分類:観 鹿島町を見て歩こう (56) 《鹿島町全域》
戊辰戦関連の石塔を見る 慶応4年(1868)1月に鳥羽・伏見の戦いで始まり、6月16日には早くも薩摩・佐土原・大村の三藩の西軍兵が平潟港 (茨城県) に到着し、上陸を開始しました。 7月10日(金)には走熊にある七本松 地点まで進攻してきて、平・仙台藩はそこで砲台を設けて熾烈な戦いが行われましたが、西軍は矢田川の中を密かに進んでくるという奇襲作戦をとったために有利な戦績を残すことになります。
《蔵福寺(走熊)墓地の隅にある供養塔》
不意打ちを食らった平・仙台藩の兵は戦況不利の憂き目に遇い、仙台兵は江名港へ敗走し船で逃亡しました。しかし、この戦いにより絶命した兵士が5名おり、粗末な墓碑には名を刻まれることもなく、蔵福寺の一角に身を潜めるようにして存在します=写真上。 《碑文》 慶応四辰年七月十日於字 七本松仙台藩 爲戦死供養 走熊村中 明治十五年 七日建立 内 発起人六名 石 有志一名 《長瀬宅の裏山にある石碑=獺沢(おそざわ)》
獺沢地区の2名が昭和45年に、明治100年を機会とし無縁仏となった兵の霊を供養するために同地に建てたものです。
《鹿島神社の右手にある戊辰戦役砲台古跡の碑》
石碑には、戊辰戦役 鉋臺跡地 と刻まれています。