目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

丹沢縦走 鍋割山~塔ノ岳~丹沢山~蛭ヶ岳

2010-11-27 | 山行~丹沢・道志

鍋割山 標高 1272.5m 塔ノ岳 1490.9m 丹沢山 1567.1m 蛭ヶ岳 1672.7m 神奈川県

2001年11月23日(金・祝)~24日(土) 両日とも晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 
11月23日 大倉9:15--(9:35林道に入る)--10:40二俣手前尾関廣氏胸像ベンチ休憩10:55--11:53後沢乗越12:10--12:45稜線休憩12:55--13:28鍋割山(昼食)14:20--14:50二俣分岐15:00--15:35塔ノ岳 尊仏山荘泊
11月24日 尊仏山荘7:35--8:25竜ヶ馬場8:35--8:55丹沢山9:15--9:50東屋付近10:00--(鬼ヶ岩)--11:00蛭ヶ岳(昼食)12:03--13:18姫次13:30--(八丁坂ノ頭)--14:20休憩14:30--15:40東野

小田急渋沢駅下車。バスで大倉には9:00頃に到着した。連休なので人は多い。身支度を済ませた人から続々と山に入っていく。林道を連なって歩くさまは、まさにツアー登山。われわれもツアーに参加しているような気分になってくる。

二俣手前に鎮座している尾関廣氏胸像の広場で休憩。ちなみに尾関氏は神奈川県山岳連盟会長を勤め、丹沢の登山訓練所設立に尽力した人だ。その施設は1997年まで使用され、現在も取り壊されることなく残っている。山の神も利用したとか、しなかったとか。 

二俣で沢を渡り、稜線に向けて登っていく。最後にえいやと急な坂を登りきると、11:53後沢乗越。栗の木洞側から稜線を歩いてきた年配パーティは、寄(やどろぎ)から来たという。「こっちの道はいいよ。大倉からだと林道歩きが長いからねえ」と。
ここまで来れば、鍋割山はもう目と鼻の先だ。水分補給をして出発。

鍋割山には、13:28到着。遅いお昼となる。山頂は広く、本来なら好きな場所でお弁当を広げられるはずだった。でも、鹿さんのコロコロした糞が、もう信じられないくらい到るところに散らばっており、目論見どおりにはいかない。仕方ないので、なるべく少な目のところを選ぶ。弁当を食べながらの眺めは、ガスっていて白いもやがかり。せっかくの晴れなのにちょっと興をそがれた。この白もやの正体は、だいたいが排気ガスと水蒸気だから、午前中であれば、ここまで白くなかっただろう。鍋割山荘の入り口では、「名物鍋焼うどん」の幟がはためいていた。

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右:山頂からの眺め。地面には鹿糞のじゅうたん

二俣分岐には14:50着。山の下のほうはまだ一部紅葉が残っていたが、さすがにこの辺りではほとんど葉が落ちている。

15:35塔ノ岳到着。山頂では登山者が、思い思いにコーヒーを沸かしていたり、富士山を漠と眺めていたり、おしゃべりをしたいりとにぎわっていた。この時間帯にまだここにいるということはお泊り? 危惧は大当たりで、本日のお宿、尊仏山荘には大勢の登山者が泊まることになった。山小屋スタッフは、「今日は混んでいますから、抱き合って寝てください」と冗句を飛ばしていた。まあ、それは大げさで、1人に一畳くらいのスペースは少なくとも割り当てられた。繁忙期の3人で一畳みたいな超過密ではなくて、ひとまず安心。

 

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左:二俣分岐 右:早朝の尊仏山荘

 

翌朝は、6:00起床。ご来光目当てで外に出てみると、雲が下のほうにべったり付いていて、残念な状況になっていた。待つ間はさすがに寒く、息が白くなる。山頂のいたるところで、カメラを携えた人たちがシャッターチャンスを狙っていた。

