目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

人気の「牛奥ノ雁摺」再訪と小金沢山

2021-06-28 | 山行~中央線沿線・大菩薩

牛奥ノ雁ヶ腹摺山 標高 1990m 小金沢山 2014m 黒岳 1987.5m 山梨県

2021年6月12日(土) 曇りのち晴れ  

メンバー 私単独

コースタイム 6:28大峠駐車場6:39--7:30急登取り付き7:36--尾根分岐--7:50黒岳--8:53牛奥ノ雁ヶ腹摺山9:03--9:38小金沢山9:46--10:18牛奥ノ雁ヶ腹摺山(昼食)10:48--11:20川胡桃沢の頭11:25--11:52大峠への分岐11:57--12:46大峠

週末晴れそうだから山へ行こうと山の神を誘うと、実家に行くというので、梅雨にどっぷり入る前に一人でお山に行くことにした。行き先はいつの間にか名前が長いというだけで有名になり、人気も出てきた牛奥ノ雁ヶ腹摺山だ。ついでにGWに山頂で富士山を拝めなかった小金沢山まで足を延ばすことにした。牛奥までは山の神と行っており、いつだっかたと調べると2004年だったから、なんと17年ぶりになる。

4:25自宅を車で出発した。大月で高速を下りてから登山口までコンビニがたしかなかったよなと思い、自宅近所のコンビニで買い出しをして高速にあがった。交通量はそれほどでもない。談合坂SAで朝食をとり、サクサクと進んで甲州街道から見覚えのある交差点を大峠に向けて右折する。集落が意外と途切れずに長い。こんなに長い道だったかというくらい走り、2010年に雪で車をスリップさせ、側壁に激突したのはどこだったろうかと探しながら進んだがわからなかった。


大峠からの富士山

6:28大峠の駐車場に到着。この時間ですでに何台か停まっていて、もしかして前日からかと思いながら、山支度にとりかかる。隣の先着様は、出発する様子がなく、そのうちサンドイッチにかぶりつき始めていた。


左:大峠駐車場。左端にトイレ。奥のゲートは閉まっていた 右:牛奥ノ雁ヶ腹摺山登山口

6:39トイレに寄って大峠を後にする。登山口からはしばらく急登が続き、やがてトラバース気味に進んでゆるやかな上りになる。


左:登山道からツツジが見えた 右:枯れ木地帯を通過

倒木、枯れ木地帯を抜け、歩き始めて50分。そろそろ休憩にしようと腰を下ろした場所は、再び始まる急登のほんの手前だった。天気は予報通りの曇りで、雨が落ちてくるような厚い雲ではなく薄曇りだった。


左:尾根の分岐に出た 右:黒岳山頂。展望はない

水分補給をして歩き始めると、すぐに尾根に出た。このとき本日初めて登山者とすれ違った。女性の単独者でザックが大きかったから上で一泊したのだろう。大峠に下るようだった。

私は黒岳へ。前回来た時には黒岳をカットしたのではないかと思い込んでいたので、とりあえず行かなければと向かったのだが、実際にはしっかりとこの山頂を踏んでいた。記憶なんてあやふやなものだ。


左:笹原の道は気持ちがいい 右:絶好の休憩ポイント、川胡桃沢の頭

黒岳から引き返して牛奥へ向かう。少し行くと、笹原が現れ、新緑の快適な雑木林が続く。やがて川胡桃沢の頭に出る。ちょっと開けた場所で富士山のビューポイントでもあり、休憩にはもってこいだ。


この時期、曇っていれば快適な笹原の道

川胡桃沢の頭から新緑の森を抜けていくと笹原のだらだら上りの道に出る。日が照っていると暑くて大変そうな道だが、ラッキーなことに太陽は隠れたままで涼しい風が通り抜けていく。


左:牛奥ノ雁ヶ腹摺山山頂 右:牛奥山頂からの富士山

しばらく忍耐力が試されるが、振り返れば富士山が応援してくれている。8:53無人の牛奥ノ雁ヶ腹摺山の山頂に到着した。高度が上がった分裾野もばっちりと見えて富士山の存在感がすごい。


左:牛奥から笹原の道を下る 右:だれもいなかった小金沢山山頂

少し休憩して、小金沢山に向けて笹原の道を下り始める。雑木林を抜けていくと、2組のパーティとすれ違い、この界隈にもそれなりに人がいるのだとそのときは思ったのだが、9:38見覚えのある山頂に到着してみると、またもや無人だった。無人で静かなのはいいが、静かすぎるのもどうか。


