目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

ヤマガラと高尾山

2014-12-31 | 山行~奥多摩・奥武蔵

標高 599m 東京都

2006年12月24日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 高尾山口駅8:50--(自然研究路3号線)--10:15休憩10:25--10:45高尾山山頂10:55--11:30一丁平(昼食)12:40--13:35四天王門13:45--門前町散策--14:50高尾山口駅

高尾山に行ったのは、直近ではこの2006年かもしれない。ミシュランガイドで都心から手軽に行ける自然としてとり上げられたことで、人気を呼び、訪れる人は急増した。もともと人が多かったところに、この騒ぎ。もうしばらくは行く気が起きないだろう。でもこの山行では、大きな収穫があった。収穫というと大げさだが、初めてヤマガラという存在を知った。

  
左:妙音橋の左手、高尾山琵琶瀧水行道場入口 右:妙音橋

この日はゆっくり起き出して7:35に自宅を出発した。コンビニで買出しをし、電車に乗る。行く先は京王線高尾山口駅だ。降り立った駅には思ったほど人はいなかった。もっと登山者やハイカーでごった返していると思っていたので、ちょっと拍子抜けする。クリスマスだからということもあるか。8:50駅を後にし、ケーブルカーの横の道を上がっていく。稲荷山コースをたどる予定だったのだが、あいにく通行止めになっていて、急遽、妙音橋の左手にある高尾山琵琶瀧水行道場入口から山に入ることにした。

 
左:水行場 右:自然研究路3号線。山の神と休憩中

やがて水行場が出てくる。左上の写真の奥に見えている滝に打たれて修行をするのだろうか。すぐに自然研究路3号線に入る。お腹がオレンジ色というか山吹色というか、きれいな小鳥が飛んだり跳ねたりしながら、ちょんちょんと後ろをついてくる。何だろう。妙に人馴れしていて、エサでもほしいのかと思っていると、手のひらからエサをついばませている人に出くわした。あとから新聞でこの餌付けが問題になっていることを知ったのだが、山の神と私は、たんに愛らしい小鳥がいるなと思っただけだった。

 
高尾山頂のおそうじ小僧 右:高尾で見られる動植物。左から2列目、上から2段目にヤマガラ

高尾山山頂には、10:45に到着した。今まで見たことなのなかった、おそうじ小僧がいた。前からあったのに気づかなかっただけなのか、最近建てられたものなのかはわからない。なにかいわれがあるのだろうか。山頂には、「高尾山で見られる動植物」という看板が出ていた。見ると、先ほどの小鳥が出ている。ヤマガラというのだ。こんなカラフルな鳥が高尾山にいるとは、まったく知らなかったし、すっかり山の神と私は、ヤマガラのとりこになっていた。

高尾山山頂は、人であふれていて落ち着かない。山の神と移動してお昼にしようということになる。


一丁平から富士山

一丁平に行ってみると、こちらも山頂と似たようなもので大勢の人がいた。それでも展望台の一画を山の神と占有し、お弁当を広げた。周囲の人たちもお昼ごはんだ。展望台からは、雪に覆われた富士がうっすらとだが、その雄姿を浮かび上がらせていた。なかなかの絶景だ。

12:40下山開始。四天王像がにらみを効かせる薬王院の門前で一度休憩し、そのまま門前町へ。山の神と、ぜんざいでも食べようかとお店を物色しながらぶらぶら歩く。ここやってるわと店の中を覗くと、テーブル席をおばちゃんたちが占領している。登山靴を脱いで、座敷という選択肢はあったのだが、それは億劫だなとやめてしまった。とはいえ食べたい。15:00すぎに電車に乗り込み、自宅最寄駅の喫茶店へ急いだのだった。

