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小松基地問題研究会

尹奉吉義士に関する書籍案内

2014年12月31日 | 尹奉吉義士
尹奉吉義士に関する書籍案内

 尹奉吉義士の決起と処刑(1932年)から82年、遺骨発掘(1946年)から68年、朴仁祚さんによって暗葬之跡整備が本格的に模索(1987年)されてから27年が過ぎました。この間にいくつかの書籍が発行され、時系列順に紹介しますと次のようになります。

(1)1990年に、大戸宏さんの『処刑のあとさき』が出版され、小説という手法のために事実への接近に問題はありますが、上海爆弾事件から処刑までの全体像を私たちに知らしめるという大きな役割を果たしました。朴仁祚さんが発掘写真を公開(1987年)し、韓国で注目され、それが日本(金沢)に環流し始めたころでした。

(2)1992年に、「指紋押捺問題を共に考え学ぶ市民の会」がまとめた『尹奉吉と天長節事件始末』は事件の経過、発掘者の投稿、15枚の写真を掲載しています。すでに殉国記念碑が除幕され(4月)、次なる暗葬之跡碑整備事業推進の大きな力になりました。

(3)1994年には「梅軒尹奉吉義士暗葬之跡保存会」の機関誌として、『キョレイトンシン(はらから通信)』1号が発行されました。2004年までに8号が発行され、尹奉吉義士暗葬之跡の整備保存の状況を伝え、継続的に関心を集める役割を果たしました。

(4)山口隆さんの『尹奉吉 暗葬の地・金沢から』(1994年)、『4月29日の尹奉吉』(1998年)が立て続けに発行され、尹奉吉義士の存在を全国版に押し上げました。前書は尹奉吉義士個人と事件に焦点をあて、後書は事件の背景を探る内容になっています。

(5)2010年には金学俊さんの『評伝尹奉吉 その思想と足跡』が翻訳発行されました。日本ではほとんど知られていない尹奉吉義士の幼少期から上海爆弾事件までの25年の人生を見通す書です。この書を読んだ極右のなかには、尹奉吉義士が上海爆弾事件を決行するにいたる心情を理解し、「テロリスト」と批判することに逡巡した人もいます。

(6)上海爆弾事件と尹奉吉に関する資料が数多く発掘されてきましたが、それらの原資料を筆耕し、誰にでも読めるパンフレットにまとめた『上海爆弾事件後の尹奉吉 付資料集』(2012年)が発行されました。その中には、2008年頃からの処刑場所の調査(韓国KBS放送など)を引き継いで、「尹奉吉義士の処刑地調査報告書」(2010年)と関係地図が掲載されており、処刑地の位置を10メートルほどの誤差で確定しています。

(7)待たれていた『尹奉吉全集』(全8巻)が、ついに2012年に発行されました。複写された原資料の中には貴重な資料が多数含まれています。なかでも、公文書では軍法会議の判決が5月25日とされてきましたが、全集に収録された当時の複数の新聞によれば、その日には判決は出されていません。

 以上の書籍は『尹奉吉全集』以外は、石川県立図書館で閲覧できます。

義士の意味
 最近、『尹奉吉 暗葬の地・金沢から』を再読してみましたが、出版時には気にならなかったことで、今回の再読で非常に気になった部分が見えてきました。碑設置準備過程で、碑石の刻銘と案内板の内容が討論され、その結果碑石には「尹奉吉義士暗葬之跡」と刻まれ、案内板は日本語とハングルで別々の内容で書かれることになったいきさつです。

 暗葬之跡碑は日本人と在日によって構成される「ユン・ボンギルの暗葬地を考える会」が準備しましたが、暗葬之跡は尹奉吉義士が語る場であり、尹奉吉義士から聞く場であり、尹奉吉義士と一体化したいという在日こそが、伝えるべき内容を決定すべきです。加害者側である日本人が「良心的」に代理したり、とりわけ行政や極右が口を出すことではありません。

 各地の強制連行記念碑に刻まれた碑文や説明板は行政との関係で、中間的な内容の碑文・説明板が多い中で、暗葬之跡碑に刻まれた「義士」の二文字こそが、尹奉吉義士が日帝の植民地支配と真っ正面からたたかい、処刑されたという森厳な事実を確認し、植民地支配下で呻吟した朝鮮人民の怒りを解き放っています。

ふたつの説明板
 ハングルと日本語の説明板の違いに、日本人会員と在日会員の間に埋まらなかったみぞが如実に表れています。日本語版には「その遺体は…1946年3月、200余名の在日朝鮮人によって、遺体が探し出され、故国に帰ることができました。…祖国独立運動の英雄の足跡を残そうとする在日韓国・朝鮮人」と書かれています。

 この部分に符合するハングル版は「嗚呼、恨の多かりし遺体は…在日同胞延べ200余名の真心のこもった努力により寂しきこの地により発見され、…この暗葬は植民地支配がもたらしたもので、事件の証拠隠滅と歴史からの抹殺であった。この事実と尹奉吉義士の精神を継承し」となっています。

 日本語版には何の感情もありません。ハングル版は尹奉吉義士と一体化し、尹奉吉義士の悔しさ、寂しさ、怒りに1ミリでも接近したいという心がこもっています。そして、日本語版は「暗葬の事実」を記録することにしか興味はなく、ハングル版は「尹奉吉義士の精神」を継承する決意で締めくくられています。

 ハングル版は友好的な日本人さえもたじろがせるほどに刺激的で、攻撃的な内容ですが、ここにこそ真実があり、良心的な日本人によっては代弁できなかったところだと思います。


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