目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

丹沢前衛の山 日向山

2014-02-22 | 山行~丹沢・道志

000img_1448標高 404.4m 神奈川県

2008年3月9日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:26広沢寺温泉入口--9:50日向山分岐10:00--10:30見城山山頂10:40--10:55日向山山頂(昼食)11:30--12:00頃 日向薬師茶屋12:15--13:19七沢温泉入口

久々の電車山行。近場の丹沢だから、ゆっくりめに起床し朝食をとって家を出た。電車を乗り継ぎ、本厚木駅へ移動し、バスセンターから33番の七沢行き9:00発に乗り込む。9:26広沢寺温泉入口で下車。この日の花粉は最盛期で大量飛散していた。そうとは知らず、山の神とともにマスクで鼻をガードし歩き始めた。かぎりなく無謀な行為だった。杉の威力を過小評価していた。山中を歩けば、当然スギ花粉の餌食になる。帰りは鼻がぐしゅぐしゅになり本厚木駅前のマツキヨで鼻炎薬を買う羽目になった。

01img_1445 02img_1449
左:広沢寺からの分岐 右:弁天岩のクライマーたち

車道を上がっていくと、まもなく分岐に出た。仰々しく指導標がいっぱい出ている。ここで一息いれた。まだ寒いせいか、このコースをたどる登山者は、われわれ以外にはいない。このあたりですでに鼻がムズムズするなと危険を察知していたが、来てしまったからにはもう進むしかない。

右手に弁天岩が見えてきた。なんだあれ、と指差しながら、山の神を振り返った。クライマーが壁にはりついている。まったく知らなかったが、初心者用の練習場のようで、都心から近いこともあって、いつもクライマーで賑わっているようだ。

001img_1450 03img_1453 大釜弁財天

日がほとんど射さず暗い沢沿いの道を進むと、そのうち大釜弁財天が出てくる。ちょっと寄ってみようかと、山の神と鳥居をくぐって、沢へ下りる。昔はここで雨乞いをしていたようだ。

04img_1458 05img_1459
左:見城山山頂 右:もやっているが展望は良好

車道から登山道に入る。階段が付けられていて、いっきに上っていく道だ。昭文社の山地図(最新版には出ているのかな)には記載されていない、見城山の標示がある。10:30山頂にたどりつくと、人っ子一人いない。見晴らしをよくするために木を伐ったようで、前面に眺望が広がっていた。

06img_1461 07img_1462
左:日向山山頂 右:日向薬師

見城山から15分くらいで日向山山頂に到着した。老夫婦が一組くつろいでいた。天気予報では温かいおだやかな日和といっていたにもかかわらず、山頂は冷たい風が吹き抜けていく。せっかくの電車山行だからと、ビールをザックに詰めてきていたのだが、飲むにはちょっと寒い。でも持って帰るのもなんだしなと、結局は飲んでしまった。山頂で昼ごはんをとり、11:30下山開始。男ばかりの集団が入れ替わりに登って来た。

下っていくと、梅園が出てきた。ちょうど梅の開花時期で、きれいに咲き誇っている。目の保養をしながら、12:00頃日向薬師の茶屋の「甘酒」(¥200)の文字に吸い寄せられて、山の神ととともにのれんをくぐった。冷えた体には、温かい飲み物だ。生姜の粉末をかけて甘酒をすする。口直しの漬物もうまい。

日向薬師からは、まっすぐお帰りのバス停を目指した。途中登山道っぽい道があって、そこへ入ってみたが、山の神が方向が違うんじゃないのと言い出し、車道へ引き返した。その分時間をロスしたものの、七沢温泉入口のバス停には13:19到着。本厚木行きのバス13:28発に乗り込むことができた。

本厚木に着いて、鼻をぐしゅぐしゅさせながらも、タリーズに入って、シナモンパイとカプチーノをオーダー。山の神もシナモンパイ、そして抹茶オーレ。前回の丹沢電車山行でも、たしかここでお茶して帰ったっけ、と思い出しながら、まったりくつろいだ(注:タリーズ本厚木店は2013年に閉店してしまったようだ)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山の日」は、8月11日になりそう!

