OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

歌謡メタルのめぐみちゃん

2020-05-21 19:56:07 | 日本のロック

横須賀 17 エレジー / 早川めぐみ (EASTWORLD / 東芝)

すっかり今では忘れらている「女にロックはできねぇ~」という間違えた常識に挑戦し、果敢に打ち破った女傑は大勢登場していますが、だからこそ、それを堂々のアイドル路線でやらかしたって、批判される筋合いは絶対にありません。

例えば昭和60(1985)年新春に本日掲載のシングル盤A面曲「横須賀 17 エレジー」で颯爽と芸能界にデビューした早川めぐみは、いきなりのウリが「歌謡メタル・エンジェル」でしたからねぇ~~~!?!

しかもファンは彼女の事を「めぐみちゃん」と呼んでいたというよりも、制作側や事務所サイドから、それを強要(?)されていたんじゃ~なかろうか!?!

と、まあ……、そんな勢いで発売されたのが作詞:売野雅勇&作曲:芹澤廣明という、その頃のローティーンに爆発的な人気があったチェッカーズに諸作を提供しているヒットメーカーコンビが書いた「横須賀 17 エレジー」でしたから、本来ならば普通のアイドル歌謡ポップスであるはずが、それに中島正雄が強引で痛快なアレンジを施してみれば、狙いがドンズバっ!

当然ながら、早川めぐみはルックスもキュートで可愛いもんですから、我が国のヘビメタ好きの青少年や野郎どもからは忽ちの熱視線でありました。

ちなみに、ここまでの日本ロック界においては、本城未沙子や浜田麻里がヘビメタ女王のトップ争いを繰り広げており、幾分マイナーではありますが、杉本誘里や早瀬ルミナ等々もレコードデビューしていたんですが、彼女達はアイドル性よりは本格派のボーカリストを標榜していたわけで、もちろんアイドル人気も当て込んでいた事はミエミエながら、レコードでもライブの現場でも、バックバンドの演奏は所謂「ジャパメタ」そのものでしたし、ボーカルスタイルはハイトーン主体でキンキン声の節回しばっかり……。

それゆえに好き嫌いが確かにあり、だからこそ無個性に思えたのがサイケおやじの偽りのない気持ちでした。

尤も、そのあたりは基本的にヘビメタがNGな体質もあるんですが、そんな中で登場した早川めぐみは、土台がモロに歌謡曲である事を隠そうともしない雰囲気が、サイケおやじには好ましかったんですねぇ~~♪

実際、件の「横須賀 17 エレジー」は聴けば一発!

歌謡ロックのヘビメタ的展開であり、バックの演奏メンバーにしても、 山本恭司(g), 北島健二(g)、難波弘之(key)、鳴瀬喜博(b)、青山 純(ds) 等々が参加しているもんですから、一瞬の緩みも無く、イントロのギターがブリティッシュロック王道の泣きメロを弾きまくれば、それに導かれて熱唱する早川めぐみの節回しが歌謡曲にどっぷりなんですねぇ~~~♪

あぁ~~、思わずカラオケやっちまいそうな、キャッチーな曲メロにせつない歌詞のバランスの良さは素晴らし過ぎますよっ!

ですから、局地的ではありましたが、それなりにヒットしたのは言わずもがな、続けて発売されたアルバムも好セールスを記録したのは、当時の状況を鑑みれば、ひとつのミラクルに近いものがあったと感じていましたですねぇ~~♪

ちなみに、ここでアレンジを担当した中島正雄は本職がギタリストで、確か関西の大御所ブルースバンドだったウエストロードにも在籍していたと記憶しているんですが、実はここまで述べた和製ヘビメタ界の女性ボーカリストの売り出しやプロデュースにも関わっており、後には B'z の売り出しにも大きな役割を果たしていますので、要注意です。

閑話休題。

しかし、肝心の早川めぐみは、この勢いに乗って次々にレコードを発売しながら、ヘビメタ歌謡路線が徐々に薄れ、シンセポップっぽい方向へとシフトしてしまい、なんとっ!?!

