目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

「情熱大陸」に動物カメラマン上田大作登場!

2021-03-28 | テレビ・映画


エゾリス イメージ画像(OldiefanによるPixabayからの画像)

動物カメラマンの仕事はきつそうだ。私も登山中に動物の写真を撮れないかなどど思うけれども、そもそも動物に遭遇するチャンスが少ない。比較的よく遭遇するシカであっても、10回の登山で1回あるかどうかではないか。それを考えると、動物の採餌シーンや、鳥の飛翔シーンをピンをばっちりと合わせてとらえることは至難の業であることは容易にわかる。

そんな動物カメラマンの撮影現場に2週間密着したのが、TBS系列『情熱大陸』(2月21日放映)だった。ようやく録画したものを先週見ることができた。

番組が取り上げていた上田大作さんは43歳。最初からカメラマンを目指したわけではなく、サラリーマンからの転身だ。自然に魅せられ、山口から北海道に移り住んで14年。年間250日はワゴン車の中で寝泊まりを繰り返し、動物の決定的瞬間を求めて移動するというから、そのつわものぶりがわかる。その間だれとも話さないことが多く、日本語を忘れるともいう。

番組内で印象的だったのは、上田さんが知床でエゾリスがクルミを割っている音がするといって立ち止まったシーン。そのときナレーションが入る。スタッフは皆耳をそばだてたが、だれもその音は聞こえなかった。音が止んだといって、視線をあちこちに飛ばす上田さん。肉食動物が獲物を狙うような鋭い目だ。やがてすばしこく木の幹を駆け上がるエゾリスを見つける。そしてマツぼっくりのようなものをかじるエゾリスを特大の望遠レンズをつけたカメラでとらえる。見事な撮影だった。

風蓮湖に行くと、移住当初に世話になった漁師がいて、自然と漁を手伝おうと体が動く。その漁師の家に招かれて、サクラマスの燻製をふるまわれて会話がはずむと、傍らにいた漁師の奥さんが彼はここらでは「まぐろちゃん」と呼ばれてるのよという。なぜかって、止まったら死んじゃうから。

番組の締めでは、それを証明するかのように、根室でハクトウワシを追う上田さんを映し出していた。オオワシの群れのなかに1羽だけ頭が白いワシが紛れ込んでいた。まさしくハクトウワシだ。ハクトウワシはアメリカのシンボルのような猛禽類で、本来日本には生息していない。そのワシを見たという目撃情報を得て、現場にかけつけ、ようやく見つけたのだ。彼の活動はとどまることを知らない。明日も次の撮影現場へ、明後日もまたその次の撮影現場へと移動していくのだろう。

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静かなハイキングコース、日連アルプス

2021-03-21 | 山行~中央線沿線・大菩薩

金剛山 標高 410m 峰山 423m 八坂山 420m 鉢岡山 460m 宝山 374.4m 神奈川県

2021年2月14日(日) 晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:50日連(ひづれ)神社駐車場7:58--ローソン・スリーエフ8:28--8:38金剛神社鳥居(登山口)--9:08金剛山山頂9:18--峰山--八坂山--9:45杉峠--10:10鉢岡山(烽火台跡)--10:30杉峠10:40--10:55頃 日連山山頂(昼食)11:40頃--12:10駐車場

花粉が本格的に飛散する前にお山に行こうと山の神と画策した。近場の山で山頂は踏んだにしても、まだ歩いたことのないコースがいい。昭文社の山地図を見ながら、大明神展望台を通って石老山というのはよさそうだとコースを丹念に見ていくと、記憶の断片が蘇ってくる。もしやと思ってこのブログを検索したら、石老山~鼠(ねん)坂コースという記録が出てきた。やはり歩いていたか。

それならどうするか。この記事の日付を見ると8年前だ。同じところをまたたどるか。それとも、、、

山地図をさらに眺めていると、相模湖付近にまだ歩いていない、とっても地味そうなコースを見つけた。検索してみると、今までまったく聞いたことがない、「日連アルプス」としてヒットした。いったいなんて読むのだ?

藤野観光協会のHPにHIDURI ALPSと書かれていて、「ひづれアルプス」だとわかる。沼津アルプスのミニチュア版みたいなものか。ということで、興味をそそられ、前日にここに行くことにして準備を整えた。


左:日連神社 右:日連神社駐車場

この日連アルプス、近場で短いコースであることから、自宅を出たのはのんびりめの5:40だった。節約をして高速には上がらず、下の道を詰めて行った。途中セブンイレブンに寄り、昼食の買い出しと朝食用のホットコーヒーを買う。車に戻り、昨日購入しておいた総菜パンで朝食をとる。

その後順調に進んで、日連神社の駐車場には予定より早く7:50に到着した。山登りかどうかはわからないが、すでに車は2台停まっていた(どうやらこの2台は山登りの人ではなかったようだ)。車から降りると、2月だというのにまったく寒くなく春の陽気。絶好の登山日和となった。


