目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

北海道事情2015

2015-07-26 | 山雑記

本日7/26(日)無事北海道より帰宅。今回の北海道行きは、予想外に雨にたたられ、幌尻岳をメインに登るはずだったのだが、結局登れずじまいだった。雨でもいく人はいるのだろうが、山の神と私の山行では、まず事前に雨だとわかっていれば決行はしない。そもそも雨具を身につけること自体が面倒だし、景色も堪能できない。高山植物の花が咲いていても、余裕をもって見られない。

ということで、予定どおりに行ったのはアポイ岳オンリーとなってしまった。ただ北海道を去る前日に天候回復となり、駆け込みで夕張岳へは行った。この二山の山行記は後日アップします。

それにしても北海道の天気はどうなってしまったのだろう。梅雨のないはずの北海道に、梅雨前線がかかってしまった。たまたま台風が来て、熱帯低気圧になったこともあり、温かい湿った空気が運ばれてきたということはあるだろう。それにしても1週間も天気が悪いとは、さらに今週も悪そうだから、連続2週間になる。来年ももしかしたら、北海道にあるはずのない梅雨がやってきてしまうのかもしれない。

 洞爺サンパレスから見た洞爺湖 

ところで、雨が続いたこともあり、山の神と洞爺湖に観光に行ってみることにした。温泉があるので、せっかくだから泊まることにし、宿泊料が手ごろな洞爺サンパレスに当日予約を入れた。行ってみると巨大なホテルで、足を踏み入れてびっくり。人が大勢いるのに日本語がまったく聞こえない。山の神いわく、海外旅行に来たみたい。北海道は中国人が多いとは聞いていたが、これほどとは、、、ここのお客さんは、8~9割中国大陸や台湾から来ているようだ。いきなりカウンターパンチをもらってめまいがしたが、居心地はいいホテルだった。風呂は最高で、浴槽がいくつもあって広く、カランも仕切りつきでたくさんある。浴槽からは窓枠を額縁代わりに洞爺湖と中ノ島がまるで絵のように見える。露天は立ち湯ながら、違和感はなく、開放感がすばらしい。

北海道最終日には、定山渓のホテルにも泊まった(散財だ)。ここも巨大ホテルだったが、チェックインしてみると、中国人の姿がない。定山渓にはほとんどいないのかと思っていたら、そんなことはなく、ここでは新館に日本人、本館(旧館)に中国人と分けて泊めていた。朝本館の大浴場に行ってみたら、中国人ばかりでそのことに気づいた。

北海道新聞の1面に全道で昨年同期比1.5倍の外国人観光客、900数十万人と出ていたから、そのすさまじさがわかるというものだ。円安でちょっとした日本ブームなのだろう。

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20年ぶりにシュラフ買い替え

2015-07-17 | 山道具&ウェア

 新品!!

私は道具を吟味して買うということをしない性質(たち)なので、山の神のようにためつすがめつ見て、あーでもない、こーでもないと迷うことは、あまりない。新宿の好日山荘で、いっぱい積んであったISUKAに目がいった。売れ筋で、なおかつ無難商品、大量仕入れで安いんじゃないかと勝手な推測をしつつ、シュラフコーナーの商品を一通り見て、これに決めた。

 ISUKA エア280X

3シーズン用。最低使用温度2℃。高所で使うときには、念のためシュラフカバーを持っていけば用は足りる。重さ550g。今まで使っていたシュラフに比べれば、格段に軽い。コンパクトなサイズに収納できるのもいい。

さあ、今日から夏休み。おニューのシュラフをもって、日高に出発だ。台風が来てるけど、、、

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Nスペ「幻の山カカボラジ」

2015-07-12 | テレビ・映画

録画していて、見るのを忘れていた番組を発見した。NHKスペシャル「幻のカカボラジ アジア最後の秘境を行く」。放送は4/11(新聞のテレビ欄を見ていたら本日7/12NHKBSで再放送がある)。山の神が大量に嵐の番組を録るものだから、すっかり埋もれてしまっていた。

まずこの山がどこにあるかといえば、しばらく軍政で閉ざされていたミャンマーだ。交通の便は信じられないくらい悪く、ミャンマーの最大都市でかつての首都ヤンゴンから、北の山岳地帯プタオ空港まで飛んで、そこから車といいたいところだが、歩くしかない。