2014-02-16 | 山雑記

001img_6801
乗鞍肩の小屋。山の日には登山者でごった返すことだろう


昨日2/15(土)信毎Webを見ていたら、『祝日「山の日」法案、自民党部会で了承』という記事を見つけた。海の日が制定されたときに、海の日があって、なぜ山の日はないんだ!という議論は出ていた。半分冗談のこの議論は、なぜか生き続け、地方自治体、学者、NPO、ジャーナリスト、果ては国会議員まで巻き込んで話は盛り上がってきた。

やがて「山の日」制定協議会が発足。2012年には、6月の第1日曜日を山の日とするという提案を出している。なぜ入梅するかどうかの微妙な時期を山の日にしようとするのかといぶかったものだが、その案はほとんど日の目を見ることなく、消え去った。

すっかり忘れていた頃、8月12日案が登場した。お盆直前で企業活動への影響も少ないだろうし、子どもたちも夏休み。だいぶ実現に近づいた案だった。しかし群馬県知事から懸念が表明される。8月12日は、日航機墜落事故の日であり、追悼行事が御巣鷹山で行われる。その日を国民の祝日とし、山に親しむ日にするというのは、遺族感情を考えるといかがなものかと。

それを受けての1日前倒し案、8月11日となった。2013年11月11日には全国「山の日」制定協議会の設立総会が開催され、いよいよ法案化の動きが急になった。協議会会長には、谷垣禎一法相の名前が見える。今回の自民部会での了承後、超党派の国会議員でつくる「山の日」制定議員連盟(会長、衛藤征士郎)が議員立法で国会に提出する。

一部に祝日が多すぎないかという反対論も出ているが、ここまで来ると、ほとんど決まりだろうか。施行は2016年としている。ちなみに2016年のカレンダーをみると、8月11日は木曜だ。もともとお盆がお休みの企業にお勤めの方には、あまり恩恵はないだろうけど、私には恩恵おおあり。ただ、ウィークデイにぽつんと1日休みがあっても使いづらいというのはあるが。

参考:
全国「山の日」制定協議会 http://www.yamanohi.net/
日本山岳会「山の日」をつくろう http://www.jac.or.jp/info/project/yamanohi/yamanohiindex.htm

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

探検家ジョン・フランクリンの生き方『緩慢の発見』

2014-02-15 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

001_2
『緩慢の発見』シュテン・ナドルニー 浅井晶子訳 白水社

Numberの「ブックソムリエ」でたまたまこの本の存在を知った。タイトルからは、まったく想像できない内容。主人公は、19世紀の探検家、イギリスのジョン・フランクリンだ。タスマニアの総督まで務め、サーの称号をもつ。

大変失礼なことにジョン・フランクリンを「緩慢」という言葉をキーワードに読み解こうという試みをしている小説だ。子どものときからどんくさく、のろま。でものろまだけれども、それは思慮深く、慎重な行動を生んだと結論づけている。あくまでこの作家の主観とこじつけだろうけど、読んでいくとジョン・フランクリンはそんな人なのかという気がしてくるから不思議だ。

19世紀の英国といえば、大英帝国の時代。まさに英国全盛の覇権の時代。海外に広大な植民地を抱え、戦争につぐ戦争、そして探検につぐ探検で、世界のあらゆる場所へ英国の力を及ぼそうとしていた。ジョン・フランクリンもその時代の波に飲まれ、トラファルガーの海戦をはじめ、いくつもの戦争に立ち会うという強烈な経験をしている。やがて所属していた海軍での冷静沈着な判断が買われ、北極探検の指揮をとることになる。

