目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

冬季富士山登山での滑落事故

2019-11-18 | 山雑記


2011年12月4日倉見山より撮影

先日自らの富士山登山をライブ中継していた方が滑落して亡くなられた。ご冥福をお祈りいたします。

今頃なぜこのニュースをとり上げるかといえば、このブログで何度かとり上げた栗城史多くんを想起された方が多かったようで、拙ブログを訪れて栗城くんに関する記事を読んでいかれたからだ。たしかに似ている。登山中はモノローグで自己演出をし、皆に賞賛されるような挑戦を続ける。そして取り返しのつかない事故。

事故後すぐにYouTubeの動画は削除されたようだが、いったんネットに上がったものは、あちこちにコピーが出回る。その動画を見てわかったが、彼はピッケルではなく、ダブルストックで登山をしていた。滑落直前には、「すべる」と何度も口にしていたので、アイゼンは装着していなかったか、軽アイゼンだったのかもしれない。

きちんとした冬山の装備をもたず、ましてや訓練をしていない、経験もないものが冬季の富士山にチャレンジしたとしか思えない。

吹きさらしの富士山は凍結しているところは多いだろう。山頂付近の気温は下界よりも22、23℃は低くなるから、間違いなく零下だし、風が強ければ体感温度はぐんと下がる。どんなに晴れていても過酷な環境なのだ。

またいったん滑落すると、仮にピッケルをもっていたにせよ、アイスバーンだと停止できない可能性はある。滑落停止の訓練をしていてもそうなのだ。

用意周到で臨んでも危険に満ちている冬季の富士山登山。40代後半という年齢(人生経験が豊富なのに)でありながら、なぜこんな無謀なことをしてしまったのか。無知からきているのか? それとも栗城くんのように引くに引けなくなったのか? たんなる自己顕示欲なのか? いずれにしても大きな教訓を残した事故であることには変わりない。

ちなみにベテラン登山家でさえもエベレスト遠征で、テントから不用意にテント用スリッパで外に出て滑落死していて、その映像が残されている。アイスバーンはそれほどまでに危険なのだ。一度滑りだすと、どんどん加速していくから、滑落直後に停止できないとまず助かることはない。停止に失敗すれば、好むと好まざるに関わらずカーレーサーを体験することになる。もちろん手足は複雑骨折し、頭を岩に打ちつければ、即死。想像するだに恐ろしい。

ここまで読んだら、この方の真似をしてみようと思う人はいないだろう。

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京都の穴場と立体曼荼羅の東寺

2019-11-17 | まち歩き

2019年10月7日(月) 晴れ  ※冒頭写真は前日の比叡山にて

京都3日目は北野界隈、北野天満宮上七軒千本釈迦堂、そして南へ移動して東寺を訪ねた。上七軒、千本釈迦堂は私が行きたかったところで、東寺は山の神のリクエストだった。

まず最初に北野天満宮を訪れた。とくに行きたい場所ではなかったが、上七軒と千本釈迦堂に行くなら、近所だけに行ってみるかとなった。今年は令和改元で、大宰府天満宮と深いゆかりがあるというから行くだけの価値はあった。

北野天満宮は、言わずと知れた菅原道真を祀った神社だ。中央から左遷されて太宰府勤めとなった道真は、彼の地で不遇をかこったまま没した。直後から都では凶事が続き、道真の怨霊のしわざであるとのうわさが立った。そこで鎮魂の目的で建てられたのが北野天満宮というわけだ。

 
左:北野天満宮三光門 右:大宰府から飛んできたという謂れのある飛梅

朝いちの平日でまばらな観光客のなかを山の神と参拝する。境内にはさだまさしの歌でも有名になった「飛梅」があった。道真の魂とともに大宰府から飛んできたという謂れをもつ。

 
左:上七軒 右:千本釈迦堂入口

そのうち観光バスが現れ、観光客は倍増。早々にわれわれは退去し、上七軒の通りに出た。お店はこれから開店というところが多く閑散としていたが、明日から始まる寿会(歌舞会)用のちょうちんを軒に下げるなど準備をしている花街の人たちがちらほらといた。整然とした通りは花街らしい趣があってなかなかのもの。春の北野をどり開催時に再訪してもいいなと思いながら、山の神とそぞろ歩いた。

