目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

丹沢の不老山

2015-11-29 | 山行~丹沢・道志

標高 928m 神奈川県

2005年10月23日(日) 快晴

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:37バス停 棚沢キャンプ場前--農道分岐9:45--10:35休憩10:45--11:15番ヶ平11:20--11:53不老山山頂(昼食)12:48--14:45駿河小山駅

10年前の山行記録。手帳を見ると、前日にETC車載機をオートバックスでセットアップと書かれているのに、なぜか電車山行をしていた。車だと必ず同じ場所に戻って来なければならないので、たまには縦走ということだったのだろう。

この日は6:00頃起床して、家で山の神と朝食。電車で新松田に出て、そこから9:00発のバスに乗り込み、9:37棚沢キャンプ場前で降りている。いつもなら、ここで日焼け止めを塗ったり、手帳に記録をつけたりするのだが、降りてすぐに歩き出していた。茶畑の中を抜けて農道に出てから、山の神と身支度をする。

 
左:バス停から農道へ出て身支度 右:青々としたもみじ。最初の休憩ポイント

どんぐりだらけの登山道。きれいな広葉樹林の森の中を登高していく。途中、興ざめする杉林や鹿よけの柵を越え、歩き始めて50分。そろそろ休むかと山の神に声をかけた。10:35座るにはおあつらえ向きの丸太が一本横たわっていて、そこに腰をかけた。見上げると、まだ青々としたもみじがあった。紅葉していないともみじとは気づきにくい。

 
2点とも:番ヶ平

杉が林立する中を抜けていくと、番ヶ平。ここはどこ?と山の神が地図を広げた。一方カメラをもって被写体を追い求めていた私は、富士山がほんのちょっぴりだけ見えるのを発見した。


番ヶ平から、富士山がちょっぴり見えた

11:20番ヶ平を出発する。手入れが行き届き間伐している杉林は、薄暗くない。杉林もそんな悪くないじゃないかといいながら上っていくと、11:53不老山山頂に到着した。親子連れや、グループ、単独の方々がすでに昼食中で、われわれもいい場所はないかとうろうろ。山の神がここは?といって日当たりのいい杉の幹と幹の間にレジャーシートを広げた。

 
2点とも:不老山山頂の標示(同じ内容)。左の指導標はだいぶくたびれていた

12:48昼食を終え不老山山頂を後にすると、すぐ不老山の南峰に着く。


不老山南峰から富士山を望む

南峰からは、ちょっといびつな富士山が見えた。もう少し雪を抱いていると、もっと富士山らしくなるのだが。

 
2点とも:不老山南峰

南峰からは、休憩をとらずに一気に下山した。駿河小山駅手前、酒匂川を渡ったところで、ピカピカの出来たばかり(?)の立ち寄り湯施設があった。いま調べてみたら、こんなに長い名前がついていた。「小山町健康福祉会館 ふじみセンターゆったり湯」。主にジモティ用の施設らしく大人¥300だから、かなり安い。山の神と私は、営業しているのかどうかもわからないのでスルーして14:45駿河小山駅に到着した。

自宅最寄駅に着くと、日が傾いて、そのまま居酒屋に行ってもおかしくない時間になっていた。山の神にどうするかね?と聞きつつも、心は早くも居酒屋に飛んでいた。そして焼き鳥屋ののれんをくぐったのだった。

 

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「情熱大陸」火山学者、鎌田浩毅さん登場

2015-11-23 | テレビ・映画

昨日11/22の朝、新聞のTV番組を見ていたら、「情熱大陸」のところに火山学者と書かれていた。ちょっと気になって、23:00テレビの電源を入れた。登場したのは京都大学の鎌田浩毅教授だった。そういえばちょっと前に火山の本は読んだよなと、気になって自分のブログを検索すると、出てきた。『火山入門』、著者は島村英紀さんで、鎌田さんではなかった。こんな偶然もあるのかと思って検索していたから、別人とわかって、なあんだとなった。でも火山というワードが気になって、そのまま最後まで見てしまった。

番組内では、何度も火山が静穏期から活動期に入ったということを繰り返していた。鎌田教授はその事実を正しく「伝える」ことの大切さを説き、いまはそれに情熱を注ぎ込んでいる。それは『火山入門』の主旨ともものの見事にダブっている。火山学者たちは、おしなべてこの現状を伝えたいという固い意思をお持ちのようだ。

