目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

日課となったアルコール消毒

2020-02-27 | 日記

先週からだ。帰宅するやいなや山の神が走ってくる。手には除菌アルコール、銀イオン・アロエエキス配合のウェットティッシュ(上の写真)を持っている。すかさず1枚抜き取り、手渡しされる。ウィルスが付いているかもしれない手を拭けと、ぬぐえと。

部屋着に着替えてリビングへ行くと、今度は手洗いを要求する。石鹸でよく泡立てて1本1本の指をよおく洗うようにと。

どうせ感染してしまうときは、感染してしまうのだ、避けられないのだと思う反面、少しでもリスクを減らしたいと思うのが世の常。とはいえ、面倒くさいし、過剰反応じゃないかとアンビバレンツな感情が交錯する。

最近は花粉が飛んでいるので、例年同様に私は電車の中でマスクをしているが、その目的の人よりも、いまは明らかに新型コロナウィルス対策のほうが多いだろう。まあ、花粉症の人は両方を兼ねているのだけれど。

さて、また我が家の話。就寝のころになると山の神がまた活発に動き出す。先ほどのアルコール入りウエットティッシュを片手に、私が触ったところを念入りに拭きはじめる。ニカーとわざとらしい笑みを浮かべ、書斎までやってきて、照明のスイッチを拭き拭き。ドアノブも拭き拭き。私の見えないところで、階段の手すりや寝室の照明のスイッチも拭いているのだろう。

早く収束してほしいものだ。

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Nスぺ「巨大地下空間 龍の巣に挑む」

2020-02-19 | テレビ・映画

2020年2月16日(日)放送のNスペ「巨大地下空間 龍の巣に挑む」を視聴した。

以前のNスペでラオスの洞窟探検をやっていたけれども、そのときにホールの容積が世界最大なのは、中国の苗洞(ミャオドウ)で東京ドーム9個分と紹介していた。中国の巨大地下空間といえば、きっとここのことだろうと思ったが、図星だった。場所は貴州省、少数民族の苗(ミャオ)族からはミャオティンと呼ばれている。

番組では、30年ほど前にこのミャオティンを訪れていたフランスの洞窟探検家ジャン・プタジ氏や日本の地質学者浦田健作氏(日本洞窟学会の会長を務めていた)、中国地質科学院・張遠海教授ら総勢29名の洞窟探検をルポした。まずは川になっている入口からボートで中に漕ぎ出していく。すぐに墨を流したような漆黒の闇に閉ざされる。上陸して頼りなさげなヘッドランプの明かりで慎重に進んでいくが、どうしようもない暗さは足元を危うくするし、先の見通せない上りや天井からと思われる岩の崩落、そして道迷いなどで困窮を極める。

そんななかでも、高さ37メートルに達する巨大石筍を発見し、そのスケールの大きさに度肝を抜かれる。1年に0.1ミリずつ成長するというからざっと計算して37万年の月日を要している。途方もない時間の経過だ。

2回目の探検では、初回時360度にレーザーを照射して得られた3Dスキャンデータをもとにホール全体を照明で照らす計画をたて実行した。北京五輪で照明担当をしたスペシャリスト韓冬冬氏が参加し、洞窟内に膨大な量の機材を持ち込む。結果は大成功で、巨大なホールを闇から解放し、昼間のように明るく照らしだした。

地質を目視で確認できるようになり、地質学者の出番となる。浦田健作先生の見立てによれば、この洞窟の成り立ちは、石灰岩の大地に亀裂がはしり、雨水がその亀裂から地中にしみて石灰岩を少しずつ溶かしていく。やがて地中に水が集まり、低いほうへ流れて川となる。その流れは浸食を繰り返しながら徐々に大きくなり、空間を広げていく。やがてその空洞に重みに耐えきれなくなった天井部が崩落して空間はさらに大きくなる。この繰り返しで巨大化したと推測した。

そうなのか、すごい成果だと思って、番組終了を予感したのもつかの間。プタジ氏が空気の流れに気づき、その出どころめがけて移動すると新たな空間が現れた。そこは3Dスキャンされていない未知の空間、つまり照明が当たっていない場所だ。しかも半端ない広さの空間があるようだった。番組はここでジ・エンド。