千本釈迦堂(大報恩寺)の入口にあった喫茶店のコーヒーでほっと一息をつき、お目当ての釈迦堂へ移動した。訪れる人が少く静かな佇まいはいい。まずは宝物殿で重要文化財に指定されている快慶の十大弟子像や定慶の六観音像などを見学する。度肝を抜くのは、鼉太鼓縁。言葉にすれば、たんなる太鼓の縁なのだが、とにかく見上げるばかりの巨大さで、一対になっているそれは、それぞれ龍、鳳凰で装飾されている。いったいどんな儀式にこれを使ったのだろうと想像するだけでも楽しい。

この寺は、おかめさん縁(ゆかり)の地でもあり、おかめ塚がある。そのため国宝の本堂にはおかめさんの置物が多く奉納されていた。

 
左:東寺講堂 右:東寺金堂

次に北野の地から南に大移動し、東寺(教王護国寺)を目指した。東寺といえば空海が曼荼羅の立体化を実現させたところだ。巨大な仏像群が講堂や金堂に整然と置かれ、厳粛な雰囲気をかもし出している。博物館で見るアートとしての仏像ではなく、宗教としての、信仰の対象としての仏像だ。外界の光が遮断された堂内で威厳に満ちたお姿を拝するだけで心が落ち着いてくる。


東寺五重塔

立入禁止で、倒壊しそうなのかと思わせるような危うい五重塔を見上げたのち、 境内はずれの宝物館、そして剣豪宮本武蔵が身を寄せていたという観智院にも足を運んだ。宮本武蔵筆の「鷲の図」と「竹林の図」は一見の価値がある。武蔵の心の内を覗けたような気がした。

昼食はだいぶ遅くなったが、東寺から少し下がった九条の洋風創作料理ル・ブランで濃厚ソースのおいしいパスタをいただいた。この店に高島礼子さんが訪れたようで、マスターの話はそればかりで止まらなくなった。もう100回くらいはしゃべったのだろう。奥さんはその話は飽きたとばかりに奥に引っ込んでしまった。行く機会があれば、店内に飾ってある高島さんの写真を見て、「女優が来たんですね」とマスターに話しかけてみると、例外なくその話を聞けるはずだ。

腹を満たしたのち、京都駅に出て山の神とおみやげを物色。生麩饅頭やら、千枚漬けやら、くず餅やら、お茶やら、しこたま買いこんで新幹線に乗り込んだのだった。

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比叡山を歩く

2019-11-04 | まち歩き

2019年10月6日(日) 晴れ

山の神念願の比叡山へ。来年のNHK大河ドラマは明智光秀が主人公ということもあり、光秀の本拠地だった滋賀県坂本から行ってみることにした。まずは京都駅に出て、そこからJR湖西線に乗り換える。でっかい琵琶湖が見えてくると、何度も見ているけれども思わず歓声が出る。

比叡山坂本駅で下車し、バスに乗り換える。ほとんどの乗客はハイキングのようで、そのまま駅から歩いて出発していったが、山の神と私は明智光秀一族の墓がある西教寺に向かうためバス停を探した。乗り場で待っていたのはたった1人だった。それでも10分ほど待つうちに何人かがやって来た。

 
左:西教寺総門 右:総門から本堂への道

バス停を降りると、もう目の前に大河ドラマの大きな幟が掲げられた西教寺総門だった。門をくぐると、そこからまっすぐ参道が伸びている。

 
左:西教寺本堂 右:明智光秀一族の墓

左のほうに折れて立派な石垣横の階段を上っていくと、本堂に出る。お坊さんのろうろうとした読経が境内に響いている。本堂にお参りし、寺の中を経巡り、小堀遠州の庭園を観賞したのち、明智光秀一族の墓に詣でた。そのお隣の二十五菩薩像、一体一体のご尊顔を拝する(写真左下)。

山の神とお堂の中で休憩をとっていると、まばらだった観光客も徐々に増え、やがて法事の人たちが境内に車で乗りつけてきて、にぎやかになってくる。そろそろ行くかと腰を上げた。

 
左:聖衆来迎阿弥陀如来二十五菩薩像 右:山の辺の道にあった千体仏地蔵

あらかじめWebの坂本の観光ページで調べておいた琵琶湖版山の辺の道を目指す。寺を出て右手へ進み、途中からさらに右手(山側)へ折れるとおそらくそこからが山の辺の道なのだろう。すぐに次のお目当てである、千体仏地蔵が現れた。

この道で出会うのは地元の農家の人たちばかりで、なかには犬の散歩中の人もいた。観光客をまったく見かけない、静かな山里の道といった趣で、やがて開けたところに出ると琵琶湖ビューも楽しめた。