ただそんな火山学者のなかにあって、この鎌田教授はかなり異色な存在だ。その思いが突出している。自分の話に耳を傾けてもらうために、マグマの色だといっては、赤い服を着る。それだけで注目度がアップするという。元は東大出の官僚だった鎌田さん。地味な、というか常識的な格好をしていたようだが、あるときから、赤い服を着るようになり、それがきっかけでおしゃれに気を遣うようになる。もともと洋服が好きだったのかもしれない。そして火山の伝道師たるべく、講演活動やラジオ出演、いま2冊かけもちの執筆活動と、八面六臂の活躍ぶりだ。

番組内で印象深かったのは、まず冒頭。NHKスペシャルで以前放送していた「巨大災害 MEGA DISASTERⅡ」の「火山」でもとり上げていた、7300年前鹿児島県の海底火山で起きた噴火。南九州の縄文人を絶滅させたという火砕流の爪あとをそのまま残した、想像するだに恐ろしい地層が出てくる。こういうものに興味をもつのが火山学者であると鎌田教授はいう。次に教授が若かりし頃に体験した1986年の伊豆大島三原山の噴火。見ているそばから衝撃波が次第に大きくなり、火山弾が飛び散り、噴出量も増加していく現場映像は、命の危険を感じさせられるすさまじさだった。そして教授のいまを決定付けた出来事、雲仙普賢岳の火砕流が、火山学者である仲間を飲み込んだエピソード。自然の猛威の前に、人はなすすべもない。

富士山の噴火にも言及していた。南海トラフ地震が起きれば、富士山が危ないのではないかと。前回の富士山の噴火は、1707年の宝永年間。江戸に5cmの火山灰が降っている。ガラスの粉末である火山灰が現代の東京にそれだけ積もれば、下水は詰まり、架線は切れ、交通やインフラに大きなダメージを受ける。今からの備えが必要であるというが、いったいどんな備えが必要なんだろうか。

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蛾ヶ岳ハイキング

2015-11-21 | 山行~南アルプスとその周辺

蛾ヶ岳(ひるがだけ) 標高 1279m 山梨県

2015年11月1日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:20四尾連(しびれ)湖第2駐車場8:40頃--9:48蛾ヶ岳山頂10:05--大畠山--四尾連峠--11:20四尾連湖(昼食)12:05--12:10駐車場

行楽シーズンも終わって、ひっそりと静かな蛾ヶ岳ハイキングコースを歩こうと、山の神と連れ立って5:35家を出発した。四尾連湖は思い切り穴場で、知る人ぞ知る場所だと思っていたが、行ってみると思いのほか人が多い。ジモティたちが集う格好の場所のようだ。私は90年代に一度訪れて以来の蛾ヶ岳。そのときどうだったかをほとんど思い出せないのは、やはりコースが短くその分印象が薄かったからのようだ。覚えていたのは、四尾連湖がどんよりとした沼のように見え、霊気漂う、恐ろしげな場所ということだけだった。再訪してみると、そんな印象は吹き飛んだけどね。

そもそも蛾ヶ岳は、武田信玄の躑躅ヶ崎の館から見て、正午にこの山の上に太陽があったことから、昼ヶ岳と呼ばれるようになったという。それなら、昼ヶ岳のままでいいと思うのだが、後世誤って「蛾」という字を当ててしまったようだ。それにしてもどう転んでも、山の神の大嫌いなあの羽のある「が」としか読めない。アホな役人が「蛭」と書こうとして「蛾」と書いたとしか思えない。いっそのこと昼ヶ岳に戻せば、観光客も増えるのではないかと思うが、いかがだろうか。

 
左:四尾連湖第2駐車場。この直下にトイレがある 右:登山口

8:20四尾連湖第2駐車場に到着した。すでに何台か停まっていて、若者グループが少し前に到着したようで、にぎやかに談笑しながらハイキングの支度中だった。そのうち湖畔の水明荘の人と思われる年配の方が駐車料金徴収に現れた。山の神が支払っていたが、たしか¥500。

