目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

雨飾山・大渚山Part1

2015-09-27 | 山行~信越

大渚山 標高 1566.3m 長野県

2015年9月20日(日) くもり時々雨 |

メンバー 山の神と私

コースタイム 10:43湯峠11:00--11:38角材ベンチ11:47--東峰--12:10大渚山12:15--12:25東峰(昼食)13:00--13:35湯峠

4:35家を出発し、ほぼ予定どおり中央道に入ったのだが、なんと甲府昭和・双葉JCT間が事故のため通行止めになっていた。しかたなく下の道を走り、韮崎ICから再び中央道に戻った。戻ってすぐ八ヶ岳PAで休憩しようとすると、大混雑で車が停められない。待つのはいやなので、諏訪SAまで車を進めることにした。諏訪も混んではいたものの、広い分なんとか駐車できた。ようやく朝食にありつき、ホッとした後にトイレに行くと、今度はトイレ渋滞。長蛇の列ができていた。

あとは順調に走って長野道に入り、安曇野ICで下りて、白馬あたりのコンビニで買出し。ひたすら小谷温泉を目指した。温泉街は、思ったよりもこぢんまりとしていて、山の斜面にへばりつくようにあった。窮屈な狭い道を駆け上がっていくと、雨飾荘。やがて雨飾高原キャンプ場と湯峠の分岐に出る。峠へ向けて左に折れていくと、下ってくる車がある。もう登ったのか?それとも鎌池散策の車か?

 
左:湯峠の駐車スペース 右:峠にある大渚山登山口

湯峠には予定よりおよそ30分遅れて10:43に到着した。たくさん停まっているだろうと思われた車はあまりなく、ちょっと拍子抜けする。身支度を整え山の神と11:00駐車場を後にした。

歩き始めの天気は今イチで、ガスっている。車での道すがら、せっかくの晴天も山の頂あたりをすっぽりと覆う雲を見ながら来たので、やはりダメかと肩を落としていた。まっ、明日の天気さえよければいいということで、どうせ今日は足慣らしだからねと山の神。

 
左:休憩した角材がベンチのように置かれていた場所 右:大渚山頂上

登山口からまだいくばくも歩いていないというのに、シャリバテで足の運びは鈍い。やがてベンチのつもりで置いたと思われる角材があるところに出て、エネルギー充填をすることになった。さすがに腹に何かを入れれば、ちょっとは元気が出る。まず東峰へ行ってみる。昭文社の山地図には、「雨飾山方面眺めが良い」と書かれているが、見えるのは白いガスばかり。しかも雨粒がポツポツ落ちてきた。早く先に進もうと、大渚山に移動開始。

こんな天気でもわれわれ同様歩いている人はいて、単独行の方や数人のパーティ、年配の夫婦何組かとすれ違う。横移動の末、12:10大渚山の頂上に到着した。ヤブの中の頂上で、一画にはテーブルやベンチが置かれている。ただちょっと荒れ気味で、利用したいとはまったく思わない状態だった。

 
左:大渚山の展望台 右:山頂までにはガレ場もある

頂上には立派な展望台があるので、上がってみた。展望図が設置されていて、晴れていれば見られる日本海や槍ヶ岳、白馬岳などが描かれている。当然視界ゼロのこの場所で見えるはずもない。

当初はここで昼食の予定だったのだが、あまりにさびしい山頂なので、先ほどの東峰に戻ってごはんにすることにした。12:25東峰に戻って昼食。

 
左:ブナの美林 右:鎌池の入口にある「ぶな林亭」

東峰で昼食を終えた頃、またポツポツと雨が落ちてきた。なんともはや嫌な天気だ。早く下ろうと山の神を促し、来た道をサクサク下り始めた。しかし湯峠近くまで戻ると、皮肉なことに晴れ間が見え始めた。

13:35湯峠に到着。このままキャンプ場に移動してしまうのは、まだ十分に時間があるから、もったいないなとなり、鎌池をひとめぐりすることにした。鎌池の広い観光用駐車場に滑り込むと、意外に人気があるようで、車10台くらいが停まっていた。カメラ片手に鎌池の入口へ向かう。するとそこには「ぶな林亭」という茶屋があった(冒頭の写真は茶屋の庭にあった「さるなし」の実。キウイのような味)。少し休んでいこうと山の神とのれんをくぐった。店内を見渡すと、そこそこお客さんが入っていて、彼らは皆登山者っぽい格好をしていた。下山してきたのか、あるいは私と山の神のように明日、雨飾に行く予定なのか?その茶屋でまったりと抹茶セット(¥450;お菓子付き)を食し、人心地ついてから池への散策に出かけた。

