目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

岩手山麓三ツ石湿原へ

2019-09-29 | 山行~東北

三ツ石湿原 標高 1281m 岩手県

2019年8月15日(木) 小雨のち曇り

メンバー 山の神と私

コースタイム 10:25松川登山口駐車場10:40--10:47三ツ石山登山口--11:49松川大橋分岐11:59--12:40三ツ石山荘(昼食)13:15--分岐--14:24休憩14:31--14:51登山口--14:56駐車場

前泊は安比のロッジ。素泊まりだったので、チェックインする前に山の神とマックスバリューで食糧の買出しをした。お盆ということもあり、帰省してくる息子、娘、孫たちのための大家族用惣菜パックがこれでもかというくらい売られていた。その中からホタテやサーモン、サラダ、地元ワインなどを選び、ちょっとした豪華ディナーとなった。

翌朝は、まずたまっていた洗濯物を前日検索して見つけておいたコインランドリーに持ち込んだ。終わるまで、給油したり、セブンイレブンで昼ごはんの買出しをしたりして時間を有効利用。1時間ほどしてからコインランドリーに戻り、「乾燥」が終わったばかりのホカホカの洗濯物をたたんでバッグに詰め、さあ、出発だ。目指すは、岩手山山麓の松川温泉だ。本日はここに宿をとっているが、泊まる前に軽く散策。当初の計画では、三ツ石山と大松倉山に登る予定だったけれども、天候が今いちだったこともあって、三ツ石湿原までとした。

 
左:松川登山口駐車場。右の建物はトイレ 右:三ツ石山登山口

10:25松川登山口駐車場に到着した。先着様は天候が悪いせいもあってか1台しかない。車から出ると小雨が降ってきてしまった。山の神にどうしようかねえといいつつも、待っていてもたいして変わらないだろうし、かといって街に出て観光してもつまらないだろうからと、出発することになった。

10:40松川荘へ向けて車道を下り、温泉の蒸気に見送られながら、三ツ石山登山口から急登にとりついた。

 登りはじめは急登の連続

雨はたいしたことはなく、雨具をつけるほどではない。汗をかきかき、高度をかせいでいく。こんな遅い出発であるし、この天気であるから当然ながら登山者には、まったく出会わない。

 
左:霧に包まれた森 右:松川大橋への分岐。橋方面は通行止めになっていた

登山口から1時間ほどで松川大橋への分岐に出た。水溜りができていて若干ぬかるんでいる。休憩するにはあまりよろしからぬ場所ながら、仕方ないと腰をおろすと、パラパラと雨粒が落ちてくるではないか。最悪だといっていると、それが天に聞こえたのか、ふつりと止んだ。

 
左:木道が現れる 右:アキノキリンソウ

分岐からは横移動となり、8月12日に馬返しから登ったときと同じような花が姿を見せる。岩手山麓だから当然か。

12:40パッと目の前が開けて、こぢんまりとした三ツ石湿原に出た。手前に大松倉山への分岐があったが、かなりやぶっぽくあまり歩かれているふうではなかった。

 

 
左:三ツ石山荘(三ツ石避難小屋) 右:三ツ石山荘をバックに山の神

腹減ったな、三ツ石山荘で昼食にしようと山の神に声をかけ中に入ると、驚いたことに中に人がいた。縦走している年配の登山者と岩手県の山岳救助隊の方だった(詳細は次回)。

ぼろぼろな小屋をイメージしてきたので、そのきれいさ(トイレも)に驚き、思わず心の中でラッキーと叫んでいた。ザックのなかの食糧を出して、お湯を沸かし、先客様たちと会話をしながら、ここで昼食をとった。


到着時は真っ白だったが、帰る時にはだいぶ霧が晴れ三ツ石山荘もはっきりと

昼食後小屋の外に出ると、到着したときには真っ白だった風景もだいぶ霧が流れて湿原の景観を楽しめた。


三ツ石湿原

先ほど会った先客様たちによると、ここ三ツ石湿原界隈の紅葉は、何度訪れても見飽きない、すばらしいものらしい。当然ながら、その頃の登山者はすこぶる多く、今日のような静かさは望むべくもないと。

ふ~ん、そうなのかと山の神とうなづきながら、頭でちょっとばかり紅葉の景色を想像しながら湿原を再び見て、13:15帰路についた。

 下山時にようやく晴れ間が見え始めた

平坦な道をサクサクと進み、登り時に休憩した松川大橋分岐を越えてから小休止。少しばかり晴れ間が覗いた青空に癒されながら、下山した。

 

快楽の30日間山ごもりへつづく
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「わだば日本のゴッホになる」の棟方志功記念館へ

2019-09-21 | まち歩き

 入館料500円

棟方志功記念館を20数年ぶりに再訪した。前回は忘れもしない、台風に振り回されたときだった。小樽から新潟行きのフェリーに乗る予定だったのに強風により欠航となり、払い戻しを受けて小樽から函館へ移動。キャンセル待ちに並びギリギリフェリーに乗れるかというところでアウトになった。風雨が激しくなるなか、函館のフェリー埠頭で身を縮こませ、待合室にいたり、車に戻ったりを繰り返していた。

風雨が収まった未明になって、フェリーが動くとアナウンスが入り、たしか4時くらいに乗り込んで青森に渡った。こうしてだしぬけに青森から東京まで車で帰ることになったのだった。しかも当時は軽自動車、HONDAビートに乗っていたから、一所懸命アクセルを踏んで東北道をひたすら走り抜けたのを覚えている。

さて、青森に上陸し、このまま帰るのはもったいないと、昭文社の道路マップに目を凝らした。当時はカーナビなんて豪勢なものはなかったので、検索することもできない。道路マップで面白そうなところはないかと探して目に止まったのが、この棟方志功記念館だった。

再訪してみて、こんなに小さな建物だったかと前回のことをほとんど覚えていないことに、われながら驚いた。展示室の前では、ご案内映像を四六時中ループで流しており、ほとんどの来館者は熱心に見ていた。山の神と私もそれに倣いディスプレイの前の椅子にどっかと腰を下ろした。

この映像を見ていて、私は記憶の断片が蘇ってきた。志功じいさんのせっかちなふるまい。たとえば子どもたちの版画の審査をするにも、散策するにも、そして絵を描くときも、まるで時を惜しむように「スピード命」の姿勢を貫いている。キャンバスに向かったときの筆の速さはカーレーサーなみで滑稽なほどだ。そしてなによりも印象的なのは、板木(版木)を彫るシーン。ど近眼のため、板木に頬ずりするくらいめいっぱい近づいて彫っている。棟方志功に興味がある方なら、そのシーンを必ず1度ならず見ているだろう。

映像を見た後、山の神と展示室へ移動した。こぢんまりとしたスペースで展示作品は多くない。生前志功は展示作品数を減らし、入れ替えを多くするように指示していたようだ。このときには志功の代表作品である「二菩薩釈迦十大弟子」や、鷹の倭画などが飾られていた。

やはり、個人的には板画(志功は版画ではなく、「板画」という呼称を好んで使っていた)がいい。なんともいえない味わいがあって、構図も独特。とくに「二菩薩釈迦十大弟子」は素通りできないオーラを発していて、ためつすがめつ見ることを強いられる。いずれまた思い出せば観賞したくなる作品であることは間違いない。

 

岩手山麓三ツ石湿原へとつづく
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アカデミー賞受賞作『フリーソロ』を観る

2019-09-16 | テレビ・映画

話題の映画『フリーソロ』を山の神と観にいった。夫婦50割というのが適用されて安く観られたのはありがたい。

以前このブログでもとりあげた、ヨセミテの大岩壁エル・キャピタン(El Capitan)をフリーソロ(クライミングロープをはじめ登攀用具を使わず、しかもパートナーなしに単独で登ること)で登った男アレックス・ホノルド(Alex Honnold)に密着したドキュメンタリー映画だ。監督&プロデュースは、エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ(Elizabeth Chai Vasarhelyi)とジミー・チン(Jimmy Chin)の夫婦コンビ。ジミー・チンはナショジオでおなじみの山岳カメラマンでこの映画では撮影監督も務め、本編にも登場している。

