分類 : 歴
いわき市鹿島町を歩こう 26
御代の大仏 所在地 : 光西寺 いわき市鹿島町御代
俗称 「御代の大仏」 とか、雨ざらしのことから 「ぬれぶつさま」 という呼称で親しまれていますが、正式名は 「銅造阿弥陀如来坐像」 といいます。
像の高さが3,45mですが仏身だけだと2,86mで、大仏の坐る蓮華座の直径が2,93mです。
東北では1番の大きさと、銅製の大仏としては珍しいとされており、昭和43年12月27日に
市指定有形文化財になりました。
《銅造阿弥陀如来坐像》
当寺の和尚だった禅法は、宝暦2年(西暦1752)に江戸へ出て人々から浄財を集め、13年後の明和2年(西暦1765)、江戸神田の鋳物師、木村将監たちによって制作が始められ、2年後の明和4年(西暦1767)に完成しました。
しかし、禅法和尚は完成前に上州高崎で毒殺されたという説がありますから、実際には着手から完成までの工程を見ていないことになります。
《光西寺の正門》
像の完成後の運搬にも相当苦労したようで、江戸から小名浜までは海路で運ばれましたが船は小名浜沖で難破し、浜へ打ち上げられた大仏を御代まで運んだというのです。
安置されたその年が、安永5年(西暦1776)と伝わっています。
寄進者は僧や庶民2,371人にものぼり、地元は勿論、信州、越中など幅広い地域に亘っています。
昭和48年9月に寺総代の人たちによって修復されました。
《東日本大震災では悲惨な影響を受けた》
《春日灯籠もご覧の通り》
鎌倉長谷寺の大仏を彷彿とさせる御代の大仏は、現在では 「3,11」 の惨禍からも脱して、幾多の苦難を乗り越えて静寂な光西寺の境内に、石積みの基壇の上で優しく見守ってくれています。
いわき市鹿島町を歩こう 26
御代の大仏 所在地 : 光西寺 いわき市鹿島町御代
俗称 「御代の大仏」 とか、雨ざらしのことから 「ぬれぶつさま」 という呼称で親しまれていますが、正式名は 「銅造阿弥陀如来坐像」 といいます。
像の高さが3,45mですが仏身だけだと2,86mで、大仏の坐る蓮華座の直径が2,93mです。
東北では1番の大きさと、銅製の大仏としては珍しいとされており、昭和43年12月27日に
市指定有形文化財になりました。
《銅造阿弥陀如来坐像》
当寺の和尚だった禅法は、宝暦2年(西暦1752)に江戸へ出て人々から浄財を集め、13年後の明和2年(西暦1765)、江戸神田の鋳物師、木村将監たちによって制作が始められ、2年後の明和4年(西暦1767)に完成しました。
しかし、禅法和尚は完成前に上州高崎で毒殺されたという説がありますから、実際には着手から完成までの工程を見ていないことになります。
《光西寺の正門》
像の完成後の運搬にも相当苦労したようで、江戸から小名浜までは海路で運ばれましたが船は小名浜沖で難破し、浜へ打ち上げられた大仏を御代まで運んだというのです。
安置されたその年が、安永5年(西暦1776)と伝わっています。
寄進者は僧や庶民2,371人にものぼり、地元は勿論、信州、越中など幅広い地域に亘っています。
昭和48年9月に寺総代の人たちによって修復されました。
《東日本大震災では悲惨な影響を受けた》
《春日灯籠もご覧の通り》
鎌倉長谷寺の大仏を彷彿とさせる御代の大仏は、現在では 「3,11」 の惨禍からも脱して、幾多の苦難を乗り越えて静寂な光西寺の境内に、石積みの基壇の上で優しく見守ってくれています。