閲覧自由の図書館もあって、充実の美術館だった。来てよかった! 

津和野を発ち、本日のメインイベント、秋芳洞探検へ向けて車を走らせた。フォレスターのカーナビは変な道を選択して途中交通量ゼロのジモティしか走らないような道を通る。到着時間はそれで少しは短くなったのかもしれない。

 秋芳洞入口

しかし秋芳洞の駐車場はすでに満車で、スペースが空くのを待つために7,8台の車列の最後尾につくことになった。ただ第一陣がちょうど帰る頃であったのと、キャパが大きいことが幸いしたようで、車列はウソのようにどんどん進み、あっという間に駐車場に入れた。 

そこから秋芳洞へ移動していくと、昭和のお土産屋が並び、傍らのホテルは廃屋、つぶれた店舗もそのままに残されていた。観光客もなぜかそれに合わせたかのように昭和ふうだった。山の神と私も昭和。そこへ「世界遺産登録を!」と大アピールの文字が踊っていて、シュールすぎた。


冒険コース

秋芳洞への回廊はいい味を出していて、洞からは水しぶきを上げた激流が迫力満点で、山の神と私を迎えてくれた。じつのところディズニーランドに来てしまったのかと思えるほどの人工的な演出に見えてしまった。もちろん自然なのだが。

洞内に入ると、もうびっくり。とにかく広くてデカい! このスケールに圧倒されつつも、すぐに洞窟ばかを思い出し、ワクワクしてくるから不思議だ。さらに別料金を払うと、特別ガイド付きツアーに参加できる(上の写真のライトはそのツアー参加者たち)。このツアーは人気で順番待ちの長蛇の列ができていた。

 
左:百枚皿 右:洞内は観光客の列が

ところが、私は無数の鍾乳石を期待していたのに、思ったほどなく、というかないといったほうがいいくらいだった。最後の見せ場(下の写真)を越えると、だんだん足が棒になってきて、景観の単調さにも飽きてきた。最後は地上に出るまで、忍耐力を試すゆるやかな長いスロープを上っていく。


黄金柱

一度来れば、もうここはいいなと山の神とうなづきあって、腹が減ったと駐車場への道をテクテクと歩いた。長らく歩いて駐車場横の店ののれんをくぐって腹を満たし、13:30頃広島への大移動を開始した。

山陽道までは順調だったのだが、広島市内に入ると大渋滞だった。いつもこんなに混むのかどうかはわからないが、さすがは10連休といったところか。

 
左:言わずと知れた原爆ドーム 右:イサム・ノグチが欄干をデザインした平和大橋。たたずむのは山の神

16:30頃これまた間際で予約を入れたホテル28広島にチェックインした。すぐさま山の神と外出しコインランドリーで洗い物。終わるまで、散歩がてら原爆ドームまで行ってみた。日本人観光客だらけのこの時期に、あまりに無防備な外国人観光客を多く見かけた。しかし気づいてしまったが、英語がまったく聞こえてこない。フランス語や、ロシア語、スペイン語と思しき言葉は聞こえてくるのだが。やはりアメリカ人はここには来ないということなんだろう。

そういえば、原爆ドームの近くにイサム・ノグチの平和大橋があるはずだけど、どこにあるのだろう。そう山の神にいいながら、平和公園から戻ってくると、偶然そのお目当ての橋を見つけてしまった(右上の写真)。なにかの因縁だろうか。

コインランドリーに戻って洗濯物を片づけ、晩はホテル近くの海鮮居酒屋さかな市場へ繰り出した。刺盛と贅沢にもちょっと値が張るのどぐろの塩焼きを出してもらい舌鼓を打つ。さあ、明日は比婆連峰だ。

令和初登山、吾妻山へつづく

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世界遺産石見銀山を歩く

2019-05-18 | まち歩き

2019年4月29日(月・祝) 曇りときどき小雨

三瓶山北の原キャンプ場で6:00頃山の神とともに起きだす。空を見上げると予報どおり雨雲に覆われていた。朝食をとった後、なんとか雨が降り出す前にテントの撤収をする。7:45頃キャンプ場を出発し、交通量がほとんどない道を移動していく。ポチポチと雨が降り出す中、8:30頃石見銀山世界遺産センターの駐車場(無料)に到着した。ここから有料のバス(大森まで200円)に乗って移動することになる(散策マップなどが掲載された石見銀山公式HPへのリンクは記事の末尾)。マイカーで訪れた観光客はほぼここに駐車しなければならない。朝早く来て、石見銀山公園内の駐車場に停める手もあるが、観光シーズンには厳しそうだ。

