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アジアと小松

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小松基地問題研究会

『革共同50年私史』(尾形史人著2016年) を読む(7)

2016年11月19日 | 落とし文
『革共同50年私史』(尾形史人著2016年) を読む(7)   2016年11月
 引用は要約・省略しているので、直接著書にあたってほしい。【 】は著書のページ数。

(12)スターリン主義
【086】革共同は「ソ連の崩壊はスターリン主義ゆえの当然の崩壊。反スタの優位性」と。清水は「スターリン主義の問題点は一国社会主義論にある」→それだけではスターリン主義を批判したことにはならない。反スターリン主義の正当性を揺るがすもの。【348】スターリン「一国社会主義論」によってソ連が変質したのではなく、ロシア革命直後から変質が始まっていた。レーニンを神聖化せず。

<感想>

 1991年ソ連崩壊はロシア革命とスターリン主義を再検証する絶好のチャンスだったが、私のなかでは、1956年ハンガリア、68年プラハの春、79年アフガニスタン侵略でソ連スターリン主義批判は「完了」していた。ソ連が外部から軍事的に解体されたのではなく、内側から人民によって「打倒」(自己崩壊)され、再革命ではなく資本主義化(「革命」の敗北)したことをもっと深刻に受けとめる必要があった。

 会議でも、革共同は「反スタ」だから、スターリン主義的腐敗とは無縁だと、前提化され、崩壊はスターリン主義ゆえの「当然の結末」「自業自得」と、冷ややかで、外在的で、基本的には無関心だった。ソ連崩壊をもたらしたスターリン主義の思想と革共同の思想を交差させて見る必要があった。

 プロ独は暴力と権力が労働者階級人民に集中する国家であり、労働者階級から政治を託された為政者の個人的・組織的限界を前提にして、その限界を対象化し、チェックし、規制し、修正出来る思想とシステムを不可欠としていた。プロレタリア階級がブルジョア権力を打倒したあとに、どんな政治を展開すべきなのか? 1871年パリコンミューンと1936年スターリン憲法から教訓を汲み取ろう。

<1871年パリコンミューン>
 パリコンミューンは「本質的に労働者階級の政府であり、横領者階級にたいする生産者階級の闘争の所産であり、労働の経済的解放を成し遂げるための遂に発見された政治形態」として、人民による人民のための政治を展開した(3/18~3/28~5/28)。

 パリコミューンの人民主権は、直接選挙によって選ばれた議員は人民の代理人で、人民は公務員の任命権、統制権、罷免権を持つ。市民の権利については、精神的自由権、身体的自由権を規定していた。権力と財産を万人のものとするという社会主義体制をめざした。教育は非宗教性、科学性、無償制を原則とし、教会と国家の介入を排除。常備軍・徴兵制は廃止し、民兵制度に置き換えた。

 レーニンは『国家と革命』でパリコミューンから学び、「人民革命の前提条件はできあいの官僚的=軍事的国家機構を打ち砕き破壊することである」とし、その上で「民主主義は…最も完全に、最も徹底的に遂行されると、ブルジョア民主主義からプロレタリア民主主義に転化する」と説明している。すなわちプロレタリア独裁の要は民主主義の目的意識的徹底に置くべきだと主張している。

<1936年スターリン憲法>
 スターリン憲法では、勤労者が全権力の所有者であり、ソビエトを通じて行使する。代議員は普通・平等・直接・秘密選挙で選ばれる。選挙権は18歳、被選挙権は23歳と規定されたが、共産党、労組、協同組合、青年組織、文化団体から1人のみ立候補で、信任投票だった(制限選挙制度である)。最高機関はソ連邦最高ソビエトで、唯一の立法機関で、年2回各5~7日しか開催されなかった。立法はソビエト幹部会、人民委員会議が担っていて、最高ソビエトは追認する機関に過ぎなかった。

 信教の自由、政教分離、学校と教会の分離、言論の自由、出版の自由、集会の自由、デモの自由、結社の自由、身体の不可侵、住居の不可侵、信書の秘密、労働の権利、休息の権利、高齢者・疾病者の生活保障、教育を受ける権利、団結権、女性の権利保障、参政権などの権利規定はあった。

 しかし表現の自由は「勤労者の利益に適合し、社会主義制度を堅固にする目的」によって制限されていた。「階級の敵」規定もあり、少数意見、権力批判を排除した。学問と教育の保障規定が欠落しており、学問は権力の太鼓持ちにされている。

 戦争について、77年ブレジネフ憲法を見ると、侵略戦争を未然に防ぎ、軍縮を達成し、平和共存を原則にする。戦争の宣伝を禁止し、武力の行使・威嚇の相互放棄、国境不可侵、紛争の平和的解決、内政不干渉、民族自決を規定していたが、1956年ハンガリー、1968年チェコ事件、1979年アフガニスタン侵略を引き起こしている。

 共産党は社会的組織と国家的組織を指導する地位に置かれ、選挙もなく、リコールの対象にもならない。共産党は最高無謬・特権的指導的地位で、人民の権力を党の権力に変質させた。共産党は憲法と人民の統制の外にあった。

 スターリン憲法下の政治制度はプロレタリア民主主義(民主主義の徹底)にほど遠い状態であった。

(13)何を遺すのか
 尾形さんは最後の力をふりしぼり、1冊の本『革共同50年私史』を私たちに遺して、この世を去った。革共同中央派の変節を合理化するための『革共同50年史』や水谷・岸の自己弁護のための『革共同政治局の敗北』とは隔絶している。革命的共産主義運動の総括に挑戦し、私たちに、再生のための研鑽を求めている。

 わたしたちはもう、臆病風(2002年白井、角田襲撃)を吹き飛ばし、おおらかに50年の歴史を語ってもいいのではないか。総括は「書き、批判し、反批判する」の繰り返しによって、論は緻密化されていくはずだ。「ものを書く」ことは「恥をかく」ことだが、まずは、尾形さんに倣って一歩前に行くことではないだろうか。

 では、私たちは何を継承し、何を遺さねばならないのか。答ははっきりしている。1848年フランス第2共和制、1871年パリコミューン、1917年ロシア革命が遺した労働者の感性と思想をたどり、革命的共産主義運動を検証すること以外にない。この作業を成し遂げ、感性的にも、思想的にも、運動的にも、組織的にも新たな時代の革命的共産主義運動にチャレンジすることではないだろうか。

 時あたかも、世界帝国主義の屋台骨たるアメリカ帝国主義の危機はトランプを必要とし、他方アメリカ人民はトランプとのたたかいを開始した。当然民主党=クリントン的な運動ではなく、かつての「私たちは99%」運動を継承して発展するだろう。

 トランプのアメリカは「自国優先主義」=保護主義政策に転換すると思われるが、すでにロシアも、イギリスも同じ道を進んでいる。そして安倍政権は改憲と戦争に踏み込み、世界は1930年代以上に混とんとするだろう。命あらば、そのなかを生きていこうと思う。

【最後まで、雑論におつきあいくださり感謝。北陸に関してはディテールをほとんど述べなかったが、まだ「恥をかく」覚悟ができていないからである。他の投稿も眺めてくだされば、幸いである。】
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