目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

疾走するアラカンの「ぶらっとヒマラヤ」

2021-09-26 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

『ぶらっとヒマラヤ』藤原章生(毎日新聞出版)

週刊誌の書評でこの本の存在を知った。著者は毎日新聞の記者。勤務地が長野であった時にはシリーズの山岳記事を書き、その後海外特派員として南アフリカ、メキシコ、イタリアに赴いているが、その土地土地で現地に根差した情報を集め記事を書いた。帰国後は夕刊の特集面を希望して担当するなど、根っからの自由人であり、足で稼ぐをモットーとするような猪突猛進タイプの傑物だ。

タイトルにあるようにヒマラヤ(ダウラギリ)に誘われて、ぶらっと行ってしまうバイタリティと思い切りの良さをもっている。ただ安易に行ってしまっているわけではなく、周到な準備をしているのがすごい。高所での自らの体のコンディションを調べるために、三浦雄一郎氏の活動拠点、ミウラ・ドルフィンズを訪れ、低酸素室に入って睡眠中のリスクが高いことを知る。恐れ入ったことに、さっそくそれを改善するために鼻の手術をしている。

いざ出発すると、身に起こったことを面白おかしく、また適格な比喩で表現している。ダウラギリ登山は、シェルパがコースを設定し、ロープを張り、ラッセルもし、キャンプ地を設営、ごはんを作ってくれるコックもいて至れり尽くせりで登れる、まさに「名門幼稚園の遠足」であると表現する。ツアーに参加すれば、ほとんどこれだ。

ただし、そうであってもひょうが降ったり、雪崩が起きたり、落石があったりとリスクは高い。それを教養の高い記者だからこそだが、ホッブズの『リヴァイアサン』の言葉を引いて、このリスクへの感情をこうまとめる。

「嫌悪が恐怖の原因ではあるが、嫌悪だけでは恐怖は生まれない。自分が害を受けると思ったときに恐怖となる。逆に嫌悪などは払いのけられると思えるのが勇気だ」

著者は20歳のときに山三昧で3度も滑落を経験している。普通は100メートルも落ちたら助からないものだが、運よく藪に突っ込んで止まること2回。沢で落ちそうになったときにザックが木の枝に引っ掛かり助かった話も出てくる。すごい体験だ。ここまで命にかかわる事故を経験していると、ものの見方が変わるようだ。このブログでもとり上げたジミー・チンさんへのインタビューでこんなくだりに賛同を示している。

「ほとんどの人は普段、死を考えないからね。死は誰にでもやってくる避けられない経験。その死について健全(healthy)な見方をするのは、とても役に立つし、その後の自分の人生での決断を左右することにもなる」

この本は、人生哲学もふんだんに散りばめられており、こんな生き方、考え方もあるのかと驚かされる。

参考:当ブログ
ヒマラヤの未踏峰に挑むドキュメンタリー映画『MERU(メルー)』
アカデミー賞受賞作『フリーソロ』を観る

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

滝めぐり~横谷峡トレッキング

2021-09-18 | 山行~八ヶ岳とその周辺

横谷峡 標高 1200~1500m 長野県

2021年7月24日 晴れのち曇り 

メンバー 山の神と私

コースタイム 横谷峡駐車場9:40--乙女滝--霧降の滝--鷲岩--一枚岩--10:46東屋(王滝展望台)--11:08おしどり隠しの滝11:18--12:30駐車場

前泊は横谷温泉旅館。フロントで一言断って車を旅館の駐車場に停めたまま、散策に出発しようかとも思ったが、時間を気にしながら歩くのもなと思い返して、前日に見つけていた横谷峡散策用の駐車場に車を置くことに決めた。


左:横谷峡駐車場 右:木戸口神社を越えていく

9:30頃宿をチェックアウトし、横谷峡駐車場に移動する。すでに何台も車は停まっていて、それなりに人気のスポットであることがわかる。山の神と登山靴にはきかえ、9:40出発した。


左:横谷温泉旅館側へ下る 右:乙女滝への分岐

横谷温泉旅館のほうに戻り、木戸口神社を越えた辺りで、峡谷に下りる道が出てくる。

 乙女滝

下ってすぐ水しぶきを盛大にあげている乙女滝に到着する。散策の方々が多くいて滝の間近まで攀じって行く人、i-Padで写真を撮っている人、マイナスイオンの恵みを一身に浴びている人など思い思いのスタイルで滝を楽しんでいる。


左:峡谷沿いの遊歩道 右:横谷温泉旅館裏にあったアルパカ広場。山の神が覗くが一頭もいなかった

前を歩く人のあとについて峡谷沿いの道をゆるゆると進んで行くとすぐに横谷温泉旅館の下に到着する。峡谷からいったん離れ旅館の建屋の間を抜けて林道に出る。旅館の裏手にはアルパカ広場があった。季節によってはアルパカがお目見えになるようだ。


左:地味に霧降の滝が登場 右:炭焼窯跡

しばらく歩くと、やがてこぢんまりとした地味な霧降の滝や、わざわざ「炭焼窯の跡」と案内板を立てていた石積みが現れる。また、この辺りの道で這っていたコクワガタを発見した(冒頭の写真;追記 ミヤマクワガタのメスでした。訂正します)。