駐車後人の流れに従い、このセンターに入る。直後石見銀山のメインは大久保間歩であるということを知って愕然とした。事前に有料のツアーに申し込まないと自由には行けないということなのだが、午前中はもう予約でいっぱいだった。ん~調べ方が足りなかった。戦国時代から江戸時代の初期にかけて掘られた大鉱脈の跡だけに他の間歩とはスケールがまるで違うのが大久保間歩なのだ。

 
2点とも:清水谷精錬所跡。左が下から見上げたところ。右が精錬所跡のてっぺん

その事実を知ってうなだれたが、時すでに遅し。大半の観光客は行っていないので、まあよしとしよう。ビニール傘を持ってバスで移動し、大森からぷらぷらと歩きだした。

まず向かったのは、山の神がぜひとも行きたいといった清水谷精錬所跡。 明治時代に造られてわずか1年程度で鉱石が粗悪で採算が合わずクローズドした施設の跡だ。山を切り開き大規模に開発したのに、あまりに残念なつわものどもが夢の跡。

 
左:清水谷精錬所跡からさらに奥へ入る階段 右:精錬所跡の上部にあった選鉱場跡

先行者がチャリで来ていて、清水谷精錬所跡を見上げてすぐに立ち去ったが、山の神が興味津々でどんどん登っていくものだから、私も後を追った。石組みのてっぺんまで行くと、さらに奥へと続く階段があった。

せっかくここまで来たのだから、上も見て来ようと、先へ先へと勇んで進んだ。途中の竹やぶの道では、いのししが食い散らかした筍が転がっていた。最近ニュースで世間を騒がしているアーバンいのししの予備軍か。

細い山道を上がり切ると、予想以上に広くがらんとしたスペースが出てきた。そこは選鉱場跡で、かつては銀鉱石を砕き、銀とそれ以外に選り分けていたようだ。ここからシュートと呼ばれる銀を運ぶパイプも造り、先ほど通過してきた精錬所に銀をすべり落としていた。 

 
左:清水谷精錬所跡近くの駒沢坑 右:休憩した喫茶やまぶき

さらに選鉱場跡から上の間歩に伸びる道がついていたが、疲れたこともあり、ここで引き返すことにした。引き返す道すがらどうしても気になる駒沢坑に寄り道して中を覗いてみた。けれど真っ暗で何も見えない。閉ざされた坑道の入口からは染み出した水が沢をつくって流れ出していた。

そこから散策道に戻り、後で休もうとあたりをつけていた喫茶やまぶきに山の神とともに入った。お店向かって右側に店名のもとになったと思われるやまぶきがなだれをなして黄色い花をつけて咲き乱れていた。ここでおじいちゃんに供された甘いものを口に入れ、元気を取り戻す。 

 
左:龍源寺間歩(まぶ)入口 右:間歩の中は狭い

次にメインであるはずの龍源寺間歩を目指す。しばらく道幅の狭い車道を歩き、ようやく人だかりのできた間歩の入口に到着した。チケットを購入し狭い坑道に分け入っていく。坑内は明かりがともされ見通しがいいし、一方通行なのでスムーズに見ていける。狭い割れ目のような掘り跡がいたるところにあって、好奇心が大きく頭をもたげてくるのだが、残念ながらそこには入れない。どこかこの先に見せ場があるのかと思っていると、なんともなくあっけなく見学コースは終了してしまった。期待が大きかっただけに失望も大きかった。 

 
2点とも:石見銀山の古い街並みを散策する

あとは町屋ゾーンをお散歩するだけだ。山の神と元来た道をひたすら戻っていくと、昔ながらの古い街並みが現れた。なんとも味わい深い街並みだ。これを見るだけでも、ここに来た価値があるというものだ。

ぐるりと街並みを1周しつつ、お昼を食べられるところはないかと物色した。しかしちょっと高いよなあとパスしたり、ここがいいやと入ると満席だったりで、結局帰りのバスが出る代官所前広場へ出てしまった。でも僥倖は突然やってきた。いいあんばいに道の向こうにカフェあざみというお店があった。覗くと客は少なく席も空いている。山の神とラッキーとつぶやきながら、この店の名物、焼きうどんをオーダーして腹を満たすことになった。

参考:石見銀山世界遺産センター

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平成最後の山登り、三瓶山Part2

2019-05-11 | 山行~中国・四国地方

Part1つづき

昼食を終え、12:15そそくさと子三瓶山を後にした。山の神はこの時点で、孫三瓶山へ行って、引き返すことを考えていたようだ。でもここまで来て女三瓶山をカットしたら絶対後悔しそうだなと感じていた。

