目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

ついに8000メートル峰14座制覇! 竹内洋岳

2012-05-27 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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『初代 竹内洋岳に聞く』聞き書き/塩野米松(アートオフィスプリズム)

5月26日ついに完全制覇してしまった。天候さえよければ、ほかに何の障害もなさそうだったから、やり遂げるとは思っていた。去年のチョーオユーに続き、連続して頂上をおとしいれた。いやあ本当にめでたい。ただ竹内洋岳氏の公式ブログによると、登頂後C4跡地でビバークとなっていて、ちょっと心配させられた。現時点で無事C1まで下ったようだ。

今回の遠征にはNHKが取材班を編成して同行していたから、近々NHKスペシャルで放送ということになるのだろう。今から放送が待ち遠しい。放送したら録画して完全保存版だね。

ところで、この竹内洋岳氏を採り上げた、2010年3月20日発行の544ページもある本をつい先ほど読み終えた。わくわくドキドキで読めたのだが、さすがにこのボリュームだと、いっき読みとはいかず、ちょっとずつ読んで、今頃の読了となってしまった。

この本は聞き書きだから、いわば雑誌のインタビュー記事のような体裁になっている。話言葉だからくだけた感じで、より身近に竹内氏の人となりが伝わってくる。

正直いって最初のほうの少年時代の記述はつまらない。たんに生い立ちがわかるというだけで、山との関連性はほとんどない。やはり実際に山に登り始めるあたりから、こちらの血もたぎってくる。とくにガッシャーブルムⅡの雪崩遭難事故については、克明に書かれていて、まるで現場に居合わせたような臨場感を味わえる。事故後の顛末も詳細だから、何が起きていたのかが非常によくわかる。

BS朝日の番組でも登場していた友人のラルフやガリンダもこの本に登場してくる。直近では、2009年の12座目のローツェで一緒に登っている。このときにラルフは14座をドイツ人で初めて完登。ガリンダは昨年K2に登り、14座完登を達成している。

最後にこの本でへえと思わせてくれた点をひとつ。視点を変えて、スポンサーからの竹内洋岳像を描いていることだ。石井スポーツ、カシオ、ゴアテックス、東京映像社のスタッフがそれぞれの目から見た竹内像を語っていて、竹内本人が語る自己像とは違った面が見えてくる。対比するとおもしろい。

蛇足ながら、巨大な目標を達成してしまった竹内氏は、今後いったい何を始めるのだろう? 次なるターゲットは? 興味津々だ。今後の動向を注目していきたい。

参考
登山家・竹内洋岳 公式ブログ
http://weblog.hochi.co.jp/takeuchi/
竹内洋岳の友人が挑む「K2」の頂~ナショジオ2012年4月号http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20120421

初代 竹内洋岳に聞く (ちくま文庫)
クリエーター情報なし
筑摩書房
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容貌怪異なじいさんの1万日連続登山への挑戦

2012-05-26 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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『信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦』吉田智彦(山と渓谷社)

この容貌そしていでたちにまず「引く」。ホームレスかと疑う。名前の特異さもまた異様な雰囲気を増大させている。いったい何者なのだ? しかし、こうしたイメージは、この本を読んでいくと、徐々に崩されていく。この奈良男さん、意外にもインテリで(失礼)、山を登るための合理的な歩行方法を常に考えているし、道具への工夫、改良を自らの手で施し、機能性や使いやすさを追求している。また知識を得ることに貪欲。奈良男さんの部屋の写真が本の中に登場するのだが、本でいっぱいだ。よくみると、武道の本があったり、芥川賞作家の西村賢太の本まで積まれている。とにかくよく本を読んでいる。

東浦奈良男さんが山を始めたのは遅く、35歳からだ。その時点から11,951回の登山回数を重ねている。会社定年後には、連続登山1万日を目指し、「毎日山行」を試み始める。その日数は、9,738日に及び、悲しいかな、記録はそこでストップしてしまった。悲願達成まであとひと息というところだった。健康であったなら、この本の奥付の日付である2012年3月12日に達成するはずだったのだが……。