映画は、まずアレックス・ホノルドがフリーソロで有名になるまでの生い立ちをたどる。一人でいるのが好きな、ちょっとネクラでオタクな子どもがはまったのがクライミング。やがてフリーソロのとりこになり、数々の成功を専門誌でとり上げられ有名になる。それとともにラジオ出演や学校で講演をするようになり、社交的な人間に変貌していく。

カメラは、エル・キャピタンに畏怖を感じながらも、魅せられていくアレックスの姿を追いかける。登ってみたいが、いざ実際に登ることを考えると怖いというアレックス。けれど、彼の脳をCTスキャンにかけて判明したのだが、なんと恐怖を感じる脳の部位、扁桃体が普通の人に比べて活性化していないというのだ。つまり恐怖を感じにくい。それは壁にとりつき登攀を続けるアレックスを見ていると、さもありなんと納得できる。足もすくむ高度でわずかな突起に足をかけ、3本の指で壁のへこみにつかまる。挙句は空手の蹴りのように垂直に足をだし、突っ張り棒代わりにする。この大胆さは尋常ではない。

フリーソロ、それはアレックスにとって自然との一体感、あるいは解放感、完登したときの達成感と高揚感、さまざまなものを一度に得られる至福の行為のようだ。ただ、家族をはじめ周囲の者には、受け入れがたいのも事実。アレックスの母親はインタビューで当然のごとく息子はフリーソロでいきいきしているけれども、続けるのは反対している。講演で知り合ったというとっても明るいアレックスのパートナー、サンニ・マッカンドレスは、エル・キャピタンのときには、まさかの事態が脳裏に浮かび、いてもたってもいられない状態だったと告白している。

周囲の人間の心にさざなみを立てるのがフリーソロ。ベテランクライマーのトミー・コールドウェル(Tommy Caldwell)も登場し、アレックスの練習をサポートするとともに、サンニの存在を危ぶみ、アドバイスを送る。エル・キャピタンをやるには、心に鎧が必要。今は鎧をはがされていると暗にいう。

一方でジミー・チンは、撮影することの心理的プレッシャーを危惧し、アレックスが望めば、撮影は控えると言い出す。たしかに撮られていること、人に見られていることはプレッシャーにつながり、登攀中の力み、緊張につながる可能性はある。

それでもアレックス・ホノルドは撮影を受け入れ、2017年6月3日、神がかった集中力で壁を完登した。

ちなみにアレックスの偉業は当然たたえるべきものだが、撮影もすごかった。アクロバティックなカメラワークはジミー・チンならでは。ざまざまな技術を駆使し、また工夫を凝らしての現場だったようだ。

とにかくこの映画のクライミングの迫力は必見。お見逃しなく!

参考:当ブログフリーソロで絶壁900メートルを登った男「ナショジオ」2019年3月号
ナショジオhttps://www.nationalgeographic.com/search?q=alex honnold
『フリーソロ』公式サイトhttp://freesolo-jp.com/

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三内丸山遺跡で考えたこと

2019-09-15 | まち歩き

2019年8月13日(火) 晴れ

前日岩手から青森入り。宿は青森国際ホテルだった。近ツリの早割り予約で素泊まり3000円台だったので、てっきり安いビジネスホテルと思い込んでいたが、いざ到着してみると、結構ゴージャスで結婚式場まであるホテル。チェックインした部屋は予想外に広く快適で、こんな宿代でいいのかと恐縮してしまうほどだった。

シャワーを浴びてから一杯やろうと青森駅の方面に山の神と繰り出した。しかし、めぼしい店はすべて満席で参った。チェーン店の居酒屋で妥協するかといくつか入ったがいずれも満席なのには驚いた。1時間近くぐるぐる街の中を巡って、ホテル近くのジモティだらけの小さな居酒屋でやっと席を確保できたのだった。恐るべし連休。