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大棚沢広場から仏果山・高取山

2014-12-21 | 山行~丹沢・道志

標高 仏果山 747.1m 高取山 705m 神奈川県

2014年12月7日(日) 晴れ

メンバー 私単独

コースタイム 8:15大棚沢広場8:30--宮ヶ瀬越--9:30高取山山頂--10:07仏果山(昼食)10:45--11:38大棚沢広場

山の神はなんと、近所のお友だちと嵐のコンサートチケットが当たったとはしゃぎつつ、金曜から名古屋へ行ってしまった。よって久々の単独行。

朝4:45にセットしておいた目覚まし時計は、鳴らなかった。最近鳴ったり鳴らなかったりだったからしょうがないか。目が覚めたのは、それから1時間も経過した5:45だった。跳ね起きて、1時間遅れで家を出た。高速にあがるとそれほど混んではいない。さすがに行楽シーズンは終わったようで、交通量は減っている。先日東名まで開通した圏央道をバリバリ走った。途中完成したばかりの新しくてきれいな厚木PAに入り、車中で朝食をとる。

カーナビに行き先をセットし、高速を下りる。誘導されるがままに細い道に入っていく。これって最短コースなのだろうかと思いながら、進んでいったのだが、直前を1台まったく同じコースを走る車がいて、妙に安心してしまった。それはさておき、県道60号でことは起きた。カーブを曲がると、はるか前方に警察車両の赤色灯が見えた。ガーン、事故か。車列の後尾につく。遠めにバイクが横倒しになっているのが見える。ボディのへこんだ車も見える。この日はこの冬いちばんの冷え込みで、どうやら路面が凍結していたようだ。自車の前には十数台停まっていたのだが、そのうち先頭のほうの車両がUターンしてくる。ダメか? 少しあせりながらも、待っていると、2台、3台とUターンして去って行く。警察官がこちらに走ってきた。やはりダメだった。

しかたなく引き返して、近くのコンビニの駐車場に車を入れた。大山三峰山に行く予定だったのだが、寝坊もしたし、もうだいぶ時間をロスしている。やめるかと、昭文社の丹沢の地図を眺め、行き先を仏果山・高取山に変更した。お散歩コースだ。

 
左:宮ヶ瀬湖畔の大棚沢広場 右:登山口。バス停がある

歩いたことなのないコースにしようと、宮ヶ瀬湖畔の大棚沢広場に狙いを定めて車を走らせた。あれ、行き過ぎたかなと思いながら、目の前に近づいてきた駐車場の入口を見ると、その名が書かれている! アンラッキーが続いていたが、これで打ち止めと思わせるような僥倖だった。とりあえず登山口を確認しようと車を置いて、車道を歩いた。まもなく登山口の階段を見つけた。よし、今日はここから登るぞと決め、車に戻って身支度を始める。軍手などをはめているうちに、けっこうメジャーな登山口なのか続々と車が入ってくる。8:30寒いなとひとりごちながら、出発した。

 
左:宮ヶ瀬湖を振り返ると、少しだけ紅葉が残っていた 右:高取山山頂

階段を登っていくと、すぐに寒々とした日陰の道に入る。登山道には雪もついていてキンキンに冷えていた。おのずと足早になる。山の神がいるわけでもなく、歩くスピードはMAXだ。そのうち先に出発していた夫婦に追いついた。

宮ヶ瀬越の分岐で、さて高取山と仏果山のどちらを先に登るか、ちょっと迷ったが、やはり低いほうを先にしようと、高取山に向かう。まもなく高取山の展望台に到着した(9:30)。空気が澄んでいるせいか、かなり遠くまで見渡せた。360度の大展望だ。


高取山山頂から筑波山を望む


スカイツリーもくっきりと見えた。中央


丹沢の山々も


ちょっと遠くには奥多摩の山々

名古屋にいる山の神に、行き先を変えて今高取山の山頂にいるとメールを送る。「登山道凍っているんでは?」と返信が来た。凍っているというか、雪が残っている。じっとしていると体の芯まで冷えてくる。テルモスに入れてきた温かいお茶を飲んで、早々に元来た道を引き返した。

  仏果山山頂

宮ヶ瀬越から再び上り。仏果山から下ってくる老夫婦に挨拶をし、いちだんとペースを上げ登っていく。10:07あっという間に仏果山の山頂に着いた。若者グループがテーブルを囲んでくつろいでいる。その奥には、高取山同様、展望台が設置されていて(冒頭写真)、登山者数人でにぎわっている。私はまずは、昼メシかなと、袋麺をザックから取り出して、つくり始めた。その間あとからあとから登山者がやってくる。丹沢のガイドブックには必ずといっていいほど紹介されている仏果山、メジャーなだけのことはある。

