いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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時折、プライベートも少々。

いわき市鹿島町を歩こう46

2015-08-30 07:12:37 | Weblog
                                            分類 : 歴
 いわき市鹿島町を歩こう    46
      尋常小学校への道             場所 : いわき市鹿島町走熊字鬼越

 明治時代の鹿島小学校は12ケ村に三つあり、校名も場所もめまぐるしく変わりました。
 明治6年6月、鹿島町久保 (当時は久保村) の金光寺を借り受けて久保、飯田、上・下蔵持の生徒男14名、女2名の総計16名を抱え啓蒙小学校が開校しました。
その後、久保小学校、下蔵持小学区、蔵持小学校と改称されて、明治13年に火災によって焼失。
 成徳小学校 (後の矢田小学校) は、明治6年に上矢田村神宮寺に開校し明治7年、下矢田村の真浄院に移転し矢田小学校に改称されました。ここに米田、走熊など全部で六ケ村の児童が通うようになりました。
 御代、船戸の両村は住吉村 (現・小名浜住吉) の銑心小学 (旧・住吉小) へ通学していました。

 《七本松附近に残る尋常小学校への上り口(左)》 ※右の直進道路は江名⇔常磐線(県道48号) 写真は、その当時の 「蔵持小学校」 へ上る名残の道で、この上が校舎でしたが現在は個人宅なので無断で進入することは出来ません。

 明治14年、矢田小は下矢田村字細作の新校舎に移転し、明治16年、蔵持小は以前の校舎に校舎を新築移転しています。同年、行政区の改正に伴い学区も改正され、走熊・御代・船戸村は、ともに蔵持小の学区になりましたが、矢田小や住吉小に通う生徒もいました。
 明治20年4月~同22年4月の間は授業料を徴収されない簡易小学校となりましたが、その後、下矢田・蔵持の両簡易小学校を共に尋常小学校と改めています。


            《昭和54年まで存在した校舎で、下が現在の鹿島小学校》

 昭和10年、走熊字中島(※現在、鹿島小学校がある場所)に木造平屋建て瓦葺きの小学校 (写真の上段) が完成したのです。
 因みに、いまある鉄筋3階建ての校舎 (写真の下段) が出来たのは昭和54年です。
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