目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

「いい夫婦登山」の中蒜山は1122メートルではない!

2017-05-27 | 山雑記


上蒜山登高中に中蒜山を振り返る(2017.5.2)

毎年「いい夫婦登山」のイベントを実施している蒜山観光協会。なぜか?それは目指す山、中蒜山が標高1122メートルであることから、語呂合わせ「いいふうふ」ということから始まったようだ。

私も山の神と「いい夫婦」になるべく、このブログタイトルをつけていて、中蒜山はいずれ登ってみたいと狙いを定めていた。ところが、登らないうちにいつの間にか、1123メートルに標高は訂正されていた。ずっと自分の中では、あこがれの山であったので、ひとつの象徴を奪われてしまったようで、残念だった。1122メートルのままだったら、先日(5/2)の登頂はもっと高揚感があったに相違ない。

ちなみに「いい夫婦登山」は平成8年から始まっていて、ちょっとした歴史をもつ。でも去年の実施日をみると、10/22になっている。22日というのは、「夫婦」に合わせたのだろうが、月が異なる。11/22にしないのは、平日になったり、雪が積もったりするからだろう。

あと標高1122メートルの山といえば、関西百名山に数えられる大塔山(おおとうさん)。しかし、なんとこの山もいつの間にか1メートル低くなり、1121メートルになっていた。

残るは、高落場山(富山県)だけか。ヤマレコによれば、雪山の入門コースとあるから、雪があるときにでも山の神と行ってみるとしよう。

 

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日本三景、天橋立で股覗きをする

2017-05-25 | まち歩き

2017年5月4日(木・祝) 晴れ

蒜山縦走が今回の山旅のメインイベントだったが、それ以降は観光オンリーで、やっぱり山登りに比べれば、つまらんと悶々としながら、少しずつ東京に向けて東へ東へと移動を重ねた。最後は、天橋立。学生のときに行き損ねていた日本三景のひとつだ。山の神も行ったことがないというので、最後にここに立ち寄ることにした。

前泊は、奥神鍋高原の宿でやっとのこと見つけた空き部屋だった。ところがサッカー少年団が泊まっていて、てんやわんや。もちろん贅沢はいえないのだが。そこから延々と車を飛ばして天橋立へ直行すると、思ったとおり、近づくほど道は混んできた。そして分岐にさしかかる。文殊側(天橋立駅側)か、はたまた反対側の傘松側か、いずれが空いていて快適か、便利か、その交差点で、傘松側に行く車がほとんどないことから、とっさに傘松へとハンドルを切った。

たぶん結果はいずれでも同じだったろう。かなりの混雑だった。傘松に入る手前から走ったり止まったりののろのろ運転になる。やがて観光船乗り場付近に来て、お目当ての元伊勢籠神社の駐車場入口がわからずに通過してしまい、住宅地の中をさまよい、戻ってもわからずじまいで、結局市営グラウンドの駐車場(無料)に停めた(10:30)。無料だから、結果オーライか。あとからわかったが、駐車場の入口は神社そのものの入口と同じだった。

 
左:天橋立出発点 右:レンタル自転車の人も

まずは観光船で文殊側に移動し、そこから歩いて傘松側に戻ることにした。観光船乗り場に行くと、ちょうど船が出るところで、山の神と急いで乗り込んだ。海上は時折観光客を乗せた小型のモーターボートがかっ飛んで行く。そのたびに大波が観光船に押し寄せてきては、揺れた。出航から12分ほどで対岸に到着。山の神ととりあえず休憩だと、「旅サラダ」で見たような気がするカフェ・ド・パンに入り、カプチーノでくつろいだ。開放感あふれるお店で、目の前は海。テーブルや椅子がゆったりと置かれているので、隣の客も気にならない。窓が大きいから天橋立に架かる橋も見渡せて、とっても優雅なひとときを過ごせた。

カフェを出た後は山の神の要求をのんで、みやげ物店を覗き、ようやく天橋立散策へと橋を渡った。


海水浴場もある天橋立

松並木がなんともいい感じの景観をつくり出している。それにしてもレンタサイクルの観光客が多い。歩けば1時間くらいかかるから、自然と楽ちんな自転車になるのだろう。でも、こういう風光明媚なところは、自転車に乗って流れていく景色を眺めるよりは、歩く速度で徐々に移り変わっていく景色を見るほうが断然いい。自分の足で歩いたとなれば、記念にもなるし、ちょっと誇らしくもあるしね。

ところで天橋立には意外にも海水浴場がある。ちょっと道をそれて松林を突っ切り海岸に出ると、ありました。青い海と青い空、そしてデッカい砂浜。最高に気持ちがいい。来た甲斐があったというものだ。