 
左:昼はみそラーメン 右:先ほどまでいた高取山を見下ろす

ラーメンをすすって、高取山に続いて展望台に上った。すぐ近くに高取山がこぢんまりと見える。堂々とした大山は先ほどよりも距離が縮まったせいか、間近に見えている。


堂々とした山容の大山

10:45早々に下山開始。宮ヶ瀬越から一気に下る。途中これから山頂を目指す家族連れ2,3パーティとすれ違った。この山だったら、このくらいの時間に登りはじめたほうが、たしかにいいだろう。寒さもやわらぐし、ちょうど山頂到着は昼頃になるだろうから。

11:38大棚沢広場にたどり着いた。駐車場はすでに満車になっていたのだが、どこか空かないかと待っている車が1台いた。急かされるようにザックを車に放り込んで、広場を後にした。

参考:仏果山・経ヶ岳http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/f63092d44163f0d7c8cf56c116e43848

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未来世紀ジパングで“ヒマラヤトレッキング”

2014-12-17 | テレビ・映画

たまたまつけたテレビで、思わず最後まで見てしまったのが、未来世紀ジパング。「沸騰ヒマラヤトレッキング!最貧国ネパールの光と影”」と題して、エベレスト街道を歩く団塊の世代とおぼしき方々のトレッキングをとり上げていた(12/15)。標高3000m超の街道をビスタリ、ビスタリ(ゆっくりゆっくり)と歩いていく。一気に登高すると、高山病になりかねないからだ。番組で紹介されたツアーは、3日くらいでエベレストのビューポイントまで行く。最後は、最高のエベレスト・ビューに接して皆歓声を上げていた。さすがにエベレストに登りたいとは思わないが、現物を見てみたいとは思うねえ。私も会社を引退してからになるのだろうか。

少なくとも、ホテル・エベレスト・ビューまでは行きたいよね。以前このブログでもとり上げた、宮原巍(たかし)氏が苦難の末に建てたエベレストを間近に見られる唯一のホテルだ。テラス席で、ビールをあおりながら、エベレストを拝み見る。最高だね。

当ブログ
ホテル・エベレスト・ビューを建てるhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20110701
還暦のエベレストhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/06f2c0c66a588cfed44cc2ba05cfaec5
ヒマラヤのドン・キホーテhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/543c65676bf9d1285c505e5b40dddba0

ヒマラヤの灯―ホテル・エベレスト・ビューを建てる
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文藝春秋
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ナショジオ2014年11月号エベレスト 史上最悪の雪崩事故

2014-12-13 | マガジン

 ナショナルジオグラフィック日本版2014年11月号

2014年4月18日エベレストのクーンブ・アイスフォールで雪崩による大事故が発生した。その後シェルパたちがストライキを起こすなど混乱を極め、その年の登山隊はすべて入山できなくなったという報道を覚えておられる方は多いと思われる。雪崩の状況は? その後にいったい何が起きたのか? 詳しい事情が「ナショナルジオグラフィック日本版2014年11月号」でレポートされている。

この日、シェルパの一人、ニマ・チリンの耳が泣いた。ネパールでは、危機が迫ったときに甲高い音が聞こえることがあるという。それを「カン・ルヌ(耳泣き)」といって、恐れているということだ。ニマ・チリンは自分を信じて、下山を決意。ほかのシェルパにそれが知れると動揺が走り、追随するものが出た。しかし、耳が泣こうが凍傷になろうが、生活がかかったシェルパの大半は、予定を変えられないと先へ進んだ。そして低い雷鳴のような音をとどろかせながら、巨大な氷塊の崩落が起きた。16人が犠牲になった。ニマ・チリンや助かったシェルパたちは、その音の直後全身真っ白になる。

