目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

ナショジオに「アメリカの3大トレイル」紹介記事

2021-01-31 | マガジン

 『ナショナル ジオグラフィック日本版』2020年10月号

最近の仕事の忙しさから、だいぶ遅れて読んでいるナショジオ。いま読んでいるのはまだ昨年の10月号だ。この号の記事でアメリカの3大トレイルをとり上げたものがあったので簡単に紹介しよう。

最もよく知られているのは、やはりソローの『森の生活』で有名になったアパラチアン・トレイルだろう。私は常々行きたいと思っていたのだが、お金と暇がなく、行きたかったことすら忘れていた。

最近はコロナのせいで、どんなに行きたくても可能性がゼロと来ているから、あきらめもつくというものだ。

まず3大トレイルをごく簡単に紹介しよう。

  • パシフィック・クレスト国立景観トレイル(PCT)4,265Km
  • コンチネンタル・ディバイド国立景観トレイル(CDT)4,990Km
  • アパラチアン国立景観トレイル(AT)3,525Km

PCTは西海岸、ワシントン、オレゴン、カリフォルニア州にまたがるシエラネバダ山脈を南北に縦断するトレイルで、見所はやはりヨセミテの壁だろう。

CDTはモンタナ、ワイオミング、コロラド、ニューメキシコを縦断するトレイルで、3大トレイルのうち最も長い。イエローストーン国立公園を抜けていく。

ATは東海岸のメーンからジョージア州までのたおやかなアパラチア山脈を貫くトレイルで人気が高い。

いずれも容易には完歩できない長さなのだが、この3大トレイルを端から端まですべて歩いたという人が全米で400人超いるというから驚きだ。これだけの距離を歩きとおすと、おのずと自然の偉大さや神について考えることになるらしい。筆者のニコラス・クリストフ(ピュリッツアー賞受賞者)は、トレイルは大自然の中の大聖堂だと喝破し、17世紀オランダの哲学者スピノザの言葉を引く。「神とは自然とその法則だ」。自分をはるかに凌駕する存在を目の前にして、畏怖の念を抱き、謙虚さを思い出すのだそうだ。

これらのトレイルは歩きやすいように整備されていはいるものの、ガラガラヘビやサソリがいるので注意が必要だ。大自然とはそういうものなのだ。

 
 
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新春を寿ぐ房総の山、高宕山・石射太郎

2021-01-17 | 山行~三浦・房総

高宕山 標高 330m 石射太郎(いしいたろう) 240m 千葉県

2021年1月3日(日) 晴れときどき曇り |

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:45高宕第一トンネル手前駐車場8:56--9:18石射太郎ベンチ--10:08高宕観音10:14--10:28高宕山10:33--11:30浅間分岐ベンチ(昼食)12:08--12:33駐車場

コロナ禍で帰省を控えたこの年末年始、どこにも行かないのは癪に障る。家で飲んで食ってゴロゴロしていては太るだけだと、お山に行こうとなった。久々に房総の山はどうだろうかと山の神に提案すると即座に賛成。

これまた久々に分県登山ガイド『千葉県の山』をひもとき、高宕山を目指すことにした。当初は奥畑バス停のところにある駐車場に車を置き、八良塚コースから大滝、高宕山をめぐる周回コースをたどろうと思ったのだが、ネットで調べてみると、一昨年の台風で登山道が破壊され八良塚コースは通行不可。さらに奥畑バス停の駐車場は私有地で車は停められないことが判明した。

ということで計画を変更し、コースタイムが3時間半で物足りないかもしれないが、石射太郎と高宕山ピストンに狙いを定めた。


左:高宕第一トンネル手前の駐車場 右:通行止めの高宕第一トンネル

5:40山の神とともに自宅を出発。行きは気分を変えていきなり高速には上がらず、節約も兼ねて下の道を進んだ。それはよかったのだが、失敗したのはカーナビの目的地に首都高のランプではなく、川崎大師と入れたことだ。あきらかに遠まわりの道を経めぐってしまった。その後無事に高速にあがり、海ほたるで朝食にしようと駐車場に滑り込むまではよかったのだが、なんと停めるスペースが皆無だった。わが身を顧みれば人のことをとやかくいえないが、自粛しない人がこれだけ多いのだ。駐車場を2周してあきらめて、メシはどこで食べようかとなった。

試しに対岸の千葉県に入ったらすぐにインターから下りてみようか。コンビニがあるかもしれない。さっそく木更津金田インターから下りてみると、うまいことに目の前にミニストップがあった。そこに入ってホットコーヒーを購入し、車に戻って朝食にした。その後しばらく移動してセブンイレブンで昼食の買い出しとトイレを済ませ、予定より10分遅れで高宕第一トンネル手前の駐車場に到着した。すでにジモティの車で満車状態で、反対側の路肩に駐車する車があった。われわれはUターンして、手前の路肩に車を置くことにした。