8:40頃薄暗い登山口から、林道を歩き始めた。歩調を速めると、前方に先に出発していたパーティがいた。先に行かせてもらうと、20分ほどで大畠山の東肩に出た。ここから明るい紅葉の道になる。

 
左:大畠山東肩(分岐) 右:蛾ヶ岳への稜線では紅葉が始まっていた

なかなかいい道が続く。だいぶ葉も色づき、目の保養をしながら、ゆるゆると横移動をしていく。 

 
左:蛾ヶ岳西の肩から山頂へつづく道 右:蛾ヶ岳山頂

蛾ヶ岳西の肩に到着し、休憩しようかといったん山の神とザックを下ろしたが、山頂まであとわずかだから行ってしまおうとなった。西の肩には味わい深いお地蔵さんが鎮座していて、思わずカメラを向けてしまった(冒頭写真)。ここから急登が始まるが、まっすぐに延びた快適な道だ。単独行者や夫婦らしき2人とすれ違う。

山頂には、9:48到着。山梨百名山の比較的新しい標柱が立てられていた。その後ろには、富士山がすっきりとその輪郭を浮かび上がらせていた。


山梨百名山の標柱の後ろには富士山

反対側に目を転じると、正面に八ヶ岳と甲府盆地が青くかすんで見える。


八ヶ岳もばっちり

八ヶ岳の左手には、南アルプスの峰々が横たわっている。手前を見ると、青々とした稜線に大畠山の鉄塔や、四尾連湖が見える。眺望は最高だ。


四尾連湖の奥に鳳凰三山。その左に北岳

座って休憩していると、徐々に冷えてきて、単独行の方が山頂に到着するのを潮に下山を開始した。じつはもっとのんびりしていたかったのだが、山の神の「寒いから早く行こう」のひと言に負けた。

下り始めると、次から次へと登山者が上ってくる。ちょうどいいタイミングで山頂を後にしたのかもしれない。西の肩から元来た道をどんどん引き返していくと、荷物をほとんど持たないハイカーたちとすれ違った。お子さん連れの方々もいた。「山頂はまだ遠いですか」と聞かれ、答えに窮した。こうした場合、どう答えたものかいつも迷う。まず登山者はこうした質問をしないから、明らかに山のぼらーではないのだ。山の神と私にとっては、山頂はすぐそこだが、滅多に山歩きをしない人にとっては、30分でも遠いという感覚だろう。山の神が「すぐそこです」と即座に答えていたが、彼らはだまされたと思っているのではないかとちょっと後ろめたい思いをした。

 
左:大畠山山頂 右:ちょっとした広場になっている四尾連峠

大畠山東肩から少し進むと、何の標示もないが、右手に登山道のようなものがあった。これは大畠山への道かといって上がっていくと大当たり。小さな山頂標示があり、先ほど蛾ヶ岳山頂から見えていた鉄塔があった。眺望は皆無で、写真だけ撮って四尾連峠へと下った。

峠には、「あずま屋」とか、「碑林公園」とか確か書かれていた指導標があった。それを見て、ちょうどいいや、あずま屋で昼メシにしようと山の神と峠から歩き始めたのだが、一向にそのあずま屋が出てこない。これって碑林公園の中にあずま屋があるってことだったんじゃないかと思い至り、重い足取りで峠に引き返すことになった。すぐに峠に戻ったものの、昼メシを食べるような快適な場所はない。こんな薄暗いところで食べるよりは、いっそのこと四尾連湖に下ろうとなった。

 
左:四尾連湖 右:四尾連湖畔のキャンプ場

11:20四尾連湖畔に到着する。湖面にはセイルボードで遊んでいる人や、カヌーをやっている人がいた。向こう岸にはテントが張られている。いかにもレジャーのための湖といった趣のあるところだ。ベンチに腰を下ろして、山の神と昼食にした。ご近所でもお弁当を広げている年配の方々がいた。景色を堪能しながらのご飯はなかなかいいものだ。十分くつろいで、四尾連湖を後にする。湖畔のキャンプ場の中を抜けて12:10駐車場に到着した。