翌年にはフェードアウトしたというか、何時の間にか芸能界から消えてしまったんですよ……。

う~ん、僅か……、1年ちょっとしか活動していなかったんですよねぇ~~~!?!

これには、それなりに期待していたサイケおやじも、がっくりというか、この現実は、なんとも勿体無いと思うばかりです。

ということで、こ~ゆ~和製ヘビメタ界の女性ボーカリストの活躍は決してメジャーではありませんでしたが、一方ではアン・ルイス本田美奈子という歌謡ロック保守本流の大ブレイクと微妙にリンクしていたんじゃ~ないでしょうか?

その意味で、早川めぐみの登場と短い大活躍(?)は、我が国の芸能史に刻まれる必要があるはずです。

昭和も末期の仇花とは思いたくありませんねぇ~~。

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この人だぁ~れ:part-13

2020-05-20 17:48:01 | 歌謡曲

命のおんな / 千田彩子 (キャニオン)

久々の、というよりも、苦しい時の「この人」シリーズではありますが、これまたネットオークションの大量纏め売りから発見したのが、本日掲載の1枚でして、ジャケ写を見た瞬間、これは何かある!?

なぁ~んていう、猟盤者特有のムシの知らせに心が疼いてのご紹介となりました。

で、肝心の収録A面曲「命のおんな」は作詞:千家和也&作曲:彩木雅夫が提供した、これが発売された昭和50(1975)年には、正に王道の歌謡演歌であり、土持城夫のアレンジも、こちらが望むとおりと申しましょうか、良い意味でのマンネリ感が、つまりは安心印の仕上がりになっています。

しかし、それでも思わず惹きつけられてしまうのは、千田彩子の切迫した節回しの素晴らしさで、時には力み過ぎ寸前という印象も残りますが、彼女の声質が、これまたジャストミートの必至の想いを伝えて来るんですねぇ~~♪

実はサイケおやじは、当然ながら彼女については何も知らず、このレコードによって始めて千田彩子に接したんですが、ほとんどこれ一発で、他の音源も聴きたくなってしまいました ♪♪~♪

今となっては、おそらくは大きなヒットも放てないままの千田彩子かもしれませんが、そ~ゆ~評価は、あくまでも世間一般のものであって、趣味に生きる道は千差万別!?

千田彩子を蒐集の対象としているマニアがどれほどかは知らずとも、サイケおやじも、その末席に連なれる様に精進を重ねる決意であります。

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川村ゆうこの思い出

2020-05-19 19:46:20 | Singer Song Writer

風になりたい / 川村ゆうこ (FOR LIFE)

我が国で歌謡フォークが全盛だった昭和50(1975)年、突如として設立された「フォーライフレコード」は、まさに当時の芸能界を震撼させ、それに纏わる諸々が社会現象となった騒動(?)は、サイケおやじと同世代の皆様であれば、記憶されていると推察する次第です。

なにしろ設立に参加した主要メンバーが吉田拓郎、小室等、泉谷しげる、そして井上陽水という、まさに当時の歌謡フォークをリードしていた面々でしたし、一般大衆にとっては決して相性が良いとは思えなかった前述の4人が、手を組んで始めるレコード会社の先行きに期待と不安を抱かされてしまったという、なかなか面白いプロジェクトだったんですねぇ~~!?