001pb240877 ご来光

朝食後、紅茶を沸かしてテルモスにつめる。7:35尊仏山荘を出発。今日も朝からのんびりモードだ。

05pb240880 002pb240881 右:丹沢山山頂の碑

8:25ベンチの置かれている竜ヶ馬場で休憩。見晴らしはいい。ここからお散歩コースをてくてく歩いて、8:55みやま山荘、そして丹沢山の山頂の碑に到着。写真ではよくわからないが、横書きで「丹沢山」と刻まれている。山の神の奥には、富士山がでんと見える。その富士山ビューポイントには、登山者がいっぱい溜まっていた。

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左:独立峰ならぬ独立木が造形美を誇る休憩ポイント。芸術だ

蛭ヶ岳へのルートでは、だいぶアルペンムードを味わえる。この高所感ともいうべきものは里山にはない醍醐味だ。
鬼ヶ岩では、ちょっと遊んでみた。岩の間に富士山を入れたアングルでパチリと。

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鬼ヶ岩の間から富士山を見る

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鬼ヶ岩からの蛭ヶ岳

蛭ヶ岳には11:00到着。いきなり黒い犬が現れて驚くが、どうやら小屋のパトロール犬(徘徊犬?)らしい。犬がいなくなったところで、昼食スペースを確保。赤土が露出しているところは霜柱がとけてぬかるんでおり、そこを避ける。本日は、昨日の遅いお昼とは打って変わって、早めのお弁当タイムとなる。

この山頂からの眺めも格別。富士山もすっきりくっきり見える。丹沢ではどこへ行っても大きく富士山が見えるからいいねえ。

08pb240890 蛭ヶ岳山頂

004pb240886 蛭ヶ岳からの富士山

12:00過ぎ下山開始。ちょっと小広い休憩ポイントである姫次には13:18到着。大勢の登山者でにぎわっていた。これから登る人、下山した人が交わる交差点だ。今日は連休中日だから、まさにその状況なのだ。

八丁坂ノ頭から1度の休憩をはさみ、道志みちへ下りる。15:40東野バス停に着いたが、しばらくバスはなく、次は17時台。そこに運よく、やまなみ温泉まで行くという女の子2人組がいて、4人でタクシーをシェアすることに。われわれは藤野駅まで行きたかったので、その温泉までの料金をシェアした。タクシー代は山の神分と合わせて¥4,200ほどかかってしまったが、無駄に東野で待ち続けているよりはいいかと自分を納得させた。

最後に余談だが、塔ノ岳の山頂付近には尊仏岩という、信仰の対象になっていた巨岩があったそうだ。関東大震災で、崩落してしまったということだが、五丈五尺(約18メートル)の大きさだったというから驚く。『丹沢今昔』という本にこのことが書かれている。この本には他にも、花立まで上がれる小田急のロープウェイ計画があったが地元の反対で頓挫したとか、菩提峠(ヤビツ峠近く)にワンシーズンだけ営業したスキー場があったとか、興味深い話が書かれている。

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奥多摩むかし道

2010-11-23 | 山行~奥多摩・奥武蔵

2007年12月2日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 水根9:45--10:40小河内ダムビューの陽だまり10:50--11:38惣岳の不動尊11:50--12:40槐木(さいかちぎ)12:45--13:00頃ヘムロック

3時間くらいのハイキング計画だと、最初からのんびりモード。家でゆっくり朝飯を食べてから出発となる。立川からホリデー快速に乗り、終点の奥多摩駅からはバスで水根に移動する。

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水根には、以前はなかった「むかし道入り口」という工事現場の看板かと思われるような目印がある。渓谷沿いにまっすぐ進み、道標どおりに右折し民家を抜けていく。

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右:「むかしみち」と入った道標がある

10:40小河内ダムが見える陽だまりで休憩にする。小河内ダムが見えるといっても、それは奥多摩湖が見えているわけではなくて、ダムそのもの。コンクリートの塊が見えている。この陽だまりの林に腰を下ろし、コンビニで仕入れてきたスコーンやお茶でくつろぐ。このお散歩コースは人気が高いようで、同じバスで来たと思われる人たちが、続々とやってきては、休憩するわれわれを横目に先へ進んでいった。

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真っ赤なもみじが青空に映える

しばらく歩くと、舗装路に出る。川合玉堂の歌碑はさらりと通過。日本画の巨匠がなぜ歌を? すぐに今度はむし歯地蔵尊が登場。歯医者がいないという恐ろしい状況を想像してゾッとする。眠れないほど、しくしく、ずきずき。あの歯痛を思い出すだけでダメだ。地蔵に祈るだけでは痛みは収まらない。