この挑戦をしたのは、世界七大陸最高峰ガイドの倉岡裕之氏(リーダー)、竹内洋岳氏のチョーオユー行きにカメラマンとして同行したこともあり、最近は「世界の果てまでイッテQ」でもおなじみの中島健郎氏、そして同じく竹内洋岳氏とガッシャーⅡやブロードピークを登った平出和也氏の3名だ。このつわものたちが熱帯のジャングル地帯に突入していく。ミャンマーは雨季まっただ中で、ぬかるみの道を肌にねばつく空気をはねのけながら進んでいく。カラフルなヤマビルも登場して、不快指数は天井知らずになる。

空港を出て6日目の9月20日にラワン、リス族の住むラボ村に到着する。珍しい来訪者を快く迎えてくれる。20日目には最奥の地、タクンダン村にたどり着く。ここで困ったことが発生する。シェルパたちが、休みたいといってごねるのだ。代わりに近隣の村から人を雇おうとするが、働き手が誰もいない。ちょうどミャンマーのカカボラジ遠征隊が2人の遭難を出し、近隣の村人もかり出され救援隊が編成されていたのだ。やむなく停滞となったが、ここでは貴重な人物と会うこともできた。ナンマー・ジャンセン。彼は日本の著名な登山家、尾崎隆氏(2011年にエベレストで亡くなっている。ニュースになったので、覚えておられる方も多いだろう)とともに1996年カカポラジに登頂している。ジャンセンによれば、温暖化が進んでいるので、尾崎氏とたどった氷河コースは、崩れやすくなっているのではないかと。この発言は、のちにリーダーの倉岡氏の判断に影響を与えることになる。(以下結末まで書いていますので、今後ビデオや再放送を見られる方はこの辺でストップしましょう)

28日目の10月12日、予定よりだいぶ遅れて、カカボラジが見える高所に到達した。ふだんは、その姿をめったに現さないため、現地では「鳥が羽で包み込む山」の意で、カカボラジと呼ばれているのだが、このときはまさに天の配剤。その場に居合わせた人々は皆歓声をあげていた。さらに高みへ進み、この日のうちに4000m地点にベースキャンプを設営する。

10月21日ベースキャンプを後にし、山頂を目指す。事前のルートファインディングの結果と、ベースキャンプからの目視での検討を重ね、リーダーの倉岡氏はルートを決めていた。氷河の状態を考え、尾崎さんのたどった、氷河から尾根にいたるコースは選択肢からはずした。またミャンマー隊がとった谷筋のコースは雪崩の危険性が高いと判断しこれもはずした。残るは、ゴジラの背のような岩峰が続く尾根伝いに行くコースだ。いざ岩峰地点に来てみると、非常に幸運なことに岩峰の裏側に大雪原が広がっていた。尾崎隊は、ゴジラの背をアップダウンすることなく、悠々と進んでいく。

10月22日5000mのキャンプ1。10月23日5400mのキャンプ2。キャンプ2からの大パノラマ映像は息をのむ。中国の少数民族が住む雲南省の山々、ヒマラヤの東端、ナムチャバルクを遠望できる。そしてサミットプッシュへと向かう。氷がゆるく状況が悪いながらも、ベテランらしく悪ければ悪いなりになんとか突破していく。しかし、最後の最後に来て、いかんともしがたい事実を突きつけられる。ベースキャンプからは目視確認できなかった地点にさしかかると、巨大キレットが待ち受けていたのだ。目の前にはカカボラジ5881mのいただきが見えている。

雨季から冬へ至るつかの間の天候安定期を狙っての登山だったが、遅れに遅れた日程のせいもあって、この日が事実上のラストチャンスだった。ルートを探すも、時間がかかりすぎる。結局断念せざるを得なかった。ベースキャンプに戻った10月24日には、早くも積雪をみることになる。いよいよ冬の到来だ。今回は残念な結果に終わったけれども、テレビの前で見ている者にとっては、こんな未開の山を登る疑似体験をさせてもらえただけでありがたいことだ。倉岡さん、中島さん、平出さん、次なる挑戦を期待しています。

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「カカボラジ山行記」ナショジオ2015年9月号

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火山学者は命がけ~『火山入門』

2015-07-11 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『火山入門 日本誕生から破局噴火まで』島村英紀(NHK出版新書)

