目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

西表島Part2~カンビレーの滝・マリユドゥの滝

2012-08-29 | 山行~九州・沖縄

標高50~60m 沖縄県

2005年7月12日(火) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 軍艦岩10:00--展望台--カンピレーの滝--マリユドゥの滝--12:30軍艦岩

8:25豊原のラ・ティーダ西表を出て、レンタカーで浦内川遊覧船乗り場へ向かう。9:15に駐車場に到着した。停まっている車はレンタカーばかりで、皆観光客のようだ。9:30遊覧船が川岸を滑り出す。両岸はマングローブの森で、さっそく船内放送で、ここで見られる主な3種類(呼吸根があるヤエヤマヒルギ、メヒルギ、オヒルギ)の説明が始まる。枝を折ると有毒な乳液を分泌するミフクラギ(オキナワキョウチクトウ)や、落花して川を流れるさまが美しくて風雅なサガリバナへとテンポよく話は続いていく。

浦内川を遡行していき、終点の軍艦岩には10:00頃到着した。ほとんどの人がここからカンビレーの滝とマリユドゥの滝を目指して歩き始める。アップダウンが比較的少なく、観光客用に整備されていて歩きやすい道になっている。

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展望台から見たカンピレーの滝

先に出発していた観光客を山の神とともに次々に追い越し、平坦な道をどんどん進んだ。周囲には本州では見られない変わった植物が繁茂している。ある観光客グループに同行していたガイドさんが、このあたりの植生について説明しているところにちょうど出くわした。山の神と私は、水でも飲むフリをしながら立ち止まり、横から盗み聞きして、なるほど、ふむふむとうなづく。しばらく歩くと、カンピレーの滝を眼下に一望できる展望台に着いた。皆とりあえず、ここで休憩がてら滝を見下ろすことになる。

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左:至近距離で見るカンピレーの滝 右:カンピレーの滝を別アングルで

展望台から少し下り、ぐるりと回り込んでいくと、カンピレーの滝に到着する。まず水量の多さに圧倒される。川岸に下りて行けるので、激流を目の当たりにできる。

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マリユドゥの滝

マリユドゥの滝はカンピレーの滝から指呼の間。あっという間にたどり着く。まるで職人さんが磨いたかのようなつるつるの岩の上を水が滑っていく。比較的川幅が広いので、あまり滝という感じはしない。ここでご飯を食べて、くつろいでいるトレッカーもいた。腰を下ろすスペースはふんだんにあるので、ちょっとした憩いの場になっている。

ガイドを事前に雇えば、ここからさらに奥地に入り、島を縦断できる。山の神にどうかねと聞くと、興味なさそうだった。仮に先に進んでも、ここまでと景色や植生はあまり変わらなさそうだ。実際は行ってみないとわからないけどね。

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左:マリユドゥの滝(別アングル) 右:帰りは星砂の浜でひと泳ぎ。南国の鮮やかな色の魚に大感激

マリユドゥの滝で山の神とくつろぎ、そろそろ帰るかと腰を上げる。復路は、一度歩いたところだから歩みも早く、軍艦岩まではすぐだった。普段山歩きをしている人にとっては、ほとんどお散歩コースに近い。

さてとまだ昼イチ。観光の時間は十分にあるから、星砂の浜に寄ることにした。山の神と水中メガネを近くの店で借り(¥525)海辺で泳ぐ。海中には目の覚めるような鮮やかなブルーの魚がいた。クマノミもいた。当初から、まったく海に入ろうなどとは思っていなかったのだが、思わぬ僥倖に山の神ともども感激したのであった。

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西表島Part1~ピナイサーラの滝

2012-08-22 | カヌー

標高約100m 沖縄県

2005年7月11日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 船浦10:00頃--カヌーでピナイ川遡上--トレッキング--12:00頃 ピナイサーラの滝上(昼食)--滝壺(水浴)--トレッキング--カヌーでピナイ川下り16:00頃

「ひげのような」という意味のピナイサーラ。落差55mは沖縄最高を誇る。カヌーでピナイ川を遡上し、ピナイサーラの滝へ行くという、ちょっとしたアドベンチャー気分を味わえるツアーに山の神とともに参加した。

宿を8:20頃出て、レンタカーで船浦のガイド会社風車へ向かう。9:30集合であったが、30分も早く到着してしまい、早すぎて誰もいない。しばらくするとパラパラと8人がやってくる。そのうちの一組は、島をぐるりと回りこんだ水落の滝に行くというから、マニアックというか、2度目の来島なのか。

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2点とも:往路は2人乗りのカヌーでピナイ川を遡上。山の神が前に乗る

9:30すぎ、車でカヌーのスタート地点に移動する。車を降りると、さっそくめいめいにパドルとライフジャケットが渡される。参加者全員、カヌーは初めてだ。ガイドさんがパドルの使い方を懇切丁寧に説明し始める。私は、こんなものは乗ってしまえばすぐに覚えるものだとタカをくくり、早々にカヌー乗り場へ急いだ。

途中サガリバナの花びらが落ちていた。サガリバナは夜満開となって、日の出とともに散り始め、落下した花が川面いっぱいにふわふわと広がって下っていく。この豪勢で華麗な眺めをひと目見たいと早起きする人は多い。たまたまテレビ映像で見たが、すばらしいの一言に尽きる。必見!