海水浴場から正規ルートに戻ると、ところどころに東屋があったり、神社があったり、茶屋があったり。ほとんどそうしたものには関心なしで、山の神とともにスタスタ歩いて50分ほどで歩き切った。ちょっとした達成感を味わいながら、堤防沿いを移動する。

 
右:傘松公園へ上がっていくケーブルカー 右:こんな幟が出ていた

さあ、次は傘松公園に上がって、天橋立の全貌を見なければ。元伊勢籠神社にお参りをし、ケーブルカー乗り場へ向かう。と、すぐに長蛇の列が目に飛び込んで来た。残念なことに運営会社の案内は皆無。何の列かわからないが、ケーブルカー待ちじゃあないのかととりあえず並んだ。山の神が偵察に行き、やはりそうだと判明する。リフトは、また別の列ができていて、どちらが早く頂上に行けるのかと山の神が係りの人に聞いたところ、ケーブルカーだという。それを信じて、しばらく待つこと、20分。ようやくケーブルカーに乗れたのだが、それだけの人たちが上にいて、すごい人だった。

それでもめげずにいちばんのビューポイントまで階段を上る。そしてやってきました股のぞき発祥の地! じじくさく腰が痛いけど、ちょっとやってみるかと股のぞきをした。山の神もすかさず真似をする。これがどうしたっていうんだろうねとひとりごち、腹が減ったからメシにしようと山の神を振り返った。景色はやはり、ふつうに眺めたほうがいい。それにしても不思議な景観。地形と潮流の関係でこんなに長い砂洲ができたということだけれども……自然は偉大だね。


傘松公園からの天橋立

昼食は傘松公園のレストランでとった。ちょうど入ったときには厨房で何かトラブったらしく、しばらく注文すらできなくなっていた。大量の客をさばけずに右往左往する店員。帰る客に注文の前に席をとらないでくださいと注意して顰蹙を買っているのを見たときには、思わず笑ってしまった。


旅館つるのやから天橋立を望む

天橋立は、宿に移動してからも楽しめた。夕方、ぐるりと宮津湾を移動して旅館つるのやにチェックイン。遠くに天橋立がグリーンの帯となって見えていた。これもまた、なかなかの絶景だ。この日の夜は、うまいお魚とうまい日本酒を堪能して、爆睡することになった。

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念願かなって豊岡の植村直己冒険館へ

2017-05-21 | まち歩き

行っちゃいました。植村直己さんの出身地にある兵庫県豊岡市、植村直己冒険館。私は植村さんの著書はほとんど読んでいて、その人柄や業績、そして目標達成のために実践した驚くほどの準備や努力に感じ入っていたので、展示物を見ると、ああ、あのときのかとか、これが実際に使われた犬ぞりなのかとか、展示物1点1点が感慨深かった。すごかったのは、植村さんが実際に背負った重さを再現したザック。来場者が誰でも試せるように無造作に置かれていた。背負えないことはないけれども、これで何時間も行動するのは、無理だ。たぶん60Kgくらいだろうか。でも、歩荷の人はいまだにこのくらいの荷物を山小屋に運び込んでいるんだろうね。


植村直己冒険館のパンフレット(上も下も)

山の神も展示物に見入っていて、私同様「へえ」の連続だった。アラフィフ世代から上は、皆植村さんの冒険はリアルタイムで見聞きしているから、亡くなったとはいえ、身近な存在なのだ。

それにしてもこんな冒険家は不世出だろうね。いまいろんな日本人が冒険を試みているけれども、このスケール感、実行力、精神力、偉業の数々……超える人は出てくるのだろうか。

とにかく寄ってよかった。来てよかった。何か元気やエネルギーをもらえた気がする。山に登らない人も、冒険しない人も、ぜひ冒険館に来て、元気をもらってください。

ざっと植村さんの主な事績を並べると、こんな感じ
●1965年(24歳) ゴジュンパ・カンII峰(7646m)初登頂
●1966年(25歳) モンブラン(4810m)単独登頂、マッターホルン(4478m)単独登頂、ケニヤ山(5199m)登頂、キリマンジャロ(5895m)単独登頂
●1968年(27歳) アコンカグア(6960m)単独登頂、アマゾン川約6000Km単独筏下り
●1970年(29歳) 松浦輝夫氏とともにエベレスト(8848m)日本人初登頂、マッキンリー(デナリ;6190m)単独登頂、これにより世界初の五大陸最高峰登頂者となる
●1971年(30歳) グランド・ジョラス北壁完登、グリーンランド縦断の準備として日本列島3000Kmを徒歩で縦断
●1973年(32歳) グリーンランド3000Km犬橇単独行成功
●1976年(35歳) 北極圏1万2000Km犬橇単独行成功
●1978年(37歳) 北極点犬橇単独行成功
●1980年(39歳) 厳冬期アコンカグア第2登
●1981年(40歳) 冬期エベレスト、サウスコルで登頂断念
●1982年(41歳) 南極大陸3000Km犬橇走破とビンソン・マシフ登頂計画は、南極にいながらフォークランド紛争で断念
●1984年(42歳) マッキンリー冬期単独登頂に成功、その後消息を絶つ