他にも牛だ馬だと地蔵系、観音系の方々がいたが、ほとんど素通り。なんといっても、この時期は色鮮やかな紅葉、これに尽きる。終わりかけのところもあったが、まっ盛りというところもあった。

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惣岳渓谷の紅葉。黄葉もまたみごと

しだくら橋(吊り橋)からみる惣岳渓谷もいい。散策の人は必ず寄るといっていい、ビューポイントだ。眼下の渓流沿いには大きな柿の木があった。実をたわわにつけ、山里の風景を彩っていた。 

04img_1312_2 柿が鈴なり

11:38惣岳の不動尊。きれいな公衆トイレがあり、休憩できる。
ここから少しだけ歩くと、あまりに立派すぎる「いろは楓」が出てくる。橙色っぽいのは、色褪せてきているように見え、もう紅葉も終わりかけかなんて思ってしまうが、この圧倒的なボリュームと色彩は見事というほかない。

005img_1315 いろは楓

この楓を過ぎると、あとは優勝が決まったあとの消化試合の様相を呈してくる。耳神様、弁慶の腕抜岩、白髭神社、不動の上滝。ハイカーもどんどん通り過ぎていく。紅葉の強烈な印象からすると、つまらん矮小な印象しか受けないからねえ。

 

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12:40槐木(さいかちぎ)。「えんじゅ」を「さいかち」と読ませるという強引な地名。この木は、見れば見るほど、ケッタイで異様な姿だ。何かの呪いでもかけられてるんじゃないかい。ここにもきれいな公衆トイレがあって、休憩スペースまできちんとつけてある。

006img_1320_2 009img_1319 廃線あと

しばらく行くと、廃線のあとがあった。ネットで検索してみたところ、小河内ダム建設にあたり、工事資材の運搬(あるいは作業員もか)に使用し、ダムの完成そして隣接する道路の完成とともに廃線になったようだ。

羽黒坂を下って、青梅街道に出る。古民家を改造したログハウスふうのお店ヘムロックで昼飯。ここのメニューは2つ、カレーライスかオムライス。カレーという気分ではなかったので、オムライスをオーダーする。昼時からはずれていたが、次々にお客さんが入り、たちまち満席になった。老夫婦が切り盛りしているから、ちょっと心もとない。でも味はグッド、店の雰囲気もいいしね。

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植村直己さんの本

2010-11-22 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

001img_4320 書棚を物色して出てきた本たち

書棚を見ていたら、だいぶ前にもらって、積読(つんどく)になっていた本を発見した。
『植村直己の冒険学校』(文春文庫)。 奥付を見ると、1994年6月10日となっているから、読まずに16年も眠っていたことになる。すまんことで。

まえがきによると、「植村さんが語った50時間のテープをもとにしてつくられた本」ということだ。植村さんとの“縁(えにし)”の深い文藝春秋の編集者が、植村さんの語り口をいかしつつ、さまざまなテーマごとに話をうまくまとめている。冒険についての見識や体験が書かれているわけであるが、読み終えると、タイトルと中身にちょっとずれを感じるかな。一言で言えばこの本は、「徹子の部屋」で植村氏が自身の体験を皆に語り聞かせるような、そんな感じの本だ。写真も豊富に使われていて、帯を見ると、文春文庫ビジュアル版、なんて謳っているんだね。

ちょっとのずれは感じるものの、「冒険学校」の要素も入っている。方位の簡単な調べ方や水の漉し方なんてね。そんなたわいもないものばかりではなくて、実践的なことも書かれていて楽しめる。たとえば、冒頭にある「歩く」。植村さんは日本縦断を徒歩で敢行しているのだが、1日平均60Kmも歩いている。これが北極圏で道に迷ったときや、残りの行程の日数計算に役立ったとか。1日に60Km移動できるはずだから、1日であそこまで戻れるとか、3日であそこまで行けるとかという予測だ。ふつうの人だと、まず60Kmなんて距離はありえないけどね。せいぜい20~30Kmじゃないのだろうか。また驚くことに、この日本縦断の距離は約3000Kmあったらしいから、北極圏を1万2000Km歩いたときには、日本縦断4回分になるのだ! ほかにアザラシ狩の体験記や、キビヤックという「くさや」のような異臭を発する食べ物の話など、興味が尽きることはない。