鷲岩

そして鷲岩。たしかにこの露岩は鷲の羽根っぽく見える。直後木々が邪魔をしてよく見えないが、屏風岩が出てくる。接近を試みるもこの季節は木々が生い茂っていて全貌は見えない。しかし冬場は木々の葉も落ち屏風岩に氷瀑がかかるようだから、冬に来た方がそのダイナミックさを味わえるのだろう。


川床は一枚岩

次に待っていたのは、茶褐色に見える川床の一枚岩。数十メートルにわたる一枚の岩というからかなりのスケールだ。

蓼科中央高原観光協会のサイトにあった横谷峡遊歩道によれば、この先に王滝への道が書かれていたのだが、実際には、その道の入口に自己責任において通行してくださいとの標示があって、限りなく通行禁止に近い処置がとられていた。

 東屋から王滝を望む

山の神にこの道はやめとくかといって、王滝の展望台である東屋を目指すことにした。東屋は快適とはいえない、ジメっとした日陰にあった。そこにはすでに何人かの先着様がいてくつろいでいた。肝心の滝はといえば、けっこう遠くに見えていて、2段に渡って水を落下させている。まるでミニチュアといえなくもないが、悪くはない。


左:横谷観音・おしどり隠しの滝分岐 右:遊歩道に架けられた赤い鉄の橋

さて、ここからどうするか。山の神が当初主張していた、ここで引き返すか、あるいは私の希望どおりおしどり隠しの滝まで行くか。東屋からさらに奥に進んでいく人を見て、われわれも行こうとなった。

東屋からの急登を上がると、あとはそれほどでもない。横移動の末、おしどり隠しの滝に着いた。


おしどり隠しの滝

おしどり隠しの滝は思いのほか地味だった。急流であるから広義の滝ではあるが、なんといっても迫力不足。山の神の落胆ぶりがこちらにも伝染してくる。明治温泉のある反対岸に渡ると、多くの観光客がいて記念撮影に余念がない。トレッカーもここまで縦走して、歩いて戻るではなく、バスで移動する人も多いようだ。

雲行きが怪しいと速足に

山の神と私はここで水分補給をして元来た道を戻ることにした。復路は空に雲が広がり、もしかして雨かと思いながらの移動だったが、予想外に多くの散策者とすれ違った。なんの装備もなくとも歩けるコースだから、お手軽なのだ。

12:30駐車場に到着した。腹が減ったなと山の神と急いで片付け、目指した蕎麦屋は休み、その先にあったうどん屋は駐車場が満車で入れなかった。昼食は中央道に上がってようやくありつくことができた。やれやれと思ったのもつかの間でこのあとは渋滞の嵐だった。もっともひどかったのは八王子料金所。オリンピックだからとETCの出口を1車線にするという信じられない規制をしていた。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あっけにとられる陳腐な結論「北極探検隊の謎を追って」

2021-09-05 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『北極探検隊の謎を追って』ベア・ウースマ著/ヘレンハルメ美穂訳(青土社)

久々にひどい本を読んだ。当然だけれど、面白いんだろうと思って読み始めて次々に裏切られ、最後の著者の探検隊遭難死の原因はこれだという裏付けに乏しい陳腐な推測で、深い失望と怒りすら感じた。

話の概要はこうだ。1897年7月11日スウェーデンとノルウェーの連合王国の3人の探検家、サロモン・アウグスト・アンドレー(42歳)、クヌート・フレンケル(27歳)、ニルス・ストリンドベリ(24歳)が北極点を気球で目指した。まだ北極点は人類にとって未踏の地であったときだ。この時代は探検の時代といってもいいくらい、世界の未踏の地に次々に人類が足跡を残していた。北極点も例外ではなく、列強といわれる国々が国の威信をかけて北極点一番乗りに力を注いでいた。

そんな中、民間で資金を集め極点を目指したのが、このアンドレー隊だ。準備は杜撰、一度も試験飛行をせずにいきなり出発し、気球から水素が抜けて3日と経たず北極圏の氷上に不時着することになる。その後の隊の行動は、彼らが残した日誌によって明らかになっており、なぜ十分な食料や衣類、ボートやソリ、猟銃などの装備があったのに全員死亡という結末に至ったのかその原因を究めようというものだ。

本書では、日誌を判読不能部分を黒くつぶして紹介したり、日誌の全内容を天候、食事、運動、精神状態などの項目をつくって表にまとめたり、遺体の解剖記録を図入りで掲載したりしている。こうしたロウ(生)データを、少し加工はしているものの、読者の前に垂れ流しているのがまず気に入らない。データの羅列でしかなく、退屈な情報がほとんどだからだ。

巻末にもきちんと文章化できなかったのだろうが、3人の死因の可能性についての羅列がある。「プリムス・ストーブによる一酸化炭素中毒」「酸欠のためテント内で窒息死」「海藻スープでの食中毒」「壊血病」「ホッキョクグマ肉を食べたことによる旋毛虫症」「アザラシの肝臓を食べたことによるビタミンA過剰症」……。死因がこれだと特定できる根拠、そして反証が示されている。著者の筆力のなさを如実に物語っている部分である。本来なら、本の核心ともいうべきところで、こんな扱いになっているのは解せない。

一方でこの本のレイアウトは遊び心があって、また当時の写真も多く掲載していいと思うが、困ったことに、私のような年配読者を無視した糸くずのような小さく細い文字を並べた本文ページもある。なぜそうしたのかの意図もあいまいだ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする