目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

恵那山やめて馬籠散策

2016-08-28 | まち歩き

恵那山に行く予定だったんだけどね。このときは、心が折れました。では、顛末記を。

2006年8月6日(日) 晴れ

メンバー 山の神と私

  まだ暗い早朝のもみじ平キャンプ場

もみじ平キャンプ場でテント泊し、朝4:35起床。ねぼけまなこをこすって、朝露でしっとりと濡れたテントをたたみ、5:15山の神とキャンプ場を後にした。前回来たときには単独行で神坂峠から登っていて、今回も神坂峠から登るつもりでいた。しかし、このときは運悪く林道が通行止めになっていて、閉鎖されたその場所に明らかに登山者のものと思われる車が数台停められていた。こんな手前から歩くとなると、プラス2,3時間かと考えただけで、げんなりした。黒井沢ルートからならどうだろうと、地図を見ながら、山の神に告げると、歩く距離が短くならOKとばかりに、山の神はその案に飛びついた。さっそく車に乗り込み、園原ICから中央道に上がる。神坂PAで再び地図を見ながら、朝食。食べている間に気温はぐんぐん上がって25℃に達した。

ああ、これって昨日と同じパターンじゃないのか、昨日登ったばかりの大川入山の灼熱地獄が蘇ってきた。山の神も同じシーンを思い浮かべていたようで、どちらともなく、やめようとなった。登り始める時間もだいぶ後ろにずれ込んでしまったことだし、、、なんとも意気地のない話だが、これこそが山の神と私の、ムリは禁物ゆるゆる山行だ(笑)。

で、その後どうしたかといえば、馬籠散歩となった。

 
左:中山道の石畳 右:馬籠の宿

まだ観光するには早い、ひとけのない馬籠に到着した。中山道の石畳を見て、江戸時代の旅人に思いをはせ(ホンマカ?)、島崎藤村記念館に足を運ぶ。朝イチから入館者はいて、熱心に展示品に見入っていた。その見入っていた展示品をこちらも負けじとガン見していくと、嫌が応にも、藤村の几帳面ぶりに気づかされ、驚かされる。それ以上に驚かされるのは、藤村の父の残した掛け軸「忠告」だ。「本妻に長男あるときは妾をとるべからず」とある。家の存続、繁栄がこの根っこにはあるのだろうけど、あの『破戒』の藤村の父がこれか。裕福な家だと、お妾さんは当たり前だったのかもしれないけれど、時代が変われば、倫理も変わるのかとシンプルに驚かされた。しかも掛け軸だしね。

馬籠宿は予想外に歩きでがあって、駐車場に戻りながら、ああ疲れたどこか座る場所はないかとキョロキョロし、自然と茶房土蔵に吸い込まれた。午前中だからまだ客も少なく、ゆったりとスペースを使えた。コーヒーフロート(当時¥450)をオーダーし、まったり。さて次はどこに行こうかと山の神にいいつつ地図を広げると、馬籠宿からほど近い場所にある男滝・女滝に目が止まった。行ってみよう!と即座に決定。

 
左:男滝 右:女滝

男滝はすぐあれだとわかり、間近まで行ってマイナスイオンをたっぷりもらえた。女滝は、どこにあるんだという感じだったが、奥まったところに少し落差のある滝があって、それが女滝だった。山の神は、女滝はどうでもいいやという感じで、もう興味を失っていた。

滝見物のあとは、そのまま妻籠方面へ移動し、木地師の里を訪ねた。コの字形のテーブルや、チェスト、ちゃぶ台をはじめ、高価な木工品がずらりと並んでいて、目の保養になった。時計を見ると、昼も近い。朝食が早かったから、腹の減り具合も早い。さっそく近くの大衆食堂に入り、山の神ともども名物ソースカツ丼を食べた。まったく期待していなかったのだが、極上だった。やはりその土地の名物を食べるべきだね。お店を出た(12:30)後はまっすぐ帰宅。ギリギリ渋滞にはまらないかと思ったのは、高速にあがった最初だけで、結局帰宅は17時になっていた。