北極探検では、北極圏の航行可能な北西航路を見つけ出すことが使命であり、過酷な環境下で生死の境を行ったりきたりする、とんでもない運命に翻弄される。食糧を切らし、連日味もそっけもないコケを採取して食べる。部下が狼の肉といって、別の部下の死体の肉をもってきて、皆それと知らずに食べてしまう事件も起きる。人間、死が目の前にぶら下がったような極限まで追い込まれると、何をしでかすか知れたものではない。

ジョン・フランクリンはその死地から帰還し、体験記を執筆する。あまりの赤裸々な書きっぷりで、自らの弱さをさらけだしたものだから、率直な人徳者という評価になり、ジョン・フランクリンはたちまち有名になった。訳者によると、こうした自分の弱さを認める人物は、英国では好まれるという。日本でも、そうだよね。カッコつけている人は嫌われる。

この後再びジョン・フランクリンは、還暦を超えたにもかかわらず北極へ旅立ち、その途上で死を迎える。過労死なのか、天寿をまっとうしたのかはよくわからないけれども、死の予感はあったような気がする。このとき「緩慢」の人生のなかで初めて、「性急」な人生を送ったのかもしれない。

ちなみにこのときに編成された探検隊は残念ながら全滅している。それから160年余り経ち、日本人探検家の角幡唯介氏は、この悲劇的な結末をたどったフランクリン隊に興味をもち、その軌跡を追いかけた。その顛末は『アグルーカの行方』という本に記されている。たぶん。たぶんというのは、じつは積読になっているからだ。この『緩慢の発見』のおかげで、『アグルーカ』はすぐに読みたくなったし、読まなくちゃなあと切迫した気分になった。「緩慢」からの脱出だ。

緩慢の発見 (EXLIBRIS)
クリエーター情報なし
白水社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日光白根山七色平スノーシュー

2014-02-08 | 山行~スノーシュー

000img_7292標高 約2100m 群馬県

2014年1月25日(土) うすぐもり

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:40丸沼高原スキー場駐車場--ロープウェイ山頂駅--登山口(二荒山神社鳥居)11:04--不動岩--大日如来--11:54避難小屋、七色平(なないろだいら)12:07--六地蔵--13:00展望台(昼食)13:40--14:15登山口--14:45駐車場

天気予報は晴れだったのだが、山の天気はわからないものだ。実際の天気は終始くもっていた。しかも気温がかなり上がるから、山では雪崩に注意とのことだった。山の神は過剰に反応し、地形図を指差しながら、ここから下るから、この先が危ないよね。やっぱりピストンだねと言い出す始末だった。

家を出たのは、5時を優に回っていて、だいぶ遅刻だなと言いながら先を急いだ。関越に入ると事故渋滞になっていた。あとは運を天に任せて、流れに乗って走るしかない。なるべく先へ進もうと、赤城SAまで足をのばして朝食をとったのだが、トイレが並ばないと入れないというすさまじいごった返し状態だった。

沼田ICで下りると、車は数珠つなぎ。そのうち動かなくなる。法面(のりめん)の工事をやっていた。崩れてしまったものはしょうがない。だいぶ時間をロスして、9:40丸沼高原スキー場の第一駐車場に到着した。

05img_7293 01img_7250
左:ロープウェイ山頂駅に隣接するレストランしらね 右:登山口である二荒山神社鳥居

登りはじめる前にもう疲れていた。緩慢な動きでトイレに行って、身支度をして、ザックにスノーシューをくくりつけ、チケット売り場へ向かう。ロープウェイのチケット(3ポイント券)¥1,200を購入する。別途保証金が¥1,000必要だ。保証金は、購入時に預かるカードを返却すれば、戻ってくる。

ロープウェイは、混雑していて長い列ができていた。スノボ人気復活の話は本当のようだ。スノボの板を抱えた人ばかりで7人乗りこみ出発する。思いのほか長い距離を上っていく。ロープウエイ山頂駅からレストランしらねの奥に向かうと、二荒山神社の鳥居があった。ここが登山口になる。鳥居の背の高さを見ると、事前にだれかのHPで見た写真よりも明らかに雪の量が少ないのがわかる。