 
左:復元された竪穴式住居 右:同大型竪穴建物

それはさておき、翌13日はホテル近くの市場で有名なのっけ丼を食してから三内丸山遺跡を訪ねた。いつも駐車場が気になるけれども、朝イチということもあってなんなく停められて拍子抜けする。  

この遺跡の目玉は復元された竪穴式住居や大型竪穴建物(巨大家屋)、倉庫、用途不明(見張り台、神殿、モニュメントなど諸説あり)の大型掘立柱建物だ。大型掘立柱建物と称されているものは、パッと見やぐらで高さ14.7mもあり、ほんとうに縄文時代に造られたのかというほど巨大だ。何よりも発掘によって縄文時代にこの集落が営まれていたことが判明し(約5900年前から4200年前)、歴史を塗りかえていることは特筆に値する。

まずはこの遺跡の概要がわかる案内映像を縄文時遊館で見る。この地では長野や北陸の物産が出土していて、交易が広範に行われていた事実が明らかになっており、当時の繁栄ぶりがわかると強調していた。

 復元された大型掘立柱建物。屋根は構造不明でついていない

それからお待ちかねの復元集落へ向かう。かんかん照りのなか屋外に出て汗を拭き拭き集落のなかを巡る。

この集落ができた当時は、陸地が現在のものとは異なっていたし、気候も温暖だったと推測されている。当時は住みやすい場所だったことは間違いない。裏を返せば、その後の気候変動で住みにくくなり、この土地を捨てたのだ。それを考えると、今われわれが住んでいる場所も、いつこのように住みにくい場所に変わってしまうかわからない。たかだか4200年前の寒冷化という気候変動でこの始末なのだから。


大型竪穴建物と大型掘立柱建物の位置関係

これから三内丸山遺跡の気候変動どころではない厳しい環境の月に人類は宇宙ステーションを設けようとしている。住みやすいもなにも、そもそも人が住める環境ではない場所だ。そんな時代を私たちは迎えるわけだけれども、それとは対照的に縄文時代よろしく気候の大変動で私たちは住みなれた土地を捨て、新天地へ移動していくことになるのだろう。科学の進歩があるとはいえ、気候の大変動に現在の人類は太刀打ちできない。


大型竪穴建物の内部。異様な臭いがたちこめていた

東京は数千年後に三内丸山遺跡のように発掘される日が来るのかもしれない。な~んてことを考えてしまったのは、この遺跡のスケールの大きさのせいなのだろう。

 

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津軽SAの自虐宣伝「今日も空いてる」

2019-09-13 | まち歩き

時間は遡って8月12日(月・祝)。岩手山山頂から山の神と足を棒のようにして歩き、クタクタになって馬返しキャンプ場に戻り、テントを撤収した。そこから駐車場にザックとテント用品を運び、車に積んで16:00過ぎ一路青森に向かう。目的地は青森国際ホテル。近いようで遠かった。

東北道をひたすら北上し、交通量がめっきり少なくなった頃、高速道の上に横断幕がかけられているのが見えた。真っ先に山の神が反応。これ、ワイドショーで見たことある!

「今日も空いてる津軽SA」
「混雑知らずの津軽SA」
「貸切休憩気分津軽SA」

こんな横断幕が連続して出てくる。あまりに自虐すぎてネットでも話題になっていたようだ。ということで、どんだけ空いているのか、津軽SAに入ってみた。

とにかく敷地が広い。広大なスペースに駐車場のラインが引かれているが、停まっている車は建物に近いほうに集中していて、ほかは恐ろしいほどがらんとしている。休日なのにね。しかもよく見ると他県ナンバーが多かった。SAの建物に入ると、16:00台だというのに人はまばら。駐車している車の数以上に人がいるはずなのだが、、、

でもそう感じたのは、建物が広すぎたせいかもしれない。トイレにも寄ってみたが、巨大なスペースをとっている割には、利用していたのは私だけ。出るときに1人とすれ違ってはいるが。

自虐宣伝と思ったが事実だった。まんまだった。皆さんも機会があれば、立ち寄ってあげてください。そしてできれば何か食べるか、飲むか、購入してあげてください。

 

三内丸山遺跡につづく

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