目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

ロケ地で有名な大谷資料館から南会津へ

2020-09-27 | まち歩き

2020年9月20日(日)雨のち曇り  

メンバー 山の神と私

天気は思うようにゆかぬもの。今回は南会津の山2座を登ろうと計画していたが、初日は雨のため観光してからキャンプ場に向かうことにした。行く先は、大谷石で有名な大谷。宇都宮ICからほど近く交通の便はいい。採掘場の跡地が資料館として公開されており、山の神がそれを見つけて、そのうち行こうかと長らく温めていた場所だった。ドラマや映画の撮影、イベントなどがこのスペースを使って行われている。ちょっとした異空間であり、非日常を演出するにはうってつけの場所なのだ。


大谷資料館入口近辺

渋滞は勘弁と5:00頃自宅を出て東北道へ。早めに出たのは正解で、予想以上の交通量だった。佐野SAで朝食をとり、大谷PAで時間をつぶし、最初の目的地である大谷資料館へ向かった。開館時間10分前8:50頃に資料館の無料駐車場に到着した。すでに10台以上の車が停まっていて、観光客が資料館に向けて歩きだしていた。

受付にはずらりと長蛇の列ができていた。ここで開館までの数分を待つ。9:00になって入場が始まり、1列になって狭い通路を下っていくと、広い空間が現れる。大谷石の採石場跡地だ。

展示されていたオブジェ

構内には假屋崎省吾さんの生け花イベントで展示されたというツンツンと突き出すように幾本もの棒が設置されたオブジェや、足を前方に投げ出した人を象ったもの、柱状のオブジェなどがライトアップされていた。


2点とも:大谷石採掘後の空間。色付きのライトが妖しさを醸し出している

イベントに使う場所は基本非公開のようで、立入禁止になっていた。唯一結婚式ができる教会は、非公開ながら、そこを見下ろせる場所があった。

「るろうに剣心」のロケに使われた場所を見ることもできた。天井の隅にぽっかり穴があいていて、外光が入ってくるところがあり、「るろう」の格闘シーンが即座にまざまざと思い浮かんだ。


左:大谷寺 右:大谷寺のパンフレット。右上に撮影禁止の石仏群

資料館を出ると、雨が降り始めていた。山の神は横着して傘を持ってこなかったので、2人で小さなビニール傘に入り、駐車場に戻った。駐車場は驚くことに満車に近い状態になっている。やはり人出は多いようだ。車から傘を1本取り出して、次に大谷寺に向かう。

大谷寺には、平安時代に作られた石仏群があり、これが圧巻。撮影禁止なのでパンフの写真を載せたが、千手観音は、かのバーミヤンの石仏と共通点が見られるとのことで、アフガニスタンの僧侶が彫ったのではないかと推測されている。完成当時は、漆が塗られその上に金箔が貼られていたというから、絢爛豪華で参拝者も驚きに目をみはったことだろう。日本がシルクロードの東の端だということを改めて実感させられた。

大谷寺から歩いて数分、平和観音

大谷寺の後に平和観音を訪れる。場所がわからず、かなりの遠まわりをしてしまった。お姿は見えるけれど、入口はどこだと山の神と車道を歩いていると、市営駐車場が出てきて、その先に参道があった。参拝後にわかったが、なんと大谷寺の入口からすぐのところだった。大谷寺前の土産物屋に立ち寄っていれば、おそらく平和観音に通じている道に気づいたはずだ。

平和観音は高さ88尺8寸8分で限りなく末広がりで幸運を呼ぶ高さになっている。メートル法でいえば、27メートルだ。戦没者供養と世界平和を祈って、昭和29年に完成を見、昭和31年に開眼供養がなされ、今日に至っている。柔和なお顔がすべてを包み込んでくれるようだ。


左:見通りオートキャンプ場 右:会津のそば焼酎「かおり」、道の駅で買った食用ほおずき

参拝後、昼ごはんにはまだ早いので、南会津へ移動中に食べることにし大谷を出発した。日光街道で若干の渋滞があったものの、あとは順調に進み、鬼怒川温泉辺りのそばやで山の神とともにきのこそばを食した。可もなく不可もなく。その後道の駅湯西川道の駅たじまで休憩、本日のお泊り場、見通りオートキャンプ場には15:00過ぎに到着した。すでにテントやターフを張っている人がほとんどで、選択肢の少ない空いているスペースに山の神とテントを張った。

