いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

いわき市鹿島町を歩こう23

2015-08-07 06:54:11 | Weblog

                            分類 : 歴
 いわき市鹿島町を歩こう 23


   湯殿山の石塔
    全国的に云えることだったが、鹿島でも山岳信仰が地区(村)別に盛んに行われ、無尽講による神社仏閣参拝の講中がありました。
 無尽講とは毎月一定額の金円を出し合い、それを抽選により当たった人が纏まった金円を借りることができるという方法で、言ってみれば農村の金融機関の役割を果たしていました。
 これにより参拝の講中もあり、成田山や小峯神社、伊勢神宮、羽黒山、月山、湯殿山参りに出掛けて行きました。2,3人で出かけたり、地区によっては合同で講中を組んだりもしました。


                《米田地区にある石塔

 山岳信仰は、山を崇める信仰で基本的には山そのものを指し、あるいは山にある大木、巨大な岩が信仰の母体になりました。

               《走熊地区(蔵福寺の境内)

 山を信仰することは、豊かな収穫を祈る事にあったので山ノ神は田の神でした。山ノ神が農作業の時期に山から降りてきて、田の神になるという考えも少なくありませんでした。

               《下矢田地区(真浄院の境内)

 我が国のおける山岳信仰の始まりは火山系、水分(みくまり)系、葬所系の3つの型に分けて考えている。水分系というのは、分水嶺即ち水源の山に対する信仰で、農耕を営む人々にとって山は生命の源であり、かつ水害を引き起こす脅威でもあった。
 こうした山に対する感謝の念と畏敬(いけい)の念が山岳信仰を発生させていたのである。(宗教民俗学者・堀一郎)
 
 
 鹿島に湯殿山碑は他の地区にもあるが割愛します。
 山岳信仰の石碑は「小峯神社」「成田山」なども見受けられるが、圧倒的に多かったのは「湯殿山」でした。出羽三山の総奥の院であり、秘所であった湯殿の信仰は、山形に限らず東北各地、そして越後や北関東まで広がり、江戸時代の丑年御縁年には参詣者が15万人もあったと言われています。
 《山形史》によると、山形市にある「湯殿山の石碑」の数は291基あるそうです。

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