目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

想像を絶するハードな探検『極夜行』

2018-06-16 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『極夜行』角幡唯介(文藝春秋)

「明けない夜はない」なんて、よく悩み疲れた人に慰めの言葉をかけるけれども、この探検は来る日も来る日も夜が明けない、恐ろしいものだ。ではなぜ角幡さんは、こんな探検を思いついたのだろう。

この本の冒頭で、そもそも現代において探検とはなんだと彼は投げかけている。地理的な探検は、もう終わった。地球上に未知なる場所はもうないと続ける。未踏峰はあるけれども、たんにルートが開拓されていないだけで、それに登ることにいかほどの意味があるのかと。たしかに記録が残されていないだけで、すでに誰かに登られているかもしれないし、それほど困難なく登れるけれども、ただ誰にも見向かれずに放置されているだけかもしれない。となれば、そこに行くことの価値は低いといわざるをえない。

そこで角幡さんが見つけた、新たな未知なる世界=探検の舞台、それが極夜だ。北極圏に入れば、冬は太陽が昇らず、何ヵ月もの間、闇に閉ざされる。光といえば、星と月以外にない。月が昇らなければ、星灯かりだけになり、さらに雲が空を覆えば、漆黒の闇に包まれる。想像するだに身震いする世界だ。

私はすぐにナイトウォークを思い出していたが、ナイトウォークは、何時間か経てば、明るくなってくる。しかし太陽が地平線より上に出てこない極夜の世界はまったく違う。気温は零下30度や40度になるし、視界は常に限定される。おまけにブリザードが1週間も吹き荒れることもあるというのだから、人間の住む環境ではない。

彼は、この冒険を遂行するために、天測を学び、装備をそろえ、食糧のデポをしと準備に余念がなかった。しかし、そんな準備はことごとく自然の猛威のなかで破壊されていく。だからこそ探検だともいえるのだ。

探検中は、驚くほど次から次へと難題に見舞われる。そのたび考え、迷い、決断し、実行していく。その思考の過程で、人間の弱さや人間の根源的ななにかを著しているのがこの本の醍醐味だ。まるで哲学者のようなそんな思索に触れることは、私たちの今後の生き方の参考にもなる。

最後にひと言。装丁の地味さに、内容も地味なのではと思っているあなた(私もそう思っていたが)、全然そんなことはない。角幡ワールドにどっぷり浸かって迷い込んでしまえば、共感したり、困惑したり、ワクワクしたり、ハラハラしたり、笑ったり、安堵したりと、こんなに人間の感情は多様だったかと、思い知らされることになる。

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極夜行
角幡 唯介
文藝春秋
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NHK BS「小野田さんと、雪男を探した男~鈴木紀夫の冒険と死~」

2018-06-10 | テレビ・映画

だいぶ前に番組告知があって、いつやるんだろうと思っていたら、いつの間にか放送していて見逃していた番組、NHK BSプレミアム「小野田さんと、雪男を探した男~鈴木紀夫の冒険と死~」。再放送するのをたまたま見つけて録画した。どんなとり上げ方をしたのだろうかと興味津々でみた。

再現ドラマと関係者へのインタビューで綴られた番組で、小野田元少尉がフィリピン・ルバング島から帰国した70年代の時代状況、時代の空気を表現することに腐心するとともに、家族や友人を出演させることで、鈴木紀夫という男の人柄や生き様を浮き彫りにしていた。誰からも愛され、また家族を愛し大切にしたナイスガイぶりと、夢見る少年がそのまま大人になったような型破りぶりがよく描かれていたと思う。

再現ドラマでは、大河ドラマ「西郷どん」で島津久光役をこなす青木崇高さんが鈴木紀夫役を好演していた。小野田さん役は、映画監督でもある塚本晋也さん。もうちょっと強面で精悍な顔立ちの役者でもよかったのではと思ったが、どうだろう。

この番組制作のきっかけは、おそらく角幡唯介氏の『雪男は向こうからやってきた』だろう。番組制作者同様(たぶん)私も小野田さんの帰国はリアルタイム(小学生だった)で見ていたけれども、当時24歳だった鈴木紀夫さんの存在はまったく記憶になかった。この本に登場していて、初めてその存在を知ったのだ。

番組は2部構成で、「小野田さん編」と「雪男編」になっていたが、じつは彼の2つの行動に通底するのは、小野田さんに会う前、大学生の身分をなげうって敢行した3年9ヵ月にも及ぶ世界放浪の旅のあり方にあるのではと思った。番組では、小野田さん探しのときと、雪男探しのときをオーバーラップさせていたけれども、そんなにシンプルなのか。3部構成にしてこそ、鈴木さんの生き方が見えてくるというものだ。

鈴木さんの世界放浪の旅は、いまの時代では考えられないやりかたをしていた。とりあえず有り金すべてをもって香港へ旅立っている。十分な旅費を所持していないから、滞在国で働いて稼いだり、血を売ってその場をしのいだりしている。移動はヒッチハイク。当然ながら危ない目に何度も遭遇している。そんなバイタリティあふれ、楽天的な彼だからこそ、小野田さんを探したり、雪男を探したりという破天荒な生き方につながったのではないか。

この21世紀にこんな人ははたしているのだろうか。いるのなら、ぜひとも会ってみたいものだ。

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慢性痛の治し方、「ガッテン」を見て納得。

2018-06-04 | 山雑記

 ひところほどではないにしろ、私はいまだに腰痛に苦しめられている。なかなか完治しないのは、どうやら側坐核という脳の部位のはたらきが低下しているらしい。

5月9日(水)放送のNHK「ガッテン」で慢性痛をとり上げていて、そんな聞きなれない脳の部位を解説していた。

番組名:「痛みを“脳”で克服! “慢性痛”治療革命」

前にこのブログでもとリ上げたけれども、慢性痛のメカニズムは、長く継続して痛みを覚えると、やがてその痛覚が脳に刷り込まれ、実際には体が痛みを感じなくなっても脳から痛いよ~という信号が発せられてしまうというものだ。その間違った信号を抑えるのが、側坐核だ。厳密には痛みを和らげるはたらきをしているようだ。

では側坐核を活性化させるには、どうしたらいいのか。些細なことでいいので「達成感」を積み上げることであると番組では紹介していた。痛みがあってもできたという事実を増やしていくと、側坐核が目覚め、はたらきはじめるのだという。

番組では具体例として以下のようなものを紹介していた。しばらく慢性痛のために家族旅行に行けなかった人が、最初に取り組んだのが、書店へ行くこと。歩くのすら苦痛であったけれども、ガイドブックを見るために書店へ向かったのだ。そもそも脳が痛いと感じているだけで、実際には体はなんともないので、日常のことであれば達成可能なのだ。こうした試みの一歩を踏み出し継続することで、症状はしだに改善していく。こうした取り組みを始めた人たちの表情が一様に明るいのは、たしかな症状改善の実感を得ている証拠なのだろう。

ちなみに私もそのひとり。しばらくやめていた山歩きを再開!

参考:当ブログ
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シロヤシオ&ヤマツツジ満開の八方ヶ原・大入道

2018-06-02 | 山行~尾瀬・栃木・茨城

大入道 標高 1402.4m 剣ヶ峰 1540m 名無しのピーク 1590m 栃木県

2017年5月20日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:22山の駅たかはら8:40--9:00頃 小間々台分岐--10:00大入道10:10--11:10剣ヶ峰--11:35八海山神社(昼食)12:20--13:10大間々台13:22--14:10山の駅たかはら

5:06自宅を出る。今日は平日なのかと錯覚するくらい東北道の交通量は少なめ。順調に進み佐野SAで朝食をとる。建屋から出て、いままでまったく気づかなかったが、なんともすっきりとした富士山が見えていた。たまたま好天に恵まれ、日が昇っている時間帯で、レストラン側に足を運び、人が少なかったから気づいたのだ。山の神に嬉々としてそのことを伝え、ほれほれ、あそこと指差して眺めていると、それと気づいてご夫婦がやってきた。富士山見えるのねと奥さんが感嘆の声を上げていた。

矢板ICで東北道を下り、コンビニで昼食や行動食を買出し。一路大間々台を目指した。前に1台車がいて、同じ方向へ進んでいく。目的地は同じかといっているうちに、後ろにも車が。皆大間々台らしい。沿道をツツジが埋め始めた頃、「ツツジの季節は渋滞します」と注意を促す看板が出てきた。マジか。

 
左:山の駅たかはら(トイレあり) 右:山の駅からの登山口

小間々台のあふれる車を横目に大間々台へ向かうと、早くも路肩に車列ができていた。この分だと、間違いなくもう満車だろうな。Uターンして、山の駅たかはらに停めようと予定を変更した。

8:22小間々台よりも下の駐車場、山の駅たかはらに車を停めた。こちらは登山者ばかりなので、比較的空いていた。車外に出ると、ひんやりしていて、気温は高くない。8:40準備万端、山の神とともに駐車場を後にした。

 
左:ヤマツツジのトンネルを抜ける 右:小間々台の分岐を過ぎると、「クマ出没注意」の看板

後ろから来る家族連れの声に追い立てられるように森の中を進むと、ヤマツツジのトンネルが出てきた。思わずすごいねといわずにはいられない。すぐに小間々台の分岐に差し掛かり、ハイカーが来ない大入道側へ入っていく。すぐに現れたクマ出没注意の看板に身がすくむが、左手のほうに大間々台へ向かう大集団を見つけて、その多さにクマのことはすっかり忘れてしまった。