さて、往路は2人乗りカヌーだった。2人乗りというのは、後ろの人がきちんと漕げないと、進行方向が定まらず、蛇行しながら進むことになる。初心者はえてして、こうなるとガイドの方がいっていたが、まさに山の神と私も、そのとおりになった。右の岸から左の岸へと蛇行しながら進んだ。私が蛇年生まれというせいもあるか!?

しばらくジグザグ走行を繰り返すと、河口付近の分岐に出た。そこからピナイ川上流へとパドルを操っていくと、前方で歓声が上がる。視線を上げると、滝が見えるではないか。おお。

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滝の上から船浦湾を見る

カヌーを降りて、今度はトレッキングが始まる。気根が張り出した、この島ならではの植物がお出迎えしてくれる。ガイドの人によると、夜間このあたりはゴキブリだらけで、飛びまくっているそうだ(本当にそうなのかは不明)。うっそうとしたジャングルを抜けていく。 高度をいっきに稼いでいくと、目の前がパッと開けた。滝の上に出たのだ。青い海が見えている。思いのほか海は近い。

ここで昼食にありつく(12:00頃)。風車のガイドさんが沖縄そばをつくりはじめた。あとは事前に用意されていた古代米のおにぎりが供された。うまい!

ここはゆるゆると水量の乏しい川が流れているのだが、先のほうで、いきなり切れ落ちて滝になっている。ロープも何も張っていないから、ギリギリまで行くのはかなりの勇気が必要だ。恐る恐る先端へ近づいていくと、背筋が冷たくなる。そうこうしているうちに後からどんどん他のツアーの人たちが登ってくる。そろそろわれわれも場所を譲らねばならない。人心地着いた頃、滝壺に向かって下ろうとガイドさんが皆に声をかけた。

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左:ピナイサーラの滝 右:滝壺に入って涼む

滝壺にはすぐに到着。近づいていくと、激しい水しぶきだ。滝の直下に行ってみると、水流がすごくて、皮膚をたたかれ痛い。それでもクールダウンできて、気持ちがいい。ガイドの誘導で滝壺に入って、ぴちゃぴちゃ泳ぐ。ライフジャケットをつけているから、仰向けにそっくりかえって、ぷかぷか浮かんでもいられる。水遊びだね。滝壺からあがると、デザートのパイナップルが待っていた。切り分けてくれて、一切れずつ食べるが、これもうまい。

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2点とも:復路。山の神が皆からどんどん遅れていく

瞬く間にお帰りの時間となった。ピナイ川のカヌー係留場所へ向かう。着いてみると、カヌー乗り場ではひと悶着起きていた。他のツアーグループが誤ってカヌーを1、2艘流してしまっていた。きちんとロープを結んでいなかったようで、バイトらしき若者が年配の人にひどくしかられていた。われわれが乗るカヌーには、まったく影響はなく、胸をなでおろす。

復路は1人乗りのカヌーに乗って漕ぎ出す。干潮なのか、かなり往路に比べ、水量が少ない。ドンコのような生き物が泥の上をはねたり、おっカニ、と目を移すと、わらわらと横歩きしていく大群がいた。進んでいくと、かなり狭い箇所もあり、カヌーの取り回しに苦労する。

山の神の姿が見えないと振り返ると、山の神は皆からだいぶ遅れていた。そういえばさっき泥の岸に突っ込んだりしていたからなあ。終点は浅瀬のやはり泥の岸。そこに接岸して、カヌーを岸に持ちあげる。カヌーを片付けていると、ようやく山の神も到着した。お疲れさん。

夕方風車事務所に戻った。足を洗って、一服してからの解散となる。宿に戻るにはまだ早いと、山の神と浦内川展望台、月ヶ浜へと足をのばし、さらに遊ぼうという欲深さを露呈したのであった。

西表島Part2~カンビレーの滝・マリユドゥの滝へ飛ぶ

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デカザック購入

2012-08-15 | 山道具&ウェア

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また最近は、山に行けない状態が続いていて、悶々とした日々を過ごしている。

そんな中、さる8/12(日)に好日山荘に行って、デカザックを購入した。今まで使い続けていたLOWEさんは、なぜか知らねど、ザックの内部の素材(塩化ビニル?)がネチョネチョになって、入れるもの、入れるものが、すべてネバネバの黒いものが付着するようになってしまった。経年劣化なのだろうが、ひどい! もっとまっとう素材はないのか。ということで、慣れ親しんだLOWEさんとは、別れがたいが、これでおさらば。ご苦労さま。