最近箱根や口永良部で話題の火山。加えてあちこちで噴火しそうだというニュースが世間を騒がせているけれども、著者はそんな火山を、この本で次々にとり上げている。そもそも日本は火山が多い。著者によれば、陸上にある火山の1/7は日本にあるという。日本列島=火山列島といえるくらいの多さなのだ。地熱発電や温泉は、その恩恵でうれしい所産ではあるけれども、噴火だけは御免蒙りたいものだ。

危ない火山としてまず挙げられているのが、だれもが注目している富士山。東北地方では、吾妻山、蔵王、秋田焼山、秋田駒、岩手山、安達太良山、磐梯山。甲信越地方では、いわずと知れた御嶽山と三宅島、地元ではかなり警戒されている草津白根山、ほかに茶臼岳(那須)、日光白根山、新潟焼山、焼岳(大正池をつくり出した)だ。九州では、頻繁に噴火を繰り返している阿蘇山や桜島。いずれも監視の目が光っている火山ばかりで、紙面を割いて説明している。

火山で起きた災害の歴史もとり上げている。なかでも目を引くのは、1741年、北海道の渡島(おしま)大島の噴火による災害。この本で初めて知ったが、山体崩壊である岩屑(がんせつ)なだれが、海に落下し津波を起こしたという。時間が早朝で、しかも大地震があったわけではなかったので、住人の知るところとはならなかった。対岸の渡島半島に押し寄せた津波は甚大な被害をもたらし、死者1500人を数えたという。ちなみにこの津波は、佐渡や能登半島、さらには若狭湾、朝鮮半島にまで及んだというから、かなり大規模な岩屑なだれが起きたのだろう。

1926年の十勝岳噴火で起きた泥流についても言及している。私はたまたま美瑛のペンションオーナーからこの噴火の話を聞いていて、積雪期の噴火がいかに恐ろしいものであるかを知っていた。その後、三浦綾子がこの災害について書いた小説『泥流地帯』があることを知り、むさぼるように読んだのを覚えている。噴火とともに雪が瞬時にして解け、泥流となって山肌を駆け下りてくる。火が燃え広がる速度なら、走って逃げられるが、泥流から走って逃げるのは到底ムリな話だ。

噴火の予知についても書かれている。現在の知見では、予知は不可能ということらしい。火山性地震が噴火の兆候という見方もあるが、実際に噴火が起こらないことも多い。いまだに地下深くで、何が起こっているのかはよくわかっていないというのが実情のようだ。

最後にあとがきを読むと、しびれる。火山学者が命がけで研究していることがよくわかる。火山学者は噴火口に近づいて、火山灰や火山ガスを採取して、その成分を調べるという。先日の御嶽山噴火のときも、火山学者はその数時間後には東京を発って現地に向かっていた。さらに命の危険は、噴火口に近づくときばかりではないと書いている。長年の研究生活で、微細な鉱物の粒子である火山灰を意図せず吸い込んでいて、じん肺になることがあると。水銀や有毒ガスを吸い込む危険も高いというから、まさに命がけ、これから次々に火山が噴火すると、トップクライマーなみの危険にさらされることになるのだろう。がんばれ、負けるな!火山学者。

火山入門―日本誕生から破局噴火まで (NHK出版新書 461)
クリエーター情報なし
NHK出版
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御正体山 池の平コース

2015-07-05 | 山行~丹沢・道志

標高 1,681m 山梨県

2015年6月28日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 6:50池の平駐車場7:03--7:55竜の口8:06--8:30上人堂跡8:35--9:00ハガケ山分岐9:05--9:25富士山展望地9:30--9:58御正体山10:08--富士山展望地--10:40ハガケ山分岐(昼食)11:25--12:30池の平駐車場

90年代に会社の山の会で道坂トンネル側から登って以来の御正体山だ。山の神も同じコースを過去に歩いたようだ。今回は、皇太子殿下コースといわれている池の平から登ってみることにした。皇太子殿下が登ったのは、登山口にあった標示によると(右下写真)、平成16年(2004年)10月15日とある。もう11年も前だ。たしか当時きれいに整備されていて歩きやすいし、山頂までもコースタイムが短いと話題になっていたのを覚えている。