その後日帰り温泉施設「燧の湯」(キャンプ場宿泊者は400円、通常は600円)でひと風呂浴び、テント場に戻ってビールで乾杯。会津のコンビニで買ったそば焼酎「かおり」も開け、アスパラベーコンやウィンナー、とまとサバ缶でつくったリゾットも食べて大満足。デザートは道の駅で買った食用のほおずきをつるりと食した。「甘いよ」と書かれていたが、まさにそのとおりで、ほんのりの甘さがしつこくなくとっても美味だった。ちょっと食べすぎ、飲みすぎだといいながら、片付けてシュラフに入ると、いつの間にか寝落ちしていた。

三岩岳登山へつづく

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「エベレスト」特集、ナショジオ2020年7月号

2020-09-22 | このブログについて

『ナショナル ジオグラフィック』2020年7月号
 
エベレストにまつわるレポートを集めたナショジオの特集。私が最も注目したのは、トップバッターに据えられていた「エベレスト 幻の初登頂」だったのだが、、、
 
ジョージ・マロリーとサンディ・アービンがおよそ100年前、現代から見れば貧相な装備でエベレスト山頂を目指した。彼らは遭難し、生きて帰らなかったが、実際には登頂した後に遭難したのかもしれないと夢を語る人がいる。果たして真相はどうなのか。ついにこの追及に終止符が打たれるのか。真相がわからずとも、さらなる手掛かりが見つかったのか。
 
今回のナショジオの遠征では、アービンらしき遺体の目撃情報からアービンの遺体探しを試みるのだが、シェルパたちに今回の登山の目的がきちんと伝わっておらず、正規ルートを外れるリスクを負いたくないと協力を得られないことになった。シェルパたちにとって死のリスクを負うことになるのだから当然だ。結果はいわずと知れた何の成果もない失敗に終わる。なあんだと失望の嵐で、読む気がしなくなったのだが、後半の記事が面白かったのには救われた。
 
気候変動で氷河が後退し、また降雪量も減って、農作業の時期の水不足が深刻になった頃、氷の仏塔をつくるというアイデアを思い付いた僧侶がインドのラダックにいた。円錐形の氷は解けにくいのだ。冬場に水を凍らせて巨大な仏塔をつくる。それが夏場に必要不可欠な貴重な水になるのだ。仏の力を借りた巨大アートがそこに暮らす人々に恵みの水をもたらすというのは、すばらしい。
 
ヒマラヤの渓谷に棲むユキヒョウの話も興味深かった。いまだにユキヒョウの生態はよくわかっていないそうだが、地元の人にはよく知られた老いた雄のユキヒョウを追跡し、その生態が一部明らかになった。
 
この特集の掉尾を飾ったのは、「世界一高い気象観測所」。もちろんエベレストの話だ。2019年に34人の科学者チームがエベレスト遠征を敢行、氷と雪のサンプルを採取し、さらには標高8430メートルの地点に気象観測所を設けた。彼らの調査からクーンブ氷河の1/4が失われたことが判明した(1962年起点)。それにしてもエベレストに遠征した気象学者の熱意には恐れ入る。
 
 
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祝!ブログ開設10周年

2020-09-12 | このブログについて


北岳肩の小屋テント場から日の出を拝む。1998年9月12日

先日このブログのカテゴリーメニュー「このブログについて」を見て気づいた。今年で「目指せ!標高1122メートル」を始めて10年になるじゃないか!

スタートは2010年7月12日「祖母山」。「祖母山」の記事は写真6点で文章も短い。いま見ると非常にシンプルな記事だ。当初はどういうスタイルにするのがいいのだろうと試行錯誤だったように思う。

あるとき、ときどきこのサイトを訪れている人に山の神がほとんど登場してないねえと指摘され、そうかもと。山行の記録を重視し、たんたんと書いていくと自然とそうなってしまっていた。それだとまるでソロで登っているようで、なんの感情の表現もなく無機質でつまらない。ブログタイトルに「1122」と入れた意味がない。それからというもの、意識して山の神と交わした会話や山の神がどうしていたかを入れてみることにした。