ここで終わるのかともやもやが残った。次の調査はいつなのだろう。その先はいったいどうなっているんだ。


当ブログ洞窟関連記事

洞窟探検の魅力が詰まった『洞窟ばか』
NHK「世界最大級!ラオス絶景の未踏洞窟に挑む」

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オグナほたかでスキーブーツ崩壊

2020-02-16 | 日記

2020年2月11日(火・祝) くもり時々雪

メンバー 山の神と私

一時期よく通っていた川場スキー場に行こうかとネット検索すると、しばらく行っていないうちにもともと強気な値段設定なのが、さらにすごいことになっていた。リフト1日券と昼食とのセット価格で6500円。駐車場代(1000円)がさらにかかるはずと見てみると、これは無償になっていた。しかし無償になって混むようになったのか予約ができるようになっていて、その代金がなんと2000円。もうお金持ちのためのスキー場になったのだと選択肢からはずれた。

そこで探し出したのが、オグナほたかである。リフト1日券と昼食券(800円分)のセットで4300円と良心的だ。さらに調べてみると夫婦100歳割という仕組みもあって、夫婦の年齢を足して100歳を超えれば、リフト券が30%引きになる。

さあ、昨晩は雪も降ったようだし、ベストコンディションかもと期待に胸を膨らませて朝5:30に家を出た。若干の交通渋滞、というか混雑に巻き込まれながらも9:40スキー場に到着した。車を置いたのはP4と下のほうではあったが、シャトルバスが出ているので問題はない。車道の向こうにはお帰り用の滑り込みコースがあるので、バスは往路だけの使用で済む。

雪不足がまだいわれているが、80センチの積雪でコースはほぼすべて滑走可。そして降雪直後であったことから、パウダースノーでコンディションは予想したとおりよかった。ファミゲレ、初心者コースは混んでいたものの、オフピステもある中・上級者コースは空いていてストレスなく滑れた。けっこうな穴場スキー場なのかも。

ただ気になるのは、リフトがすべて昔仕様のペアリフトなことだ。風が強いとそれをまともに受けて凍え、しかものったりのったりと動いていくから忍耐力も必要になる。それでも山の神の評価は高かった。中級者用の圧雪バーンが滑りやすく山の神好みなのだ。

しかし事件は突然やってきた。前回の菅平では私のゴーグルが昇天したけれども、今回は山の神のスキーブーツに災難が襲いかかった。左の上部留め具が壊れて、応急処置もままならない状態になった。山の神いわく、ちょっと緩いだけだから、このままでも滑れると。

午前中何本か滑って、午後は上で滑ろうと、リフトを乗り継いでレストランカプリコーン(上の写真)へ移動した。けれど、すでに山の神のスキーブーツは留め具がもうひとつ壊れて瀕死の状態になっていた。もう無理じゃないのか。ご飯食べたら、下りるか? 

とりあえずご飯だ。山の神はカレーライス(800円)、私はビビンバ丼(800円)をオーダーして食事券800円分をきれいに使い切り腹を満たした。上は初級コースがないせいか、このレストランは空いていて快適だった。

さてちょっと前までは最上部の中級者コースを滑る予定だったのだが、、、スキーブーツ崩壊の危機にはあらがえない。やはり無理はせず、ゲレンデの周囲をぐるりと回って下っていく中級者コース、スカイウェイを滑り、最後は第一ゲレンデからお帰り専用コースに入ることにした。

スカイウェイを滑っているうちに山の神の左のスキーブーツは完全崩壊。やはり上で滑っていなくてよかった。上の写真のほぼ中央部を滑っているのが山の神で、ふんばりが効かなくなった左足のせいで、ゆっくりと滑走している。

その後はゆるゆると最後のコースを滑り、誰もいないP4に戻った。帰途についたのはまだ午後早い13:30。もう1時間くらいは滑っていたかったが、余力を残して上がるのも最近の体力を考えるとちょうどいいのかもと自分を納得させる理屈をいいながら、次回へのリベンジ(?)を誓ったのだった。早く出たおかげで渋滞にもあわず、スイスイと無事帰宅した。

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日本の偉大な探検家、河口慧海

2020-02-09 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本
河口慧海をご存じだろうか。周囲の人たちに聞いてみると、口をそろえて知らないという。河口慧海といえば、鎖国中のチベットに単独で密入国した探検家として知られているけれども、その功績は現代ではほとんど忘れられているようだ。
 
