目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

石老山~顕鏡寺コース

2013-04-29 | 山行~中央線沿線・大菩薩

000p4251934標高 694.3m 神奈川県

2004年4月25日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:25相模湖病院駐車場8:35--顕鏡寺--9:20融合平見晴台9:30--9:55石老山山頂10:20--10:50大明神山--10:55大明神展望台(昼食)11:55--13:15駐車場

この山行記録は9年前のもの。昨年2012年11月18日に石老山を再訪しているのだが、大明神展望台にはこの時初めて訪れたと思い込んでいた。しかし、違うんだね。しっかり写真まで残っていた。人の記憶なんて、(とくに私の記憶か)本当に当てにならないものだ。

5:30起床し、朝ごはんを家で食べて、のんびり6:50の出発となった。甲州街道を進み、高尾あたりのコンビニで買出し。ピクニックランド前を過ぎると、デカデカと「石老山」の文字が目に飛び込んできた。その交差点を右折し、8:25相模湖病院の駐車場に到着した。

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左:相模湖病院の駐車場 右:つつじが咲いていた顕鏡寺

思いのほか、車が多く停まっている。身支度を整え、8:35山の神とともに出発する。ジメっとした薄暗い登山道を進む。途中で目の不自由な方が入った大人数のパーティを追い抜く。足元がよくない道だから、付き添いの方も大変そうだ。

やがて顕鏡寺が現れる。山吹やつつじが咲いていて華やかだ。境内で、水分補給して先へと進む。

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左:融合平見晴台 右:石老山山頂。遠くに富士山

奇岩を抜けていくと、9:20相模湖を見下ろせる融合平見晴台に着いた。誰もいないことをいいことに、ベンチとテーブルを山の神と占領し、ポッキーをポリポリやりながら、くつろぐ。皆さん早い出発なのか、意外にもあまり人に会わない。

いつもは濃厚な暗がりをつくる杉林ながらも、木漏れ陽のある登山道を上っていく。9:55石老山山頂。遠くに小さく雪を冠した富士山が見えている。比較的広い山頂で、居心地はいい。そのせいか、だらりと長居をしてしまった。

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左:大明神山 右:見晴らし抜群の大明神展望台

10:20石老山から鼠(ねん)坂を下る。10:50大明神山。朱色に塗られた小さな祠がある。山頂は一方向だけ木が切られていて開けている。そこには、こぎれいなベンチが据え付けられていた(冒頭写真)。しかし、昨年行ったときにはもう、そのベンチはなかったから、8年あまりの月日で朽ちてしまったのだろう。

大明神山から5分程度で、大明神展望台に着く。ここからの見晴らしは抜群だ。富士山を筆頭に、遠くに南アルプス、丹沢の峰々が見える。右手を見れば相模湖がどかーんと手が届きそうな位置にある。パノラマビューを堪能できる。

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大明神展望台から富士山を望む

展望台のベンチで富士山を眺めながら、コンビニおにぎりタイムとなった。優雅な時を過ごしていたが、ガヤガヤとノイズィーな団体が来るのを潮に下山の支度を始めた。

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相模湖がでっかく見える

同じコースを下っていく登山者は2組。薄暗い道を黙々と下り、箕石橋に出る。長い車道をぐるりとへめぐり、再び石老山入口に出る。しかし今度は車ではなく、歩きだ。相模湖病院の駐車場に向けて登り返した。駐車場には13:15にたどり着いた。

参考
石老山~鼠(ねん)坂コースhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20121202

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桜の名所、大霧山

2013-04-27 | 山行~奥多摩・奥武蔵

標高 766.6m 埼玉県

2004年4月18日(日) 晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:15定峰峠9:30--旧定峰峠--10:15桧平10:20--10:40大霧山山頂(昼食)11:30--12:20ゾンゲ山(701mピーク)12:30--12:40定峰峠

6:45自宅を出発し、関越に乗る。高坂SAで休憩し、すぐさま高速を下りた。11号線沿いのセブンイレブンに立ち寄って買い出し。9:15登山口のある定峰峠に着いた。お目当ての桜は咲いてはいたが、終わりかけで、だいぶ花びらを散らしているし、葉も出始めていた。ちょっと遅かったか! 例年より1週間くらい開花が早かったため、当然散るのも早い。