ほかに影響を受けたのは、ヤマレコ。ヤマレコに山行記録をアップしている皆さんは、撮ったほとんどの写真か全部をアップしているようで、掲載点数がやたらと多い。多ければ多いほどコース状態がわかるし、その場その場の風景も楽しめる。このブログでは写真をセレクトして絞りまくっていたのだけれど(山によってはあまり写真を撮っていなかったこともあるが)、最近は少し多めに入れることにし、写真のサイズも大きくした。

2017年には渡辺ペコさんが『1122(いいふうふ)』というコミック第1巻目を上梓した。それから3年を経て先ごろ最終巻7巻目が出て完結したようで、検索から間違ってこのサイトを訪れる人が増えた。大半の人は直帰したのだろうが、間違いついでに読んでくれた人もいたのではないかと思う。ちなみにトップページのPVがここのところ普段より多く1日で500件を超えた日もある。

PVが出たところで、gooへ引っ越してからの数字を挙げておこう。
616,437PV(2014年11月~2020年9月11日) ブログスタートの2010年からのトータルは約66万PV。
262,414UU(同上)
記事本数は 756本(この記事を含む。うち5本は今勤めている会社がらみなので現在非公開)

こんなに見にきてくれたのかと思うと、ちょっと驚きであるとともに10年の歳月をしみじみと感じる。皆さまには感謝の一言に尽きる。

一時期は毎週のように行っていた山も最近は月1くらいのペースに落ちている。今のところそれ以上に間遠になることはないだろうから、これからもぼちぼち山の神と行く山行記録をアップします! そのためにも早くコロナのワクチンができて、マスクなしの元どおりの生活に戻りたいものですねえ。

 
 
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北八ツにゅう・中山・丸山

2020-09-07 | 山行~八ヶ岳とその周辺

にゅう 標高 2352m 中山 2496m 丸山 2330m 長野県

2020年8月15日(土)晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:10白駒の池有料駐車場8:28--急登斜面休憩(10)--10:10にゅう10:15--11:08にゅう分岐11:16--中山--11:33中山展望台(昼食)12:06--13:00高見石小屋13:17--13:36丸山13:46--14:50駐車場

前泊は海の口温泉湯元ホテル和泉館。登山者歓迎の旅館で朝食は6:00でも可だったが、早すぎるのも迷惑かと思い6:30からと指定した。やはり山の神と私が朝食一番乗り。ごはんをお代わりして朝食をかき込んでいると、お土産をどうぞといわれ、カリフラワーや葉物の野菜をいただいた。虫に食われている葉もあったから無農薬栽培なのだろう。ありがたやと押し頂き、頼んでおいたおにぎり弁当をもって7:20チェックアウト。一路白駒の池有料駐車場を目指した。

メルヘン街道に入ると、前方に1台、後方から1台ついてくる。もしかして目的地は同じかと思っていると、まさにそのとおりで白駒の池有料駐車場(600円)に入った。この3台が駐車して残りスペースは3台となった。その後も続々と車がやってきて、あっという間に満車。すんでの差で停められなかった残念な方々が警備員の誘導で、茅野方向へ向かう車線に一列に並ぶことになった。間一髪だったなあ、出発が5分遅れていたら、そこで待つことになったろうよと山の神に。


左:入山者の多さを物語る立派な木道 右:青苔荘・白駒荘分岐

有料トイレ(50円)に入って、8:28登山道に入る。昨日同様立派な木道を歩き、青苔荘・白駒荘の分岐から青苔荘へ向けて左手に入っていく。2002年に来たときは、こんな歩きやすい道ではなかったと記憶しているが、今やきれいに整備されていて登山靴でなくても、手軽に歩ける道になっている。


左:白駒池をめぐる木道 右:白駒池の先に茶臼山

青苔荘を通過すると、隣接するテント場には、18年前に山の神と私がしたようにテントを張り始めようというカップルがいた。きっと張りっぱにしてにゅう、中山を歩くパターンなのだろう。

そこから白駒池を周回できるように巡らせた木道を歩いていくと、観光の家族連れもいて楽しそうに散策していた。


左:乾燥気味の白駒湿原 右:にゅうへの急登

ハイカーたちから離れてにゅうへ向かうと、すぐに白駒湿原が現れた。少し乾燥気味なのは、降雨量が少ないからだろう。冒頭に掲げた写真の苔も水気が少ない感じだった。

にゅうへの上りは、地図でみると嫌になるほど等高線が詰まっており、休まずに一気に登るのはたいへんだ。そんなことにはお構いなく山の神は快調に登っていったが、途中で休憩を要求し、一時休止とした。