もちろん、今となっては皆様ご存知のとおり、当初の方針と異なる会社運営、つまりイノセントなシンガーソングライターやフォーク歌謡のレコードを出していくはずが、当然ながら利益優先が求められた結果、如何にもアイドルっぽい新人の売り出し方法や俳優やタレントのレコード制作にまで手を広げては、創業者であり、役員でもあった前述の4人の結束も乱れたのでしょう、泉谷しげるが真っ先に退社してしまって以降は、ちょいと節操が……。

ちなみに泉谷しげるは、これを契機に俳優の道へと進んだようで、その成功は言わずもがなの結果オーライでしょう。

しかし、やっぱり会社発足当初の勢いは物凄く、昭和50(1975)年に開催された最初の新人オーディションには関係者が驚くほど膨大な数のデモテープが集まったそうで、実はサイケおやじの知り合いも本気になってオーディションに応募していたんですが、当然結果は落とされて……。

そして、見事にそこでグランプリを獲得したのが、本日掲載のシングル盤の主役たる川村ゆうこでありました。

発売されたのは昭和51(1976)年春、もちろん芸能マスコミは率先して煽りに加わり、何故ならば件のデビュー曲「風になりたい」は作詞作曲&プロデュースが吉田拓郎でしたからねぇ~~~!

もはや、これが売れなきゃ~、この世は終わり!?

みたいな雰囲気が当時は確かにありましたですよ。

しかも彼女はルックスも、イケてましたし、肝心の楽曲「風になりたい」は典型的な拓郎節で、それを松任谷正隆が当時流行のウエストコーストスタイルのカントリーロックにアレンジしていましたから、そのミディアムテンポの長閑な雰囲気と彼女のナチュラルに切迫感が滲む節回しと声質が、絶妙の緊張と緩和を与えてくれるという仕上がりは流石と思うばかりだったんですが……。

やはり現実は厳しいというか、それほど周囲の期待どおりに大ヒットしたとは言い難く、むしろ各方面からの誹謗中傷までもが確かにあって、そこには所謂「やっかみ」がミエミエだったのは、いやはやなんとも……。

実際、前述した「オーディションに落ちた知り合い」は、ボロクソに言い募るという醜態を晒していましたですね。

でもねぇ~~、サイケおやじは、そんなに酷くは無いと思っていたんですよ。

実際に生で接した彼女のミニライブでも、自分好みの可愛さ余って憎さ百倍というよりも、素直に好感が持てましたですよ。

それでも、ちょいと同情すべきは、彼女は所謂シンガーソングライターにジャンル分けされながら、自作曲がシングル盤のA面に入れてもらえないという事が度々で、同様に作られていたアルバムにしても、他人からの提供曲がメインというのでは、物足りなさも確かにありました。

そして何時の間にかフェードアウトしてしまったんですが、近年は再び活動されている事は喜ばしいと思いますよ、本気でねっ!

ということで、時代の寵児ともなっていた「フォーライフレコード」が最も純粋に期待を集めていた頃にデビュー出来た川村ゆうこが、それゆえに仇花扱いされる事さえあるのは、ど~なんでしょう?

そんな誹謗を言いふらしているのは極一部とはいえ、それを信じる自由を認める前に、虚心坦懐に彼女の歌声に耳を傾けるのも、決して悪くは無いと思っているのでした。

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思い出すのも待てない夏

2020-05-18 19:40:06 | 歌謡曲

暗くなるまで待てない / 鳥越マリ (ビクター)

昨日の続きと申しましょうか、フジテレビの深夜番組「オールナイトフジ」の初代司会者だったのが、昭和59(1984)年夏に本日掲載のシングル盤を出した鳥越マリでした。

いゃ~~、今は何をしているのか、ちょいと知る由もありませんが、軽く思い出しても、当時の彼女の人気は局地的に急激過ぎた感が強く、ブレイクのきっかけは本業のモデルとしてJALのキャンペーンガールだった事から、スタイル抜群の水着姿や和みとセックスアピールのバランスが最高だったグラビアショットは男性諸氏にウケまくり♪♪~♪

つまりはグラビアアイドルだったわけでして、失礼ながら、個人的には美人とは思わないんですが、腰の位置が高いスレンダーな肢体は、なかなかに美味しそうでしたし、所謂健康美と言えないこともありません。