001img_7255 不動岩

11:04山の神と鳥居をくぐった。後からきた単独の男性は足取り軽く先に歩いていった。すぐに不動岩が現れる。かなりのボリュームだ。

02img_7259 002img_7262
左:湿った雪がべったりと樹木にへばりついている 右:雪に埋もれかかった小さな大日如来様

雪は湿っていて、枝や幹に着いた雪は、突いても落ちてこない。そのうちちょっとした上りになって登高していくと、大日如来が現れた。意外にこぢんまりしてるねと山の神に話しかける。今にも雪に埋もれてしまいそうなくらい祠に雪が積もっている。

03img_7267 04img_7271
左:避難小屋。雪の重みでガラスが割れた? 右:七色平で足跡をつける山の神

日光白根山へ上がって行く道と七色平に下りる道の分岐にさしかかる。雪が少ないおかげで案内板が埋もれていない。現在地がひと目でわかって道に迷う心配がない。下っていくと、避難小屋が現れた。だいぶ傷みの激しい小屋だ。窓ガラスが割れていて、ちょっと泊まるにはしんどそうだ。

避難小屋の隣は、七色平。夏は湿原だが、冬は雪原。山の神がふかふかの雪に入っていき、足跡を付けていく。ここから踏み後は、しばらく山スキーヤーだけになる。

003img_7279 007img_7285
左:新しい建物に鎮座していた六地蔵 右:丸沼高原スキー場も見える展望台

七色平でテルモスに詰めてきた熱いお茶を飲み、しばし休憩。12:07出発。途中かなり下るコースになる。グリセード気味に下っていく。そのうち大量の雪を屋根にいただいた真新しい建屋が見えてきた。近づくと六地蔵が鎮座していた。道中の無事をお祈りし、展望台へ向かう。ここからしばらく踏み後がなくなる。

ちょうど13:00に展望台に到着した。周囲を見て腑に落ちた。スキー場の下から見たときに、雪が少なく見えるから閉鎖されているコースなのかと思っていた場所だった。ちょうどそのてっぺんにいる。ようやくここで昼食にありついた。見晴らしは最高で、武尊山、笠ヶ岳、至仏山が見渡せた。

004img_7280
正面では武尊山が威容を誇っていた

005img_7281
とんがった笠ヶ岳も見える

006img_7282
純白の至仏山

008img_7288
展望台から少し登ると、燧ヶ岳も

13:40展望台から、いっきに斜面を上がった。雪が吹きだまっているところが道らしくないので、一瞬間違ったかと思ったが、さらに上っていくと、ヘアピンカーブがあってきちんとした道になった。ふと視線を右に動かすと、燧ヶ岳が見えた。燧は見られないだろうと思っていたので、感激だ。まもなく指導標が出てくる。

あとはピンクのテープを頼りに強引に移動し、14:15二荒山神社の鳥居に出た。山の神と私のすぐ後から、日光白根山(冒頭写真;レストランしらね付近から撮影)に行ってきたと思われる3人パーティが下山してきた。白根山まで行くと、われわれのコースタイムプラス2,3時間だろうか。元気な御仁だ。

このコースは日帰りも可能だが、泊りを選択した。前日の夕方に山の神が予約を入れた老神温泉まで戻り、吟松亭あわしまにチェックインした。翌日は初めて丸沼高原スキー場で滑ってみた。初心者コースだらけで、あまり楽しくないね、人も多いし、ここより岩鞍のほうが断然いいと山の神と意見の一致をみたのだった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寝姿山と盥岬ハイキングPart2