ちなみに、このとき登れなった恵那山再訪は、7年後の2013年となった。

前日の「灼熱の大川入山」に戻る

参考:当ブログ「恵那山」2013年10月13日
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/ef6d2d80562a1db928c452a6ee856a6d

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灼熱の大川入山

2016-08-20 | 山行~中央アルプスと御嶽山・白山

大川入山 標高 1907.7m 横岳 1574m 長野県

2006年8月5日(土) 晴れのち雨  

メンバー 山の神と私

コースタイム 9:03治部坂観光センター前駐車場9:25--9:36大川入山登山口--10:25横岳ベンチ10:35--11:20鞍部11:32--12:20大川入山山頂(昼食)13:00--13:56休憩14:07--14:27横岳ベンチ14:34--15:30駐車場

10年前恵那山に行こうと、山の神と計画を立てた。移動した初日は、軽く大川入山を登って足ならし。テント泊して翌日早朝から恵那山と決めたのだが、足ならしのはずの大川入山は、すさまじい暑さで消耗するばかりだった。2000メートルくらいあれば、下界より12度は低いはずと、踏んだのだが、2000メートルに近いのは山頂付近だけで、途中はもっと低いわけだからね。

さて、8月5日の朝は山の神とともに4:30に自宅を出発した。ガソリンを満タンにし、コンビニで朝食の買出しをし、中央道に上がった。諏訪湖SAまで休憩をとらずに進んで、そこで朝食にありつく。高速を下りたのは8:05頃で、再び食糧調達のためにコンビニに入った。そこから登山口のある治部坂高原を目指したのだが、当時はカーナビがなかったのと、地図のチェックをきちんとしていなかったこともあり、道に迷って行きつ戻りつをしていた。

 
左:治部坂観光センター 右:観光センターから10分ほどで大川入山登山口

153号(三州街道)に入り、まっすぐ治部坂高原へ。いったん登山口あたりまで車で行ってみるが、停めるところがなく、9:03治部坂観光センターに戻って車を置くことにした。気温は、すでに25℃もあって、猛暑の予感。9:25身支度をして、山の神と出発した。

 
左:横岳のベンチでさっそく休憩する山の神 右:灼熱の道へ

横岳には10:25到着。ポツンと置かれたベンチで休憩する。とにかく暑いが、まだ日影なのでましだ。ここからは、樹林帯を抜けてしまい、照りつける日差しを避けようもない。少し行くと、小学生の女の子とお父さんの2人連れがいた。声をかけると、娘がバテてしまったので、引き返すところだという。たしかに子どもには酷過ぎる暑さだ。熱中症注意!

 
左:時折風が抜けると、涼しい道になる 右:大川入山山頂

やがて樹林帯に入り、少し暑さも落ち着く。さらに空が雲で覆われ始め、日差しを遮ってくれるのはありがたい。その後鞍部での休憩をはさみ、一気に急登を進んで山頂を目指した。

山の神と私は、まるでシャワーでも浴びたかのような汗のかき方で、ようやく12:20大川入山の山頂に達した。三脚を立て望遠レンズで写真撮影に余念のない方が1人いるだけで、静かな山頂だった。山頂では、腹が減ったなと、コンビニおにぎりと、アジアメンフォーを食べ、13:00には、もう元来た道をたどり始めていた。


笹原の気持ちのいい道

復路も変わらず暑い。夏に来るべき山ではなかったかと反省する。


涼しければ、最高の道なのだが、、、

へばりながらも、前進あるのみ。一歩一歩前に進んでいれば、いずれは、この灼熱地獄から解放される。1時間ほど歩いて休憩をいれ、下山時間も見えてきたころ、今度は雲行きが怪しくなってきた。ゴロゴロと遠雷が聞こえてくる。