 鎌池

時間に余裕がなければカットしようと思っていた鎌池は、予想外にすばらしい美しい池だった。訪れて正解。先ほどまで真っ白く塗りつぶされていた景色は、ここ鎌池では、嘘のようにきれいに晴れ上がり、湖面に映った青空と白い雲が輝いていた。

1周40分ほどの鎌池、ついでにお隣の鉈池も見て、ぶな林亭に戻った。そこから駐車場に下りていくと、まだまだ鎌池を目指してやってくる人がいる。隠れた人気スポットなのかもしれない。

ご満悦の山の神と本日の宿、雨飾高原キャンプ場へ移動した。時計を見ると、まだ15:00だ。さっそく予約していたオートサイトにチェックインする。オートサイトといえば、高いイメージがあるが、ここは2人で車込みで¥3,700とそれほど高くはない。登山者用のテントサイトは、もっと安くて魅力的ではあるが、荷物を運ばなければならないという欠点がある。オートサイトは車を横付けにし、テントを張れるからね。ただ明日の駐車場所を考えれば、登山者用サイトにしたほうがよかったのかもしれない。

このキャンプ場ではだいぶゆったりと過ごせた。金額も安くてよかったけれども、騒ぐ人がいなかったことは最高だった。子連れのファミリーも滞在してはいたが、管理人さんがうまく振り分けてくれたようだ。子どもの声は、遠く離れたところから聞こえてきていた。夜は満天の星空も堪能でき、ぐっすり眠ることもできた。それだけでもう十分だ。

Part2雨飾山へつづく

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蛇紋岩の至仏山

2015-09-23 | 山行~上州

標高 2,228.1m 群馬県

2005年8月21日(日) くもりのち晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:50並木駐車場--(乗合バス)--鳩待峠8:30--笠ヶ岳分岐--9:45展望台9:55--10:20小至仏山--10:55至仏山山頂(昼食)11:40--12:40休憩12:50--13:30尾瀬ヶ原--山の鼻ビジターセンター14:00--14:50鳩待峠--15:30並木駐車場

当初は笠ヶ岳へ行く予定だったのだが、ガスっていて、せっかく行くのなら、快晴のときに行きたいと山の神。私はまだ至仏山に行ったことがなかったので、じゃあ、お隣の至仏山に行こうとなった。記憶をたどると、たしか鳩待峠から歩き始めてから、そうなったような気がする。

いつものように4:30家を出発した。関越・上里SAで朝食をとり、沼田ICで高速を下り、ひたすら尾瀬方面へと車を走らせた。並木駐車場には7:50に到着。ここに愛車を置いて、乗合バス(当時片道¥900)で鳩待峠に上がった。峠は大勢の登山者でにぎわっていた。さすが尾瀬の入口だけあって、いつもすごい人だ。8:30身支度を整え、山の神とともに峠を後にした。雲が多いなか、至仏山だけははっきりとその山頂が見えていた。

  
左:ガスが少しはれてきた小至仏山近辺 右:至仏山を望む

9:45笠ヶ岳への分岐を越えてすぐの展望台で休憩にする。前にも後ろにも登山者の姿が見えて、尾瀬ヶ原ばかりに人が集中しているわけではないのがわかる。至仏山も百名山に入っているからか。

10:20頃小仏山に到着する(冒頭写真)。真っ白で何も見えない。ただ登山者だけが後から後から押し寄せてくる。

 
左:登山者でにぎわう至仏山山頂 右:蛇紋岩の隙間にヒメシャジン

至仏山山頂には、10:55に着いた。相変わらずガスッっていたが、時折ガスが流れて、どかーんと尾瀬ヶ原を見渡せる。このパノラマ風景は半端じゃない。さあ、メシだと山の神と尾瀬ヶ原のほうを向いて腰をおろした。 


