いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

戊辰戦で平城を攻めた川

2018-04-05 07:08:35 | Weblog

                                            分類:観                                                         鹿島町を見て歩こう㊱      《鹿島全域》                                                                 戊辰戦で密かに進攻した川                                                             慶応4年1月(1868)、鳥羽・伏見の戦いから端を発した戊辰戦争は、西軍(新政府)の勢い止まるところを知らず、次第に江戸から東北地方へ向けて攻勢を強めてきました。
 同年6月16日(火)には
 早くも茨城県の平潟港に上陸し各地で戦闘が始まり、磐城平城は7月13日(月)に3日間の激闘の末、落城してしまいました。                                                                                                                                             《西軍が身を隠すようにして進攻してきた矢田川》

 鹿島の走熊台場を攻める時には、前を流れる矢田川の中 (写真上) を進んだ軍と、湯本・下船尾から三沢・米田を経て台場の背後に迫った軍があります。
 それには地形、地理に詳しい者を味方に付けなければ奏功作戦は到底無理です。ところが地方在住者に西軍参謀の堀直太郎と関係を持った若松鉄五郎、誠三郎がいました。若松鉄五郎父子は西軍をいかに平城まで導くかを模索した結果、相手の軍に察知されないで攻めていく方法として、矢田川の土手下を通ることを進言したのでした。                                                                                                     

                
《蔵福寺の墓地にある無名兵士5名の供養塔》

 奇襲作戦は成功して7月10日に、台場を据えた七本松(走熊)の戦いでは、仙台・平藩の兵は敗走、次いで華ノ木公園(鹿島神社隣り)、軍事山(平と鹿島の境界)の台場も堕ちて、13日には平城が総攻撃の憂き目に遇いました。
 
     
華ノ木公園にある砲台跡地の石碑》      《民家の裏で絶命した兵士の供養塔》

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