小金沢山からの富士山

それはさておき、GWに訪れたときには、富士山を拝めなかったけれども、今回はその姿をこの目に焼き付けることができた。欲をいえば、バックにもっと青空が欲しかったが。

9:46元来た道を戻り始める。牛奥ノ雁ヶ腹摺山近くに来ると、単独者から数人のパーティまで登山者が次々にやってくる。やっぱり人気の山塊なのか。10:18牛奥の山頂に再び到着し昼食の準備にとりかかる。

すると先ほど私を追い抜いて行ったカモシカばりの身軽で軽快な足運びの単独お姉さんが私の目の前を横切り、知らぬ道へ下っていく。あれっと思い、声をかけた。どちらに? 黒岳です。黒岳はそっちじゃなくてと、私は立ち上がり往路で歩いてきた道を指さした。その方向に視線を送った彼女ははっきりと登山道がついているのを確認したようだった。私が下ろうとしたこの道はどこに行くのでしょう?と聞かれたが、よくわからない。途中で道がなくなるよと答えた。山地図を見れば、明らかなバリエーションルート。途中で引き返すことになっただろう。あぶない、あぶない。


青空が出て日が照ってくると暑い

いつの間にか、10人くらいになった山頂で昼食をとり、10:48下山開始。雲が徐々に流れて日が差してきた。これから山頂を目指す人たちとすれ違い、それから登り返して川胡桃沢の頭に上がると、今度は後ろから追いついてくる人たちが。私のペースが落ちたのかと思いながら、暑いなとひとりごち、汗をふきつつ下った。喉の渇きを感じれば、立ち止まって休憩し、夕方でもないのにヒグラシがやかましく大合唱する中、消耗したという確たる実感をもって12:46駐車場にたどりついた。

帰りも交通量は少なめで順調。談合坂SAで山の神に下山メールを送り(返信なし)、自宅には14:45頃到着した。山の神はまだ帰宅していなかった。道理で返信なしなわけだ。

蛇足:単独行のときの山行記録は、ものの見事に風景写真になる。あれだけ登山者とすれ違ったり、会ったりしても、やはり写真にはとらないものだ。

参考:当ブログ
牛奥ノ雁ヶ腹摺山・黒岳(2004年)
雁ヶ腹摺山・姥子山(2010年)

笹原とカラマツ林を抜けて小金沢山へ(2021年)

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NHK逆転人生「日帰り登山のはずが…地獄のサバイバル14日間」

2021-06-20 | テレビ・映画


イメージ(レスキューヘリ)

6/7(月)NHK総合で放送された『逆転人生』「日帰り登山のはずが…地獄のサバイバル14日間」の録画を見た。

地震の災害報道でよく出てくるのが、3日間を過ぎると行方不明者の生存率はがくんと落ち込んで、ほぼ絶望的というもの。でもこの遭難者は14日間も生き延びていた。ニュースで見たように記憶しているが、この遭難が起きたのは2010年8月14日。お盆休みを使っての両神山への日帰り登山の時だった。番組では実際に遭難した多田純一さん(事故当時30歳)が登場して、当時の日々の様子を自ら語っていた。

遭難のきっかけは下山30分後に現れた分岐で、予定外のルートを選択したことにある。道に迷って、普通なら登り返すべきところを、そのまま下り、最終バスに間に合わせるべく、道なき道を強引に下った。傾斜のきついところで足を滑らせ、40メートルも滑落し沢へ。そのときに左足を開放骨折(骨が外に突き出て見えている状態)し動けなくなった。

開放骨折で山岳気象予報士の猪熊さんを思いだした。たしか富士山で滑落して開放骨折をやり、感染症になってしまい、いまだに後遺症に苦しんでいる。応急措置として、すぐに消毒して包帯ぐるぐる巻きが必要なのだ。しかし、多田さんは山の中でそんな処置はできず。骨折部に添え木をして、患部をビニール袋で覆っただけだった。

(以下どんどんネタばれになるのでこれから番組を見る予定の人は注意)
遭難2日目は、冷静に行動している。持っていたホイッスルを鳴らしたり、誰かが気づいてくれるかもしれないと、免許証や保険証をビニール袋に詰めて沢に流したりしている。登山届を出しておらず、家族にもルートなどの詳細情報は伝えていなかったことから、あらゆる助かる可能性を模索していた。足の止血のために焼いたナイフを患部に押し付けたりもしている(現代の医学では間違いとされる。きつく縛るが正解)