雲が流れて燧ヶ岳がくっきりと姿を現した。手前は尾瀬ヶ原

11:40下山開始。木道を延々と歩いていく。やがて木道が途切れ、あの悪名高き蛇紋岩地帯になる。ガイドブックや人づてに滑るから気をつけろといわれているあの岩だ。皆滑ると刷り込まれているから、おっかなびっくり慎重に足を下ろしていく。

しばらく足元ばかり気にしていたが、先ほどまでガスに包まれていたのが嘘のように雲が切れ、青空が広がってきた。前方の燧ヶ岳もその姿をくっきりと現した。時計を見ると山頂から1時間ほど歩いている。そろそろ休憩にしようと山の神に声をかけた。

 
左:燧ヶ岳と山の神 右:同わたし

歩き出すと、登山道に水があふれかえり、川のようになっているところがあった。一難去ってまた一難だ。そこには、明らかにへばって動けなくなっている(休憩している)登山者がいた。

13:30尾瀬ヶ原に入り、木道の先の燧ヶ岳の眺めに思わずスゴイと笑顔がこぼれる。そこから山の鼻ビジターセンターまで進んで、山の神と私は大休止にした。先ほどの登山者なみにヘトヘトになっていた。水分補給して人心地ついたころ、ようやく重い腰を上げて鳩待峠へ向かう。最後の登りを上がりきると、登山者でいっぱいの峠に着いた。順番を待って、満員の乗合バスに身を縮めて乗り込み、ホッと一息つく。あとは揺られていれば、愛車の待つ並木駐車場だ。15:30無事到着。

帰路は予想したとおり渋滞にはまった。時間からいって高速を下りてから晩飯にしようかと山の神と相談していて、幹線道路で運よくファミレスを発見したまではよかったのだが、駐車場に入ろうとすると、すでに2台くらい駐車待ちをしていた。これはしんどそうだとその店を見送り、もう1軒満員のラーメン屋も見送って、失意のうちに20:15帰宅することになった。ザックを家に放り込んで、家からいちばん近い居酒屋で晩飯にありついた。

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双子池テント泊~北横岳・蓼科山Part2

2015-09-18 | 山行~八ヶ岳とその周辺

蓼科山 標高 2,531m 長野県

2005年8月7日(日) くもりときどき晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 双子池ヒュッテ7:05--7:40双子山山頂7:50--8:05大河原峠8:25--9:05天祥寺原(亀甲池分岐)9:12--10:01休憩10:12--10:35蓼科山荘10:45--11:15蓼科山山頂(昼食)11:55--12:40前掛山分岐12:50--13:35大河原峠

5:00過ぎに起床。昨日の雷雨の影響か、テントの外張りは泥だらけになっていてまいったなと思っていると、追い討ちをかけるようにステッチ隠しの布がはがれてきているのに気づいた。そろそろ買い替え時期なんだろうね(いまはその後買い替えたひとまわり大きな3,4人用テントを使っている)。

朝食にモタついて、テント撤収は6:53になっていた。だいぶのんびりしてしまったようだ。足早に双子池ヒュッテに移動して、地図を見直し7:05出発。昨日歩いた双子山山頂経由で車が置いてある大河原峠に戻った。ザックからテント一式を取り出して車に積み、荷造りし直して8:25大河原峠を後にした。しばらく気持ちのいい笹原を進む。しかし昨日の雨で下はかなり濡れていて、途中でたまらず、山の神とスパッツを装着した。ふと北横岳のほうを見上げると、昨日同様に白い厚いガスが山頂付近を覆っていた。

9:05天祥寺原の亀甲池分岐で休憩。蓼科山荘への分岐までいって休憩する予定だったのだが、分岐だ休憩だといってザックを下ろしてしまった。腰を下ろして地図を見たら、かなり手前だし、時計を見たら、まだ大して歩いていないことに気づいてショックを受ける。


蓼科山山頂。最高点は奥の人が集っているところ

休憩後は苔むした樹林帯の中を進み、涸れた沢を通過。やがてもう一度休憩を挟んだものの、山の神ともどもだいぶへばって10:35蓼科山荘に到着した。そこから山頂まではもうひと踏ん張りだ。およそ30分かけて、11:15蓼科山山頂へたどり着いた。山頂は賽の河原みたいなところで、まったくもって不気味。さらにそれを助長するように雲がもくもくと沸いてきて、不気味さを増していた。私は今回で蓼科山は2度目だったのだが、前回訪れたときの印象がほとんどなくて、こんなにだだっ広い山頂だったっけという感じだった。