 

そういえば、植村さんの他の本 はどこに行ったんだっけと、家の中を探してみると、ブックオフ行きになったと思っていた本が出てきた。一時期かなりはまって読んでいたからねえ。

『青春を山に賭けて』
この本に触発され山を始めた人や、どっぷりと“山屋”に変身した人は多いのでは。

『極北に駆ける』『北極圏一万二千キロ 』『北極点グリーンランド単独行 』
いわゆる北極圏冒険譚。こんな氷に閉ざされた世界があるのか、そしてこんな厳しい環境でも生活を営む人々がいるのかと、読んだ当時は驚きの連続だった。

『エベレストを越えて』は家になかったから、もしや読んでないかも。誰かに借りて読んだのかさだかではない。ただ日本隊のエベレストの初登頂時のエピソードは有名だから、読んだような気もするのだが。それともテレビで見たのか? もう一度(初めて?)読み返してもいいか。

002img_4322 植村さんの撮り下ろし

植村直己記念館
これは私の秘蔵本。植村さんが自分で自分を演出して撮った写真や、犬ぞりや極寒の自然を切り取っているすばらしい写真集だ。装丁は三村淳氏で、無駄を排したシンプルなデザイン、レイアウトがいい。お気に入りの1冊だ。この当時で7,000円もした。今の不況下だと、ちょっと手が出ないかなあ。

そして最後に一言。『冒険学校』の巻末にあった植村さんの年賦を見て驚愕。いつの間にか、自分はあの偉大な植村さんより年上になっていた。そんな年齢なんだけど、何か成し遂げたかといえば、何だろうねえ。

植村直己記念館
クリエーター情報なし
文藝春秋
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青梅丘陵

2010-11-21 | 山行~奥多摩・奥武蔵

雷電山 標高494m 辛垣(からかい)山 457m 三芳山(三方山)454m 東京都

2008年12月23日(火・祝日) 晴れときどき曇り

メンバー 山の神と私

コースタイム 軍畑駅9:58--10:25榎峠10:35--(10:54雷電山)--11:15辛垣山11:25--11:50三芳山(昼食)12:25--13:05休憩13:15--13:28矢倉台(物見櫓)13:38--14:40シャノアール青梅駅前店

青梅丘陵ハイキングコースなので、ゆっくりめの出発となる。自宅で、昨晩残ったハヤシライスを温め直して食べ、コンビニで昼飯を買出しし、電車でGO! 軍畑(いくさばた)駅には9:46着。駅のトイレに寄ったり、写真をパチリパチリと撮っているうちに、駅には人がいなくなり、ラストとなる。

駅には「青梅ハイキングコース緊急通報ポイントマップ」の看板が掲げられていた。山火事等の災害用ということだ。私なんかは、真っ先に登山者救援用と思ってしまうのだが、それはついでの効果らしい。

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左上:軍畑駅にあった青梅ハイキングコース緊急通報ポイントマップ 右上:榎峠の登山口

車道歩きは思いのほか長い。交通量はなさそうで、あるので、時折やってくる車には注意が必要だ。榎峠には10:25。

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榎峠からの登山道をがんがん登っていくと、たちまち雷電山に到着。とはいっても、ピークがあっての山頂らしい山頂ではない。この一帯の丘陵の山は、やはり丘陵であって、たんにこう呼ばれている、名前が付いているというのに過ぎない。一言でいえば、「丘」であって山とは呼びにくい。とにかく地味である。

前日降雪があったようで(?)、太陽に照らされて融けた雪が、杉の木立からぽたぽたと水滴となって落ちてくる。

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辛垣(からかい)山には11:15到着。先着様は年配のご夫婦と単独行のおじさん。薄暗い地味な山頂である。すぐ近くに城跡があって、いわれを記した看板がたててある。青梅の歴史に興味がある方はぜひ。

昼時になるにつれ腹が減ってきて、昼食の場所を物色したのだが、なかなか適当な場所が見つからず難渋する。結果三芳(三方)山で昼食11:50。昼食におあつらえむきのベンチが置かれていて、前方が開けている。やっと腰を落ち着け、コンビニおにぎりを食べる。でもちょっと寒くて、早めに済まして出発となる。(よほど空腹で余裕がなかったのか写真を撮っていない!)

