目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

ヒマラヤのドン・キホーテ

2011-06-18 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

1

冒頭いきなりネパールの政治の話から入り、思い切り「引く」。論文調で、「ネパール政治学」の本かと思ってしまう。そのものズバリ言ってしまうと、本の構成や内容が今イチだ。筆者が把握している内容が乏しくて書けなくなって、宮原氏との対談を途中に差し込んで、間をもたせようとする。ここで内容が重複する。それが繰り返される。もっと整理して書けば、こんな迷路に入り込まずに済んだと思うが、どうなんだろう。

もっと宮原氏の業績や人となりをきちんと書いてほしかった。読売新聞の書評を読んだのがきっかけで興味をもって読み始めたのだが、裏切られた思いが強い。版元が読売の子会社である中央公論だから、この書評は手前みそということか。でも、辛抱強く読めば、宮原氏が今まで何をしてきたのか、ネパールにどんな足跡を残してきたのか、そしてなぜ政治に魅入られ、日本国籍を捨ててまでも、ネパール国籍を取得するに到ったのか、なんとなくだが了解できる。

宮原氏は、若いときは探検に明け暮れていたようだ。この本では一言で片付けてしまっているが、冬季の間宮海峡、中央アジア、東南アジア、アフリカ、ヨーロッパ、北米、南米を訪れている。ほかにも南極越冬隊に参加したり、グリーンランド探検を試みている。この若いときの体験が視野を日本から世界へと広げ、挙句の果てに、もっとも身近に感じていたヒマラヤの山懐、ネパールへと魂は飛んでいくことになるのだ。

ネパールで何をしたか。もっとも大きな仕事は、環境に配慮したホテルエベレストビューを1971年に開業したことだ。今は当たり前のようにエコが叫ばれ、環境アセスメントのうえにホテルを建設するが、この当時では、コストに抗えないのが普通だった。それを成し遂げる馬力と自分の信念を貫き通す強い意志には脱帽する。ホテルの次は、トレッキングツアーを始める。ネパールの魅力を世界に喧伝しはじめたのだ。

驚くべきは、還暦時に念願のエベレスト登山を敢行したことだ。顛末は本として出版されている(『還暦のエベレスト』)。幾多のトレーニングを自分に課し、自分で納得のできる十分な準備をして臨んだのであったが、山頂直下で視力が極度に落ちて登頂は断念する。決断即実行のアクティブな人であることが、このエピソードからもわかる。

60歳代になって、ネパールの政治的混乱、腐敗、そして無軌道な都市開発による自然破壊を憂い、政治家を志すことになる。政治家になるためには当然ながらネパール国籍が必要であり、日本国籍を捨てることになる。それをもって、ネパールのドン・キホーテと呼ばれるようになるのだが、なんと呼ばれようが、氏の志は固い。

観光開発を軸にした国土開発や、地方行政の区割変更を政策に掲げる。その概要をみる分には、非常に理路整然としていてうまく機能しそうに思えるのだが、なにせ国民の教育レベルは低く、識字率も低い。だからその政策は、まったく浸透していないのが実情だ。仮に理解できても、ネパール国民は目先の利益に走る、見た目の格好よさに安易に走るから、このような実現できるかどうかわからない雲をつかむような壮大な政策は支持されないのだ。

でも、逆境にあってもあきらめない宮原氏の政治闘争はこれからも続いていくのだろう。

ヒマラヤのドン・キホーテ―ネパール人になった日本人・宮原巍の挑戦
クリエーター情報なし
中央公論新社

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 岩殿山 | トップ | 鈴ヶ岳 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

山・ネイチャー・冒険・探検の本」カテゴリの最新記事