ケーブル延暦寺駅から琵琶湖を望む

山の辺の道はあっけなく終わり、薄暗い日吉大社の境内に入る。そこをすり抜けて再び車道に出、ケーブルの坂本駅に到着した。観光客で満員のケーブルカーに乗って、お待ちかねの延暦寺東塔に上がる。


根本中堂は修復中

山の神とともに本日のメインイベント、根本中堂に足を踏み入れる。根本中堂はいま大規模修復の真っ只中で、巨大な覆いがかかっているが、中には入れる。工事現場然とした入口を越えると、先日のブラタモリでとりあげたとおりのほの暗い世界が広がった。伝教大師最澄の平等の思想を体現したといわれる、参拝者の目の高さに合わせた本尊の薬師如来が安置されている。そこへ絶えることなく堂内を照らし続ける不滅の法灯が淡い光を放っている。観光客だらけで荘厳な雰囲気は損なわれていたが、創建以来1200年間変わらぬたたずまいなのだろう。

堂内の見学者用階段を上がっていくと修復中の屋根をみることができる。普段はこんな間近で見ることはかなわないだけに貴重な機会だ(左下写真)。

 
左:根本中堂の屋根の修復状況を見られる 右:文殊楼

根本中堂から文殊楼に移動する。文殊といえば智恵。靴を脱いで楼閣の2階に上がってみれば、受験生と思しき若者で大賑わいだった。

そこから国宝殿へ移動する。山の神とせっかくだからと国宝殿にも入館できるチケットを購入していたのだ。薬師如来坐像など国宝級の仏像群を見て、心を洗われる。

 
左:比叡山西塔(さいとう)、常行堂(常行三昧堂) 右:法華堂

その後バスセンターに出て、そばの昼食。選択肢は事実上ない。直後バスで横川(よかわ)に移動しようとしたが、なんとバスは乗り放題の1000円のチケットがあるのみというではないか。しかも本数が非常に少ない。片道だけ使おうと思っていたのだが、山の神が1000円払うことに反対した。高いし、仮に戻ってくるにしてもバスの時間に参拝時間を合わせなくてはいけない。加えてもう疲れてきているし、、、西塔までにしておくか。横川はまたの機会だとして、西塔に向けて歩き始めた。途中チケットのチェックをしている寺の方がいて、ここから横川まで歩くとどのくらいですか?と尋ねると1時間半くらいとの答え。山の神に西塔までといいつつも、やはり横川まで行けるならと思っていたが、これで踏ん切りがついた。

西塔までも歩く人は多いようでいて、そうでもないようだった。途中広くて長い石段を延々下ったが、そこを歩いていたのは、われわれと年配のおじさんだけだった。

西塔エリアに入ってまず目を引くのは、にない堂だ。寝ずの行をする常行堂、そして法華経を四六時中唱える法華堂。この二行は表裏の関係で、どちらも修行中の身であれば欠くことはできない。この2つのお堂はそれを象徴するように往来ができるように回廊で結ばれている。

 
左:西塔の釈迦堂(転法輪堂) 右:ケーブルカーで京都市内へ

にない堂から下っていくと、広い平地に出る。そこに最澄作の釈迦如来が祀られている大きな釈迦堂が建っている。ちなみに叡山最古の建物ということだ。

山の神とここからピストンで戻り、山王院から京都側へ下るケーブルの駅へ向こうことにした。延々下ったあの坂を思い出し、ちょっとクラクラする。それでも歩き始めると、なんてことはなく、ロープウェイの駅には向かわず山道を進み、ケーブルの比叡駅に14:30頃到着した。大勢の観光客と八瀬に下り、叡山電車。出町柳で京阪に乗り換え、市中に戻った。

 
左:ディナーは町屋レストラン燻(けむり)へ 右:泡ものはカヴァ、そして燻製料理の数々

晩は滞在しているスマイルホテル京都四条から至近距離の町屋レストラン燻(けむり)に繰り出した。席がないのが心配だったので、前日に予約を入れておいた。料理は店名どおりで、燻されたものが供される。飲み物は、山の神がcava(カヴァ)があるというので、久々に泡モノをオーダー。シュワシュワのスパークリングワインで乾杯し、今日は疲れたなあと昼間の叡山行脚の話で盛り上がった。

千本釈迦堂・上七軒・東寺へ続く

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