山頂は広いだけに昼飯を食べるところには事欠かず(?)、山の神と適当な場所を選んで昼ごはんにした。11:55には下山開始。登り時の山頂手前でもそうだったのだが、下山時にも、昨日北横岳で目撃した赤キャップの団体が渋滞を引き起こしていた。大人数での登山は、ほんとうに顰蹙ものだ。

12:40前掛山分岐に来て休憩。そして最後の大河内峠への下りに入る。そこでは思わぬ生き物と遭遇した。最初はネズミかと思ったのだが、背中に一筋の黒いラインがある。ヤマネだった。山の神もどれどれと首を伸ばして、その小動物を凝視。かわいいと連発するが、すばしこくて、あっという間に姿を消した。写真は当然ながら撮り損ねてしまった。

大河内峠に13:35無事下山。山中で1泊したから汗を流して帰ろうとなり、立科温泉権現の湯へ向かった。 大人1人¥400と格安の立ち寄り湯だ。サウナや露天風呂でゆっくりくつろぎ、風呂上りに小豆ミルクかき氷(¥300)を食べたこともあり、だいぶ長居をしてしまった。そのつけはすぐにやってきて小諸から上信越道にあがると、すでに渋滞が始まっていた。帰宅は21:50、もう少し早く家路につけばよかったとちょっと反省。

Part1北横岳に戻る

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双子池テント泊~北横岳・蓼科山Part1

2015-09-13 | 山行~八ヶ岳とその周辺

北横岳 標高 2,480m 長野県

2005年8月6日(土) うすぐもり時々雨と晴れ間 |

メンバー 山の神と私

コースタイム 8:57大河原峠9:22--9:47双子山山頂9:55--10:25双子池ヒュッテ--双子池湖畔テント設営11:25--11:47亀甲池(昼食)12:17--雨で休憩--13:40北横岳山頂13:50--14:40大岳--大岳分岐14:55--15:40天狗の露地15:50--16:20双子池ヒュッテ

5:00に慌しく家を出発。コンビニで朝食と昼食の買出しをし中央道に上がると、夏真っ盛りとあってすでに交通量は多めだった。朝食は双葉SAのお庭のベンチで、山の神とコンビニパンを食べて済ませ、諏訪ICで高速を下りた。大門街道を進み、落石注意と路肩注意と出ている危なっかしい夢の平林道に分け入っていく。

 
2点とも:大河原峠。赤い建物は大河原ヒュッテ

8:57大河原峠に到着。峠にはすでに車がかなりの台数が停まっていて、山の神と私もすぐに出発だと意気込んで車外に出てみたのだが、ちょっと霧雨っぽい(冒頭写真)。このまま出発すると濡れそうだからと、車中でガスがはれてくるのを少し待つことにした。頃合をみて、手早く支度をし9:22スタートする。

 
左:双子山山頂 右:亀甲池

時折サアっとガスが流れて晴れ間が覗くが、またたく間にまた白い世界に逆戻り。そんなクルクル変わるお天気のなか、登高を続けると、9:47あっけなく双子山山頂に到着した。人っ子一人いない山頂は、涼しい風が吹き抜けていき、すこぶる心地いい。先のほうには草原が見えている。

山頂から下って、30分ほどで双子池ヒュッテに着く。この小屋でテント場の受付をしていて、さっそく山の神と私の2人分を申し込み(1人500円)、双子池を回り込んでいく。テントを設営し、さあ、サブザックで北横岳だと荷物を詰め替えようとすると、肝心のサブザックが見当たらない。テント道具をザックから出すときに、間違いなくサブザックも取り出したはずだったのだが、、、結局見つけられずに大きいザックに荷物を詰めて11:25テント場を後にした。それにしても、キツネにでも持っていかれたのか、これっきりこのサブザックは行方不明のままだ。

