金沢市景観審みちすじ部会議事録
8月2日の金沢市景観審議会みちすじ部会の議事録が開示された。金沢中央公園の再整備(樹木伐採と芝生広場のアスファルト化)について、再審議されるかと期待されていたが、それはむなしい期待に終わった。
移植か伐採か
議事録を見ると、冒頭、黒川部会長から「前回(2012.11.27)計画の49本から5月に45本伐採となった理由は何か」と問われ、事業課(石川県公園緑地課)は「計画として園外に49本を排出する中で、代表的な表現として『基本的には園外移植する』と説明している」と苦し紛れの回答をしている。
石川県公園緑地課は2012年10月31日に作成した資料の表題には「中央公園植栽撤去平面図」と記され、その1ヶ月後のみちすじ部会に提出した資料には「移植対象木49本」と書き、4月以降は「45本伐採」と発表し、明らかに使い分けているのだ。
しかも、提出資料には「移植対象木49本」と明確に書かれているのに、いまさら、「基本的には」という言葉を付して、あたかも移植以外の処理もあるかのようにごまかしているのである。
移植と伐採とは天と地ほどの開きがあり、誰が聞いてもこのような回答はごまかしであることは分かるはずなのに、10人の出席委員の誰ひとりとして、異議を挟む人はいなかった。みちすじ部会はまったく問題にしなければ、市民に言い訳ができなくなるので、形式的に質問して、形式的な回答を得て、幕引きを計ったのだ。大人とはなんとずるい人種なのだろうか。
芝生広場のアスファルト化
黒川部会長は「中央公園の整備はしいのき迎賓館の広場と一体的に整備するという前提で審議しているため、中央公園単体での批判にはこたえることはできない」と発言している。
市民は「中央公園の芝生広場を残してほしい。アスファルトにしないでほしい」と要望しているのに、黒川部会長は焦点をはぐらかして、「しいのき迎賓館の広場もあるからがまんせよ」と主張しているのである。
これは、かつて本多の森公園の聖戦大碑問題を「解決」するために、護国神社境内の公園指定を外して、面積が減少した分を県立美術館裏の崖地を公園指定して、計算を合わせたのと同じ手法である。都合よく基準を変えては判断するという、まさにご都合主義なのである。
醜い大人の政治
このようにして、金沢市(景観審議会)は聖戦大碑のときと同じように、石川県(公園緑地課)の共犯者となったのである。
最近、森喜朗氏が中央公園の問題に口を挟んでいるが、氏のスタンスは来年の県知事選挙を睨んだ布石にしか過ぎない。政治的利用主義であり、与することはできない。氏とともに行動している県議会議員のなかに、「中央公園樹木伐採の説明会に関する請願書」に賛成した議員が誰ひとりとしていないのを見れば明らかであろう。
8月2日の金沢市景観審議会みちすじ部会の議事録が開示された。金沢中央公園の再整備(樹木伐採と芝生広場のアスファルト化)について、再審議されるかと期待されていたが、それはむなしい期待に終わった。
移植か伐採か
議事録を見ると、冒頭、黒川部会長から「前回(2012.11.27)計画の49本から5月に45本伐採となった理由は何か」と問われ、事業課(石川県公園緑地課)は「計画として園外に49本を排出する中で、代表的な表現として『基本的には園外移植する』と説明している」と苦し紛れの回答をしている。
石川県公園緑地課は2012年10月31日に作成した資料の表題には「中央公園植栽撤去平面図」と記され、その1ヶ月後のみちすじ部会に提出した資料には「移植対象木49本」と書き、4月以降は「45本伐採」と発表し、明らかに使い分けているのだ。
しかも、提出資料には「移植対象木49本」と明確に書かれているのに、いまさら、「基本的には」という言葉を付して、あたかも移植以外の処理もあるかのようにごまかしているのである。
移植と伐採とは天と地ほどの開きがあり、誰が聞いてもこのような回答はごまかしであることは分かるはずなのに、10人の出席委員の誰ひとりとして、異議を挟む人はいなかった。みちすじ部会はまったく問題にしなければ、市民に言い訳ができなくなるので、形式的に質問して、形式的な回答を得て、幕引きを計ったのだ。大人とはなんとずるい人種なのだろうか。
芝生広場のアスファルト化
黒川部会長は「中央公園の整備はしいのき迎賓館の広場と一体的に整備するという前提で審議しているため、中央公園単体での批判にはこたえることはできない」と発言している。
市民は「中央公園の芝生広場を残してほしい。アスファルトにしないでほしい」と要望しているのに、黒川部会長は焦点をはぐらかして、「しいのき迎賓館の広場もあるからがまんせよ」と主張しているのである。
これは、かつて本多の森公園の聖戦大碑問題を「解決」するために、護国神社境内の公園指定を外して、面積が減少した分を県立美術館裏の崖地を公園指定して、計算を合わせたのと同じ手法である。都合よく基準を変えては判断するという、まさにご都合主義なのである。
醜い大人の政治
このようにして、金沢市(景観審議会)は聖戦大碑のときと同じように、石川県(公園緑地課)の共犯者となったのである。
最近、森喜朗氏が中央公園の問題に口を挟んでいるが、氏のスタンスは来年の県知事選挙を睨んだ布石にしか過ぎない。政治的利用主義であり、与することはできない。氏とともに行動している県議会議員のなかに、「中央公園樹木伐採の説明会に関する請願書」に賛成した議員が誰ひとりとしていないのを見れば明らかであろう。