参照:植村直己さんの本:http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/1988f5e299f63a1d25ec496462be477c

天橋立につづく

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鳥取砂丘縦断

2017-05-20 | まち歩き

2017年5月3日(水) くもり

前日は山の神とともに蒜山を縦走。好天のなか最高の眺望をほしいままに山歩きを満喫した。そして今日。ずっと行きたいと念じていた何もないからっぽの風景、鳥取砂丘へ向かった。朝蒜山高原キャンプ場で5:00頃目を覚まし、早々に朝食を済ませ、7:15にはキャンプ場を後にした。

道を間違って、少し遠回りになったり、道の駅はわいでコーヒーを飲んでモタモタしたりしているうちに、砂丘近辺では渋滞が始まっていた。さすがは大観光地だ。9:00頃に砂丘近辺に到着したのだが、もうメインの駐車場に入ろうとする車列ができていて、ほとんど動かない。ちょっと出遅れたか。こどもの国のほうに車を停めるかと、砂の美術館のところでUターンし、来た道を少し戻り、右折する。すると、市営駐車場の標示があって、直感でそこへ入ることにした。

 
左:鳥取砂丘案内板。赤字で「現在位置」と書かれたところに駐車 右:こどもの国手前にあった無料の市営駐車場

直感は冴えていた。市営駐車場は無料で比較的空いていた。ここにラクラクと駐車して、9:20山の神とともに出発した。最初はだれぞやの歌碑を見て行こうといっていたのだが、遊歩道を歩いているうちにいつの間にか逸れていて、まっいいかとなる。


市営駐車場から4,5分でここに出た。右奥のほうでは、パラに乗ろうという人たちが準備していた

目の前がパッと開けて、鳥取砂丘がどかーんと現れた。感激の瞬間だ。前方に人が歩いているのが点々と見える。砂地に入っていくと、砂の粒子は細かくて、気をつけていても靴の中に容赦なく入ってくる。その割に意外だったのは、場所によっては、かなりしっかりと踏みしめられるほどの硬さをもっていたことだ。ふつうの砂とは明らかに違うような気がした。表面を何かの鉱物なのか、黒い粒子もあった。


砂丘の中にはまばらに草が生えているところも

パラをやろうとしているグループの脇を抜けた高みからは、最初に行こうとしていた砂丘会館の方が見渡せた。芥子粒ほどの人がありんこのように見える。山の神とは最初からそこまで歩くつもりだったのだが、かなり距離がありそうだ。


足跡のないきれいな風紋の連続に感激

こどもの国側は人が少なく、足跡のないきれいな風紋を見ることができた。大自然がつくったアートに感激だ。しかし、人の多いオアシス側に近づくにつれ、風紋どころではなくなる。


観光客だらけの第2砂丘列の端。大人も童心に帰ってひたすら砂山のてっぺんを目指す

山の神と巨大な第2砂丘列(冒頭案内板写真参照。海岸から二つ目の列)の端っこに到達すると、そこはもう観光客だらけだった。丘の上から登ってくる彼らを見下ろしていると、現世の民が地獄から天国(こちら)へ這い登ってくる錯覚に陥る。こちら側がもちろん天国。そのうちオアシスが三途(さんず)の川に見えてくるから不思議だ。丘に上がるために裸足になって四つんばいで登ってくるから余計そう思えたのかもしれない。


砂丘会館方面から人の群れが近づいてくる。手前はオアシス

山の神と丘を下り、人の群れを避けながら砂丘会館へと向かう。車道に出ると、皆一様に靴をひっくり返しては、パンパンとはたいて砂を払い落としていた。山の神と私も真似をするも、粒子状の砂は、そう簡単にはきれいに取り除けなかった。いまだにそのときの靴の中に潜んでいそうだ。

その後、山の神のリクエストで砂の美術館に向かい、アメリカンな砂で造られた作品を見て(つまらなかったので割愛)、駐車場に向かう。途中カンカン照りのなか、家族連れに鳥取砂丘はどこですか?と聞かれ、卒倒しそうになる。砂丘のすぐ横っちょを歩いているというのに、それは何だと思ったが、質問は、皆が入場していく場所という意味だったようだ。それにしてお子さんを連れていては、市営駐車場からは長くてちょっと大変だよなと思った。私と山の神も、永遠の時間を過ごしているような気分で、もう着いていいよといいながら歩いていた。市営駐車場には、やっとのこと11:30頃到着した。