雷雨には遭いたくないなと、先を急ぎたいところだったのだが、休憩後わずか20分で、横岳のベンチに倒れるように座り込む山の神。汗をかき過ぎて、バテバテなのだ。ここでも水分補給したのだが、山の神の消耗は激しく、いっきにペースダウン。なかなか先に進めなくなってしまった。


存在感たっぷりの大川入山を望む

あと15分くらいで下山というところで、とうとう空が泣き出した。暑いのに拷問だなといいながら、レインウエアを上下着込んで、最後のひと踏ん張り。駐車場には、15:30に到着した。最初から最後まで消耗戦だった。

本日のお宿は、もみじ平キャンプ場(現在は銀河もみじキャンプ場)だ。その前にこの汗くさい体をさっぱりさせたいと、宿り木の湯(¥500、廃業してしまったようだ)に向かうと、なんとも間が悪いことにちょうど団体が到着して、大賑わいになってしまった。風呂は後回しにして、先にテント設営をしようと、キャンプ場に車を走らせた。料金は2人で¥2,400。キャンプ場用のスノーピークのテントを山の神と張り、17:00頃再び、宿り木の湯へ向かった。今度は団体はいない。無事入浴し汗を流した。ついでに施設内の食堂で、ざるうどんとジャガ味噌を食べ、細胞が生き返ってくる。テント場に戻って、今度はビールだ。つまみに枝豆を用意し、持参した缶ビールで山の神とお疲れさん会の開催となった。

さあ、明日は恵那山。

つづく

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200名山、経ヶ岳

2016-08-14 | 山行~中央アルプスと御嶽山・白山

標高 2296.3m 長野県

2016年8月7日(日) 晴れ

メンバー 私単独

コースタイム 6:44仲仙寺駐車場(?)6:54--7:50四合目7:58--8:28五合目--8:53六合目9:00--七合目--9:55八合目10:05--九合目--10:48経ヶ岳山頂(昼食)11:15--12:19七合目12:25--13:09四合目13:14--14:00駐車場

夏に歩くには、ちと暑く、しかもロングコース。8合目の展望はいいけれど、急登ばかりで健脚者向きといった山だった。いまは5月にトレランの大会「バーティカル・リミテッド」も開催されていて、あまり二百名山に選ばれるような風情や楽しさはなかった。

まずこの山を調べて、おののいたのは、2008年版の昭文社山地図によれば、標準コースタイムがピストンで8時間40分もかかることだ。でも以前遠足登山をやっている映像を見た記憶があって、このコースタイムは間違っているというヘンな確信があった。ヤマレコでチェックすると、同コースは7時間10分になっていた。これなら、東京からの日帰りも可能だ。ヤマレコ・タイムをベースに計画を立てた。

 
左:仲仙寺の駐車場? 右:予定していた伊那市考古資料館の駐車場

本日の山行は、山の神が嵐のコンサートで長野に行くというので、単独行だ。気合いとともに早起きし、3:54自宅を出発。山の神といっしょのときは、朝食に必ず40分とっているが、車の中でパンをかじりながら移動し大幅短縮した。中央道の最終PA、辰野にコンビニがあって、ラッキーとばかりに昼食の買出しをし、伊那ICで下りた。

カーナビの指示に従い、たちまち目的地近くまで来た。6:44車を置こうと思っていた考古資料館にしては、建物の感じが違うなと思いつつも、1台停まっていた先着の車に横付けにした。山支度を始めると、すぐに軽自動車が1台隣に滑り込んでくる。トイレに寄って出発するときにまた1台やってきた。このコースは長いせいか、この時間でもう、このドライバーが本日の最後のトレッカーだということが、下山時に判明した。驚くことにこのコースは、ダムからの道はあるものの、こちらの仲仙寺から登って、ピストンが普通だから、嫌が応にも入山した全登山者と会うことになる。