左:日連神社前の車道。この道を直進する 右:金剛山神社鳥居(金剛山登山口)

7:58とりあえず神社で山の神とともに道中の無事を祈願して出発する。ここにトイレがないため、途中コンビニに寄ることにした。車道を藤野駅方面に向けて進み、突き当りの県道76号を右折するとローソン・スリーエフがある。

少し遠まわりをしたが、交通量が比較的多いこの県道76号を戻りまっすぐ進むと、金剛山神社の鳥居が出てくる。ここが登山口となる。山の神とザックを下ろして、お茶を飲みつつコースの確認だ。


左:樹間から住宅街が見える 右:落ち葉の登山道を行く

葉が落ちているため見晴らしのいい九十九折れの道を、落ち葉を踏みしめながら進む。

金剛山山頂直下の急登

金剛山山頂直下はちょっとした急登になり、登りきると平坦で小広い山頂に出る(9:08)。


左:金剛山山頂 右:金剛山神社の社、標柱には「藤野十五名山」とも記されていた

山頂に人は皆無だった。まだ時間が早いからか、あるいはこの時期は人が少ないのか、コロナのせいか。神社の社まで行ってみると、手前に山頂標示があって、「藤野十五名山」とも記されていた。たしかに社の前や後ろには快適な森と休憩できるスペースがひろがっていて、学校の遠足にも使えそうな場所だ。低山ではあるけれども、名山と呼んでもいいのかもしれない。


峰山からの眺望

金剛山で10分ほど休憩して、峰山、八坂山を目指す。すぐに分岐が出てきて、あまりにあっけなく峰山に到着した。西側をばっさり切り開いたのか、眺望はいい。ここから奥の八坂山に移動していくと眺望はない。


左:峰山の奥、八坂山(眺望なし) 右:杉峠に向かう登山道

八坂山からすぐに引き返して、杉峠に向かう。そろそろ登山者とすれ違ってもおかしくないなと山の神と話していたが、まったく人の気配はない。


左:杉峠。前方に伸びる道は鉢岡山に通じる 右:杉峠に戻る道。こんなところに車を捨てるとは(復路撮影)

9:45杉峠に出る。八坂神社へ下る道は一昨年の台風で崩れ通行止めになっていた。その反対側には私道がつけられていて、キャタピラー付きの作業車両が走行した跡がついていた。その跡は鉢岡山方面の道にも付いていた。向こうから作業車両が来たら、よけるところがないよなといいながら、山の神と鉢岡山に向けて峠を後にした。

幸いにして作業車両と出くわすこともなく車道に出た。明らかにここから作業車両は入ったようだった。そこを通過して再び登山道に入ると、古びた車が捨てられているのを発見した。ひどいことをするものだと、あっけにとられる。こんな細い道をよく入って来られたものだ。それに車を崖から落とそうとがんばったようだけれど、折れると思った木が意外に丈夫で引っかかってしまったのだろう。


左:鉢岡山山頂の標柱 右:烽火台跡と記されている

しばらく歩いて、10:10鉢岡山に到着した。山名標示の標柱と「烽火台跡」の標柱もあった。当初の計画ではこの辺りで昼食と思っていたのだが、建物があったり、草木が繁茂していたりと、あまりに雑然とした場所。それに時間も早い。ということで山の神と日連山か宝山まで移動してから昼食にしようということになり、そそくさと来た道を引き返した。


2点とも:日連山山頂。ここで昼食にした

杉峠に戻り少し休憩したのち、尾根を日連山に向けて出発した。そこから15分ほど歩いた10:55、早くもこぢんまりとした山頂に着いてしまった。テーブルとベンチがあって、昼食をとるにはおあつらえ向きの場所で、しかも誰一人おらず、陽だまりで静かなのもよかった。

ザックを下ろしてお湯を沸かし、山の神と昼食。コンビニで買った高級鮭のおにぎりは、ぬか漬けとともに食べるとすこぶるうまい。

昼食後宝山に移動すると、本日初めて登山者とすれ違うことになった。単独者でジモティのようだった。それにしても、こんなに人が少ないとは思わなかった。ここはまだ登山者にはあまり知られていない穴場のハイキングコースなのだろう。


唯一の難所?

最後の最後に鎖場ならぬロープ場があった。ハイキングコースとして見れば、唯一の難所かもしれない。ロープにつかまりながら、慎重に足を下ろしていく。ここを通過すれば、あとはお散歩コースみたいなもので、登山道をさくさく歩いていくとやがて車道に出、12:10神社に着いた。

余談だが、この界隈にはレストランが2件あって、電車で来たなら、ここでビールかワインで一杯やってもいいかもしれない。とくにカフェレストランShuは、おしゃれかつ居心地がよさそうで、ちょっと引かれるものがあった。

帰りは相模湖ICから中央道に入り、渋滞もなく気持ちよく家に帰ることができた。

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ブームをつくった『ヒロシのソロキャンプ』

2021-03-14 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本


『ヒロシのソロキャンプ~自分で見つけるキャンプの流儀~』ヒロシ(Gakken)

いわゆるタレント本なのかと思って、たいしたことないんじゃないか、でももしかしたら本格的なのか、どちらなんだろうと半信半疑で手にとった本であるけれども、率直にいえば、ほとんど期待していなかった。

しかし、、、ヒロシ様、驚きました。本格的な内容でした。ソロキャンプにはまり、自分のスタイルを追求していくその姿は美しい!(笑)道具は自分なりの好みで揃えて、それを使う。また道具の使い方もトライ&エラーで自分なりのやり方をみつけていく。そのためには海外からも情報を得ていて脱帽だ。

オイルランタンへのこだわりは、すごい。その道具の風合いとオレンジの灯りにほだされる。飛行機だと、オイルは持ち込めないので、仕方なく、ろうそくランタンになると書かれていたが、ろうそくは味気なく嫌いだと。ちなみに私は、電池ランタンだが、、、

また飛行機を使わない場合は、愛車ジムニーでキャンプに行くというが、これがまた凝っていてハマっている。30年前の見かけはジープっぽい黒いジムニーで、タイヤも履き替えていてカッコいい。

ヒロシが何より衝撃的かつ最上のこだわりを示しているのは、火熾しキットだ。私はライターで火をつけているが、それではキャンプではないとヒロシはいう。マイ火打ち石や、ファイヤースターター(ナイフでこすると火花を散らすマグネシウムの棒)を使うのがヒロシ流なのだ。着火から火を安定させるために使用するチャ―クロス(炭化させた布)はなんと自家製だ(チャ―クロスをつくるのにライターを使っているような気がするが)。油脂が豊富な白樺の樹皮も集めてくる。ヒロシは縄文人も真っ青の火熾しスペシャリストなのだ。

ハンモックにも一家言あって、ターフとセットで使うのが極上ということらしい。ベッドであり、椅子にもなるとして、ハンモックに腰かけて調理をしたり、食事もする。

巻末では、YouTubeのヒロシチャンネルの裏話も出てくる。じつはキャンプ場の駐車場近くなのに、車を一切映さずに山中であると思わせたり、わざとカメラに木の枝をぶつけてヤブ漕ぎして山奥深くに分け入っていくと見せかけたりと、撮影時の演出を自ら披露している。

この本は意外なヒロシの一面を見られて面白いし、ソロキャンプ、あるいはソロでなくとも普通にキャンプに興味があれば、楽しめる1冊だ。自らのキャンプスタイルに取り入れられるし、参考にもなる。一読の価値あり!

 
 
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登山家でもあった版画家吉田博回顧展。都立美術館にて

2021-03-08 | まち歩き


左上から時計回り:「穂高山」大正10(1921)年、「動物園 於ほばたん あうむ」大正15年、「駒ヶ岳山頂より」昭和3年、「劔山の朝」大正15年

2月28日(日)山の神が行きたいといっていた東京都美術館「没後70年吉田博展」へ赴いた。山の神がそれを言い出すまで、吉田博をまったく知らなかった。吉田博(1876-1950)は福岡県久留米市出身の洋画家であり、版画家でもある。風景画の第一人者として洋画で成功していたが、関東大震災で被災。それを機に自らと仲間の絵や版画をもってアメリカに渡り営業に勤しんだところ、版画が予想外に好評を博し、なんと49歳で版画にのめり込むことになった。

特筆すべきは、日本の山岳会黎明期である大正時代に精力的に日本アルプスに登って、その山の趣を写し取り、最初は油彩、そして版画という表現に移行したことだ。とくに版画は、いかにも日本らしい、繊細な線と中間色を巧みに使い、濃淡で微妙な光の表現も試みている。もちろん絵画ではなく版画なので、その表現のために何度も刷り上げる。浮世絵は10回くらい版木をもとに刷るようだが、吉田は数十回はやっていたようだ。

この時代の登山家といえば、このブログでもとり上げた田部重治(たなべじゅうじ、1884-1972)や日本山岳会会長も務めた小暮理太郎(1873-1944)がいる。彼らの山行記録を読むと、驚くことが多い。日本アルプスは、今のように登山道は整備されていないから、ガイドが必要だし、天気予報ははずれまくる。泊まるとなれば、やたらと重い帆布のテントや米などをかつぎ上げなければならない。いわば探検であり、別の見方をすれば、お金と時間のかかるブルジョアの遊びだった。

この版画家吉田博もその一員だったわけで、養子に入った家がそこそこの資産家だったのだろうし、若くして油彩で成功を収めたからこその登山といえる。その余裕が美しいものを美しく表現する落ち着いた心もちを醸成したのだろう。

この回顧展では、山岳風景の版画ばかりではなく、瀬戸内海の帆船(元祖ウォーホルともいうべき、刷り色を変えた帆船がいくつもある)や、インドや中国の写生旅行で生まれた異国情緒あふれる版画の展示もある。どれも一見の価値ありだ。

3月28日(日)まで。

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