植村直己冒険館につづく

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蒜山縦走Part2~中蒜山・上蒜山

2017-05-14 | 山行~中国・四国地方

Part1のつづき

下蒜山から残念なくらいどんどん下る。もちろん下った分登ることになる。でも、中蒜山への道はバラエティに富んでいて楽しい。草原あり、樹林帯あり、ヤブあり、お花ありだ。

ちょっとここで登山道で見たお花4つをまず紹介しておこう。左下時計回りにスミレ、ミツバツチブリ、そしてそこらじゅうでたくさん咲いていたカタクリ、そしてなぜこの時期にというイワカガミ(カタクリもそうか)。黄色いミツバツチブリは、なんという名前なんだろうと家に帰ってから調べてこの名前だと判明した。どこにでも自生してそうだけれども、意外に名前を知らないものだ。またGWにイワカガミを見たのは初めて。私の印象では、夏の花なのだが。

  

話は戻って、中蒜山への途中、トレランっぽい高校生らしい3人パーティに抜かれた。彼らとはその後すれ違ったので、恐るべきことに縦走ピストンだとわかった。縦走ピストンは単独行の男性も見かけた。驚くのは、普通は山頂で折り返すものだが、この男性はだいぶ下ってからまた登り返すということをしていた。すれ違ったときに、それとわかって山の神とあっけにとられてしまった。


中蒜山へ向かう草原の道。道の切れた先は、左へ思い切り下っている

下蒜山からの下りは、しばらく気持ちのいい草原の道だ(上の写真)。登山道が草原に筋をつけている。やがて樹林帯に入り、ブナが出てくる。

 
左:花盛りのオオカメノキ 右:フングリ乢

ほぼコルのフングリ乢(たわ)を過ぎると、山の神の嫌いな、ヤブになり、薄暗い杉林になった。ここで下蒜山から下り始めて小一時間ということもあり、休憩をとった(11:05)。風が抜けて涼しくていい。


中蒜山への急登から振り返ると下蒜山

休憩ポイントから30分ほどで塩釜への分岐、避難小屋を経て、中蒜山山頂に到着した。すでに山頂には5人がいて、皆昼食をとっていた。横に長い山頂で、そのどこからでも展望はすこぶるいい。山の神と私もここで、眺望をおかずにお昼にした。


上蒜山への登山道がうねうねと続く

12:21誰もいなくなった中蒜山を後にし、上蒜山へ移動開始。下蒜山・中蒜山間がたいへんだった分、こちらのほうが距離は短いので気持ちは楽だ。でも下って、登っては同じ。

 
左:カタクリとキクザキイチリンソウ 右:中蒜山もだいぶ遠くになって、上蒜山への最後のひとふんばり

途中何度も見かけた花弁9枚の白い花が気になる。これなんだろうねと山の神と話しながら進む。葉はキクっぽいからキク科か。これも家で調べたところ、初めて聞く名前、キクザキイチリンソウだった。

 
左:上蒜山最高点。三角点はこの先、ヤブの奥 右:槍ヶ峰。奥に大山

13:16上蒜山の最高点に到達した。無人でさびしい限り。ヤブの奥に三角点があるはずだが、人が入っていないようで、踏み後はうっすらだった。一瞬行くかどうしようか迷ったが、山の神が関心ゼロだったので、あっさりとやめることにした。

少し休憩して、下山路に入る。予想外にまだまだ見せ場は続き、稜線を下っていっても抜群の見晴らしだ。8合目の槍ヶ峰もなかなかのビューポイントで、立ち止まってぐるりと周囲を見回した。

 最後は杉林を縫って階段を下りる

やがて下界の別荘地が見えてきて、もうすぐだとばかりに休憩もとらずにひたすら下へ下へと足を運んだ。最後はまたもや杉林でこれでもかと続く長い階段。ようやく案内板のところに出て、それが登山口だった。疲れた、終わったと思ったら、そこからが存外長かった。

 
左:里山の道を進む 右:林道に出ると山桜が迎えてくれる

里山の道を延々と歩き、まだかいなと山の神とこぼし合っていた頃、ようやく見覚えのある林道に出た。朝ちらっと目の端で捉えていたヤマザクラが出迎えてくれた。14:53駐車場に到着。その後は、汗を流そうと休暇村蒜山高原のラドン温泉を目指した。この時間帯は、休暇村宿泊者(運営しているキャンプ場宿泊者も)のみが入れる枠で、行ってみたらガラガラだった。¥500で温泉を堪能し、キャンプ場に戻った。 

鳥取砂丘につづく
蒜山縦走Part1~犬挟峠から下蒜山に戻る

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