 
左:孫三瓶山山頂 右:ミツバツツジがところどころで咲いていた

私が孫三瓶山で山の神に先を促すと、ん~行ってもいいよという。明らかに乗り気ではない。しかし孫三瓶山を下っていくと、歩きやすい快適な道になり、がぜん登高意欲が増してくる。まばらな新緑の中にアクセントカラーになるミツバツツジが咲いていたのも励ましになる。

撮影のために立ち止まることもなく、疲れた脚に鞭打って必死に進むと、ベンチが置かれた大平山(たいへいざん)が現れた。こんな山が女三瓶山の途中にあるのかと地図を引っ張り出す。子三瓶山から休憩なしで、すでに連続歩行時間は1時間を超え息も絶え絶え。空いたベンチにどっかりと腰を下ろし休憩にした。

 
左:大平山の標柱 右:ベンチの置かれた大平山から女三瓶山を望む

13:32もうひと登りだと大平山のベンチから山の神とともに腰を上げる。すぐそこに女三瓶山山頂の電波塔が見えている。いったん大平山を下ったコルに出ると、左手にさびれた展望台(下のほうに写真)があった。おばちゃんたちのパーティがぞろぞろとそこから引き返してきたのだが、われわれはパス。この展望台は、リフトで上がってきた観光客のためにつくられたようだ。

 

 
左:女三瓶山山頂の標柱 右:山頂には展望を楽しめるデッキも

比較的整備された道を上がっていくと、まもなく女三瓶山の山頂に到着した。電波塔という人工物がある分、味気ない山頂ではあるが、見晴らしはいい。ただどんよりとした雲が空を覆っていた。

14:05女三瓶山から下り始める。途中男三瓶山への縦走路入口があって、そこにはロープが張られ通行止めとなっていた。ここまでは役所の人も簡単に登って来られるからなのか。男三瓶山では通行止めとはなっていなかった(Part1参照)。

 
左:女三瓶山直下の展望台 右:室内(むろのうち)池

それはさておき、先ほどのコルに戻り、展望台横の室内(むろのうち)へ下っていく道に入る。しかし山の神がこの道で帰れるのかと「?」を頭上に浮かべながら後からついてくる。まもなく下から夫婦が上がってきた。すかさず山の神が話しかける。どちらから? 返答に深くうなずく。この道で間違いない。

しばらく下り続け、まだ下るのかと、やがて訪れる登り返しに恐怖を感じるほど下った。カルデラ地形の底までたどりつき横移動していくと、今度は口笛を周囲にこだまさせる“口笛おじさん”がいた。あの音はどこから? あの世から響いてくると思えるほど反響がすごい。カルデラ地形だからこその現象だった。そして至るところから見えていた室内池に到着。近くまで行ってみると、春の使者(?)おたまじゃくしが大量に泳いでいた。


男三瓶山を見上げると青空が覗いていた

池の先の分岐に達すると、文字通り大人数の団体に遭遇。おじちゃんの陰にあった道標を見て扇沢まではまだ遠いなとため息をつきつつ、横を通過した。薄暗いどんよりとした雲がその頃徐々に切れ始め、そのうち青空が覗いて、ちょっとだけなごむ。

最後の急峻な斜面をあえぎながら登り、15:24扇沢に着いた。足が完全に棒になっている。 

 三瓶山北の原キャンプ場

扇沢から西の原駐車場まではあまりにも長い40分だった。計画がだいぶゆるかったせいで、所要時間の読み誤りとコースの取り違えもあって久々の長時間歩行となりヘロヘロだった。よく歩けたものだ。

その後西の原駐車場から本日のお宿である北の原キャンプ場に移動し、テントを張って、やれやれ。日が傾く頃、山の神とビールで乾杯した。 

石見銀山へつづく
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平成最後の山登り、三瓶山Part1

2019-05-10 | 山行~中国・四国地方

男三瓶(おさんべ)山 標高 1126m 子三瓶(こさんべ)山 961m 孫三瓶(まごさんべ)山 903m 大平山 854m 女三瓶(めさんべ)山 953m 島根県

2019年4月28日(日) 曇り

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:08西の原駐車場--定めの松8:37--8:58分岐--9:32休憩9:40--10:33男三瓶山10:45--11:40子三瓶山(昼食)12:15--12:52孫三瓶山--13:22大平山13:32--13:55女三瓶山14:05--室内(むろのうち)池--15:24扇沢15:34--16:15頃 駐車場