12:25 三芳山から下り始めると、すぐに北面が半分ハゲ山になっているのに気づいた。杉を伐採してそのまま放置なのか?

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歩いていくと、明るい雑木林が時々出てくる。13:05ベンチで休憩。
矢倉台(物見櫓)には13:28到着。青梅の市街地を一望できる。もうこのあたりまで来ると、青梅駅から近くハイカーが多い。道幅も広くなり、登山道というよりは遊歩道になる。 

08img_2182 矢倉台には東屋がある

001img_2180 青梅の市街地

矢倉台から青梅の市街地に下りる。14:30頃商店街を抜けて青梅駅前へ。どこかでコーヒーを飲んでいこうと、喫茶店を探す。1Fの入り口が狭く見落としやすいが、運よくシャノアールを見つけられた。ビルの2Fにある店舗は広々として、十分くつろげた。

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雁ヶ腹摺山・姥子山

2010-11-18 | 山行~中央線沿線・大菩薩

雁ヶ腹摺山(雁ガ腹摺山) 標高1874m 姥子山 1503m 山梨県

2010年11月18日(木) 曇りのちあられ /

メンバー 私1人、久々の単独行

コースタイム 8:45大峠9:05--9:45雁ヶ腹摺山9:55--(10:15白樺平)--10:35姥子山東峰先の祠--10:45姥子山東峰10:55--11:15白樺平11:25--12:05雁ヶ腹摺山(昼食)12:35--13:00大峠

今回の山行は、天気予報に振り回された。前日の予報で晴れマークが出ていたので決行したが、実際には大荒れの天気だった。これも単独で行ったための山の神の祟(たた)りか?

この日は会社から代休をもらい、前夜に行き先を決め、あわただしく準備した。そもそも、これが失敗のもとだろうか。前夜は意識の外だったが、意外に標高があるんだよね、この山。

混みぎみの中央道を走り、談合坂SAで朝食をとる。途中雨が降っていたものの、このSA付近はきれいに晴れ上がっており、この時点では山梨の晴れは既定の事実と思われた。
甲州街道の真木の交差点から林道に曲がる。民家を過ぎると、ガスがたち込めてきて、どんどん白くなっていく。そのうち霧雨に変わる。これはいかん、大峠に着いたら、しばらく様子見かと思いながら、車を走らせる。8:45峠に着いた。人っ子一人いない。月曜や金曜ではない平日真っ只中だから、こんなものなのだろう。峠の気温は0℃。かなり冷え込んでいて、霧雨は相変わらずで、登山気分は失せかけていた。山の神にメールしようと、パチパチケータイに文字入力をしていたが、ふと気づくと圏外だった。やっぱり天気だめかとあきらめかけた頃、さあっとガスが急にとれて、青空が覗き、日が差してきた。おお、これぞ天のお導きと、天候回復を信じて出発準備。

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先ほどまでが嘘のようにガスがとれる

歩き始めてすぐに落葉松林が現れる。見渡すと白い面積のほうが多い。

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しばらく歩いていくと、たちまちガスがたち込めてきた。でも時折青空も覗く。

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右:雁ヶ腹摺山の山頂直下

雁ヶ腹摺山の山頂には9:45到着。だいぶ飛ばし気味で歩いている。白い景色はつまらないからね。山頂では日が差していたが、富士山のお姿はまったく見えなかった。今日の行程はピストンで、再びここに戻ってくるので、そのときに見られればいいやと、この時点ではまだ晴れを疑っていなかった。ここからの富士の眺めは有名で、「秀麗富岳12景」に指定されているし、いまや流通していないが、500円札の富士山はここからの眺めを写しとっている。