左:にゅう三角点 右:にゅう山頂から天狗岳を望む

10:10にゅうの岩峰に到着した。見晴らしは最高だが、人が多すぎて残念な感じ。そこには無謀にも赤ちゃんを連れてきている人もいた。しかもだっこしていたから、バランスを崩したら、たいへんな事故につながりかねない。明らかに登山者ではなく、なんとなく登ってきてしまったように見えた。困ったものだ。


にゅう山頂から北八ツの森、白駒池、そして茶臼山


遠くに富士山のシルエット

人の多さには閉口。さらには奇声を発している女子などもいて不快指数はうなぎのぼり。早く離れようと山の神を急かした。

少し歩いたところで振り返ると、ちょうどにゅうの岩峰を一望できる格好の休憩場所があった。ところが腰を下ろした瞬間に、ぶ~んという羽音。どんどん音が大きくなりこちらに近づいてくる。スズメバチかもとすぐに立ち上がり、山の神と撤退した。近くに巣があったのかもしれない。


左:にゅうの岩峰を振り返る 右:針葉樹林帯の中を抜ける

その後も多くの登山者とすれ違い、さすがにお盆だと改めて実感。11:08分岐に着いて、やれやれと腰を下ろして休憩した。その間も続々と目の前を登山者が通過していった。


開けていて気持ちのいい場所、中山展望台

分岐を後にすると、あっという間に中山展望台に到着(11:33)。開けた場所でとても気持ちがいい。ここで昼食にすることにし、宿で渡されたおにぎり弁当の包みを解いた。佃煮やおしんこ、梅や鮭のおにぎりをほおばる。多すぎず、少なすぎずでちょうどいい量でおいしかった。


中山展望台から蓼科山を望む

見晴らしがいいとつい長居してしまうのだが、しだいに登山者が増えてきて、人との距離が短くなってくると落ち着かなくなってくる。山の神がそわそわしている。さあ、行こうかと腰を上げる。

歩き始めてすぐに腕がひりひりして立ち止まった。見ると腕が赤く日焼けしていた。ちょっと日焼け止め塗るわと山の神に声をかけると、私もという。汗だくでいつのまにか腕に塗った日焼け止めは流れ落ちたようだった。


左:石ごろごろの歩きにくい下山路 右:高見石小屋を後にして丸山へ

下降に入ると、北八ツ特有の石がごろごろした道がまた出てきた。しばらく歩いていると足の裏がジンジンしてくる。

13:00だいぶ疲労が蓄積したころ、高見石小屋に到着した。高見石小屋といえば、目を三角にして怒っていた神経質そうな小屋の従業員を思い出す。冬季に泊まったときに、小屋内に雪を入れるな、外でよく払ってから入ってくださいと執拗に言われたのだった。ほとんど雪を落としたつもりの山の神と私は、心外なことをいうなとかなりイラっとしたから、鮮明にその時のことを思い出してしまうのだった。もうそのときの従業員はいないようだが、、、


左:丸山山頂へ最後のひと登り 右:丸山山頂

高見石小屋前の広場で休憩し、13:17本日最後の1座丸山に向けて出発した。親子連れと単独の方が下ってくると、山はひっそりとし、山頂への直登コースを上がるとだれもいなかった。

展望もほとんどないので、そのまま下山態勢に入る。


中山方面が少し開けている丸山山頂

下山は予想外にヨレていて、かなり時間を要した。駐車場近くまで下りると、白駒池を散策したのであろう大勢のハイカーがいてにぎわっていた。

14:50ようやく駐車場に到着し安堵。でも安堵もつかの間で帰りは地獄が待っていた。往路と同じ南諏訪ICから中央道に上がったが、すでに渋滞が始まっていた。久々のべたべたの渋滞につかまり、駐車場状態と化した低速道で忍耐力を試されることになった。

帰宅は20:15。そのまま近所の焼き鳥屋へ直行し、生ビールをあおって至福の時を迎える。しかし騒いでいる2家族と声のでかい兄さん2人組が店内にいるのに気づいた山の神は、この店の換気はだいじょうぶなのかときょろきょろし終始不機嫌だった。

北八ツ茶臼山・縞枯山へ戻る

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