目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

まさかの、、、暗門の滝トレッキング

2019-07-27 | 山行~東北

標高 約280m 青森県

2008年9月16日(火) 快晴

メンバー 山の神と私

コースタイム アクアグリーンビレッジANMON駐車場8:20--ぶな散策歩道--9:20暗門の滝第3の滝--9:50休憩10:00--10:27駐車場

6:00アクアグリーンビレッジANMONのテント場にて起床。朝食用に買っておいたパンをかじる。テント撤収後、観光案内所に移動し、暗門の滝のコースガイドをもらい、8:20ビレッジ内の駐車場から山の神とともに出発した。

 
左:ブナ以外にホオノキ、トチノキも生い茂る 右:おいしい水をいただく

コース起点には、「白神山地ブナ原生林の水 水飲場」があり、思わず引き寄せられる。ただの水飲場だったら、スルーしたかもしれないが、この名前だけに飲んでいかなければとなった。実際においしい水だった。

冒頭の巨大な標柱をフレームに入れて記念撮影し、山に分け入っていく。

 
左:鬱蒼としたブナの散策路を進む 右:河原に出た

木を伐りすぎじゃないのかというくらい広々とした道が続く。平日だけあって誰にも会わず、静かな道行となる。やがて河原に出た。

 
左:案内板 右:川沿いにつけられた遊歩道を行く

そこには案内板が設置されていて、暗門の滝第1の滝まで40分ほどであることがわかる。山の神と川沿いの遊歩道を進んだ。

9:20駐車場から1時間ほどでこぢんまりとした暗門の滝、第3の滝に到着した。マイナスイオンを全身に浴びながら山の神とパチリパチリと記念撮影していると、先ほどまでここにいた先行者が引き返してくる。なぜ?


暗門の滝、第3の滝

なんと第2の滝に向かう階段は鉄筋でがっちり通せんぼされていた。どうやら遊歩道が崩れてしまっていて通行不能のようだった。残念だが引き返すしかない。

9:50先ほど通過したブナ林散策道の分岐で休憩し、その後は渓谷の狭い場所を縫っていき、ちょっとした探検気分を味わった。

 
左:記念撮影 右:悲しいかな、通行止め

コース入口に戻ると、先ほどの水飲み場隣の休憩所には人がいて、森林環境整備を目的とした協力金を募っていた。300円を支払い、ブナの葉入りの協力証をいただいた(下の写真)。

 
森林環境整備協力者の証。裏にブナの葉

10:27アクアグリーンビレッジANMONの駐車場に戻った。

この暗門の滝をいま調べてみると、遊歩道は壊れてしまったようで(台風のせい?)、ガイドをつけて沢を詰めていくのが一般的なアプローチ方法になったようだ。誰もが容易に行けたところが、容赦ない自然の猛威で半ば閉ざされてしまった。環境保護という観点からはちょうどよかったのかもしれない。

楽チンコースで岩木山へにつづく
白神岳マテ山コースに戻る

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山男版画といえば、畦地梅太郎

2019-07-22 | 山雑記
 
7月15日(月・祝)残念な天気の海の日に初めて町田の街を山の神とともに訪ねた。山の神が見つけた町田市立国際版画美術館の展覧会「畦地梅太郎・私の山男」に惹かれたからだ。
 
じつはうちには、20年くらい前に渋谷のギャラリー百号(いまはもうないのかも)で購入した「山男と鳥」の版画があって玄関に飾っているのだ。畦地梅太郎の作品は郷愁を誘うなんともいえない味があり、とくに山男と鳥が収まっているのは出色で大のお気に入りなのだ。
 
山男は髪と髭が同じストライプで表現されていてユーモラスなところにもってきて、同様にストライプで表現される雷鳥が登場すると、独特でさらにユーモラスな感じが倍増する。このストライプをモチーフにいろいろ遊んでいるようにも思える。
 
自らの家族6人全員を登場させた版画も目を引く。ほのぼのとした感じと幸福感が充満している。観ているこちらにも幸せな気分になるから、幸せのおすそ分けだね。
 
 1Fにはカフェがある。雨が降っていなければテラス席も
 
畦地梅太郎の展覧会は9月23日(月・祝)まで開催されているので、お見逃しなく。
 
仮に見逃しても、版画集や『山の眼玉』というイラストと版画が掲載されているエッセイ本も出ているので、こちらでも楽しめる。
 
 
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白神岳マテ山コース

2019-07-16 | 山行~東北

標高 1231.9m 青森県

2008年9月15日(月・祝) 晴れ

メンバー 山の神と私

コースタイム 6:45白神岳登山口広場(駐車場)7:08--記帳所--7:50二股コース分岐8:00--8:30最後の水場8:35--9:06マテ山分岐--10:00ビューポイント10:08--10:45白神岳山頂(昼食)11:25--12:30休憩12:40--13:40二股コース分岐--14:18登山口広場

