分類 : 歴
いわき市鹿島町を歩こう ⑲
一圓融合の名残 場所 : いわき市常磐上矢田町(鹿島神社の本堂内)
いわき市鹿島町下蔵持字戸ノ内87-2
「一圓融合」の4文字を簡潔に説明することは難しいので、その1部に触れると 『人徳を以って万象の徳を開闢(かいびゃく)するが故に、報徳生活は人道の原則であり一圓融合によって万象が生々発展し…… 云々』 と述べられています。
志賀直哉村長(昭和9年2月就任)が荒廃した村政を立て直し、豊かで平和な郷土をつくるという発想から村民に意識を促すために広めた言葉です。
昭和初期は全国的に大不況に見舞われ、特に農山漁村の影響はひどく鹿島村もその例外ではなく、不況と共に村内の世相も厳しく動いていた時でした。
《鹿島神社の本堂内にある木碑。その素材は?》
鹿島神社(現・常磐上矢田町)には、当時の鹿島村振興委員会が奉納した 「一圓融合」 の文字が刻まれた木碑がありますが使用された木の素材は、歴史ある七本松(現・鹿島町走熊)が倒木した内の1本を輪切りにして作られたものです=写真。
《熊野神社(下蔵持)の上り口にある石柱》
志賀直哉(1889~1956)は旧、鹿島小学校玄関前に円形に12本のシュロの木を植え、その中央部に二宮金次郎少年期の像(背に薪を負い本を読んでいる)を配した造園の発想をし、村内12大字全体の不況脱却と融合を願いました。
また、金次郎像を中央に配したのは、児童たちが金次郎にあやかるようにとの念願を込めての建立でした。