この連続登山で主に登った山は、奈良男さんが住んでいた伊勢界隈のいわゆる低山だ。なあんだと思うことなかれ。駅から登山口までのアプローチをバスやタクシーを使わずに歩いている。とにかく歩く。水も口にすることなく、ひたすら歩きまくる。歩行時間10時間というのはザラ。実際に歩いてみるとわかるけど、平坦な街歩きほど疲れるものはない。ましてや休憩なし、水分補給なしとくれば、フツーの人はすぐにバテる。私もだろうけどね。

それに、この毎日登山というのは、考えてみると、いろいろ恐ろしい事実に行き当たる。冠婚葬祭のときはどうしているのか、病気のときは? 怪我をしていたら? 家族が入院したら? 奈良男さんは、何が起きても登っている。もう何かにとりつかれているとしかいいようがない。96年連続登山を顕彰され、オペル冒険大賞チャレンジ賞を受賞しているが、この栄えある受賞式には、山に登れなくなるという理由から出席せず、家族が代理出席している。逆に面白いのは、ヤマケイの取材に応じて、東京に出てくるとき、編集者のはからいで沼津アルプスに登っていることだ。このはからいがなければ、当然お断りだったのだろう。ここまで来ると、タイトルにあるように、もう「信念」、それを貫くだけとも思える。鉄人と呼ばれたルー・ゲーリックや衣笠祥男のようにデッドボールをくらって、骨折しても試合に出続けるということだ。

もうひとつ驚くことに、ただ山行を続けるだけではなく、山行記録もつけている。毎日登山だから、いわば日記をつけているのと同じことになる。9,738日分の日記だ。実際は山に登った記録はすべてつけているようだから、1万日を超える日記が実在するわけだ。この本の著者の吉田氏は、これらすべてに目を通している。この作業にも脱帽してしまうが、書いたほうには、もっと脱帽だね。

奈良男さんは、昨年末に志半ばで亡くなられたてしまったが、こんなにもすさまじい信念の人は、再びこの日本に登場してくるのだろうか?

信念 東浦奈良男 一万日連続登山への挑戦
クリエーター情報なし
山と渓谷社
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小野子三山

2012-05-20 | 山行~上州

小野子山 標高 1208.3m 中ノ岳 1188m 十二ヶ岳 1200.9m 群馬県

2012年5月13日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:03赤芝登山口8:15--8:55尾根9:05--9:25小野子山--(誤って如意寺方面へ下り登り返す)--10:05小野子山10:10--10:47中ノ岳10:55--11:25十二ヶ岳(昼食)12:02--12:30中ノ岳12:37--13:15小野子山13:27--14:17赤芝登山口

今週も中央道方面は大渋滞の予測で、おのずと行き先は、関越方面に決まった。日も上がってきた5:00過ぎに家を出発する。関越に入ると、そこそこの交通量だ。上里SAで朝食をとり、国民宿舎プラネットわらびをカーナビにセットしてスタート。渋川伊香保ICで高速を下りた。

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左:赤芝登山口。路肩に駐車。この後ろに登山口がある 右:スミレの群落

県立ぐんま天文台を越えるとすぐに国民宿舎だ。その真ん前に産直をやっている売店があり、外にトイレがある。この最終トイレに寄って、林道を上がっていく。狭い道なので、この道でいいのかと不安になるが、すぐに赤芝登山口は現れた。8:00にして、すでに3台駐車している。この手前にも4,5台程度の駐車スペースがあった。

ジモティの同年輩の方が先に出発していく。長身で足が長いから、あっという間に姿が見えなくなる。あとからタクシーであがってきたおばちゃん3人組を尻目に、山の神と私も赤芝登山口から上り始めた。急登がつづき、尾根に出るまではほとんど杉林なのには閉口する。しかし、登山道の傍らには、スミレの群落がそこここにあり、目を楽しませてくれた。

001img_5840 武尊山方面

8:55尾根に出る。ちょっとした休憩スペースがある。樹間からは武尊方面がよく見える(上の写真は小野子山山頂から)。歩き始めると、野鳥のさえずりが耳に心地いい。どうやらシジュウカラのようだ。

002img_5841 北アルプスは真っ白

 