一方で家族は、遭難当日の深夜、警察に捜索願いを出している。ただし息子がどの山に行ったのか把握しておらず、百名山で、秩父方面ということしかわからなかった。実際には山の名前を聞いてはいたが、覚えていなかった。

遭難3日目は、崖を少しずつよじ登っていくが、途中で身動きがとれなくなり、そこにとどまることになる。食料は遭難時に飴玉7個の所持。この日はもう残り2個になっていた。間の悪いことに雷雨にも見舞われ、もっていたサバイバルシートにくるまってやり過ごすことになる。

4日目、のどの渇きにさいなまれるようになる。何か食べるものはないかと探し、ミミズや蟻を生のまま、つまんで食べる。たんぱく源として貴重な食料だが、生のままではバイ菌だらけなので、医学的にも衛生面でもNGとのこと。この日は、このあと恐ろしい光景を目にすることになる。骨折した左足に違和感を覚え、かぶせていたビニール袋をはがしてみたところ、蛆虫が大量に這いまわっていたのだ。

番組では紹介されなかったが、むしろこの蛆虫がその後の左足の回復を手助けしたかもしれない。蛆虫は壊死した組織を食べて壊死していない部分を守ってくれたともいえる。マゴット治療(Maggot Debridement Therapy: MDT)といって、わざわざ壊死した患部を蛆虫に食わせる療法もあるのだ。人間の手作業では難しい壊死部分の除去を完璧に行い、肉芽の再生を促すことにつながるという。

遭難から1週間後、家族はあきらめることなく息子の足どりを追い、秩父の駅前で手作りビラを配ったり、行きそうな場所で聞き込みをしたりと奔走していた。そしてついに遭難から9日目にこのお客さんは覚えているとのファミレス店員の証言を得る。そのことから登山ルートを特定し、捜索範囲を絞り込むことに成功した。

遭難10日目、大雨で増水した沢に飲み込まれ、気づくと水中にいたという。この辺りから意識が混濁していたようで、記憶があいまいになっている。しかし運命を変える瞬間は、このときだった。この増水によってザックが下流に流され、捜索隊がそれを発見したのだ。沢沿いに上流に向けて捜索は始まった。そして14日目。ついに捜索隊が多田さんを発見し救助した。奇しくも沢に濁流が流れ込む直前、間一髪のタイミングだった。

そして番組の最後のほうで、視聴者が気になっていた左足がどうなったかについての説明がある。7年を経た2017年春、9回の手術とリハビリを重ねた結果、切断を危ぶまれた左足は再び機能を取り戻し、歩けるようになった!

番組から得られる教訓は以下(私が少し追加していますが、、)。
・迷ったら戻ること
・日帰り登山であっても、登山届を出すこと
(現実的なことをいえば、鎖場があったり、エスケープルートのないロングコースを歩かなければならない険しい山だろうね)
・山の基本装備をもつこと(雨具、救急キット、ヘッデン、水、サバイバルシートorツェルト、できれば携帯ラジオ)
・予備の食料をもつこと
・遭難しても、決してあきらめないこと

この遭難事故では、やはり最後の「あきらめない」という強固な意志が生還のカギを握っていたといえる。そうでなければ、止血のために焼いたナイフを患部に押し当てたり、ミミズや蟻は食べられない。

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籠坂峠から大洞山へ

2021-06-19 | 山行~伊豆・箱根と富士山周辺

大洞山 標高1383.4m 山梨県・静岡県

2021年5月23日(日) 晴れのち濃霧のち晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:30山中湖村公園墓地駐車場7:41--立山(たちやま)--8:28須走立山展望台8:41--畑尾山--アザミ平--9:38大洞山--10:12アザミ平--立山分岐--10:35昼食11:05--11:13公園墓地駐車場

5:08山の神とともに自宅を車で出発した。中央道に上がると、非常事態宣言中のためか交通量はそれほどでもない。談合坂SAに立ち寄って朝食をとる。そこから順調に走って河口湖線に入り、東富士五湖道路山中湖ICで下りる。下りてすぐのところにあるセブンイレブンで昼食と行動食の買い出しをし、山中湖公園墓地のある籠坂峠を目指した。