左:登山口 右:登山口から上がってすぐのお地蔵様群

8:56山の神と駐車場を後にする。高宕トンネル手前の右手に登山口があって、関東ふれあいの道、八良塚コース、大滝コースなどが通行止めであると注意が出ている。それとは別に天然記念物高宕山のニホンザル生息地との掲示も出ていた。

登山口から登ってすぐのところにお地蔵様群が安置されていて、それぞれにミカンのお供えがあった。いまのところお供えは無事だけれど、サルに食われてしまうんじゃないかと山の神と笑いながら通過する。


左:石切り場の跡 右:石射太郎のニホンスイセン

そこから間もなくして、この辺りは石切り場で栄えたらしく、石を切り出した跡が出てくる。岩肌に人工的な削り跡がなまなましく残っていて、先日行った大谷石の採石場を思い出した。

9:18石射太郎のちょっとした休憩場所に出る。地元の有志が植えたのだろうか、ニホンスイセンが規則正しく並んでいる。ほんの一部が花を咲かせていて、新春を感じさせる。


左:奥に石射太郎の岩峰 右:ニホンザルの旧餌付け小屋

先着は年配のパーティで、楽し気に話し込んでいた。またここにはニホンザルの旧餌付け小屋があり、中を覗くと廃墟ではなく、いまは別の用途に使われているようだ。


石射太郎から富士山と東京湾を望む

餌付け小屋から少し登ると、東京湾の先に富士山が顔を出していた。房総ならではの景色で新鮮だ。

冬枯れの道を進む

石射太郎を過ぎると、歩きやすいハイキングロードといった趣になる。ハイカー、登山者も格段に増えてきた。


高宕観音の石段。狛犬の先には仁王様?

やがて今回の山行で高宕山山頂と同じくらい楽しみにしていた高宕観音の入口に着いた。古めかしい階段が奥へ奥へと伸びている。

さらに階段が続く

息を切らしながら、延々と続く階段を上がっていくと、建物が見えてくる。


岩にめり込んだように建てられている高宕観音

10:08階段を登り切ったところにそれはあった。まるで絶壁の岩にめり込んだようにお堂が建てられていた。


左:お堂の裏手には胎内くぐりのように真っ暗な空間があった。右:お堂内の観音様はご開帳

お堂の奥には、長野の善光寺のような胎内くぐりのような真っ暗な通路があって、山の神と思わず探検してしまった。写真では、自動でフラッシュがたかれて明るいけれども、実際には真っ暗だった。

その通路を出るとお堂の反対側に出る。正面に回ってお堂の内部にずかずかと入り、開帳されている観音様にお参りする。事実上の初詣になった。

高宕観音から高宕山への道。手掘り?

高宕観音から高宕山への道は手掘りと思われるトンネルを抜けていくことになる。階段も人力で刻んだようだ。


左:高宕山山頂へのはしご 右:高宕山山頂の標柱

あっという間に高宕山山頂付近に出るが、山頂はどこなんだろうと思っているとはしごが登場する。10:28岩峰の先端の狭い山頂に到達した。


左:山頂の祠と手水(?) 右:東京湾を遠望する

山頂には細長い山名表示をした角材が立てられていて、その手前には祠がある。祠にお参りをして立ち上がり、周囲を見渡すと、なかなかの眺めで開放感は抜群。ただなにせ狭いので、休憩する気分にはならない。

さっさと移動して、適当なところで昼ごはんにしようと山の神と早々に山頂を辞した。


眼下に高宕観音の赤い屋根が点になって見える

元来た道をたどりながら、時折振り返ると、ついさっきまでいた高宕山が見えていた(写真下)。


振り返ると先ほど登った高宕山が

11:30ベンチが置かれた浅間分岐で昼ごはんにした。誰もおらず、山の神と貸し切りとなった風景を堪能しながら、腹を満たした。12:08駐車場に向けて出発。

こんな時間でもまだ登ってくる人はいて、何組かのパーティとすれ違う。距離が短く簡単に登れるからハイキングにうってつけなのだろう。12:33予定より1時間も早く駐車場に戻った。帰路、海ほたるは最初から無視を決め込み通過、渋滞に巻き込まれることなく、わが町に14:40に到着した。

 

 
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七福神詣では三鷹春清寺へ

2021-01-11 | 七福神めぐり

春清寺(しゅんせいじ)の七福神 東京都

2021年1月4日(月) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 11:30 自宅--12:15 春清寺 12:35--13:00仙川駅前

年明け恒例の行事、七福神巡りはどうしようか。行かなくていいんじゃないといとも簡単に山の神は即答した。2003年から始めた七福神巡りをコロナごときで、途切れさせたくはない。

1か所でコトが済むお寺がたしかあったはずと、検索してみると近場でいくつか出てきた。家から歩いて行けるところにもある。ならば、そこにして、帰りはバスか電車で家に帰ろうということで、三鷹の大原山春清寺(曹洞宗)にターゲットを決めた。