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左:定峰峠 右:定峰峠の桜

トイレに寄って、9:30峠を出発する。道標が乱雑に建てられているところから取り付く。たらたらの感のある道を進んでいくと、祠のある旧定峰峠に着く。そこにはデカデカと横断幕が掲げられていた。この日は、「秩父七峰ハイキング」のスタンプラリーが行われていたのだ。登山者が大挙押し寄せてきそうで、嫌な気分になる。あとでそれは現実となって、山の神と私を悩ますことになった。

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左:大霧山山頂 右:皇鈴山・登谷山・釜伏山方面

ちょっとした広場の桧平で小休止し、高度を一気にかせいでいくと、大霧山山頂に着いた。時計を見ると、まだ10:40だ。ちょっと昼には早いけど、おなか減ったから食べようかと、山の神と早くも昼食にしてしまう。

山頂はかなり狭い印象だ。事前に見ていた山頂写真の「広~い印象」が強すぎたせいか、はたまた登山者が多いから、そう感じたのかもしれない。

しかし、山頂からの眺望は格別だった。北からぐるりと西へかけて、遮るものは何もなく、周囲の峰々を見渡せる。まさにパノラマ。

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蓑山方面を望む

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どこから見てもすぐわかる武甲山

11:30下山開始。ピストンで車まで下りるのだ。サクサク下ろうと思って歩き出すと、そうは問屋が卸さなかった。来るわ、来るわ、登山者の群れ。数珠つなぎに登ってくる。スタンプラリーの影響なのだが、何度も何度も道を譲るのはくたびれるし、時間もかかってうんざりする。

それでも12:20、人の流れが途切れた頃、ゾンゲ山にたどり着いた。定峰峠まで目と鼻の先なのだが、一息入れねば、歩けないほどくたびれていた。休憩後10分ほどで、わが愛車にたどり着いた。峠は人でごった返していた。やはり桜の名所のことだけはある。

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今熊山・刈寄山

2013-04-21 | 山行~中央線沿線・大菩薩

000img_6566今熊山 標高 505m 刈寄山 687m 東京都

2013年4月14日(日) 晴れのち曇り 

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:03今熊神社駐車場9:15--9:40今熊山山頂9:48--10:20分岐(管理番号152-200)10:30--11:03刈寄山(昼食)11:42--12:50今熊山分岐(展望台)12:55--13:17駐車場

花粉の飛散もピークを過ぎ、晴天にも恵まれ、久々にお山に繰り出した。7:40頃山の神とともに車で自宅を出発。秋川街道を走り、圏央道高架をくぐる直前の最終(?)コンビニ、ファミリーマートで買出しをする。ここまで来れば、登山口まではもうすぐだ。新小峰トンネル手前で左折。ちょうどバスが来ていたのか、狭い道には、ハイカーの団体が道いっぱいに広がって歩いていた。

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左:今熊神社駐車場。男女兼用のトイレあり。 右:ミツバツツジは終わりかけだった

しばらくその細い道を上がっていくと、今熊神社の駐車場に到着した(駐車場はGoogle mapのストリートビューで確認可。2011年4月撮影)。思ったより広くて20台以上のスペースがある。駐車場のまん前ではピンク色のミツバツツジが咲いていた。ただ近くに寄ってみると、花がだいぶ落ちている。今年の開花はだいぶ早かったようだ。桜も例年よりかなり早かったしね。

9:15駐車場を出発する。人気のハイキングコースなので、人は多い。今熊神社でお参りしている人たちは、例外なく皆ザックを背負っていた。神社横から登山道に入る。まもなく斜面の一部が丸裸になっているところに出た。山の神がジモティに聞いた話では、この辺りは都の事業で花粉を出さない杉を植え始めているのだという。おそらく、この裸地にも、それを植えていくのだろう。

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左:今熊山山頂 右:終わりかけの山桜と今熊神社奥社

今熊山山頂には、9:40到着。遠くにスカイツリーがうっすらと霞んで見える。小広い山頂の端には今熊神社の奥社がある。鳥居をくぐってさっそく道中の無事を祈った。

休憩もそこそこに刈寄山に向かう。しばらくは、さしたるアップダウンもなく横移動になる。しかしそのうち直登コースと思しき道が出てきて、てっきり最短コースだと思い込んで登ると、すぐに巻き道と合流となっていた。ショックを受けること2度。してやられたと山の神と悔しがることになった。そういえば、今の山地図と、古い山地図を比べると、コースタイムが全然違う。それは後から歩きやすい巻き道をつけたからということなのだろう。

入山峠付近でランナーと遭遇した。そのうち次々に列をなしてやってくる。今熊山の分岐に、山岳レースのスタッフかと思わせるようないでたちの人がいたので、ちょっと嫌な予感がしていたところだった。危惧は的中。家に帰って検索してわかったのだが、この日は、ハセツネ30K(冒頭写真)という山岳耐久レースの開催日だった。

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左:刈寄山山頂 右:山頂東屋と豆粒ほどの山の神(左側)

11:03刈寄山山頂に到着。ちょうど団体のパーティが下山していった。山岳レースのランナーも全員ここを通過したようで、大会スタッフがなにやら無線で本部や入山峠のスタッフとやりとりをしていた。

この山頂にいたのは、年配の単独男性とおばさんのパーティ2組だけで、案外少ない。山の神とコンビニおにぎりをほおばりつつ、山桜と下界の景色を眺めてほのぼのする。

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刈寄山山頂から武蔵五日市の市街を見る。かろうじて山桜の花が残っていた

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刈寄山下部の山火事の跡

刈寄山を11:42後にする。上り時には、ランナーに気を取られてまったく気づかなかったのだが、下ってきて山火事の跡に初めて気づいた。幹は黒く焦げ、樹の上のほうに視線を移すと、葉がまったく付いていない。明らかに枯れていた。2011年4月9日早朝に火災が発生し、この辺り一体を炎に包んだようだ。車道のない(今造っているが)山間部なので、消防のヘリが出動し消火に当たったという記事を発見した。

しばらく歩いていくと、またランナーに出くわした。今度は、間遠に途切れ途切れに背後からやってくる。山の神と「振り向く、止まる、避ける」「振り向く、止まる、避ける」を何度も繰り返すことになった。狭い登山道ですれ違うのは大変だ。端に寄ったり、藪の中に入ってやりすごしたり、余計なエネルギーを使ってホント疲れた。

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里山の美しい風景。小さく駐車場が見えている

ランナーたちが今熊山へ曲がっていくのを見ながら、その分岐近くの展望台で休憩にした。お茶を飲んで出発。もうひと踏ん張りで駐車場だ。里山の美しい風景に目を細めながら、13:17愛車の元にたどり着いた。予定より小一時間も早い到着で、なんだか得した気分で帰途についた。

参考
秋川丘陵ハイキングコース 今熊山コース(刈寄山コース)http://komine-park.sakura.ne.jp/pdf/map_imakumayama_kariyoseyama.pdf

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サハラに死す

2013-04-14 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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『サハラに死す 上温湯隆の一生』 上温湯隆〔著〕 長尾三郎〔構成〕 ヤマケイ文庫

70年代にサハラ7000Kmをラクダ1頭とともに単独横断を試みた若者がいた。私は、その存在すら知らなかったのだが、1975年11月時事通信社から、手記が刊行されていた。その本を読んだ若者が彼に続けとばかり、サハラ横断にチャレンジしている。同志社大学探検部の飯田望、そしてリヤカーに荷物を載せてサハラを縦断した男、永瀬忠志。前者は79年で、上温湯同様まったく知らなかったのだが、リヤカーマンはリアルタイムで書店で見ているからよく覚えている。なぜリヤカーなんだ?と不思議に思ったものだ。

余談はさておき、この本の著者である上温湯隆は、自分の成し遂げたこと、失敗したこと、感じたこと、考えたたことを、20代の若者らしい感性でストレートに書いている。自らを振り返ると、20代の頃は、彼と似たような人生の蹉跌みたいなものを感じていた。自分よりも多少でも人生経験が長い人から、なんだかんだとアドバイスを受けながら、その時代を乗り切ってきたわけだけど、最後は自分次第なんだよね。自ら決断して実行しなければ、何も始まらない。

上温湯のサハラ横断の出発点は、モーリタニアのヌアクショット。そこまでほとんどヒッチハイクに近い状態でたどりつく。この地でラクダを1頭購入し、さっそくアラビア語で「わが友」を意味する「サーハビー」と命名する。そしていざ出陣、意気揚々と砂漠に乗り出すのだが、すぐに食糧問題に直面する。道々調達するはずが、町や遊牧民のテントを見つけられなかったのだ。コンパスや地図をもっていても、進むべき方向に少しでもずれがあれば、進む距離とともにその誤差は拡大していくばかりだからね(地図にきちんと磁北線を引いていたのだろうか)。彼はこの苦境を出発点に戻ることで回避する。いったん事を始めてしまうと、振り出しに戻るのは難しいものだが、彼は旅の途中で知り合った友の忠告を反芻し、戻ることを決断する。

再出発するも、砂嵐に遭ったり、体調を崩したり、サーハビ-が失踪したりと苦難の連続となる。そして最大の危機が訪れる。サーハビーを疲労させて死なせてしまったのだ。ここで挑戦は終わりかと誰もが思うが、上温湯は周囲の援助を受けて再びサハラ横断の挑戦を決意する。不屈の精神だと関心しながら先を読み進めると、突然幕は下りる。

小説ではないから、遭難死したら、そこで突然シャットダウンしてしまうのだ。本のタイトルが「サハラに死す」だから、死んでしまうのはわかっているのに、実際に読み進めてそうなると、納得がいかないし、もうがっくり。上温湯の人となりもわかっているし、彼の生き様に共感を覚えながら感情移入しているからね。

日本の外務省に上温湯が死んだという連絡が入って、上温湯の母にその報が伝わるという事実が淡々と綴られていく。そして次第に明らかになっていく死の真相。あまりにもあっけない死。再び購入したラクダ(やはりまたサーハビーと命名)が気が荒く、食糧や水を積んだまま逃げたらしいということ。残酷だ。日中の気温が50℃にもなるサハラ。ここで水がなければ、どういうことになるか。この過酷な状況を想像すると身の毛がよだつ。

                                 

冒険に情熱を費やした男がいた。短命ではあったが、関わった人々の心に大きな足跡を残したし、われわれ読者にも共感や、人生捨てたもんじゃないぞという希望を残してくれた。70年代にこんな破天荒な男がいたのだ。この本がまた新たな冒険家を生み、上温湯は伝説になるのだろう。

サハラに死す――上温湯隆の一生 (ヤマケイ文庫)
クリエーター情報なし
山と渓谷社
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高川山

2013-04-07 | 山行~中央線沿線・大菩薩

標高 975.7m 山梨県

2003年4月6日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 初狩駅10:30--10:50登山口--11:45道標--12:30高川山山頂(昼食)13:20--14:00休憩14:17--15:20禾生(かせい)駅

この2003年は、私にとっては節目の年だった。勤めていた会社が身売りされて、親会社が変わり、さらにプライベートでは3月に引越しをして、この高川山が引越し後第1回目の山行となった。

家で朝食をとって駅に向かう。本日の山行はアプローチが電車、そして縦走という山の神と私にとっては珍しいパターンだ。初狩駅には10:20に到着した。駅のトイレに寄って10:30歩き始める。東京ではまったく雪は降っていなかったのだが、ここ山梨では、昨日降雪があり、一面雪景色になっていた。アイゼンはもって来ていないし、ストックも忘れてきてしまった(車に積みっぱなし?)。とりあえず行けるところまで行って、ダメそうだったら戻ろうかと山の神に話す。

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2点とも:登山口

10:50雑然とした登山口にたどりつく。フリースを脱いで再び歩き始める。11:45大松の道標で休憩。樹上から時折どさっと落雪がある。太陽が天上に来て、だいぶ解け方が速まっているようだ。

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左:山頂手前、最後の上り 右:山梨百名山の標柱

女坂を上がっていく。雪は上るにつれ、だいぶ増えてきているが、アイゼンなしで十分にいける。山頂手前の急登で振り返ると、樹間から甲州街道や中央高速、山の神と乗ってきた中央本線がくっきりと見えている。

12:30高川山山頂に到着する。思いのほか登山者は多い。周囲の眺めは最高で、山座同定ができるように方位盤が置かれている。圧巻はやはり富士山ビュー。高川山から近いだけにその存在感はすごい。ちなみにこの山頂からの眺めは、秀麗富嶽12景に指定されている。

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高川山山頂からの富士山

雪上をなめてくる冷たい風に悩ませられながら、昼食をとる。山の神とともに上に一枚フリースを羽織っているが寒い。景色は最高だから、よしとしよう。

04p4061321 003p4061324 ストックの代わりに棒切れで

13:20山頂を後にする。結局アイゼンなしのつぼ足で山頂まで登れてしまったのだが、下りはさすがに要注意だ。足元に気をつけながら、恐る恐る足を運んでいく。途中でストック代わりに棒切れをゲットし、古宿へ向けて下りていく。滑りやすい箇所もあったが大事ない。14:00に休憩を入れ、その後は長い長い車道歩きとなった。

15:20禾生駅着。電車の本数が少ないので、しばらく待つ羽目になった。16:04発の大月行きの電車に乗り込む。その後は、自宅最寄駅前の居酒屋に山の神と流れ、最後はほろよい気分のまま夜桜見物とあいなった。

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