2014-02-01 | 山行~伊豆・箱根と富士山周辺

08img_0454標高 10mくらい? 静岡県

2006年12月4日(月) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:40休暇村南伊豆駐車場--10:15盥岬10:40--11:05駐車場

ハイキングにしても短い。海沿いに歩いて、岬まで行く散策コースだ。平日の月曜で人にもほとんど会わず非常に静かだった。

行き先は、休暇村南伊豆からほど近い盥(たらい)岬だ。前泊はこの宿で、伊勢えびを腹いっぱい食べて大満足の一夜を過ごしていた。朝は、寝ぼけまなこで温泉に浸かり、昨晩の伊勢えびの頭を出汁につかった味噌汁をすすりながらの朝食。極楽のひとときを過ごして、9:30チェックアウトした。駐車場へ移動し、荷物を愛車に積み込む。

01img_0439 02img_0445
左:休暇村南伊豆 右:海岸線を進む

9:40山の神とともに休暇村の駐車場を出発した。弓ヶ浜を眺めて道なりに進むと、いったん海がさえぎられて見えなくなるのだが、すぐにまた海岸線に出る。弓ヶ浜とは打って変わって、海岸は岩がごつごつしていて、奇岩がユニークな風景をつくっている。

03img_0446 04img_0447
左:岩が奇観をなしている 右:盥岬遊歩道の指導標

すぐに田牛の道標が出てきた。盥岬の先に田牛があり、普通はそこまで歩くのだが、今回はパスだ。

05img_0449 06img_0451
左:ウバメガシが繁る 右:岩に当たって砕けた波が白くあわ立つ

指導標から山道になる。ウバメガシが両脇を固める道だ。今まで海岸を歩いていたことを忘れるくらいの鬱蒼とした森になる。

森を抜けると再び海が目に飛び込んできた。10:15盥岬に到着(冒頭の写真)。山の神と私の到着と入れ違いにおじさん一人が立ち上がった。

 

07img_0453
水平線に見える伊豆の島々。左から利島、新島、式根島

盥岬から水平線に目を凝らすと、利島、新島、式根島が見えていた。利島は周囲8Kmしかない小さな島だけれど、標高が508mもある宮塚山がある。そのせいで、島影がこんもりとして見える。いずれ椿の季節にでも訪れたいものだ。

岬でひとしきり景色を堪能し、潮風に当たったあと、休暇村の駐車場に戻ることにした。

09img_0468 10img_0472
左:石廊崎の石室神社 右:石廊崎灯台

11:20石廊崎に移動した。駐車料金¥500。手前のスペースに車が何台も停まっていて、そこはタダ。とっても損した気分になる。山の神が岬めぐりのクルージングをしたいと言い出し、¥1,020(2014年2月現在¥1,300)払って、25分間の遊覧となる。盥岬のお散歩で見たものと大して変わらないような気もするが、まあいいか。ただ遊覧船は鳥を模していてしかもカラフル。子ども向けの乗り物のようでまったく気のりしなかった。ピカチュージェットに乗るよりは、ましか!

遊覧船から降りたあとは石廊崎の突端へ向かった。ポツリポツリといる観光客のあとをついていくと、石廊崎灯台が現れた。思ったより小さい。そこから岩場を下っていくと、、かなり怖そうな場所に岩に挟まったように石室神社があった。この石室神社にはいろいろな創建のいわれがあるようだが、さだかなことはわかっていない。現在の建物は、一説には千石船の難破船の帆柱を使用しているらしい。

石廊崎を出て一路東京へ。途中ようやく見つけた海鮮系の店で昼食をとったが、高い割には、メシが炊飯ジャーでしばらく保温してましたというような臭みのあるごはんが出てきて、がっかりした。道の駅開国下田みなとで干物や酒盗、えびせん等お土産を購入する。

伊豆スカイラインに入る頃には夕焼けになり、山の神も歓声を上げるほど、車窓から見る富士山、駿河湾、月がみごとに朱に染まっていた。

Part1に戻る

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする