目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

鐘撞堂山・羅漢山

2011-03-26 | 山行~奥多摩・奥武蔵

001img_2380 鐘撞堂(かねつきどう)山 標高 330.2m 羅漢山 247m 埼玉県

2009年3月29日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 10:15頃 寄居駅10:25--10:55大正池11:05--11:30鐘撞堂山(昼食)12:12--12:40円良田湖--12:45羅漢山--13:00少林寺--13:30かんぽの宿14:30--(バス)--14:45寄居駅

都心には出ずに、武蔵野線で北朝霞。東武東上線の朝霞台から急行に乗って、小川町乗換え。鈍行で寄居駅には10:15頃到着した。めったにやらない電車の長旅だ。

寄居駅北口を出たところにハイキングコースの案内板が置かれていて、そこには今日歩くコースもばっちり載っていた。ここ寄居町は丘陵に囲まれていて、いくつものハイキングコースが設定されている。機会をあらためて、違うコースも訪れたいものだ。

案内板のところに道標があり、鐘撞堂山・大正池方向を指し示している。その通りに道路を突き進む。街中はきちんと地図を見ていないと、予想外に迷うので、注意が必要だ。車道を2度ほど曲がって、30分ほどで大正池に差し掛かった。年配者の数人のグループがすでにそこで休んでいて、山の神と私が到着すると、ちょうど腰を上げるところだった。大正池は貯水池(実際に貯水池か?)のようで、あまり風情はない。

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左:寄居駅北口の案内板前 右:大正池

大正池からさらに道路を歩いていくと、山道に入る所でまた道標を目にする。そこには竹炭工房の矢印もついている。少し歩くと、何とも味のある竹林が出てきて、実際に工房もひっそりと登場する。竹酢液や竹炭を作っている。

 

 

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左:竹林が続く 右:鐘撞堂山の名前のいわれを解説している

11:30鐘撞堂山山頂に到着。山頂には展望台があるのだが、思いのほか人気があって、大変な人だかりだ。お手軽ハイキングコースで、過ごしやすい陽気だからだろうか、続々とハイカー、登山者が山頂に上がってくる。

4月の声を聞くといっても、まだ風は肌を刺す。比較的風が来ないベンチに山の神と避難して昼食にした。食べている間にもわれわれのいるベンチ付近には、人の波が押し寄せてきて、落ち着かないことこのうえない。傍らに桜の木があったが、まだつぼみは固かった。12:12逃げるように下山開始。

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左:羅漢山山頂の一風変わったお釈迦様 右:羅漢像に迎えられる道

円良田(つぶらた)湖は12:40頃通過。この界隈は意外なほど、さびれていて驚く。巨大な観光案内板のところから、急な階段を登っていくと、すぐに羅漢山だ。山頂にはお釈迦様がおわしているのだが、異様な雰囲気をかもし出している。妙にバランスの悪い手の大きさ。そして近侍、向かって左の仏像はなぜか象にまたがっているし、右側の弁財天似の仏像は獅子にまたがっている。

ここから少林寺へ下り始めると、羅漢像が道沿いにずらりと並べられている。五百羅漢といわれているから、そのくらいの数の像があるのだろう。

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左:ハイキングウォーキングQ太郎 中:「こりゃ参った」 右:「あ~?」

羅漢さんの姿勢や表情を見ていると楽しい。腕組みをしていたり、いいつけに失敗して突っ伏して泣いている小僧のようであったり、にこやかに笑う好々爺然としていたり、個性豊かなのだ。山の神も羅漢さんの顔を覗き込んでは、これこれ!見てみて!と、繰り返す。上の写真は、その中でも面白げなのを3点セレクトしてみたものだ。冒頭のも加えて4点か!

少林寺を抜けて農道を進み、秩父街道から急坂を登って、かんぽの宿に13:30すぎに到着した。鐘撞堂山の山頂から休憩なしで来たため、結構な疲労感だ。とくに最後の急坂は効いた。車が悠々と隣をすり抜けて坂を上がっていくのはうらめしい。あれ、かんぽはまだ?と山の神に何度も聞く? まだだ。まだだとふざけているうちに、ようやく着いたのだ。さっそくエレベータで6Fの展望風呂へ上がって、汗を流した。大人1人¥800。小さい露天風呂も付いている。最初は団体がいて混んでいたが、たちまちいなくなったのはラッキーだった。さらに ラッキーだったのは、寄居駅行きの無料送迎バスがあったことだ。充分に休憩して14:30発のバスに乗り込んだ。

 

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永遠なれ、マロリー。『遥かなる未踏峰』

2011-03-21 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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マロリーの死体が発見された1999年は、結構な騒ぎになったから、覚えている方も多いのではないだろうか。NATIONAL GEOGRAPHIC日本版99年10月号にもたった6ページではあるがその記事が掲載されている。その後、間髪置かず発見のルポが緊急出版され、すぐに買って読んだ。『そして謎は残った』である。タイトルどおりで、結局マロリーのカメラは発見されず、登頂したのか、しなかったのかは判明しなかった。謎は残ったのだ。

その謎に興味をもったのが、ジェフリー・アーチャー。まったくの畑違いだから、どうかと思っていたが、もともと筆力のある作家だから、期待以上の作品に仕上がっている。でもこれって、逆に畑違いだからこそ、登山の技術的なことを云々するといった専門的なことに陥らずに、人間ドラマとして描けて、面白いんだろうね。

この物語のなかで、マロリーがチョモランマ(エベレスト)へ向かうまでは、彼の特異稀なる身体能力や冒険心を表すエピソードが一つひとつ積み上げられていく。面白いエピソードを書き連ねているから、読んでいて楽しいし、またそのエピソードがまた、彼は冒険家であるし、登山家であるし、とてもカッコイイ生き方をしていて、まさにヒーローそのものだと誰もが信じるように(実際マロリーという人間はそうなんだろうけど)、読み手の気分を絶妙に誘導していくのだ。

マロリーが若かりし頃、やんちゃをしたエピソードは読んでいて、にやりとしてしまう。エッフェル塔に登って、途中で警察に捕まって留置場送りになったり、ヴェネチアのサンマルコ広場の鐘楼に登って警察に追われ、奥さんとなるルースとともに逃げ切った話などは、なかなか痛快だ。また、兵役が免除されていた教師の職をなげうって、第一次大戦に志願して出兵していく様は、まさに彼の倫理観・正義感の表れだ。仲間や同志を思う心、大切にする心はこういう面にも現れるのだ。

ルースと結婚すると、夫婦愛、家族愛が手紙という手法で、とことん描かれていく。チョモランマ遠征中に書かれる手紙は、この本のストーリー展開に核心的な役割を担う。ただたんに、ルースへの報告ではなく、まさに心のつながりの象徴、絆そのものなのだ。

史実とは異なり、この本ではマロリーは2度目のチョモランマ登頂チャレンジで、命を落とすことになるが、最後は美しくまとめられている。99年の死体発見時に奥さんであるルースの写真を所持していなかったことを、こういうふうにまとめるとは、ジェフリー・アーチャーの創造力も粋なもんだ。一方でカメラは?と突っ込みたくなるのだが……。
読んでない人の興をそがぬためにこのへんでやめておこう。

読了後ふと気になって、この時代に生きた日本人って誰だ?と思い、1886年生まれのマロリーと同年代の人を検索してみた。まず、このブログで採り上げた田部重治が1884年生まれ。85年生まれに正力松太郎。まったくマロリーと同じ年の生まれでは、谷崎潤一郎、画家の藤田嗣治、夭折した歌人の石川啄木がいる。去年話題になった、マロリーと同じケンブリッジ大卒の白洲次郎は1902年生まれ。大昔のようで、そうでもない、自分からみれば祖父や曽祖父の世代にあたる、ちょっと昔の出来事なのであった。

遥かなる未踏峰〈上〉 (新潮文庫)
クリエーター情報なし

新潮社

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ちょこっと残雪の筑波山

2011-03-19 | 山行~尾瀬・栃木・茨城

筑波山 男体山 標高860m 女体山 875.9m 茨城県

2004年3月21日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 10:00市営第4駐車場10:10--(筑波神社)--11:12中ノ茶屋跡--11:55御幸ヶ原(昼食)12:55--13:05男体山山頂13:15--(御幸ヶ原、ガマ石)--13:45女体山山頂13:55--15:25下山(お土産屋めぐり)--15:55駐車場

筑波山は子供の頃、家族で行った思い出がある。ガマ石の口に石を投げ入れると、いいことがあるといわれていて、兄弟で競って投げ入れたっけ。大人になって、行ってみると、こんなに小さいガマだったかと。人はナリが大きくなれば、欲深さも大きくなるもんで、山の神ともども、また石をいくつも投げ入れたわけだ。ちっぽけなガマさん、ごめんな。

それはさておき、山行記録に移ろう。
常磐道、土浦北ICで下り、国道125号を移動して麓の市営駐車場まで約25Km。10:00にトイレつきの無料駐車場に到着した。数台しかとまっていない。

001p3211856 冠雪した筑波山

まずは目を引く大鳥居を通り抜けていく。ほどなくして筑波山神社の拝殿だ。参拝していると、結婚式をやっていた。日本人と外国人のカップル。国際結婚なのに、神前というのは変わっているなと思ったが、そういや会社の女子がイギリス人と結婚して、やはり神前結婚式をやっていたなと思い出した。

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左:筑波山神社 右:「是より男體山」の碑

筑波山神社の境内を抜けると、「是より男體山」という立派な男体山への道しるべが出てくる。ケーブルカーの横に付けられている登山道を登っていく。登り始めてすぐに、ケーブルカーがわれわれをいとも簡単に追い抜いていった。

11:12中ノ茶屋跡で10分ほど休憩する。

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左:「役公之窟」の碑 右:ベンチには雪だるま

先ほどから、昨日降った雪が樹上からしきりに融け落ちてきて、首筋に入ったり、頭に降り注いだりして、山の神が、ああ、冷た!ああ、冷た!と叫び、不平を漏らす。水滴攻撃を受け続け、うす暗い樹林帯を進むと、「男女川(みなのがわ)の水源」の看板が現れる。ここには、見落としそうになる「役の行者の窟」の碑もある。すでに岩や石で埋まってしまったのか、それらしき窟はない。役の行者は弘法大使と同様、いろいろなところに足跡を残していたり、言い伝えが残されていたりするが、筑波山に滞在したという信憑性はどうなんだろう。

そばに休憩用ベンチが設置されていて、小枝をうまく駆使したアーティスティックな雪だるまがあった。面白いので1枚パチリと。山の神がかたわらで小枝を拾い、雪だるまに味付けを施していた。

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左:男体山からの眺め 右:男体山山頂の祠

11:55御幸ヶ原に到着。お店はシーズンオフのせいか閉まっていた。あたり一帯、昨日の雪が融けて足場は悪い。ぬかるみを避けて茶店横のベンチで昼飯にする。

御幸ヶ原から男体山は指呼の間だ。観光客も大勢いる。こちらも、ぬかるんでいる箇所が多く、歩きずらい。昨日降った雪もまだ多く残っている。13:05男体山山頂に到着。神主さんがいて、御札を販売していた。

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左:女体山からの眺め 右:山頂の山の神と私

男体山から御幸ヶ原へいったん下り、そこから女体山へ。足場はこちら側も悪く、雪ですべる。岩場の女体山山頂には13:45到着。男体山よりも見晴らしはいい。でもちょっとガスが多くて白っぽい景色だ。この山は、ケーブルカーとロープウェイを使えるから、観光客が軽装で上がってくる。よくもまあ、雪道をその靴で、という方が大勢いる。 

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つつじヶ丘が見える。小さくロープウェイも

13:55下山開始。もと来た道をたどる。15:25筑波山神社の門前町へ戻る。山の神が嬉々としてお土産屋さん巡りに興じる。別に珍しいものはないと思うのだが。15:55駐車場に戻った。

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田部重治の元祖『山と渓谷』

2011-03-12 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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大正、昭和にかけて、木暮理太郎(のちの日本山岳会会長)とのコンビで、あちこちの山を訪れ、それらをものした本である(他の人とも登っている記録もあるが)。田部重治(たなべじゅうじ)は麗しい山と渓谷の景色に感動し、それを英文学者らしい叙情豊かな筆致でつづっていく。

彼らの山登りのスタイルは現代からみれば、質素かつ素朴にみえるが、当時としては、なんともブルジョア的でハイソな匂いが濃厚だ。彼らの山行の始まりは、まだ一般庶民が地べたで働いていた頃だ。朝から晩まで、年がら年中、泥だらけになって農業と格闘している人が多いなか、体の弱かったインテリの著者は、体力をつけるために登山を始めた。時間とお金に余裕があればこそだ。そして、いつのまにかそれにハマって、登山の虜(とりこ)となり、日本の近代登山のパイオニアとなったのである。

今でこそパイオニアとしての称号を受けているが、田部は遭難して救助された経験がある(近代登山の遭難第1号!?)。この時代の山は登山道が整備されているわけでもなく、ろくに地図もないから、何かあったときのエスケープルートさえ確保できない。しかも山へのアクセスが悪いから必然的にロングコースにならざるをえない。田部は一度、道中で体調を崩して意識不明になり、里人に背負われて下山している。このときは仲間の離れ業のおかげで救助されたのだ。仲間も体力を相当消耗していたのだが、里へ下りて応援を頼み、再び田部を置いてきた場所へトンボ返りしたのだ。臨場感あふれるそのときの経緯が詳細に書かれていて、興味深い。でも当時の状況を思えば、ちょっと恐い話である。死んでいても、ちっともおかしくないからね。

遭難話はさておき、この本で楽しいのは、自分が行った山はもちろんのこと、まだ行っていない山もなんとなく情景が目に浮かぶことだ。田部の筆力(?)、いや私の頭の中に、ある程度地図が入っているせいかもしれない。一文一文に首肯しながら、ああ、この道をたどるのは楽しそうだとか、つらそうだとか空想は膨らんでいく。

その空想がときどき破られるのは、著者の生きた時代との大きなタイムラグのせいだ。昨年焼岳が爆発して、梓川が堰き止められたと出てくると、大正池ができたときにリアルタイムで接しているわけかと驚く。翌年からは上高地で植物や動物の保護規制が始まると書かれていたりするのだ。

最後に表紙のイラストについて一言。このイラストは茨木猪之助の手になる、田部重治と木暮理太郎の2人をカリカチュアしたものだ。味があるし、おそらく本人そっくりなんではないかと、くすくす笑いをしてしまう。左が体が弱かったとされるガリガリの田部で、右が鐘馗様のようだと田部に形容された木暮。表紙だけでなく、中にも当時のメジャー山のぼらーたちのイラストがちょっぴりだが掲載されている。

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新編 山と渓谷 (岩波文庫)
クリエーター情報なし
岩波書店
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蝋梅と宝登(ほど)山

2011-03-08 | 山行~奥多摩・奥武蔵

宝登山 標高 497.1m 埼玉県

2004年2月15日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 10:25宝登山ロープウェイ駐車場10:45--11:30宝登山山頂 梅園(昼食)12:30--ロープウェイ山頂駅(休憩)12:50--13:15駐車場

今回の山旅は、観梅目的。蝋梅(ロウバイ)や白梅、紅梅がこの時期きれいに咲いていると聞きつけ、勇んで宝登山へ向かった。

秩父市内のセブンイレブンで昼食を買出しし、10:25宝登山ロープウェイ駐車場に到着した。すでにもう車はだいぶとまっていて、危うく駐車できないところだった。駐車場備え付けのきれいなトイレに行ったり、タバコをふかしたりして、もたもたしているうちにたちまち時間は経過していく。10:45になって、さあ、出発。ところどころ凍結していて足元に気を使う道を上がっていく。宝登山神社奥宮に参拝して、山頂へ。

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左:宝登山ロープウェイ下の駐車場 右:宝登山山頂

宝登山山頂には、11:30。あっさり着いてしまって登り甲斐がない。でも今日は観梅デーだからいいのだ。山頂の南面は開けていて、見晴らしがいい。秩父の街並みが眼下に広がる。

001p2151843 秩父の街を見る

梅百花園で昼食にする。蝋梅園の人出に比べれば、こちらのほうは人が少なくていい。花見日和だから、輪をかけてすごい人出なのだが、とにかく人の来ないほう来ないほうへ行って、ゆったりとスペースを使う。ほのかに香る梅を楽しみながら、お弁当を広げた。

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春だねえ。梅の紅色が青空に映える

12:30昼食を終えて、蝋梅園に上がってくると、さらに人が増えている。やはり、ここの目玉は蝋梅なのか。街中だと、まず見ないからねえ。この蝋梅、接近してよく観察してみると、つるんとした造花のように見える。 文字通り蝋細工のような梅なのだ。

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賑わいを見せる蝋梅園

002p2151851 満開の蝋梅

観光客の波に混じって、ロープウェイ山頂駅へ。そこで甘酒¥150を飲んで、ゆるゆるとくつろぐ。帰りは、ロープウェイ待ちをあきらめたおばちゃんたちや、家族連れ、若者グループらとともに、さくさくとつまらない道を下る。下山してくると、ロープウェイ山麓駅でも大勢の人が長い行列を作って順番待ちをしていた。恐るべし蝋梅シーズン。

13:15駐車場に到着。あり余る時間に気をよくし、立ち寄り湯へ行くことにした。山の神が運よく地元の方に比較的すいているという、美やま温泉を教えてもらう。移動していくと、ホテルの案内の看板が一瞬ブティックホテル系に見えて躊躇するが、着いてみると、結婚式場にも使われる立派なホテルだった。中に入ると確かにすいていた。あまり知られていない穴場なのだろうか。窓の下には渓流が見えるし、入浴料は¥800でそれほど高くもないから、ベストチョイスとはいかないまでも、ベターチョイスか。ただここで唯一残念だったのは、休憩場所がなかったということだ。

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