帰途道の駅とよとみに寄って、白菜やキノコ等地元の農産物を購入する。車に積んでから缶コーヒーを飲んで一服。さあ、帰るかと重い腰を上げ、甲府南インターから高速に上がった。一所懸命走ると、小仏トンネルあたりで少し混雑していただけで、すんなりと15:00頃には帰宅できた。ちょっとばかり物足りない気もするが、優雅な一日ともいえる。次回は、碑林公園から山頂ピストンの7時間(?)コースかな。

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晴登雨読ならぬ晴寝雨呑~「陸奥八仙を楽しむ会」に参加

2015-11-14 | 山雑記

山のぼらーの標語、晴耕雨読ならぬ「晴登雨読」を旨として、日々を送っていたのだが、最近は晴れていても疲れたといって家でゴロゴロ。雨だから本を読もうというのも崩れてきて、ただ呑むだけの晴寝雨呑へなし崩し的に移行している。

それを象徴するように、先日某新聞の記者に誘われて八戸酒造の「陸奥八仙を楽しむ会」に参加した。では、いつもの山行記録体裁で紹介しよう。

 「陸奥八仙を楽しむ会」でもらったパンフ・チラシ

樽一(たるいち) 標高 37m(新宿駅) 東京都(歌舞伎町)

2015年11月8日(日) 雨  

メンバー 山の神と私

コースタイム 16:45頃樽一--17:00過ぎ乾杯「陸奥八仙 夢想い 40 純米大吟醸」--「陸奥男山 classic ヌーボー27BY」--「陸奥八仙 いさり火 特別純米」--「陸奥八仙 黒ラベル 純米吟醸」--「陸奥八仙 緑ラベルひやおろし特別純米」--「陸奥八仙 芳醇超辛純米」--「どぶろっく 純米活性にごり生酒27BY」--20:00中締め--20:15頃家路につく

15:45には家を出発しようといっていたのに、いつものようにずるずると出発が遅れて16:00。新宿に出て市役所通りへと向かう。呑む時間にはまだ早い16:45に会場となる樽一に到着した。店内のお客さんはまばらで、皆手持ちぶさたにしている。山の神と誰もいない奥のテーブル席についた。スタート時間が近くなるにつれ徐々にお客さんも増えてきて、わがテーブルにも人が入り始める。隣に来た兄貴は今回で2度目の参加とか。

17:00を回って、会がスタート。樽一店長と、まだ36歳という八戸酒造の若き専務駒井さんの挨拶が終わると、お待ちかねの乾杯タイムとなった。乾杯酒は純米大吟醸だ。すっきりまろやかな辛口。くせがない。さすがは大吟醸。もっと呑みたいと思ったが、これは高いからか(?)一杯切りだった。残念。それから新酒、純米酒へと順番に杯を重ねるが、ペースが間遠で、もっと早くいっぱい呑みたいと欲望の渦がぐるぐると回り始めていた。

料理は、刺身盛り合わせ、三陸珍味、やぐらのように組まれて出てきた青森産の豪快なごぼうの唐揚げ、八戸産のするめイカとホタテの湯引き、牛の味噌漬け焼き、さばの棒寿司、真鯛のじゃっぱ汁と大満足の品々だった。樽一は鯨料理で売っているだけに、珍しい鯨の刺身が出され、なかでも脂がのった部位はとろけるうまさで感激させられた。

会も終盤になると、余った酒が次々にテーブルに回ってきた。最初のお酒の提供ペースがペースだっただけに、回ってくるたびにお猪口を開けて注いでもらい、急に呑むピッチが上がってしまった。急速に酔いが回ってきたところで中締めとなり、酔っ払い集団で記念写真。360度写る全天球写真が撮られた。全天球写真は面白い。後日ぐるぐる角度を変え、人が大きくなったり、小さくなったりするのを、ためつすがめつ見てしまった。

ただの酔っ払いと化した山の神と私は、中締め後すぐに家路についた。家に着いたあとは正体なし。ちなみにこの楽しむ会の会費は6000円。これだけおいしいお酒を呑んで、うまい料理も食べられて、とっても割安だった!

先週の日曜はこうして夜も更けていったが、今週は? 予報ではまた雨だ。晴寝雨呑の日々から、少なくとも晴登雨呑にしたいと思いながらも、明日は雨だからやはり山には行けない。また呑みか?