002img_4284 003img_4285 山頂には標柱が2本ある

見上げると青空なのに、富士山方面はガスに包まれていた。

06img_4286 ここからこういうふうに見えますという案内板で想像

9:55山頂を後にする。いっきに下り、白樺平を通過。いっきに下ったのはいいのだが、帰りにはこれを登り返すのだ。われながら酔狂な登山計画をたてたものだ。

この辺りで、本日出会った唯一の登山者とすれ違う。鈴の音が聞こえてきたときに、幽霊か幻聴かと思うほど、人がいる気配なしだったから、かなり驚いた。この方も同じことを思ったかもしれない。

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右上:林道にいったん出て、姥子山への登山道に入る

雁ガ腹摺山と同様「秀麗富岳12景」に選ばれている姥子山東峰には10:45到着。かなりハイペースで登ってきた。ここも景色は真っ白で、富士山の「ふ」の字もない。奥に祠がある。ここから登山地図では点線になっているが、下山路があるはずと崖下のほうを覗くと、がさがさと音がした。思わず、勢いよく鈴を鳴らす。どうやらイノシシのようだ。下山時に登るときにはなかった真新しい糞が登山道に落ちていた。

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左:姥子山東峰山頂 右:姥子山東峰奥にある祠

東峰で休憩していると、ポツポツと白いものが落ちてきた。息が白くなると思ったら、あられが降ってきたのだ。この時点で今日の天候回復はないなとあきらめムードになる。10:55体が冷える前に下山開始。

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右上:落ち葉の上にあられが点在

11:15白樺平。ここで行動食としてもって来たマドレーヌ(左上)を食べる。この先はまだまだ上りが続くから、元気付けだ。休憩して登り始めると、一度は止んでいたあられがまた降り始める。落ち葉に当たって、パラパラと音を立てるほど結構な量だ。

12:05再び雁ヶ腹摺山の頂に。まだあられはポツポツ降っているが、止みそうな感じだ。みそラーメンをつくって食べ、人心地つく。山の神からの富士山は見える?というメールに「富士山逃亡中」と返信して、この寒さから早く逃亡しなければと、片付けを急ぐ。

12:35下山開始。と目の前で激しくあられが降り始めた。止みそうな気配だったのに、一転して土砂振りに変わる。脳裏に車の状況が浮かんだ。こりゃあ大変だ。ノーマルタイヤだから、走れなくなるぞと、そこから一目散、全速力で下山。でも途中左側が切り立っていたり、橋が架けてあったりするところは、慎重に歩いた。滑落したら、かなりやばい状況になる。


景色はたちまち白く塗りつぶされゆく

13:00大峠に着くと、もう信じられない情景だった。真っ白。車のフロントガラスは白く埋もれているし、車道も真っ白。一刻でも早く、ここを脱出せねばと写真も撮らず、ドアを開けようとするが、開かない。いつもならポケットにキーを入れていれば、センサーで勝手に反応して開くのだが、ダメだった。懐からキーを取り出し、鍵穴に差し込んで開ける。エンジンも同じで、キーを差さないとだめだった。

そろそろと走り始めると、だいじょうぶそうだ。ローで時速20kmくらいで進む。でもこの道長いんだよねえ。ということで、慣れた頃セカンドで30kmくらいで走ってみる。だいじょうぶそうだ。と思った矢先、左カーブでスリップ。やっちまいましたよ。車は尻を振って、側壁に激突。バウンドして元の姿勢に戻った。アクセルをもうちょっと早く踏んでれば、激突しなかったかも。でももう後の祭りだ。衝撃の割には被害は少なく、リアの下部に擦過痕が残っただけだった。でも太陽の下で見るとすごそうだ。

その後は道路上にあられ(雪)が見えるうちは、おっかなびっくりで、歩くようなスピードでのろのろと進んだ。すると、みるみるうちにボンネットにあられが降り積もっていく。この状況が20~30分続き、ひたすら「忍」の一字。

標高が下がってくると、あられはみぞれになり、甲州街道辺りまで来ると、雨に変わった。対向車のドライバーは、なんで雪をのせてるんじゃと怪訝な顔で私の車を見ていった。不審車両は、そのまま高速にのったのであった。

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