私はその昔、文庫本で河口慧海の評伝を読んでその存在を知ったのだが、いまミネルヴァ評伝選シリーズの1冊としても刊行されている。慧海の日記が新たに発見されたのを機に、慧海研究の第一人者である著者が従来よくわかっていなかった慧海の足跡を克明にたどり、その生涯を追ったのがこの本である。
 
慧海は釈迦の伝記に触発され、僧侶への道をめざし、不肉食、不飲酒、不淫の戒をたてた。それはほぼ生涯にわたって自分を律したほどで、それだけ己に対して厳しい人だったといえよう。最初は黄檗宗の僧侶として仏門に入るのだが、仏典を研究するうちにやがて黄檗宗という枠を超えていくことになる。哲学館(現在の東洋大学)の門をたたき仏教を学び、やがて釈迦の本来の教えを求めて、原典へと興味が集中していく。
 
普通の人なら、原典を見たいと思っても、いつかチャンスがあればと念じているだけであるが、慧海は違っていた。32歳のときに多くの友人、知人の支援を受けて、神戸港から原典探しの旅(チベット)へ向かうのだ。しばらくインドのダージリンに滞在してチベット語を学び、35歳のときにヒマラヤを越え、ついにチベットの地に入る。
 
彼の地で仏典を研究し、38歳で帰国。原典を日本に持ち帰った。驚くべきは、慧海はもう一度チベットを目指していることだ。翌年に再び神戸港から出発している。晩年慧海は、純粋な仏教とは何かを希求した、その成果を『正真仏教』にまとめているが、それこそが慧海が目指したひとつの到達点といえるだろう。
 
当時慧海を有名にしたのは、帰国時に新聞取材を積極的に受け、チベットにかかわる執筆や全国を巡る講演会などを行ったことにある。一方ではインドやチベットでチャンドラ・ボースやダライ・ラマ、パンチェン・ラマらの要人に会っていることや、チベットに密入国したことから、慧海はスパイなのではないかという疑いにもつながった。そうしたことから日本国内では多くの批判も受けた。それもこれも、当時の慧海の存在感があまりにも大きすぎたことによる産物なのだろう。
 
この時代の日本の探検家として、よく引き合いに出される大谷光瑞白瀬矗は、隊を組んで多くの資金を得て探検を試みたけれども、慧海は単独での探検であり、この三者のなかではもっとも苦難が多かったことが推測される。ただ客観的にみて明らかな探検ではあるけれども、探検という意識を本人がもっていたかどうかは怪しい。それだけ純粋な志をもとにチベットを目指した。稀代の探検家にして仏教の伝道者であった河口慧海、その足跡は大きい。
 
 
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日本橋七福神

2020-02-04 | 七福神めぐり

日本橋七福神 東京都

2020年1月5日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 10:00頃 水天宮駅--水天宮(宝生弁財天)--茶ノ木神社(布袋尊)--小網神社(福禄寿)--椙森(すぎのもり)神社(恵比寿神)--笠間稲荷神社(寿老人)--末廣神社(毘沙門天)--松島神社(大国神)12:30頃--水天宮駅

正月恒例の七福神巡り。今年はいくつかの候補のなかから日本橋七福神に行くことにした。決め手は、小網神社のすさまじい御利益伝説だ。この神社は第二次大戦で出征した氏子が全員生きて帰ってきたこと、さらには空襲後の一面焼け野原のなかでこの社だけ焼け残ったことから、強運と厄除けの神社として有名になった。今年はこの強運と厄除けにぜひともあやかりたいということで、山の神とともに日本橋を訪れることになった。

三が日は信じられないほど混雑するという情報をネットから得て5日にしたのだが、それでも人出はすごかった。とくに小網神社の混み方は尋常ではなく、神社前の道路から角を折れてさらに参拝者の列が延々と続いていた。おそるべしだ。


最初から全部のスタンプが押された色紙を購入

まずは営団地下鉄の水天宮駅からすぐの水天宮宝生(ほうじょう)弁財天にお参りする。この水天宮も通常は大混雑するらしいが、まだ10:00と朝早いこともあって、それほどでもなかった。ここで揃い色紙を購入した(2500円:上の写真)。例年白い色紙を購入して、自らスタンプを押したり、御朱印をもらったりして巡っていたのだが、日本橋七福神はとにかく混雑するとの書き込みをみていたので、最初からすべてスタンプが押されているものをゲットしたのだった。