今回購入のモデルは、GREGORYのBALTORO75。75リットルの割には、それほどそのデカさを感じさせてくれない。これにテントを詰め込んで、颯爽と北アルプスにでも行きたいところだが、休みがとれそうにない。まずは近場でぼちぼち使いますか。

あとは、週末の天気がよくなることを祈るだけだ。
高気圧来~い。高気圧来~い。

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まじめ一筋。『探検家、36歳の憂鬱』

2012-08-12 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

36 『探検家、36歳の憂鬱』角幡唯介(文藝春秋)

なんてまじめなんだろう。一言でこの本の感想を述べればそうなる。彼の場合、自ら探検して、自らそのルポを書く。だから、書くネタのために、ちょっとおもしろい行動をとりさえすれば、それは事実として書けるわけだ。つまり、やろうと思えばいくらでも演出可能ということ。極論すれば、いくらでもヤラセ可能になる。だから彼は、どこに線引きをすべきか悩む。それを正直に書いてしまっていて、ああそうなのかと思う一方で、何もそこまで読者に暴露しなくてもと思ってしまう。そんなこといったら、栗ちゃんはどうなるんだ?とも思うしね。

東日本大震災が起きたときの心情の吐露も、正直すぎて、まじめなんだと驚く。日本で大変なことが起きているが、今の北極探検を中断してまで、日本に帰るべきなのか否かと彼の心は揺れる。でも資金もだいぶ使っているし。自分の今やるべきことは何だろうと考えると、これまた彼は深く悩むことになる。結局は、うしろめたさを感じながらも、震災のことを頭の片隅に追いやろうと努めることになる。あまりにも赤裸々に心の葛藤を書いてしまっている。

こういう人は、応援したくなるよね。

この本の冒頭に出てくる合コンの話もお悩みの話だ。彼の名刺に入っている肩書きは、「ノンフィクション作家・探検家」。まず、その肩書きに女の子たちは興味津々になる。当然どんなことをしているか聞かれるわけだが、よせばいいのに自分の中でいちばん重い体験をおもしろおかしく語ってしまう。チベットのツァンポー渓谷で死にかけたとか、雪崩に3回もあって死にかけたとか。女の子たちは目を輝かせて聞いていたのだろうけど、この人だけは彼氏にしたくないと、徐々に引いていく。本人はそれに気づかず、盛り上がっていたというエピソードは、笑ってしまった。本人にとっては、継続中の深刻な問題だろうけど。

この本は、まさにタイトルどおり、まじめさゆえに陥った彼の憂鬱が詰まっている1冊だ。

参考:
空白の五マイル
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20110521
雪男は向こうからやってきたhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20120303
栗城史多オン・ステージhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20110213

探検家、36歳の憂鬱
クリエーター情報なし
文藝春秋
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山伏と僕

2012-08-08 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

Photo 『山伏と僕』坂本大三郎(リトルモア)

山伏をいっとき体験してみようという人は、そこそこいるだろう。でも、彼はハマッた。なぜか? 幼少期に大病を患い、死線をさまよった体験がそうさせているようだ。子供の頃には、死を暗示させるような闇をさまよう不思議な夢をよく見たともいう。そうした原体験は、その人の心の底流に根強く居座っているものだ。彼の職業はイラストレーターであるが、その発想の大元は、すべてこうした原体験から生まれているようにも思える。この本のなかには、彼のイラスト、版画が随所にちりばめられている。山伏の雰囲気、世界観をよく表現しているのは、そんなところに起因するのかもしれない。

山伏の修行とは、俗世間から隔絶し、自然との一体化を試み、心を浄化しようというものではないか。そのためには、ゆるぎない規律と作法(儀式)の遵守、そして精神の集中と解放が必要になるだろう。呪文を唱え、山道を歩き、山中に籠もり、水垢離をし、口にするものは、自然のささやかな恵み。まさに人間が自然とともに暮らそうとする共生の営みだ。

ただし、彼が実践した山伏は、師がつくったカリキュラムに沿った山伏。現世ときっぱり縁を切るわけではなく、荒縄のようなものでつながっている。だから、実際の山伏とは、一定の距離を置きつつ、コアな部分の周辺を経巡ることになる。そうそう現世での生活を断ち切ることはできないから、それはそれ、隙間から山伏という異世界を盗み見したり、疑似体験するのは、どっぷりつかって、そこから抜け出せなくなるよりも、第三者の視点から観察もできるし、理解もできるというものだ(!?)

とはいえ、彼はもう立派な山伏といえるんじゃないか。矛盾するようだけど。何度も山伏体験修行をしていれば、その分だけ、山伏として前進しているはずだしね。

でも、彼はこの先どうするのだろうか。俗世に身を置いたまま、ときどき山伏という今のままなのか、あるいは身分は山伏、ときどきイラストレーターとか、はたまた完全なる山伏となり、四六時中山中で大自然と寝食を共にするのか。ちょっとばかり興味がある。10年後の彼はいったい何をしているのだろう。

山伏と僕
クリエーター情報なし
リトル・モア
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