前泊は十二湖リフレッシュ村キャンプ場。前の晩には明日は4:00に起きるぞと意気込んでいたが、寝不足と連日の仕事疲れ(?)のせいか、当初の計画どおり5:00にしか目が覚めなかった(山の神も)。外に出てみるとキャンプ場内には、なぜか音楽が流れていた。

パンをスープで胃の腑に流し込み朝食は終了。即座にテントを撤収し、6:20リフレッシュ村を後にした。6:45白神岳登山広場に到着する。まだ車の台数は少ない。

 
左:白神岳登山広場 右:白神岳登山広場上の休憩所(トイレ完備)

支度をしていざ出発となるが、広場上部にあった立派な休憩所が気になり、興味津々で中を覗いたり、案内図を見たりしているうちに、だいぶ時間をロスしてしまった。7:08山の神とようやく歩き始めた。

 
左:白神岳登山案内図 右:白神岳登山口

歩き始めてすぐにガサガサとヤブで音がして、一瞬熊が出たのかとのけぞったが、その正体はヤマバトだった。飛び去る姿を見て、熊もいるんじゃないかと熊鈴をすかさずフリフリする。山の神も盛大に鳴らし、気を引き締めた。

まもなく三角屋根の小さな建物、記帳所が出てくる。われわれの直前に名前を書いていたのは埼玉県からの登山者だった。関東からも来ているのだと妙な親近感が湧いてくる。

 
左:最後の水場 右:マテ山分岐

7:50二股コースの分岐に到着。二股コースは「2003年秋に開通、少し道が荒れている」と昭文社2008年版地図には記載されていて、さらには最後の上りに「最急登」ともあって等高線がかなり詰まっている。一般的なルートではないと判断して、このルートをたどることはあえて避けることにしていた。沢の渡渉があって楽しそうではあったのだが。

薄暗い二股分岐で休憩し、そこから30分ほどで「最後の水場」へ。ここでも小休止をとり、急登を上がって9:06マテ(蟶)山分岐に出た。鬱蒼としたブナの森ながら、木漏れ日もあって爽快だ。


思わぬビューポイントのプレゼント。黄金崎と日本海を一望する

マテ山分岐からだらだらと横移動し、10:00見晴らしのいい場所に出た。恰好の休憩ポイントだ。山の神とともに日本海を見下ろし、黄金崎の向こう側にかの有名な不老ふ死温泉があるはずだと指をさす。腰を下ろし、しばし休憩する。


山頂付近が見えた

10:08山頂に向けて山の神と出発する。やがて灌木地帯に入り山頂付近が見えるようになる。


白神岳避難小屋

10:45なだらかな登山道の先の山頂に到着した。先ほどまで山頂に黒い影を落としていた厚い雲はいつの間にか流れ去っていて、気持ちのいい青空に変わっていた。

山頂には思ったより登山者がいて皆楽しそうに談笑していた。そのなかに単独のジモティとなんと青梅から来たという人が山談義に花を咲かせていた。関東からも結構登りに来ているようで、さすがは世界遺産の山だと改めて痛感した。


ブナ原生林が広がる山並み

山頂から周囲を見渡すと、白神山地の山並みが遠くまで連なっていて、山深さを実感できる。ひとしきり景色を堪能した後、ここで山の神とお昼にした。

 
ブナの森を堪能しながら下山

11:25名残惜しさを感じつつも、下山を始める。来た道を戻るピストンで再びブナの森に突入していく。休憩をとりながら、14:18登山口広場に戻った。

ザックや登山靴などを片づけて14:35本日の宿泊地アクアグリーンビレッジANMONへ向けて出発した。


アクアグリーンビレッジANMONの河原のテントサイト(フリーサイト)。翌朝撮影

ところが、カーナビに目的地をセットすると、到着時間が17:10と出る。距離にして55,6Kmだから、おそらく何かの間違いで1時間半くらいで着くはずだと思って走り出したのだが、、、

なんと道はすぐにすさまじいダートコースに変わった。こういうことなのかと得心。とはいっても、長い。長すぎる。埃を巻き上げ、車体を真っ白にしながら走りつづけ、カーナビが表示したまさにその時間を要し、アクアグリーンビレッジに到着した。あとから調べたところ、この道は白神ラインと呼ばれていて有名な悪路ということだった。現在は少しは舗装が進んだのだろうか。

テントの申し込みをすると、フリーサイトは1張り¥500という。とてもリーズナブルだ。しかもガラガラでフリーサイトには、福山ナンバーの車1台だけが停まっていた。その車の持ち主に話しかけてみると、旦那さんが定年退職したのを機に、夫婦で山登りしながら全国を巡っているのだとか。北海道からスタートして、ほんの2、3日前に青森に入ったという。うらやましいかぎりだ。

まさかの、、、暗門の滝トレッキングへつづく
ブナの原生林を求めて白神山地へ~プロローグへ戻る

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ブナの原生林を求めて白神山地へ~プロローグ

2019-07-14 | 山行~東北

白神のブナを常々見たいと思っていて、それを実現したのは11年前のことだった。白神山地は世界最大級のブナの原生林とクマゲラやイヌワシなどが棲息する独自の生態系をもつ貴重な手つかずの自然だとして1993年に世界自然遺産に登録されている。