苔むした道を下っていくと、亀甲池が出てきた。この辺で昼食にしようと、山の神とコンビニおにぎりをザックから取り出した。池周辺は日本庭園のような趣でなかなかいい。先に昼食にありついているパーティが2組と、後から夫婦2組がここで昼食となった。ちょっとした人気スポットだ。

 
左:登山者でにぎわう北横岳山頂。中央が山の神 右:大岳山頂

12:17亀甲池を後にし、再び苔むした道をしばらく進んでいると、ポツリポツリと雨が降り出した。ついていないなと、雨を機に10分ほど休憩をとった。その後潅木地帯を抜け、北横岳山頂には、13:40に到着した。山頂はお揃いの赤いキャップをかぶった団体で大賑わいだった。4班に分かれていたようだから、相当な人数だ。

山頂に10分もいると、少し雲が切れて青空が覗いてきたものの、山の神と私を追い立てるように雷鳴が聞こえてきた。移動開始だ。露岩帯を抜け、14:40大岳山頂に到着。ガスに閉ざされて、まったく視界はきかない。北横岳と双子池の分岐に戻ると、またポツリポツリと雨が落ちてきた。

 
左:大岳のお地蔵様 右:天狗の露地

天狗の露地までは、岩がゴロゴロしていて歩きにくい道で這うようにして進んでいく。なかなかハードな山歩きだ。15:40天狗の露地に到着して、ひと息つく。ここからの下りはさらにゴツゴツした岩が入り組んで、歩きにくさは倍増する。いつのまにか山の神がだいぶ後方にいた。山の神にとっては、どこの岩の上を歩くか、はたまたどこに手をついて足を下ろすか苦心惨憺の末の下山となった。


双子池ヒュッテに向かって下山中

16:20山の神とともに双子池ヒュッテにたどり着いた。ザックを下ろして座ったら、どっと疲れが押し寄せて長いこと休憩することになった。16:45重い腰を上げてテント場へ移動していくと、湖畔のカラフルなテントが増えている。われわれのテントも含めて全部で11張りになっていた。天候が今いちの分、少ない(?)ようだ。


双子池のテント場

マイテントに入ってしばらくすると、バラバラと雨粒が落ちてきて、たちまち雷鳴とどろく雷雨となった。それからテントで身を縮めること、小一時間。雷雲の通過を待って、皆テントの外に出てくる。やれやれ腹が減ったなと、晩飯の支度にとりかかった。

Part2蓼科山につづく

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登山と日本人

2015-09-08 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『登山と日本人』小泉武栄(角川ソフィア文庫)

縄文人が山登りをしていたというわりには、根拠が今いちはっきりしない。火山の入山規制をゆるくして、自己責任で登ろうという、どうかという発言もあって、とりあげるのはやめようかとも思ったが、いいところもあるのでちょっとだけ紹介しよう。著者の小泉さんは、のんびりした登山がお好きなようで、競争して登るより、自生している植物や地理・地形など自然をたっぷり楽しみながら、登ることを薦めている。木暮理太郎や田部重治の山行をそうした登り方のはしりであると紹介している。私も賛同。個人的には、これに野鳥を追加したい。姿を発見するのは大変だが、声は聞ける。ただ関心がないと、いくらきれいな声が響いていても、耳には入らないが。

そんな木暮や田部の登場以前に、著者の言説をたどると、地理学者志賀重昂の『日本風景論』が登場してくる。日本の近代登山黎明期に大きな影響を与えた書物だ。文章は、文語調で大仰な表現なのだが、当時としては、初のベストセラーとなった日本の風景論。しかも日清戦争勃発の年の刊行だから、愛国心とあいまって、賛辞の的になったようだ。

印象に残ったのは、上記の件(くだり)だが、この本は、日本の登山の歴史を時系列に並べて説明するとともに、日本人が自然といかに関わり、向き合ってきたのかを丹念に追っている。修験道の始まり、信仰登山の発展、物見遊山としての登山、ウエストン以降の近代登山、そして深田久弥の百名山ブームから巻き起こった大衆登山の広がり、噴火を繰り返してきた火山と日本人の関係性など。登山の思想的な側面を俯瞰したい人には、うってつけの本だろう。

ほかの本・雑誌も見る

登山と日本人 (角川ソフィア文庫)
クリエーター情報なし
KADOKAWA/角川学芸出版
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