GW10連休初日渋滞にはまり、自宅を4:30過ぎに出たというのに米子のビジネスホテル、カクバンに着いたのは17:30を回っていた。一昨年同じように家を出て、ちょっと手前ではあるが、蒜山高原に着いたのが14:30だったことを考えれば、怖ろしいほどの時間ロスだ。荷を解き、景気づけに山の神と居酒屋に繰り出し、米子のおいしいものを堪能して翌日の山行に備えた。

翌28日は5:00に起床。昨晩コンビニで買っておいた惣菜パンで朝食をとり、6:15にはホテルをチェックアウトした。まずはカーナビに目的地を入れ、ホテル近くのコンビニへ向かう。本日の昼食用おにぎりや行動食、晩のテント場でのつまみ、翌日の朝食用パンなどを買い込んだ。

 
左:西の原駐車場。トイレあり 右:定めの松

こんな時間でも比較的交通量があるのは、やはり10連休のせいか。それでもサクサクと走れて、8:08三瓶山の登山口、西の原駐車場に到着した。すでに車がパラパラと停まっていて、人もまばらにいる。前方にはこれから登る男三瓶山と子三瓶山が迫っている。こちらに向かっておいでおいでしている山二つを、さっそく写真に収める。そのとき気づいたが、明らかに登山道ではない草原のはずれを歩いている人がいた。山菜採りのおじさんか。

まずは巨木、定めの松を見てからの出発だと、山の神と2人、登山道に入る前に少しだけ寄り道をする。樹勢が衰えていると案内板に書かれていて、つっかえ棒が大きな枝を支えていた(写真右上)。

 
左:草原の道から出発 右:山桜満開

定めの松からスカっとよく開けた草原に入る。前方には先行する単独行の登山者がみえていたが、ぐんぐん引き離されていく。やがて登山道の傍らに蕨を何本も発見した。先ほど駐車場から見えていた人はやはり山菜採りの人だったようだ。

樹林帯に入るとすぐに姫逃池からの登山道と合わさり、分岐に出る。当初の計画では、ここから扇沢に上がる予定だったが、同じ道を2度通ることになるので、左の九十九折の道、お花畑コースに変更して登ることにした。 

 
左:ヒガラが登山道のすぐそばでさえずっていた 右:男三瓶山山頂付近

途中レイヤー調整をしたり、水分補給をしたり、山桜満開の場所から眺望を楽しんだり、たまたま目の前に現れたかわいいヒガラを被写体にしたりと、結構な時間をロスしたようだ。すぐそこに男三瓶山から子三瓶山への縦走路が見えているというのに一向に男三瓶山に到着せず、時間ばかりが過ぎていく。 

 
左:家族連れハイカーでにぎわう男三瓶山山頂 右:女三瓶山への道

それでも、前進していればいつかは着くもので10:33、なんでこんなに長いのだろうという横に(縦というべきか)長い山頂に到着した。小さなお子さんを連れた家族連れや、若者のパーティ、単独行の方々で山頂は賑わっていた。ハイカーはここまでのようで、この時間にしてもうお弁当を広げていた。

山の神と私は先へ向かう。男三瓶山山頂からは女三瓶山へ向かう縦走路があるのだが、現在通行止めなので、いったん扇沢へ下って子三瓶山だ。しかし、なぜか女三瓶山の縦走路を進んでいくパーティを見かけた。たしかに通行止めの看板も、注意喚起するような貼紙もない。だいじょうぶなのか。途中まで行って引き返すことになるのは嫌なので、子三瓶山へ向かうことにした。

子三瓶山頂でたまたま耳にした話では、途中登山道が崩れているところがあるが、通れないことはなかったらしい。


子三瓶山(右)と孫三瓶山

男三瓶山から扇沢への道は、かなりの急勾配でロープが設置されているのだが、足元が危うい箇所が多くあった。登るのも下るのも厄介な場所だ。その難所を下りきると、あとは草原の山が待っている。


子三瓶山へまっしぐら

私が撮影に熱中していると、山の神がじれたようで、ターボエンジン全開で子三瓶山の上りに取り付いていた。ふと気づくとかなり前方に山の神の姿が、、、

 
左:子三瓶山山頂の標柱 右:孫三瓶山へ向かう

11:40子三瓶山山頂に到着する。当初の計画では、室内(むろのうち)へ向かうはずだったのに、計画書をろくに見ずに前方を歩く人にいざなわれ、子三瓶山にいた。まあ、いいかと山の神と私はここで腰を落ち着け、おにぎりをほおばる。

Part2へつづく

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