目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

100歳のマタギが遺した貴重な記録『山人として生きる』

2017-12-31 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『山人として生きる 8歳で山に入り、100歳で天命を全うした伝説の猟師の知恵』志田忠儀(角川文庫)

筆者の志田忠儀氏は、ノンフィクション作家、角幡唯介氏が「ラスト・マタギ」と敬意を表して呼んだように、マタギとして驚くべき生涯を送った人だ。山のことを知り尽くし、さらに晩年は自然保護にも力を尽くした人格者でもあった。

志田さんは、山形県西村山(にしむらやま)郡西川町生まれ。彼の地は、朝日連峰の麓、寒河江川沿いの開けた地域だ。豊かな生態系が維持されており、土地の人たちは、山からの恵みをいただくことで生活を送っていた。

志田さんの生活は、2月から3月はウサギを撃ち、4月後半から5月はクマを撃つ。5月後半から6月はゼンマイを採り、夏は登山道の整備や渓流釣りをし、秋はキノコや山菜採り、イタチ狩り、そして再びクマを撃つ。合間に田畑を耕し、民宿も経営していた。山に寄り添ったまさにスーパーマンの暮らしぶりだった。

若い頃には、戦地に2度も赴き、命からがら2度とも生還している。そんな体験があったからこそ、命を大切にする。山岳救助隊員を買って出たのも、そんな体験に裏打ちされている。加えて朝日連峰を隅々まで知るマタギだからこそ、遭難者の居場所に察しがつくし、危険な場所を避ける術、天候の移り変わりにも的確な判断ができた。

ラスト・マタギと呼ばれるだけあって、マタギの経験談は、筆が冴えわたる。まず朝日連峰のクマ撃ちは、「巻き狩り」であると説明を始める。勢子役である「鳴込(呼込)」がクマを追い出し、「通切(とりきり)」がクマを仕留めやすい場所におびき出す。最後は「立前(たつまえ)」が銃で仕留める。全体の指揮を執るのが、「前方(まえかた)」だ。銃の扱いが巧みで、至近距離から急所を撃つ度胸がすわっていた志田さんは、「立前」を任され、何度も大物を手中に収めた。

昭和の時代には、岩魚が豊漁だったことも描かれている。両手で持ちきれないほどの釣果を誇る写真が掲載されている。清流のコケを豊富に食べていた天然の岩魚はとてもうまいらしく、皆で腹いっぱい食べたとか。

晩年は、朝日連峰のブナ原生林伐採の計画に反対し、政治家と対峙したことも書かれている。山が荒らされる事態に黙ってはいられない硬骨漢でもあったのだ。結果、反対運動が実り、一帯は磐梯朝日国立公園として登録され、ブナの原生林を守ることに成功した。志田さんは功労者であり、その土地を熟知する者として管理人となった。

このように知力、体力、行動力に長けた、すごい人、それが志田忠儀さんだ。晩年の尊顔を拝すると、おだやかな微笑を湛えた仏さんのような人。こんな生き方を真似できたら、どんなに充実した一生になるだろうか。

山人として生きる 8歳で山に入り、100歳で天命を全うした伝説の猟師の知恵 (角川文庫)
志田 忠儀
KADOKAWA

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2 コメント

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はじめまして (志田 孝儀)
2018-01-23 11:27:07
祖父の本を読んでいただきありがとうございます。
祖父は孫の私から見ても、穏やかで神様のような人でした。

私は大井沢から離れてしまいましたが、高校生の娘が西川町役場に就職しマタギの後を継ぎ祖父の守ってきた山を守っていきたいと大井沢に戻ります。

もし機会がありましたら、朝日連峰を訪れてみてください。
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コメントありがとうございます。 (1122メートル主人)
2018-01-23 15:17:03
直近では2016年に大朝日岳へ行きましたが、体調を崩してボロボロでした。再訪したいと思っています! マタギを目指す娘さんも陰ながら応援しております!
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