このあたりの不思議な魅力は後に女優としての活動で活かされていったらしいんですが、その頃のサイケおやじは異郷の地で仕事に追われていた所為で、これまたリアルな実相には触れることは出来ませんでした。

しかし、彼女が最も熱視線を浴びていたのは冒頭に述べた「オールナイトフジ」での輝かしい(?)活躍で、頭の良し悪しが曖昧としか思えないキャラこそは、大いなる個性だった様に思いますし、殊更大学生には最高のアイドルだったのが、彼女の評価の頂点かもしれません。

ちなみに件の「オールナイトフジ」は昭和58(1983)年からスタートした、基本は生放送の深夜番組で、それゆえに司会者や出演者には機転が求められつつも、だからこそのハプニングが面白いわけでして、しかもレギュー&セミレギュラーに顔を揃えるのが現役の女子大生、あるいはそれらしいセクシータレント達で、ご丁寧に名乗ったオールナイターズという集団が毎回アダルトビデオや風俗店の紹介までやっていたという、過激なオトボケ満載のバカ番組!?

ですから、ちょっぴり社会現象にもなりましたし、それゆえに香りの高い向きからは叩かれる事も屡々だったんですが、ここで名前を売ったグラビアアイドルや女子アナが今も活躍していたりするんですから、その影響力は侮れませんよねぇ~~♪

ちょいと思い出しただけでも、寺田理恵子、有賀さつき、田中美奈子、杉本彩、岡安由美子、中村あずさ等々、あぁ~~、往時が懐かしいばかりです。

閑話休題。

で、そ~ゆ~人気番組でしたから、鳥越マリも当時の慣例どうり、いよいよ歌手デビューとなって発売されたシングル曲がご紹介の「暗くなるまで待てない」でして、いゃ~~、これが作詞:秋元康&作曲:網倉一也が提供した、夏向き歌謡ポップスの決定版!

もちろん、当時の事ですから、サウンドはコーラスパートも含めて山下達郎っぽく、そのあたりのアレンジを新川博がプロの手際でやっているので、気分はサイコォ~~~♪

しかも鳥越マリの歌唱力が幾分拙いという弱点を逆手に活かしたというか、これまた当時の業界で流行っていた疑似スペクターサウンドに仕上げられているんですから、たまりません。その「か細い」ボーカルと演奏パートの「音の壁」の作り方が、今となっては懐かしくも好ましいと思えれば、それは既に中年者以上の証かもしれませんよ。

少なくとも、サイケおやじは、そ~ですから ♪

そして要注意なのが、同時期に製作された、おそらくは彼女にとっての唯一のLP「シーズン!」で、これこそは正に幻の名盤!

夏向きソングからセンチメンタルな泣き節曲等々がバランス良く収められた、ひとつのトータルアルバムの如き仕上がりは絶品と思っています。

ということで、今年の夏は例年以上に先行きが不透明なれば、ノーテンキな夏歌が尚更に欲しくなる様な気がしています。

そして、そんな時こそ、鳥越マリのレコードがジャストミートのアイテムのひとつかもしれませんねぇ~~。

皆様も、お楽しみくださいませ。

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そんなつもりの世渡りは…

2020-05-17 19:20:46 | 歌謡曲

そんなつもりじゃなかったのに / 立見里歌 (ワーナーパイオニア)

世渡りしていく中で、必ずや求められるのが、「自分がバカになってりゃ~いいんだ」という、言い訳めいた居直りかと思えば、サイケおやじは、そんな立場に多々追いやられて、今日まで来てしまいました……。

ですから、そ~ゆ~状況の当該人物には共感を覚えたりするんですが、しかし、もしかしたら、こいつはナチュラルなヌケ作なのかっ!?

なぁ~んて思わざるを得ない瞬間も、なかなか少なくありません。

特に芸能界においては、バカをやるのが売れる仕事っていうキャラが確かに存在し、例えば本日の主役たる立見里歌(たつみりか)は、某大学のミスコン出身でありながら、昭和60(1985)年頃から出演していたフジテレビの深夜番組「オールナイトフジ」じゃ~、破天荒寸前のバカっぷりが全開で、サイケおやじは毎度ながら呆れ果てるのが、ひとつの楽しみになっていたほどです。

そして、当然ながらと申しましょうか、そんなこんなの流れから、何時の間にか同局の人気バラエティ「夕やけニャンニャン」のおニャン子クラブにも顔を連ね、ついには極みのターヘを証明する歌唱力で昭和62(1987)年に発売してしまったのが、本日掲載のシングル盤でありました。

しかし、A面収録の「そんなつもりじゃなかったのに」は作詞:秋元康&作編曲:若草恵が提供した、ラテンリズムも入れた盛り場演歌の秀作で、全く……、こんな消えりそうにド下手な歌唱じゃ~、バチアタリの決定版と思ってしまうほどですよっ!

これは、失礼とか、残念とか、そんなレベルじゃ~無くて、もはや意図的に作られたと推察するしか、彼女の所謂「おバカ」キャラは活かせないと判断した結果のプロデュースなんでしょうねぇ~~!?

そ~でなければ、ジャケ写のケバイ雰囲気とか、提供された楽曲のレベルの高さとか、そんなこんなが納得出来ないんですよ、サイケおやじにはねぇ……。

そして、これがまた、相当なヒットになっていたと記憶しているんですが、当時を知っている皆様にとっては、いかがなものだったでしょうか。

冒頭に述べたとおり、立見里歌が恣意的な行動からバカを演じていたとすれば、唯一残されたと思しき掲載のシングル盤がヒットしたのはムベなるかな、かなり以前のテレビ番組で、所謂「あの人は今」みたいな企画に登場した彼女が、芸能界引退後に某レコード会社や広告会社に勤務していたという履歴は侮れませんよねぇ~~~~!

案外、「しぶとい」んじゃ~ないでしょうか、立見里歌は!?

だとすれば、サイケおやじは好きになっちまいそうで、額に汗が滲むばかりです。

うむ、曲タイトルが、ますます意味深ですねぇ~~♪

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見つけたら、驚いたっ!

2020-05-16 19:45:57 | 歌謡曲

恋するシェリー c/w スターダスト・キッズ / MILK PANG (ポリスター)

掲載したのはミルク・パンと名乗る3人組のアイドルグループが昭和57(1982)年に出したシングル盤なんですが、これは知人から長らく探索を依頼されていたブツでして、それが先日、例によって某ネットオークションで大量纏め売りされていたレコードの山から掘り出したという実情も、当然ながらサイケおやじは、彼女達について、そしてレコードが作られた経緯にしても、これまで全く関心も無かったんですが、実際問題として現物に遭遇してみれば、これには驚かされました。

実は件の知人はフォー・シーズンズのコレクターでして、もちろん狙いはA面に収録の「恋するシェリー」がフォー・シーズンズの大ヒット曲「Sherry」の日本語カバーバージョンだという、それだけの目的だったはずで、ちなみに日本語訳は有川正沙子、編曲は大村雅朗とクレジットされています。

そして一応、針を落としてみれば、これがまあ……、如何にも無難なアイドルソング的な仕上がりで、サイケおやじとしては面白みを感じませんでしたし、肝心のミルク・パンのメンバーが木下さちこ、工藤麻里、南利香と紹介されていますが、顔と名前が一致しないどころか、彼女達がリアルタイムで動いている姿をテレビ等々でも接した記憶がありませんから、思い入れは全くありません。

ところが、レコードの裏、つまりB面にはアッと驚かされましたですねぇ~~~!?!

だって、まさか……、失礼ながら、ミルク・パンなんていう激B級のアイドルグループが、当時大ブレイクしていた佐野元春の人気曲「スターダスト・キッズ」を提供され、こちらも大村雅朗のアレンジを得てカバーしていたなんてっ!?!

そこにどのような経緯があったのかは知る由もありませんが、前述したフォー・シーズンズのコレクター同様に、これは佐野元春マニアにも、絶対のコレクターズアイテムになるんじゃ~ないでしょうか!?!

正直、仕上がりはそれなり……、とサイケおやじには感じられるんですが、こ~ゆ~面白さがあるもんですから、レコード蒐集の奥の細道を辿る楽しみは尽きません ♪♪~♪

う~ん、なんだか知人に連絡するのが躊躇われた事を告白せねばなりませんが、もちろん、義理が廃れば趣味の世界だって真っ暗闇ですからねぇ~~~。

ということで、自粛要請も一段落着いたとは決して言い難い状況ではありますが、気持ちを引き締めながらも、心は前を向いていくしかないと、強く強く思っている次第です。

もちろん、その為にも心の支えが必要なのは言わずもがな、サイケおやじは欲張りな本性を露呈させつつも、緊張感を忘れずにいたいと思っている次第です。

今はとにかく、頑張りましょうっ!

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「エール」にエールを!

2020-05-15 20:45:54 | 歌謡曲

若鷲の歌 / 西郷輝彦 (クラウン)

やっぱり……、というか、NHKの朝ドラ「エール」が、ついに放送中断に追い込まれました。

もちろん、理由は新型コロナ禍というのは言わずもがな……。

サイケおやじとしては、久々に楽しみにしていたテレビドラマだっただけに、残念でなりません。

それは急逝した志村けんの出演が、今回の流行り病以前から話題になっていた事もありますが、個人的には我が国の偉大な作曲である古関裕而をモデルにした歴史作品(?)という部分に興味を惹かれ、当然ながら山田耕筰や古賀政男、西條八十、さらには團伊玖磨や萩原哲晶あたりも登場するのではなかろうか……!?

という期待もありましたし、何よりも当時の音楽業界のあれやこれやが描かれるのならば、ますます興味津々だったんですが……。

ただし、もちろん連日録画での鑑賞ではありましたが、ここまでのドラマの出来は、決して芳しいとは言い難く、時代考証はメチャメチャだし、女優陣もイモ芝居の連続、おまけに演出全体がシリアスとオチャラケのバランスが悪いという、所謂ご都合主義の典型とあっては、せっかくの好企画が勿体ないばかり……。

さらに古関裕而本人が、こんなにオドオドした人物であったのか……!?

と思わざるを得ない印象ではねぇ……。

そこには様々な内部事情がある事は重々承知してはいるんですが、サイケおやじにとっての古関裕而は、応援歌や軍歌、そして洋楽に負けないスタンダードな大衆音楽を書けるメロディメーカーであり、そこには常に微妙な哀感やセンチメンタルな情感が滲んでいるところに魅力を感じていたわけですし、なによりも東宝特撮の大傑作「モスラ」の劇伴、殊更ザ・ピーナッツが歌った永遠の名曲「モスラの歌」がありますからねぇ~~♪

いやはやなんとも、ようやく物語も軌道修正が見えそうなところではありますが、前述した様な目障りな部分はどうなるんでしょうかねぇ……。

特に軍歌を作るところでの兼ね合いというか、懸念されるのは、古関裕而が嫌々それらを書いていた云々なぁ~んていう話だけは、絶対に避けて欲しいと願っています。

何故ならば、戦争という時代の奔流が世相を暗く、混乱させていたとしても、古関裕而には決して闇雲に戦意を煽る意図よりは、国を愛する気持ちが強かったと思うはず、いや……、サイケおやじは、そう思いたいのです。

さて、そこで本日は古関裕而が作曲した軍歌の代表作「若鷲の歌」、通称「予科練の歌」です。

ご存知のとおり、この歌は昭和18(1943)年に作られた国策映画「決戦の大空」にの主題歌として、西條八十の作詞を得て作られた名曲として、当時を知らない我々でさえも知っているのは、様々な問題を含んでいるのかもしれませんし、それが避けられるとは思いません。