左:水天宮の宝生弁財天 右:茶ノ木神社で布袋尊に参る

揃い色紙を購入したのは正解だった。その後すべての社で参拝の列に並ぶことになったのだ。白い色紙を購入していたら、参拝後にさらにスタンプを押してもらうために並ばなければならないところだった。そもそも社が小さいから、混雑が慢性化するのだろう。

水天宮から茶ノ木神社に移動すると、やはり大勢の参拝客でにぎわっていた。


左:ご利益を期待して小網神社へ 右:小網福禄寿

さて次は小網神社だ。すでに歩道に参拝者の列が見えていたが、山の神が手前で曲がる小網神社への矢印を見つけ、近道かとそのとおり行ってみると、お目当ての神社があった。神社前でお待ちの列が分かれていて七福神と書かれた短い列に喜び勇んで並んだのだが、これは御朱印の列で参拝ができないとわかってがっくり。

あきらめて参拝者の列を最後尾に向けてたどっていくと、これが長い。どこまで行くのかと気が遠くなる。並んだのはいいが、たちまち山の神の顔がくもり、ここはパスでいいんじゃないのという。日本橋七福神のメインイベントは、ここで厄除けすることなのにと私が色めきたつと、山の神は不機嫌になりつつも待つことに。1時間くらい待たされるのかと覚悟していたけれど、35分ほどで順番が回ってきた。

ここが混むのは、もうひとつ理由があって、銭洗い弁天もあるのだ。だいぶ前から1万円札を握りしめていたおじさんがいたのは、それを備え付けのかごに入れて洗うつもりだったからだった。


左:椙森神社で恵比寿神を拝む 右:笠間稲荷神社にて壽老人

小網福禄寿の思わずなでたくなる頭をなでて、椙森神社へ向かう。鳥居のあたりに人が集まっていて、そこが目的地であると遠目にもわかる。東南アジアからとおぼしき外国人観光客の後ろに並んで参拝する。なにを祈っていたのか、その中のお嬢さんが一人長いお祈りを捧げていた。

そこから人形町方面に戻り、隅田川方向へ進む。もう目と鼻の先には明治座という位置にある笠間稲荷神社だ。お稲荷さんだけあって、お狐様が多数鎮座していた。少しの間参拝の列に並び、お姿がよく見えない壽老人に拝する。


左:末廣神社の狭い参道 右:とってもユニークなお姿の毘沙門天

笠間稲荷から末廣神社は近く、あっという間に到着。鳥居の近くに奇妙なことに開運の獅子舞がいて、獅子に頭を噛んでもらうと無病息災とやっていた。正月だからなんでもありだなと思いながらも、ここでもしばらく列に並ぶことになる。参道に入り、参拝客たちの隙間からちらちら見えていた毘沙門天は、私の目が悪いせいでとてもユニークな姿に見えていたのだが、間近にいって目のせいではないことがわかって驚いた。

こんな毘沙門天は初めて見たし、お持ち帰りしたくなるほどアーティスティックだった。


左:松島神社にも長い列 右:松島神社の大国神

そして大門通りや甘酒横丁のお店にそそられながら、最後の松島神社に赴いた。歩道に伸びた列に並び、やがてビルの谷間にひっそりと大国神がおわすのを見つけた。お供え物に埋もれた黒光りした小ぶりな大黒神。12:30頃最後の参拝を済ませた。

残すは昼飯だ。腹減ったなあと山の神と先ほど通過してきた道を戻って、お店をのぞくと席が空くのを待つ人、人、人。今日は人だらけだ。雰囲気のある和食店もいいなと店の前のメニューを見ると結構なお値段であとずさり、結局水天宮前の中華屋さんに入ることになった。ここも混んでいて落ち着かなかったが、もうこれ以上歩きたくないと目をつぶることに。お店は調べておけばよかったかなとちょっと後悔した。

 

過去の七福神めぐり:
七福神めぐりhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/8d9f16337cf2cb97d013ccc74a2bc6b3
東海七福神と品川富士http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/e7dcc0df1eca1c89dea42374fd68f971
池上七福神http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/e7dcc0df1eca1c89dea42374fd68f971
千寿七福神(北千住)http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/e5c9ac63891aa7ecf16842f63bfb796a
下谷七福神http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/d9d2bc94d677699ddba1c85946e81c9e
新宿山ノ手七福神http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/18d67a1f45c22a06563d3e3068401343
元祖山手七福神https://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/d71ede57f7afa89a6a771ce490131507
雑司ヶ谷七福神https://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/f590746053184824d57c81596b838314

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