歩き出してものの1分ほどで、伊那市考古資料館が出てきた。なんだこんなところにあったのかと、駐車スペースを覗くと、車は3台。意外に少ない。そのまま舗装された坂を上がり、どん詰まりの羽広観音前を道標に従って、右へ折れていく。

 
左:羽広観音 右:四合目

観音様から離れていくと、4駆なら走れそうな未舗装の林道になる。道標がしっかりついているので、まず道に迷うことはない。風がそよともしない薄暗い道が続き、汗がどんどん吹き出して、早くものどの渇きを覚える。やがてトレランで使用したのか、「ピット1」なる標示が出て来て、待ってましたとばかりに水分補給した。そのまま腰は下ろさず先へと進む。

少し明るい道に出ると、微風が頬をなで、暑さもやわらぐ。7:50には、ダムへ下る道との分岐、四合目に到着した。ザックを下ろして、お茶を飲む。先はまだ長い。

 
左:フシグロセンノウ 右:キオン

この辺りから、登山道をにぎわすように、そこここに花、花、花と壮観。オレンジ色の大きな花を咲かせているフシグロセンノウがまず目につく。こんなにたくさん咲いているのは初めて見た。そして黄色い花びらを細長く伸ばしたキオン。山の日のテレビ番組で紹介されていて、初めて名前を知ったタマガワホトトギスは群落をつくっていた。そしておなじみのシャジン。

  左:タマガワホトトギス 右:シャジン

腰掛け用に丸太が置かれている5合目で水分補給して、先を急ぐ。しかし一向にペースは上がらず、むしろ足取りは重くなっていく。汗を大量にかいて、やたらと水分補給しているときは、バテる兆候だ。

 
左:見晴らしのいい七合目 右:八合目のヤナギラン群落(復路撮影)

8:53六合目に到着。年配夫婦が先に休憩していた。ほどなくして駐車場で私の車の隣に来たお兄さんが軽快な足取りで追いついてきた。この後彼とは、山頂まで抜きつ抜かれつで登ることになる。ただこのお兄さんは小刻みに休むので、そのたびに追い抜かざるをえず、その後また追いつかれて道を譲るという繰り返しだった。

七合目は通過。そこから横移動すると、すぐに急登になり、一所懸命登っていくと、樹木の切り払われた八合目に到着する(9:55)。暑さと疲労でだいぶヘトヘトだ。そのうち先ほど追い抜いたばかりの若者3人パーティが上がってきた。彼らはここが目的地だったようで、その後山頂で会うことも、すれ違うこともなく、なんと下山時に五合目で休憩している彼らを目撃することになった。たしかに八合目までの山歩きは手軽で、山をやっていない仲間とお弁当を食べに来るにはいいかもしれない。見晴らしは抜群で、伊那谷と南アルプスを一望でき、右手には、樹木の間から木曽駒も見える。


八合目は開けていて、展望抜群。南アルプス方面


八合目からの中央アルプスはちょうど真ん前に木が仁王立ち。この写真は、経ヶ岳山頂手前で撮影。宝剣がよく見えた

 
左:クガイソウ 右:マツムシソウ

八合目は、濃いピンク色のヤナギランの群落がある。ヤナギランといえば、8月後半というイメージだが、よく見ると、まだまだこれからという咲きっぷりで、花芽がどんどん伸びている。一方では、クガイソウやマツムシソウも花を付けていて、色とりどりなのがいい。

 
左:石仏もあった九合目 右:九合目からはだいぶ下ってがっくりくる

10:05八合目を後にする。九合目で山頂までもう少しだと思ったのもつかの間、なんとここから、道を間違ったかというくらい、したたか下る。そして下ったのちには、長い急登が待っている。まったくトレーニング・コースかというくらい意地悪だ。