 
左:池の平駐車場 右:登山口には、皇太子殿下御登頂の文字が

4:42バタバタと家を出発した。ガソリンを満タンにし、中央道に上がる。いつもの談合坂SAで朝食をとり、都留ICで高速を下りた。コンビニで昼食の買出しをし、カーナビに目印となるキャンプ場フィッシュオン鹿留を入力した。富士みち(139号)から左折するときに見覚えのある交差点だと思っていると、次々に記憶が蘇ってきた。決定的だったのが、長泉寺にあった「倉見山登山口」の文字だった。ここ来たよ、と山の神にいうと、狐につままれたような顔をしている。倉見山は2011年12月4日に訪れていた。http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/5d41f6d056b144654d77ff3ed8059c86

キャンプ場を越え、未舗装路を進んでいくと、6:50お目当ての池の平に到着した。駐車場は思ったよりは狭く、数台分くらいだろうか。ひんやりとした空気のなか身支度をして山の神と登り始めた。昭文社の2013年版山地図によれば、この上部に駐車スペースと書かれているが、ムリだ。路肩が崩れていたり、えぐれているところ、落石があるところがある。そうした荒れ荒れの終始薄暗い林道を上っていく。

 
左:竜(たつ)の口 右:竜の口のいわれとなった水の流れ

そのうち林道から離れ登山道になる。7:55竜(たつ)の口に到着。ベンチがあって、山の神と腰を下ろすと、野鳥のさえずりや沢の音が耳に心地いい。

 
左:上人堂跡 右:立派なブナが次々に現れる

池の平からしばらく薄暗い道だったのだが、いつの間にか明るい光が差し込む道になっていた。先ほどまでは、冷んやりとしていた登山道も、風がぴたりと止んで暑気を帯びてくる。

8:30上人堂跡に到着した。ちょっとした広場になっていて、休憩するにはもってこいの場所だ。案内板によると、1815年に妙心上人が入山し、難行苦行を重ねて入定。その仏様をお堂をつくり安置したのがここだということだ。しかし明治の廃仏毀釈令で、破壊されてしまった。奥には上人の座禅岩がある。


木々の隙間から富士山を望む

9:00ハガケ山分岐。ベンチが置かれていて(冒頭写真)、三ツ峠や南アルプスを望める。ヤブへ下って身を乗り出すと富士山も見える。なかなか快適な場所だ。

ここからブナの巨木に圧倒されながら、さらに上っていくと、またベンチが目の前に現れた。こんな薄暗いところになぜ?と近づいていくと、樹林帯の一画が申し訳程度に切り開かれていて、そこから富士山が見えた。ここが地図にある富士山展望地かと納得。どうせなら、もっと前面の木を切れば、大展望になるし、快適な場所になるだろうに。

 
左:御正体山山頂 右:山頂手前の登山道

9:58御正体山山頂に到着した。先着様は1名で、先ほど富士山展望地の分岐で三輪神社側から上がってきた方だった。これだけ人がいないのは、まだ時間が早いせいなのだろう。山頂は展望なしで、小さな広場のようになっている。直射日光が強く、山の神と木陰に逃げて小休止をとった。

昼飯にするにはまだ時間が早い。かといって当初の予定どおり富士山展望地で昼飯にするのは今イチだ。あの薄暗がりの場所は、とても快適とはいいがたい。もっと下って、ハガケ山の分岐で昼飯にしようと山の神に提案した。山の神、諾。さっそく蒸している山頂を後にした。少し下ると、年配の方3人のパーティが上がってきた。もっと歩いている人はいると思っていたのだが、やけに人の少ないルートだ。

 
左:ハガケ山分岐から富士山を望む 右:左奥は南アルプスの峰々、そして右には三ツ峠(いずれも往路撮影)

10:40ハガケ山分岐に戻り、一つしかないベンチを山の神と占領した。昼飯の準備を始めると、単独行の方が2名通過していった。このくらいの時間にここを通過すれば、山頂ご飯か。山の神と私は、南アルプスの景観を堪能しながら、コンビニおにぎりをほおばった。

11:25片付けて出発。あとは休みなく元来た道を引き返し、12:30に池の平に到着した。われわれの車の隣に2シーターのオープンカー、カプチーノが停まっていた。先ほどハガケ山分岐で会ったお兄さんの車のようだ。見た瞬間、昔を思い出してしまった。山を始めた頃は、彼と同じように2シーターのビートに乗って、奥多摩に毎週のように通っていた。一人で歩くのに飽きて山岳会に所属、やがて四駆の車に乗り換え、山の神と歩くようになった。彼も同じ道をたどるのだろうか。

さて帰路は、予定より早い下山というプレゼントをもらって、まったく渋滞にあうこともなく安泰だった。

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