白神山にて撮影したブナ

東京を山の神とともに発ったのは、2008年9月14日(日)だった。

この日は4:00頃起床し、自宅を4:35自家用車のエスクードで出発した。ガソリンを満タンにし、コンビニで買出しをし高速にあがる。このとき中央環状はタンクローリーの事故で長らく通行止めになっていて、向島を回らざるをえなかった。東北道に入って雨がぱらつきだし、気温は20℃くらいまで下がってひんやりする。順調に進んで上河内SAに入り、コンビニパンで朝食をとった。

朝食後はひたすら東北道を北上し仙台を越え、長者原SAで休憩をとる。しだいに気温が上がりだし暑さを感じ始めた10:00過ぎ、ようやく秋田道に入った。ところどころ対面通行でなおかつ70Kmの速度制限で遅々として進まない。腹が減ってくるが、ごはんを食べるところもない。山の神と業を煮やしながら琴丘森岳で秋田道を下り、能代市内で昼食にすることにした。

市街地に入り、山の神と目を皿のようにしてロードサイドの飲食店を探していく。回転寿司の平禄寿司を見つけた。検索してみると出てこないので、いまはもうなくなっているのかもしれない。可もなく不可もない寿司で腹を満たし、再びコンビニを探して、今晩と明日の食糧の買出しをした。

その後日本海を一望できる気持ちのいい海岸線の道に出る。強風のせいか緑がかった海には白波が立っているようにみえた。気分よく車を走らせ、やがて十二湖へと折れていく。観光地なのに予想外に狭い道だった。でも連休真っ只中なので遠慮会釈なしに観光バスがどんどん入ってくる。そのせいもあって王池を通過してしまったが、戻って申し訳程度に散策。

十二湖リフレッシュ村キャンプ場

そこから近所の十二湖リフレッシュ村キャンプ場に移動し(14:50)、がらがらのスペースに悠々とテントを張った。料金は当時で¥1,575(1張り)。張ってしまえば、あとは余裕綽綽。北欧館という名(いまはアオゲラのようだ)のログハウス調のレストランへ山の神とともに歩いていき、モンブランケーキとコーヒーのセット¥735を食し、ゆったりとくつろいだ。

いよいよ明日は、念願の白神岳だ。

白神岳マテ山コースへつづく

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飯豊本山は福島県だった!?

2019-07-06 | 山雑記

中公新書の『ふしぎな県境』を読んでいたら、飯豊山(飯豊本山)は福島県であるとのページが出てきた。でも飯豊本山は登っているけれども、たしか山形ではなかったかと思って、自分のブログの記録にあたることにした。検索すると、2001年6月1日に訪れていて、もう18年も前かあと感慨に浸って記録を隅から隅まで読んでしまい、はて何のために検索したんだっけ?となった。そうそう山形県かどうかを調べるためだった。

見ると山形県と福島県と書かれていた。

書いたときのことは何ひとつ覚えていないが、ろくに地図を見もせずにWebで検索して山形県と福島県だと書いたのだろう(山形側の大日杉から入山している)。

『ふしぎの県境』に戻ろう。著者の西村氏は県境フリークで、なぜこうなっているのだろうとだれもが疑問をもつような変わった県境を発掘して本を書いた。なかでも圧倒的にすごいのは、この飯豊山だろう。西村氏が盲腸県境と呼ぶほど、奇妙奇天烈なのだ。新潟県・山形県・福島県の三つの県境にある三国小屋から西へ尾根づたいに1m幅で種蒔山、切合小屋、草履塚、飯豊本山(2105.1m)を経て、尾西小屋まで全長8kmが福島県になっている。

つまりたったの1mの幅で帯状に新潟県と山形県の隙間に福島県が割って入っているのだ。

なぜかといえば、こんな歴史があったからだ。江戸時代に入る直前、会津側の一の木村(いちのきむら)、現在の喜多方市山都町(やまとちょう)からの飯豊の登山道が整備され、飯豊神社の表参道とされた。時代は下って明治。福島県は県庁所在地で揉め、その余波で飯豊山一帯は新潟県に編入されることになる。

しかし福島の一の木村は黙っていなかった。その後新潟側と福島側で綱引きがあり、話し合いでは決着せず、最終的には調停が入って現在の県境が確定したようだ。

この本の著者、西村氏は山のぼらーでもないのに、この県境を自分の目で確かめるために飯豊のお山を目指す。一般登山者はまず行かない鎖場いっぱいの剣ヶ峰を通ってこの尾根に突入していくのだ。

ここまでやるのは、やはり絶対見たい、そこに行ってやろうという執念からだろう。でも彼はこの経験で登山の楽しみを知ったようだから、もうわれわれ山仲間の一員になっているのかもしれない。

 
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