 
左:経ヶ岳山頂 右:山頂にはアーティスティックな石仏も

10:48ヨレながらも、予定よりも早く経ヶ岳山頂に到着した。樹林帯の中ではあるけれども、木曽駒の方角が少し木がまばらになっていて、ちょっとだけ展望がある。写真を撮った後、やれやれと腰を下ろし、昼ごはんにした。朝食が早かったので、腹はすきまくっていた。おにぎりにかぶりついていると、不快なことにどんどん虫が寄ってくる。虫除けパッチをザックとキャップに貼り付けていたのだが、あまり効果はなかった。

さっさと食べて11:15下山開始する。復路は、基本ずっと下りなので、サクサクと進む。七合目手前で追い越した年配の夫婦が登ってきた。本日最後のサミッターのようだ。

七合目と四合目で短かめの休憩をとっただけで、暑いこともあり、早く下りたいとそれだけを念じて、足も速まったようだ。駐車場に到着したのは、14:00だった。予定より1時間も早い。これは渋滞も短く済みそうだと、内心ほくそ笑んでいたのだが、そうは問屋が卸さなかった。中央道に上がって快調だったのは一瞬で、双葉ジャンクションで事故渋滞、そしていつもの勝沼あたりからの渋滞、小仏トンネルからの渋滞、八王子からの渋滞などで、なんとプラス2時間半。自宅に着いたのは、優に19時を回っていた。

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南木佳士『山行記』

2016-08-13 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

 『山行記』南木佳士(文春文庫)

著者は、1989年『ダイヤモンドダスト』で芥川賞を受賞。純文学をこころざす一方、医師としても働く、いわば2足のわらじを履く御仁だ。40代で心のバランスを崩し、周囲の勧めもあって50代で山を始めたという。この小著で、冒頭に出てくるのは、「ためらいの笠ヶ岳から槍ヶ岳」。山初心者にしては、派手な山行記録だ。2泊3日のテント泊で、病院に勤務する若い仲間とともに、まずは笠新道を上がっていく。私もそろそろ笠ヶ岳を登りにいこうかと考えているが、どうもあの等高線混み混みの地図を見ると、逡巡してしまう。著者によれば、笠新道は、日本3大急登に数えられているという。3大急登!そうなのかと納得。

話しを戻そう。やはり50代で山初心者の著者にとって、テント泊装備はきつい。テントは若いやつに持たせればいいとしても、食糧は増えるし、シュラフやマットももって行かなければならない。結果、ペースダウンを余儀なくされ、皆から置いてきぼりをくらうことになる。ただ完全に孤立してしまったわけではなく、50代の著者と同じペースになってしまった筋骨隆々の若いのとコンビで上がっていくことになるから、心理的にはだいぶ救われている。ここでまた横道にそれるが、竹内洋岳氏ものたまっていたが、筋骨隆々というのは、登山にはよくないらしい。なにせ筋肉は、酸素を大量に消費する。高所で酸素が薄くなるところで筋肉だらけの体を動かすのは、大変なエネルギーを必要とするのだ。当然疲労しやすくなる。

さて、なんとか3大急登を制覇し、笠へ到達するのだが、そのあとの無茶ぶりがおもしろい。というか危ない。翌日は双六小屋へ、そして西鎌尾根をたどって槍へと向かう。ふつうは体力と時間に余裕がなければ、行かないはずだ。けれど、参加者が多くて、誰かが行こうと言い出すと、行くことになってしまう。それが団体の、そしてリーダー不在のパーティの恐ろしいところだ。言いだしっぺは、なんと著者(厳密には態度で示しただけだが)。這う這うの体で、最後のパーティとして肩の小屋に到着する。なんともはや。

2話めは、浅間山。年中規制ばかりで、私も含め前掛山にも行けない人が多いが、近所にお住まいの著者は、年に何度も訪れている。蛇骨岳やJバンド、草つきと次々に地名が出て来るが、いったいそこはどこだと思って読んでいたが、巻末のほうに地図が掲載されていた。なるほど、ここかと。NHKの、先輩が学校の後輩を訪ね、授業を行う番組があるけれども、著者はこれを引き受けてしまい、浅間山に生徒を引率して登山することになる。小さい子どもたちは、コントロール不能だから、たいへんだ。ここに書かれている以上の大変さだったに違いない。

