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アジアと小松

アジアの人々との友好関係を築くために、日本の戦争責任と小松基地の問題について発信します。
小松基地問題研究会

20171007『わたしを離さないで』

2017年10月07日 | 読書
20171007『わたしを離さないで』(カズオ・イシグロ著 ハヤカワ文庫)  カズオ・イシグロがノーベル文学賞を受賞した。2012年に『わたしを離さないで』を読み、当ブログに投稿したが(下記)、それからもう5年が過ぎた。当時は第2次安倍政権が成立し、その後急速に戦争政策を推進し、いまやトランプ政権と一体となって北朝鮮への戦争挑発、強引な辺野古新基地建設をすすめている。  安倍政権にストップをかけ . . . 本文を読む
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『溶鉱炉の火は消えたり』(浅原健三著)を読む

2017年08月06日 | 読書
1918年中秋の頃―職工1万人のサボタージュ(西田健太郎)。/1919年1/24、溶鉱炉鉱石運搬作業の朝鮮人82名が待遇改善要求、スト/1919年3/1独立運動/1919年8/24、工事現場臨時職夫33人がストライキ/1919年8/30、労働問題公開演説会(八幡市)―禁止命令/1919年10/16、日本労友会の発会式/1920年2/5、八幡製鉄所大ストライキ/1920年2/24、第2波ストライキ/1920年4/上旬、優遇案→8時間労働 . . . 本文を読む
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『溶鉱炉の火は消えたり』(8)

2017年08月05日 | 読書
見よ! 労働者は、遂ひに勝てり。  犠牲は彼我共に深刻であつた。然し、労働者の××××と雖(いえど)も無意義には消えぬ。  ××者は必ず××! 敗くるは××ないからである。××のある所、そこには必ず××がある。  製鉄所の大ストライキ! 前後僅かに一ヶ月であつた。然しながら、此の争議こそは、全九州に頻発した、労働争議の烽火(ほうか)であつた。犠牲者よ嘆く勿(なか)れ! 無産階級運動の火焔は燃え立つた。兄等の××××と雖も無駄にはならぬ。  三百の首なき屍(しかばね)よ! 七十四名の囚徒よ! 彼等の犠牲の×は、涙は、十年の今日まで、否、×××××解放の日まで、脈々として生き続ける。 . . . 本文を読む
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『溶鉱炉の火は消えたり』(7)

2017年08月04日 | 読書
『溶鉱炉の火は消えたり 八幡製鉄所の大罷工記録』(7) 十三 一歩退却  七日、第三日目、職工はやはり入門しない。罷工(ひこう)は続く。  朝から検束を解き始め、昼頃までに百余名を帰す。  昼食を食つてゐると、野村署長がやつて来て、製鉄所から回答のあつたことを知らせた。  八時間労働制は調査の上で回答する。割増金は本給に繰入れる予定で第四十二議会に予算案提出中である。割増金の不平等は仕方がない。 . . . 本文を読む
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『溶鉱炉の火は消えたり』(6)

2017年08月03日 | 読書
『溶鉱炉の火は消えたり 八幡製鉄所の大罷工記録』(6) 十一 検挙  家の前に二台の人力車。「変だな」と思つて這入ると、第一の伝令久保田某。沈黙の眼が勝利を語つてゐる。聞く者も、告ぐる者も、感激と昂奮に打ち顫(ふる)ふ。 「いや、全く困つた。罷工が始まると各門をピタリと閉めやがつたので、工場外に出る路がないんです」  通路を断れた彼はずつと海岸の方に遠廻り。低い木柵を乗り越へて通路へ、やつと本部 . . . 本文を読む
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『溶鉱炉の火は消えたり』(5)

2017年08月02日 | 読書
『溶鉱炉の火は消えたり 八幡製鉄所の大罷工記録』(5) 九 鬨は揚がる  斯くて、いろいろの小悲喜劇はあつたが、罷工はプログラムどほりに進行した。  各工場から順次に雪崩出た職工群は、行列を遮ぎらうとする監督連や守衛を××にして、気勢をあげたほかには、別段の故障も、紛擾(ふんじょう)もなく、幾十度となき調練を経た軍隊でもあるかのやうに、隊伍堂々と目的地に進行して行つた。  八時頃には赤煉瓦の建物 . . . 本文を読む
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『溶鉱炉の火は消えたり』(4)

2017年08月01日 | 読書
『溶鉱炉の火は消えたり 八幡製鉄所の大罷工記録』(4) 七 準備は成れり  八幡に帰ると、直ぐ、四五の幹部を集めて、東京の様子を報告して置いて、私は姿を消した。  一月二十日、私は人夫供給所の手から、森重皆一と二人で人夫になつて工場にもぐり込んだ。構内の全地形を、地図の上ではなくて、現実に見知つて置いて、罷工の作戦計画を立てる必要があつたからである。此の事は、四五人の同志の他、誰にも知られなかった . . . 本文を読む
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『溶鉱炉の火は消えたり』(3)

2017年07月31日 | 読書
『溶鉱炉の火は消えたり 八幡製鉄所の大罷工記録』(3) 五 長官に会ふ  江戸川の終点で電車を棄て、関口台町に向かつて坂道を登つてゆくと、樹立(こだち)に包まれた屋敷町に、黒板塀を繞(めぐ)らす長官邸は直ぐみつかつた。門を這入ると植込。突当りが玄関。十六七の小娘が私の名刺を運んで奥に消えると間もなく、玄関から狭い階段を二階の客間に導かれた。何の飾気もない、十畳の部屋、中央の四畳敷きぐらゐの敷物の . . . 本文を読む
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『溶鉱炉の火は消えたり』(2)

2017年07月30日 | 読書
『溶鉱炉の火は消えたり 八幡製鉄所の大罷工記録』(2) 三 口火を点ずる者  此の年八月十日、「アニキトク」の急電を受けて、私は東京から八幡に帰つた。  瀕死の長兄の枕頭に、また忌中の幾日かを私は懶う(ものう)く過ごした。然し、私は眼を閉ぢてはゐない。労働都市八幡の状勢をぢつと凝視してゐた。  戦争、鉄価の大暴騰、製鉄所は未曾有の活気を呈してゐる。労働者の数は此の二三年間に倍増した。割増、戦時手 . . . 本文を読む
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『溶鉱炉の火は消えたり』(1)

2017年07月29日 | 読書
『溶鉱炉の火は消えたり 八幡製鉄所の大罷工記録』 一 死の工都  大溶鉱炉の火が落ちた。  東洋随一を誇る八幡製鉄所、黒煙、天を蓋ひ、地を閉ざしてゐた大黒煙が、ハタと杜絶えた。それで、工都八幡市の息は、バッタリ止つた。  死の工場、死の街。墓場。  広茅(こうぼう)七十余万坪、天を衝いて林立する三百有八十本の大小煙突から吐き出される、永久不断にと誰もが思ひ込んでゐた、黒、灰、白、鼠色の煙が、たた . . . 本文を読む
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