山中湖湖畔をぐるりと半周ほどして森の駅のある交差点を右折し、国道138号に入る。あとは峠まで一本道で間違うことはない、はずだった。ところが、目指す「籠坂峠」の標示に目を奪われたのが運の尽き。この辺に公園墓地があるはずだがと左側を注意してみていくが、それらしいものはなく、坂をどんどん下ってしまう。下っていくということは、もう峠ではない。


左:山中湖村公園墓地駐車場 右:右側に見えているのがトイレ

明らかに行きすぎとわかって、坂の途中でUターンをする。ここで地図を見ればいいものを、峠で右に鋭角に曲がる道があったよなと山の神にいいつつ、その道(別荘地への道)に入ってしまった。当然ながら公園らしきものはなく、ようやく地図を広げて反対側に来ていることが判明。国道138号に戻ってすぐに公園墓地の入口を見つけた。

するすると上がっていくと、7:30にしてすでに何台も駐車中だ。お墓参りの人を見かけないので、すべて山に入る人たちなのだろう。トイレに寄って山の神とともに公園墓地を出発した。


左:大洞山登山口、三国山ハイキングコース入口 右:「畑尾山・太刀山」と記された道標

土地がやせているせいなのか、背の低い樹木が続く。ジモティガラスが狭い木々の間を縫って低空飛行していく。いつもここを飛んでいるのだろうな、器用なものだと山の神に話しかける。おっと、道標が。地図に「立山」と表記されている山は、ここでは「太刀山」となっていた。山名の漢字は当て字のこともあるから、どちらが正しい表記なのかは不明だ。


左:最初の分岐。われわれは右へ進む 右:谷筋の道

あっという間に最初の分岐に出る。まず向かうのは立山だから右手で、すぐに谷筋の圧迫感のある道になる。戦国時代なら両サイドに待ち伏せされたら一巻の終わり、絶対に歩いてはいけない道だろう。


左:稜線に出るとガスっている 右:立山(太刀山)山頂

そんなどうでもいいことを考えながら進んでいくと、稜線の方から、さあっとガスが流れてきた。そういえば、家を出る前に見た天気予報では、山中湖村に濃霧注意報が出ていたっけ。静岡側(海側)からのガスなので、静岡の天気は曇りなのだろう。

稜線に出れば、あとは2013年にも、たどった知った道だ。進路を右手にとり、たちまち立山山頂に到着する。何の変哲もない通過点にすぎないような場所だ。そこから須走立山展望台へ向かう。


左:須走立山展望台 右:ムラサキヤシオ

8:28須走立山展望台では、少しガスがとれて青空も覗いたが、富士山は望めなかった。せっかくの展望台もこんな天気では意味がない。ここで休憩して来た道を戻る。


左:畑尾山山頂 右:アザミ平の分岐

見覚えのある畑尾山の地味な標柱を見て、アザミ平に下る。


植生が失われた裸地(山梨側)

静岡側は完全にガスって視界が閉ざされているものの、山梨側は青空が覗いている。この稜線がちょうど天気の境界線になっていた。


ブナ林が続く

2013年に訪れた際に引き返したポイントを越えて、ブナ林が続く登山道を進んだ。ガスはどんどん濃くなり、ひんやりしてくる。

やがて角取(つのとり)神社奥ノ院入口の標示が出てきて山の神と立ち止まった。寄っていこうかとその場所から下の方を覗いてみたのだが、それらしき建物はなかった。だいぶ遠そうだ、ということで通過することに。


左:大洞山山頂 右:大洞山山頂付近ではイチゴの花が咲いていた

9:38大洞山(別名、角取山)山頂に到着。ここで昼食にするには早すぎるし、展望もないし、冷えている。アザミ平から下ったどこかでお昼は食べようと山の神と相談しつつ、早々に山頂を後にする。

ここまで山中ではだれにも会わなかったのだが、アザミ平に戻り始めると、打って変わって続々と人とすれ違う。ハイキングに来たと思しき30代くらいの家族二組、単独の兄さん、年配者のパーティ。やはりアクセスがいい、お手頃なコースなのだ。


本来ならこの辺りは眺望がいいはずなのだが、、、

それにしても、さっき通過してきた道なのに、違う道ではないかと思えるくらいさらにガスが濃くなり、幽霊でも出そうな怪しげな状況になっていた。自然と足の運びも早まる。

アザミ平の分岐で休んでいたマウンテンバイカーの脇をすり抜けて、公園墓地に向けて下り始める。どこか昼食用のいい場所はないかと物色しながら下っていったのだが、よさそうな場所はない。


昼食をとった場所を見上げると

結局立山への分岐まで来てしまい、もうこの辺りで食べないと公園墓地に着いてしまうなと、ちょっと開けた森の中で食べることにした。先ほどまでの濃い霧が嘘のように、ここまで来ると青空が見えていた。ほんとうに静岡側だけが曇っているのだ。山の神とレジャーシートを広げて、そそくさと昼食を済ませ、11:13駐車場にたどり着いた。

帰りの高速渋滞はまったくなく、余裕の帰宅。山の神と今日の午後はゆっくりできるねと得した気分になっていた。

参考:道の駅すばしりから畑尾山

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山のぼらー御用達、嵯峨塩鉱泉嵯峨塩館

2021-06-06 | まち歩き

ゴールデンウィークは大菩薩界隈を歩いたけれども、大菩薩から近くて便利な温泉宿がここ、嵯峨塩鉱泉、嵯峨塩館だ。存在は知っていたけれども、日帰り圏だけになかなか行く機会に恵まれなかった。

コロナ禍で近場の温泉宿を探していて、そういえばとなって初めて泊まることになったのだが、予想外に快適な宿で山の神と大満足したのだった。

とくに今回の山行は源次郎岳も計画していて、ちょうどこの宿の真ん前に登山口があることから、まさにおあつらえ向きだったこともある。

初日(5月1日)は、上日川峠に車を置いて小金沢山ピストン。下山後駐車場から20分ほどで嵯峨塩館に到着しチェックインした。ロビー入ってすぐに山の神と私を迎えてくれるのが、冒頭の写真にあるようにツキノワグマのはく製だ。なかなかの貫禄ながら、立ち上がらせて愛嬌を振りまいているように見えるのがいい。


左:嵯峨塩鉱泉、嵯峨塩館正面 右:宿の前にある渓谷を見下ろせるテラス(東屋)

チェックイン時の記帳では、初めての泊りなのか、複数回なのかに〇をするようになっている。何度もお泊りにくる常連客が多いようで、2度目以降なら風呂場や食堂の説明などを省いているようだ。人気の宿ぶりがここでもわかる。


左:客室 右:掛け軸が右翼っぽい。藤田東湖の「正気の歌」の一節「正気(せいき)時に光を放つ」

客室は、空いていた最後のひと部屋を抑えたこともあり、いちばんこぢんまりした部屋だったが、それでも山の神と2人で泊まるには十分すぎる広さがあった。


左:次の間 右:なんとも味がある部屋の照明

次の間もあって、椅子とテーブルが置かれているから、風呂上がりにくつろぐにはいいスペースだ。持ってきたスコッチを宿の強アルカリの冷水で割ってここで飲んでいた。


客室から見える渓流

客室からは眼下に渓流をみることもできる。渓流沿いでは、例年この時期に桜が咲いているそうだ。でも今年は早々に咲いてもう散ってしまったのだとか。翌朝この渓流沿いの道を散歩しようと思っていたのだが、朝風呂に浸かってまったりしてしまったせいか、桜も咲いていないと聞いていたせいか、億劫になってやめてしまった。

風呂はそんなに広くはないが客室数が11と少ないので、混むことはない(たぶん。現在はコロナ禍で稼働している客室は9。食堂に人を詰め込みすぎない配慮のようだ)。小さいながら貸し切り風呂もある(空いていればいつでも入浴可能)。露天風呂もあるので、悪くはない。


左:ワインで育った牛の朴葉焼き 右:締めの炭水化物

夕食は有機栽培の自家製野菜や山菜をふんだんに用い、多くの料理を少量ずつ供する贅沢なものだ。ビールを飲みながら、工夫された前菜の膳に箸をつけるだけでもう満足。鴨鍋や牛の朴葉焼きは極上。締めのごはんもほどよい量でおいしかった。

なるほどリピーターが多いのはよくわかる。ちょっと高めなので、若者グループや小さなお子さん連れがいないのもいい。山奥の静かさを演出している。そんなことも人気の理由のひとつなのだろう。

登山道が整備された源次郎岳へ戻る
笹原とカラマツ林を抜けて小金沢山へに戻る

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