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笠ヶ岳・岩菅山・志賀山Part3

2015-11-13 | 山行~信越

志賀山 標高 2037m 長野県

2004年9月20日(月・祝) 晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:18硯川駐車場9:40--前山スキー場リフト--渋池--10:20四十八池10:30--10:55裏志賀山11:06--11:28志賀山11:35--12:25リフト乗り場(昼食)13:10--13:15硯川駐車場

西発哺(ほっぽ)温泉ホテルに連泊して、最終日は志賀山ハイキング。赤石山まで足を延ばしたいのはやまやまだが、行ったら東京までの帰りが大変だ。というわけで、ゆるゆる山行記。

目覚めと同時に朝風呂へ。温泉宿に泊まる楽しみのひとつは、この朝風呂だ。ついでに朝からビールが飲めるといいのだが、さすがに車を運転して移動するから、それはできない。ホテルを9:00頃チェックアウトし、車止めなしの恐ろしい駐車場とは、おさらばした(左下写真)。ちなみにこのホテルに下りてくる道もすごかった。ガードレールなしで、ひとたび運転を誤れば、谷底に転落しかねない。ホテルのスタッフに聞くと、冬場でもここから落ちた人はいませんよという。皆慎重な運転になるからか。

 
左:西発哺温泉ホテルのスリリングな駐車場 右:四十八池湿原入口

余談はさておき、笠ヶ岳に登ったときと同じ、硯川へまず向かった。9:18再び硯川駐車場に車を置いて、身支度を整え、9:40山の神とともに奥志賀高原前山スキー場のリフト乗り場へ移動した。リフト代は格安で、ホテルにあった10%割引券を使い、当時で往復¥420。リフトを降りるとすぐに2日前に訪れた渋池が現れる。そこから平坦な道をひたすら歩いていくと、四十八池湿原の入口にさしかかった。


四十八池、草紅葉へ移行中

色づき始めた湿原には、名前どおりなのか、たくさんの池があり、しかも水面に青空を映し出していて、心洗われる景観を呈している。10分ほどそこで足を休め、10:30湿原を抜けた。すぐに急登が始まり、いつもなら足の運びが鈍くなるところだが、山の神と私は睡眠ばっちり。快調なペースで、バリバリ登った。


裏志賀山から大沼池を望む

10:55裏志賀山山頂に到着。山頂の端っこには、トラロープが張られていて、通行止めになっていた。明らかに道がついているようだが、途中で崩壊してしまっているのだろうか。山頂からはエメラルドグリーンの大沼池(写真ではそう見えないが)や四十八池がよく見えた。 


裏志賀山から四十八池を望む

樹林帯の中を歩き、11:28展望図があるのに、いっさい展望のきかない山頂に到着した(ちなみに三角点はここではない)。標高も昭文社の山地図とは異なり、1.3m低く記載されている。


志賀山展望図

11:38いよいよ今回の山旅もオーラス、下山開始だ。といきなり急な下りに入る。しかも岩がゴロゴロしていて、非常に歩きにくい。山の神と苦労惨憺下っていくと、次々に登山者とすれ違うことになった。10人以上はいたか。本来このコースは上りに使うべきなのだろう。下りきると最後は行きにも使ったゆるゆるとした道になり、12:25リフト乗り場に着いた。さあ、この辺りで昼ごはんにしようと、山の神と落ち着けそうな場所を探し回る。右往左往した割にはここはという場所はなく、結局リフト乗り場に舞い戻って来て、横にあったベンチに腰を下ろすことになった。今日もホテルのお弁当を食べて、13:10リフトに乗り込んだ。

帰途道の駅でりんご6個入り¥300や秋の味覚、巨峰¥200を購入。家で食べるのが楽しみだと山の神と喜んでいたのもつかの間、上信越道から藤岡ジャンクションにかけて渋滞に巻き込まれた。3連休最終日の洗礼だ。高速を下りた19:20頃にはもうぐったりしていた。どこかで休憩&晩飯にしようとなり、ふと脳裏に浮かんだのは、デニーズだった。あぶれることなく駐車場に入れて、ホッと一息。まったりしすぎたのか帰宅はなんと21:10だった。 

Part1笠ヶ岳へ戻る
Part2岩菅山へ戻る

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