9:25小野子山山頂に到着。先着さま2名。見晴らしはいいが、一部樹木で視界はさえぎられている。遠くに北アルプスの白い峰々が見える。

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左:小野子山山頂 右:ノリウツギ

先ほどの休憩からさほど経っていないこともあって、小野子山山頂はスルーしようと、山の神と相談していた。どうせピストンだからまたこの山頂に舞い戻ることになるのだし。写真だけ撮って、下り始めた。ところがだ。「如意寺」という道標が頻繁に出てくる。それは、中ノ岳・十二ヶ岳の先にあるのかと勝手な解釈をしていた。なんて不親切な! なぜ中ノ岳と書いてくれないんだなどどほざきつつ、どんどん下ってしまうと、次のピークがない。

ここまで下って初めて道を間違ったことに気づいた。小野子山山頂で撮ったデジカメの画像をみると、中ノ岳への道標が写っていた。明らかに違う方向へ来ている。ここまで派手に下った分、上り返しはつらい。それでも救われたのは、新緑がきれいだったのと、ノリウツギの花を見られたことか。今日の山行はアップダウンの繰り返しだが、さらに1回アップダウンが増えてしまった。油断大敵!

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左:小野子山の新緑のカラマツを見上げる 右:ヤマブキ

10:05小野子山山頂に戻る。登山口で追い越したおばちゃん3人組がおにぎりをほおばっていた。その姿を見て、だいぶ遅れをとったわいと実感する。無駄に歩いた分ぐったりとして、山の神と山頂の丸太に腰掛けた。そして遅れを取り戻そうと、5分後には、中ノ岳へ向けて出発した。長大な下りが始まる。帰りはこれを上り返すのかと、ちょっと恐れおののく。下っている途中で、ヤマブキがきれいな黄色い花をつけていた。

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左:中ノ岳頂上 右:十二ヶ岳山頂

しばらく下って、上り返すと、中ノ岳山頂。非常に地味な山頂だ。水分補給のために休憩を軽くとる。そしてまた下り。下りきってコルに出ると、またしても上り返しとなる。そして男坂と女坂の分岐に出る。帰路にゆるやかな女坂を下ることにし、男坂の岩場を上がっていく。

11:25十二ヶ岳山頂に到着した。頂上に樹木がないため360度の大展望を楽しめる。そこには駐車場で会った長身のジモティの方がいて、くつろいでいた。写真撮りましょうかと声をかけられ、好意に甘えてパシャリと一枚(右上)とってもらう。

ところで、十二ヶ岳という名は、子持山へ行ったときに「十二」という場所と、山頂に「十二山神」という石碑があったが、やはりこのあたりの民間信仰から来ている名前なのだろうか。ちょっと気になる。

005img_5854 谷川・苗場山方面

山頂は樹木がなくて見晴らしがいい分、日差しの直撃を受ける。容赦ない日差しに山の神と辟易しながら、さっくりと昼食をとり、12:02女坂を下り始める。

006img_5859 小野子山への上りは、延々とつづく

最後の小野子山への上りは、つらい。ヒーヒーいっていると、この辺りで朝すれ違った人たちと再びすれ違った。われわれとは逆コースピストンのようだ。13:15小野子山に三度到着する。

小野子山からの下山途中、天然記念物ゴヨウツツジを見るために脇道に入る。行ってみると、貫禄たっぷりの立派なツツジの木があった。残念ながら花はまだだった。そばにあった平成19年の案内板によると、この上部には、かつて妹ツツジがあったと書かれていた。こちらは姉ツツジ。たしかに家にあったガイドブックには、両方の名がコース上に書かれていた。枯れちゃうとはねえ。

14:17赤芝登山口にたどり着く。帰途朝閉まっていた、林道入り口の売店に立ち寄り、¥300のソフトクリームを購入。山の神はメロン。私はブルーベリーヨーグルト。いろいろ種類があってチョイスが難しい。バルコニーに出て、青々とした牧場を見ながらソフトクリームをなめる。のんびりしすぎると、また渋滞だと重い腰をあげ、関越へと急いだ。関越はちょっぴり渋滞だった。