春清寺門。大原山と掲げられている

当日は11:30頃いそいそと山の神とともに自宅を後にした。Googleマップに目的地をいれ経路を示す。経路からそれれば、一目瞭然でわかるから便利だ。住宅街や中央道沿いの道を進み三鷹に入る。

最近は30分くらい舗装路を歩くと、足がしびれる症状が出て難儀しているが、この日もその症状がでた。不思議なことに重いものをもっているときや山登りのときはこの症状は現れない。寄り道してマンションの公園ベンチに座って休憩し、そののち寺までの10分ほどを足早に進んだ。

前日にストリートビューで景色をチェックしていたので、なんなく寺の入口は見つけられた。

朱塗りの門を入って左手に目指す七福神は安置されていた。まったく掃除していないようで、砂や埃をかぶったままでちょっとかわいそうなたたずまい。


左から、大黒さん、福禄寿、布袋さん

一体一体ご尊顔を拝しながら、お参りしていく。岩の中に閉じ込められた七福神たち。やがて現世に全身を現すのだろう(笑)。


なぜかピンボケになってしまった恵比寿さん

それにしても境内にだれもいないのはなぜなのだろう。それなりに参拝客がいるだろうから三密は避けなければと思っていたのだが、拍子抜けだ。山の神と私がいる間、人っ子一人いなかった。


左から弁天さん、毘沙門天

でも貸し切りは悪くない。今年も大過なく過ごせるようにと念じつつ、境内の多摩大仏やお地蔵様たちにも礼を尽くし寺を出た。


これまたピンボケになってしまった寿老人

寺を出て、都道をてくてくと京王線の仙川駅まで歩き、駅からほど近い星乃珈琲仙川店に入店。名物のスフレドリアを食べて、大満足の1日だった。

関連記事:当ブログ七福神

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早稲田探検部だった2人が語るマイウエイ『地図のない場所で眠りたい』

2021-01-01 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『地図のない場所で眠りたい』高野秀行・角幡唯介(講談社文庫)

著者の2人は、早稲田大学探検部出身。船戸与一氏や西木正明氏などつわものたちが集ったことでも有名で、またマスコミ界に人材を輩出(?)もしている。そんな共通項である探検部ネタから対談は始まっていく。

そういえば、私は学生時代(80年代終わりころ)に大阪南港から鑑真号で上海に行ったことがあるが、上海で行動を共にした2人のうち一人が早稲田探検部といっていたっけ。お互い連絡先を交換して、日本に戻ってしばらくしてから彼の自宅に電話をしたところ、お父さんが電話口に出て、息子は海外に行ってますといわれたのを思い出した。この本のなかに出てくる高野さんの証言によれば、当時探検部のなかでチベットが人気だったから、そこへ行ったのかもしれない(余談でした)。

この本を手に取った最大の理由は、高野秀行さんは名前はよく聞くけれども、著書を読んだこともないし、なんの探検をしているのかまったく知らなかったことにある。もうひとつ理由があって、角幡さんとの対談だから、当然探検論はあるだろうし、私の知らない面白いエピソードがあるのではないかと踏んだからだ。

期待どおりの面白さであったことをまずお伝えしておく。面白いエピソードは本を読んでいただくとして、この本でもっとも印象的だったのは、それぞれの探検への姿勢や、探検行を本にまとめる姿勢がまったく異なることだった。

高野さんのあとがきにそれが一言でまとめられていて、たしかにそうだとひざを打ってしまった。高野さんは未知なる場所や謎のモノが好きで、それを確かめに周到な準備をして調べにいくスタイル。簡単にいってしまえば、面白ネタを解明しに行くことを探検の基本としている。最初の探検は、アフリカのコンゴまで行って、まるで川口探検隊のように、いもしない幻の獣を探している(『幻獣ムベンベを追え』)。その後黄金の三角地帯でアヘンを栽培してみた『アヘン王国潜入記』や、内戦でやばい国に住んでみた『謎の独立国家ソマリランド』など、だれも知らないことを体験して恐るべき本を書いている。

一方で角幡さんは、チベット・ツァンポーや北極など命がけの冒険、探検を行い、それが自分にとっていかなるものかを命題とし、自分の内面に深く入っていこうとする。ただ命がけの割には、準備が雑でねえのかと高野さんはのたまっている。

いちばん笑えたのは、以下のくだり。ちょっと長くなるが、そのまま載せてしまおう。

 姿勢の差は文章にも如実にあらわれる。内面を深く掘り下げていく角幡の文章はきわめて文学的だ。それに対し、私のほうは掘り下げるほどの内面がないため、話はすぐにそこからあふれて笑いの淵に流れていく。どちらが読者の間で評価されるか、言うまでもない。
 極めつけはルックスである。角幡のほうが若くて、男前で、がたいもいい。一緒に並んだ写真を見ると、どうしても毎回俺はこいつの引き立て役にならなきゃいけないんだと思わずにいられない。

これを機に高野秀行さんの本を読んでみようか。

 
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