事故のあとは、混乱の極みだったようだ。犠牲者へのネパール政府からの補償金は、葬儀代もまかなえないほどの額だった。死の淵から生還したシェルパたちの労働条件の改善要求は高まった。政府が得る年間の登山料は、300万ドルもある。自分たちの危険な労働への対価、保証がなければ、働けないと。保険金の引き上げや、山で死傷した労働者の家族を支える基金の増額など入れた要望書が政府に提出された。こうした背景には、欧米のさまざまな情報をシェルパたちが享受できるようになり権利意識が高まったことにあるという。

このあと犠牲者の家族の悲惨なストーリーが臨場感あふれる筆致で綴られている。まるで日本の週刊誌のようだが。一家の大黒柱を失った奥さんや子どもたちの行く末が案じられる。

NATIONAL GEOGRAPHIC (ナショナル ジオグラフィック) 日本版 2014年 11月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
日経ナショナルジオグラフィック社
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SWITCHインタビュー角幡唯介×塩沼亮潤

2014-12-07 | テレビ・映画

12月6日(土)のSWITCHインタビューを見ただろうか。
生と死の境界を綱割りしてきた2人による恐るべき対話だった。生きるとは何か。死という極限の手前までいくと人間どうなるのか。その対話を行った二人とは、探検家角幡唯介氏と千日回峰行を成就した塩沼亮潤大阿闍梨(だいあじゃり)だ。

まずは、塩沼亮潤大阿闍梨の話。山上ヶ岳往復48Kmを毎日午前0:00に歩き始める。禊から始まり、クタクタになったころ最後に鎖のついた岩場をよじる。お堂で一汁一菜の食事をとり、下山する。冬の行は行わないとはいえ、毎日となると、雨の日もある。台風が来るときもある。体調を崩すこともある。毎年3ヶ月を過ぎると、血尿が出たという。しかし行を途中で断念することはできない。行を止める=死という覚悟で続けた。自決用の短刀と四手紐(しでひも)を常に持参したというから、その覚悟たるや常人には想像すらできない。体調を崩し、下痢と高熱を出したときのエピソードは、すさまじい。その初志を貫き通した信念には脱帽するほかない。

大阿闍梨がいうには、満たされた環境にいるうちは、気づかないことが多いのではないかと。それなら、自らを厳しい環境に放り出してみればどうか。その崖の淵には、「真理の花」「悟りの花」があるはずだ。

一方で角幡唯介氏は、チベットのツァンポー峡谷や北極探検を敢行したつわものだ。元新聞記者だけあって、ものごとを見つめる視線には、鋭さがある。大阿闍梨の言葉をかみしめ、市井の農業者、漁業者の厳しさを語る。探検には必ず終わりがあるが、彼らにはそれがない。探検以上の厳しさと対峙していると。探検は自然の中で生活している人たちの追体験にすぎないのだと喝破する。しかし、こうも言っている。探検をすることで、生と死の垣根が低くなった。死とはつまらないものであり、どうってことないものだ。探検家、冒険家というものは、経験を積むことで、想像力がどんどん広がっていく。反面体力はどんどん落ちていく。そのギャップが広がりすぎたときに、死が訪れるのだともいう。

大阿闍梨は、角幡氏の発言を受け、自分は死を意識することがなくなったとまでいう。千日回峰行の後に四無行という、断食、断水、不眠、不臥の行を9日間続けたことによるある種悟りなのだろう。大阿闍梨は最後に師匠の言葉を紹介する。「大行満大阿闍梨(塩沼大阿闍梨のこと)とはいっても、社会的には何の価値もない。行を終えて行を捨てよ」。

参考:
まじめ一筋。『探検家、36歳の憂鬱』
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/57ba55ca8ad211a1a00789307296b4a5
狩猟をしながら探検行『アグルーカの行方』
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/02f5e833d349dffdc8050e9ebf61bd59
空白の5マイル
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/c0b9889ffad186d10fcd54a02400f839
雪男は向こうからやってきた
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/956f993d8aad424554de2a1520db3158

大峯千日回峰行 修験道の荒行
クリエーター情報なし
春秋社

 

 

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