 
左:シロヤシオ登場 右:大入道への登りはヤマツツジのオンパレード

やがてシロヤシオが枝いっぱいに花をつけている場所に出た。反射的にカメラを構えてパチリパチリと撮りはじめたのだが、その後にこれでもかこれでもかと撮影ポイントが大量にやってくるとは、このときは知らなかった。

山の神がここで1枚脱いでいくわと足を止めると、後ろから来た年配のジモティが話しかけてくる。2,3日前にも来たんだけどね、もう1回見たいと思って。この先にまたきれいなところがあるよと教えてくれる。

 
左:薄暗い大入道山頂 右:前黒山

大入道までは、ヤマツツジが至るところで咲いていて、明るい樹林帯の中に鮮やかなオレンジの絵の具を点々と落としたような感がある。やがてそれがフェイドアウトした頃、とっても地味な大入道の山頂となる(10:00)。ここで水分補給をして一休み。

なぜか大入道には人が少なかったが、その理由はすぐにわかった。リピーターたちは、ビューポイントを知っていて、ここをあえてスルーしているのだ。山頂直下には三角錐のきれいな山がよく見える場所があった(写真右上)。休憩しているジモティの方が、私のお気に入りの場所なんですという。この方に山の名前を尋ねている人がいて、「マイクロさん」と聞こえた。「舞う」に「黒」かとか、My KURO、ミランダ・カーのサントリーウーロン茶のことかとかへんな想像が頭の中をぐるぐる巡った。あとから地図を見て、前黒山と判明。残念ながらそこへの登山道はついていなかった。


ツツジ街道の始まり始まり

このあたりから、ツツジの競演が始まった。このルートにしてよかった、こんなに咲いているとはねえと、大群落の登場に、山の神と感激の嵐だった。


大きな木になるシロヤシオ

シロヤシオの花にも目を奪われる。こんな巨木になるのかと見上げもする。山の神と私同様、ところどころで足を止めて花を愛でる登山者たちも。


新緑の道がさらに気分を高揚させる

ツツジの合間に新緑の道も出てきて、鮮やかな色彩に気分は爽快。


次から次へシロヤシオ

シロヤシオを堪能したあとには、急登が待っていた。剣ヶ峰への上りだ。反対周りの登山者が続々と下ってくる中、息を切らしながら、ガツガツ登り11:10剣ヶ峰に到着した。これまた大入道に負けず劣らず樹林帯の中の地味な山頂だった。ここで昼食の予定だったのだが、大量の小さな虫が辺りを飛び回っていて、即退散を決めた。

 
左:地味な剣ヶ峰をスルー 右:お弁当広場の八海山神社

剣ヶ峰をスルーし、釈迦ヶ岳方面へ向かう登山者を見送りながら、どこか適当な場所でごはんにしようと、ピークに向けて登って行く。剣ヶ峰到着で気が抜けていた分、きつい上りとなる。

直射日光が暑いなと不平をぶつぶついいながら、ピークを通過。ここまで来て適当な昼食場所がないなら、あとは八海山神社かと、私は昔ここに来たときの記憶をたどり始めていた。


八海山神社前から筑波山を望む

11:35見晴らし抜群の八海山神社に到着した。お弁当を広げるには絶好の場所だけあって数多くのパーティが陣取っている。山の神と私は、栃木弁全開でマダニの話で盛り上がる団体様のご近所に腰を下ろした。前方には関東平野そして筑波山、右手に足尾の山々、左手に那須連峰が見える贅沢な場所だ。

12:20十分くつろいで下山開始。当初の計画では、ミツモチ山に行く予定だったが、スタートが山の駅たかはらに変わったことと、標準コースタイムより遅れ気味だったことから、カットすることにした。


大間々台から那須岳

カッコウの声にはげまされながら、大間々台へ向けて徐々に高度を下げていく。でもそのカッコウは、まるでのどにイガイガを感じているかのようなへんな声を発するようになり、その調子っぱずれの声にこちらはズコッケながら歩くことになった。

ようやく林道に出てダラダラと下り、13:10大間々台に到着した。まだだいぶ車が停まっているなと観光客を見渡しながら休憩し、まだつぼみのままのレンゲツツジの群落を尻目に最後のひと行程を山の駅たかはらへと急いだ。

14:10疲れた~とそのまま倒れこむように山の駅に到着。帰途は山の神の希望で道の駅やいたに寄っておみやげを物色したのち、東北道に上がった。往路はあんなに空いていたのに、復路は渋滞にはまって(とくに首都高)18:30の帰宅となった。

参考:当ブログ高原山(釈迦ヶ岳)

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