3話めは、「つられて白峰三山」、そして最後に「山を下りてから」が綴られる。総じてよくある山行記では、あるけれども、登場人物が躍動している。みなさんのパーティや、山仲間にもこんな人はいるよねというキャラが登場してきて、思わず実在の人物の顔を思い浮かべたりする。事実をたんたんと描写するよりも、こうした読み物としての山行記はとっつきやすいし、共感できる。山のぼらーなら、ちょっとした骨休みにニヤニヤしながら読める、快作だ。

山行記 (文春文庫)
クリエーター情報なし

文藝春秋

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観音平から編笠山

2016-08-07 | 山行~八ヶ岳とその周辺

標高 2524m 山梨県

2016年8月6日(土) 曇りのち晴れ 

メンバー 山の神と私

コースタイム 7:20観音平7:40--8:22雲海展望台8:30--押手川分岐--県境尾根--9:20急登斜面に入ってすぐ休憩9:30--10:27編笠山山頂(昼食)11:15--11:40青年小屋11:47--巻き道--12:45押手川分岐12:53--雲海展望台--13:53観音平

梅雨明けしてもすっきりしない天気が続いたけれども、8月6日はそこそこ晴れるだろうと、日帰りで行きやすいところで編笠山を選んだ。6年ぶり、その前は16年前の2000年に1人で訪れている。ちなみに2000年の来訪時には、観音平に車上荒らしが出た。お隣の車は、キーの部分が破壊されていてぽっかりと穴ができていた。私の車は、その一歩手前で、キーを差し込むホルダーが飛び出ていて、まるで出べそのようになっていた。脳天をハンマーでたたかれたようなショックを受けた。ここは日本だよなと。幸いなことに完全に破壊されなかったので、車内のものを物色されることはなかった。応急処置で出べそを引っ込めて絆創膏を貼ったのを覚えている。悲しくも、出べそカーで帰宅した。

そんなことを思い出しながら、編笠の計画書をつくり、その日は予定通り4:30に山の神とともに自宅を出発した。

 
左:観音平駐車場に停められずに路肩へ 右:カラマツ林に突入

 双葉SAでのんびり朝食をとり、小淵沢ICで中央高速を下りる。ローソンで昼食の買出しをし、観音平近くに来てびっくり。路肩に車列ができている。ということはもう満車? 山の神とマジかといいながら、上がっていくと、案の定満車だった。しかし、16年前に来たときにはたしかなかった駐車スペースが上のほうにつくられていた。パッと見そちらもずらりと車が停まっているように見えたので、わざわざ見に行くことはせず、路肩駐車を選択。Uターンして、車列の先頭に停めた。

支度をしているうちに、路駐車はどんどん増えていく。こんなに人気がある山とは知らなんだ。10分ほどで準備完了し、山の神と観音平の簡易トイレへ向かった。

 
左:ホタルブクロ 右:シャジン(帰路撮影)

7:40観音平を出発する。天気は今いち。観音平に到着したときは青空が見えていたのに、いつのまにか曇っている。風がなく、蒸し蒸しして、やたらのどが渇く。そのうちガスってきて、霊界を歩いているようになった。ずっとこの不気味なままだと嫌だなと言っているうちに、8:22雲海展望台に着いた。すごい人だ。あれだけの車が停まっていたのだから当然か。ガスっていて展望はまったくなし。展望の代わりに傍らにご立派なホタルブクロが咲いていた。

8:30展望台を後にすると、今度はシャジンが咲いていた(写真右上)。

 
左:押手川分岐手前。岩がごろごろしていた 右:体が冷えたと飛ばしまくる山の神(画面中央)

暗い森の中を進んでいくと、押手川分岐に出た。ここは小広いこともあって、雲海展望台以上に大勢の登山者が休憩をとっていた。私は休憩するには、まだ早いからと、山の神とともに通過。そこからしばらく歩いて、巨岩を越えた辺りで休憩にした。ここでバームクーヘンを食べていたのだが、意外に気温が低かったようで、ほんの10分くらいだったのにだいぶ体が冷え切ってしまった。

山の神が寒いと言い出し、堰を切ったように猛スピードで歩き始めた。あれよあれよという間に先へ先へと登っていく。

 
左:コース中、唯一のハシゴ 右:森林限界を越える

やっと温まってきたと、山の神が立ち止まり、長い急登に突入していく。後から追いついてきた20代パーティに道を譲り、われわれはマイペースで登っていく。やがてハシゴが出てきて、そろそろ森林限界かと思ったのもむなしく、そこからが長い。やがて森林限界を越え、草地に出る(写真右上)。


ガスの中に権現岳

編笠山山頂には、10:27に到着した(冒頭写真)。16年前にはあった山梨百名山の標柱が朽ち果てたのか、なくなっていた。ちなみに6年前の写真も物色してみたが、写っていなかった。

相変わらず雲は多く、残念ながら展望はない。権現方面だけが、ガスが流れ、かろうじて視界を確保できた。その後朝食が早かったこともあり、10時台だが昼食にした。

 
左:編笠山頂を後にする 右:青年小屋を見下ろす

11:15下山開始。眼下に青年小屋、足元に気をつけながら、急斜面を下っていく。最後の岩場を過ぎて、山頂以上に登山者でごったがえす青年小屋にたどり着く。小屋で供しているカレーを食べている人、ブランコでくつろいでいる人、これからのルートを確認している人など、さまざまだ。山の神と小屋のシンボル「遠い飲み屋」のちょうちんを確認し、休憩とした。

 
左:青年小屋から編笠を振り返る(画面手前に山の神) 右:青年小屋周辺は登山者でにぎわっていた

11:47青年小屋を後にする。歩きにくい巻き道を足元に気を遣いながら進んでいく。山の神は下りだというのに、バテてペースダウンしていく。後ろのほうで鳴っていた山の神の熊鈴の音がふと気づくと、小さくなっていて、振り返ると、だいぶ後方を歩いていた。

それからは難行苦行。山の神に押手川分岐で休憩にしようといって時計を見て、もうすぐだよといったが、一向に着かない。結局到着は、12:45。押手川分岐は、またもや大量の登山者であふれかえっていた。

 
左:巻き道横には、苔むした岩がごろごろ 右:日が差してきて、カラマツと苔のライトグリーンが映える

押手川分岐で体が冷えないうちにと山の神を促し、下山を再開。すぐに後ろから追いついてきた年配の単独行の方に道を譲ると、遅いからと言って、辞退する。その割には後ろにぴったりと着いてくる。だれかと行けば、安心、保険といったところなのか。ところが、このご年配者、岩で足を滑らせ、派手にこけてしまった。音で気づいて、私と山の神は引き返した。ザックが背中を飛び越えて、体をまるめてまるで謝っているような姿勢になっている。だいじょうぶですかと声をかけると、だいじょうぶという。おもむろに立ち上がったので、ひとまずは安心した。年配者の単独行は、怖い。でも人が多いこんな時期であれば、事故っても何とかなるか。

観音平には、13:53到着。帰途、道の駅小淵沢に寄ったが、満車で立錐の余地もない。あきらめてまっすぐ帰ることにした。中央道で少し渋滞に巻き込まれ、17:30頃自宅に到着した。

編笠山・権現岳・西岳2010年7月31日~8月1日
http://blog.goo.ne.jp/aim1122/e/fe895762cd6805bca71708e9702d8e57

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