参考
子持山
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20120502

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コンニャク屋漂流記

2012-05-13 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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先祖探しの旅。この本を一言で表現するとそういうことになる。ちょっとそそるよね。一見タイトルが何だかよくわからないけど。でも先祖探しの本は、つまるところ、じゃあ、自分の家はどうなんだというところに行き着くわけだ。自分の先祖を調べてみようかと。お寺に行って過去帳を見る手はあるけど、たんに名前と生没年がわかるくらいだし、それがわかったからどうだっていうんだろう。その土地の名家であれば、先祖がこんな業績を、地域貢献をと鼻高々になれるだろうけど、何もなければ、そう、フツーの市井の人かと納得するだけだ。

まっ、それはさておき、なぜこの本をこのブログで採り上げるのか。それは、元禄期の冒険譚に思いを馳せることができるからだ。

著者の星野さんの祖父は外房(房総半島の太平洋側)の出身で、東京五反田に生活の糧を得るために引っ越してきた。外房の祖父の家は、コンニャク屋という屋号をもつ漁師の家だ。一時期コンニャクを売っていたから、その屋号になったとか。さらにそのルーツをたどると、紀州へとつながる。江戸元禄期に紀州加太辺りの漁師は淡路の漁師らと鰯漁で争っていたようだ。漁場が同じで、納め先も大坂で同じ。鰯はそのまま食べることもしたのだろうけど、大量にとれることもあって、加工して肥料にもした。干鰯(ほしか)と〆粕(しめかす)だ。いずれも即効性のある肥料として、金肥として扱われていた。

漁場の争いは激化し、紀州の漁師は、新たな漁場を求めて関東へ進出する。時は徳川の時代に入り、江戸に新たな市場が形成され、鰯の需要も勃興してくる。彼らは、外房に新しい漁場と干鰯をつくるための広い砂浜を見つけて、直接江戸に商品を持ち込む算段をする。

この頃はまだ、紀州から毎年のように外房へ移動して漁をしていたというから驚く。内海ではなく、波の荒い外海を移動しての漁だ。「板一枚下は地獄」といわれる漁師の世界、ある面、覚悟の上ということなんだろうけど、その執念には驚くばかりだ。

順調に漁が行われると、今度は外房の各所で住みやすそうな場所が物色され、仮住まいが始まる。そして次男、三男坊がこぞって移住をはじめ、漁村が形成される。紀州の地名がそのまま房総にあるのは、移住者の出身地がそのまま付けられているのだろう。

紀州から外房への大移住が江戸元禄期にあった。その冒険心、開拓心には脱帽するほかない。

コンニャク屋漂流記 (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋
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雨に祟られた大持山

2012-05-06 | 山行~奥多摩・奥武蔵

000img_5805_3標高 1294m 埼玉県

2012年5月4日(金) 雨

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:30白岩渓流園(キャンプ場)駐車場7:40--9:05鳥首峠9:15--10:02ウノタワ10:17--10:40横倉山--10:56大持山(昼食)11:15--12:15鳥首峠12:25--13:20白岩渓流園

待望のゴールデンウィークなのに、雨続きで業を煮やしていた。そんな折、久々に晴れマークを見て、急遽山梨行きを決めた。しかし、いつものドラぷらで渋滞予測を見てびっくり。出発は早朝にすればいいものの、帰りはどっぷり渋滞にハマってプラス2時間は避けられそうにない。山の神にぼそっと言ってみると、つれなく渋滞は嫌だと。それじゃあ、高速を使わずに近場か。高尾や奥多摩の地図を眺めて、武甲山の近所にある大持山・小持山に行こうとなった。

ところが、天気が今イチ。前日の予報では、6:00-9:00曇り、9:00-12:00晴れ、12:00-15:00曇り、その後が雨になっていた。昼イチ下山を目指し、早めに出て早めに下山だなということで計画は完了した。

翌早朝家を出発。5:00過ぎ高速の入り口で続々と吸い込まれていく車を見送り、やはり選択は正しかったのかと納得しながら、甲州街道をひた走り、奥多摩へと向かう。途中コンビニで買出しをして、6:30頃名栗湖に到着。湖畔で朝食をとる。そこから名郷へ移動して、林道に入る。山地図では白岩渓流園(キャンプ場)の先に駐車場マークがあったが、それはJFEミネラルの社員専用駐車場で一般の人は停められない。しかたなくUターンして、白岩渓流園に戻り、駐車させてもらう。1日¥1,000。

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左:白岩渓流園駐車場 右:登山口にあるJFEミネラルの工場。写ってないが右側に登山口

7:40キャンプ場をスタート。せっかく上がっていた雨が降り出す。そのうちまた上がるだろうとザックカバーだけで、雨をものともせずに車道を上って行く。しかし、山の神の足取りは重い。最近運動もしていないし、歩いてもいなかったからだろう。

JFEミネラルの建屋の右手から登山道に入る。工場の横をすり抜けて上がっていく。少し行くと白岩の集落跡が出てくる。廃墟と化した、おみやげ物屋や、誰もいない荒れ果てた住居が続く。

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左:鳥首峠 右:雨が降ってきたウノタワ。ツツジの写真を撮っていると、山の神が先行した

沢を2,3度渡り、高度をかせいでいく。いっこうに止まない雨に、しかたなくゴアテックスの雨具を装着。さあ、この先どうしようかと山の神に問う。とりあえず鳥首峠で考えようかとなる。山の神の足踏みもあって、白岩渓流園から1時間25分かかって峠にたどり着いた。腰を下ろしてお茶を飲む視線の先には、晴れ間が見える。やはり続行だな。

登高を続けると、ブナやミズナラの巨木、すらりと伸びたカラマツ、低木のアセビが登山道の脇でにぎやかに春を演出している。ところが、いつのまにか真っ白いガスが秩父側から這い上がってきた。鳥首峠からしばらく止んでいた雨だったが、ウノタワで、また雨粒が落ち始めた。

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左:つかの間の青空 右:大持山山頂

ウノタワからは、ここ連日の雨ですべりやすくなった急坂を上る。そのうちまた雨はあがる。樹間に横倉山の指示標が現れるも、そのまま通過。すぐに妻坂峠への分岐が出てくる。そこで今日初めて会う登山者。この天候だと誰にも会わないかと思っていた。その夫婦らしき2人組は妻坂峠へ下っていった。

大持山には10:56到着した。遠雷がしていて、土砂降りになるのかと嫌な予感が頭をもたげてくる。早く食べて、早く下ろうと、おにぎりを食べ始めた。誰も山頂にはいないし、誰も来ない。

早々にお昼を済ませ、11:15下山開始。ピストンだ。途中で年配者2人組、しばらくしてから3人組とすれ違う。最後に会った3人組は、小持山のアカヤシオが目的のようで、小持山は行きましたかと訊かれた。最初の予定では行くつもりだったのだが、だいぶ予定より時間が遅れてしまったし、天候も悪いので今回は大持山で終了とした。

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左:ウノタワで咲いていたつつじ 中:ヒトリシズカ 右:TURNIPのケーキ、モンブラン(左)とシフォンケーキ(右)

下山時は、花を愛でる余裕も若干出てきて、ヒトリシズカを見つけた。ヘンなアングルで撮ったからそう見えないだろうけど。

13:20白岩渓流園の駐車場に着いた。また雨が落ちてきていたのだが、キャンプ場では、そんな雨をよそにキャンパーでにぎわっていた。こんな雨の日にキャンプとは(!?)と山の神と私は、キャンパーをせせら笑っていたのだが、こんな天気なのに山に登っているわれわれはどうなんだ?

帰途はカフェに立ち寄った。以前武川岳の帰りに見つけたお店で、TURNIP。駐車場は3台で満車だったが、第2駐車場があった。店内に入ると、小さいお子さん連れの若者グループと外のテラスにペットを連れた夫婦がいた。さっそくケーキセットを頼んでゆっくりとくつろぐ。山の神はシフォンケーキ、私はモンブラン。前回食べたシフォンケーキがやはりおいしいような気がする。独断と偏見で、ケーキセットのベストチョイスは、シフォンケーキとハーブティーとしておこうか。

参考
武川岳
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20110115

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