歌詞の内容にしても、純粋な愛国心を抱いた若者を海軍飛行予科練習生への憧れに導き、加えて燃え滾る情熱を煽り立てるメロディ展開、そこに潜まされた微妙な哀愁が切迫感へ結びつくが如き仕上がりは、今も秀逸でしょう。

そのオリジナルバージョンは仁木他喜雄のアレンジで、霧島昇が歌ったとされていますが、カバーバージョンも幾つか残されているはずです。

そのひとつが掲載した西郷輝彦のバージョンで、これは昭和43(1968)年に作られた東映の戦記映画「あゝ予科練(村山新治監督)」の主題歌としてのリメイク版で、当然ながら西郷輝彦もメインキャストとして出演しているんですが、肝心の映画は評論家の先生方からはボロクソに叩かれたとはいえ、サイケおやじとしては、そんないい加減な作品とは思っていません。

決まり切った筋立てと演出が確かにありますが、だからこその緊張感や切迫した雰囲気、悲壮感は映画の本質を大切にしているはずです。

そのあたりは最近作られる戦争映画のユルフン的な制作姿勢とは決定的に異なるものです。

と、本日はちょいと熱くなってしまいましたが、例え戦意高揚は悪いと断じられても、リアルタイムでは、それが愛国心、または家族を守るという、その一心が必ずやあったはずで、結果的に戦争に負けたからとか、愚かな戦争犯罪の犠牲だとか、それはそのとおりなんですが、だからといって散華された人達までもが蔑ろにされて良いはずはありません。

軍歌は、決して国民を欺く道具では無いはずと思うんですねぇ……。

そのあたりの事を朝ドラ「エール」で、どの程度描かれるかは悲観的な予測しか浮かびませんが、それは現時点での話であって、願わくば、この放送中断を機会に物語や演出を立て直して欲しいものです。

こんな時こそ、頑張れっ、エール!

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今日の誓い

2020-05-14 19:58:02 | 歌謡曲

ラブ・スケッチ / 佐藤恵利 (フィリップス)

何事も、やり遂げた後の快さは格別と思えば、最近のサイケおやじは遂に本日掲載した佐藤恵利のデビューシングルをゲット出来た事をご報告させていただく他はありません。

発売されたのは昭和55(1980)年1月、そのデビュー曲「ラブ・スケッチ」は作詞:森雪之丞&作曲:平尾昌晃が提供した、爽やかな哀愁が滲む「1980年代型青春歌謡」みたいな感じに思えるんですが、それもこれも、やはり平尾昌晃が十八番の和洋折衷の様式美に満ちたメロディ展開の妙でありましょう。

そして船山基紀のアレンジにしても、決して派手ではありませんが、所謂歌謡フォーク的な味わいを大切にしているあたりも、なかなか秀逸♪♪~♪

ですから、佐藤恵利の歌唱にも安心感をリスナーに与えてくれるんじゃ~ないでしょうか。

とにかくサイケおやじとしては、これで彼女のシングル盤は3枚、集める事が出来ました。

何れ、3枚目の「ラブ・ギャンブル」もご紹介させていただきますね (^^)

いゃ~~、なんだか自分だけが浮かれているのは申し訳ない気持ちではありますが、このプラスのベクトルを世の中へ活かせる様に、気合を入れなおしてまいります。

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煮つまりモード…

2020-05-13 19:22:44 | Weblog

怖い、怖い人から呼び出されて、今日は……、たっぷりと虐められました。

言い訳が通じるとは最初っから思っちゃ~いませんでしたが、それにしても、ねぇ……。

ということで、本日は、これにて失礼させていただきます <(_ _)>

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何時か、この歌を

2020-05-12 19:45:45 | 歌謡曲

六本木ララバイ / 内藤やす子 (フィリップス)

所謂「盛り場ソング」ってのは、同時に「ご当地ソング」でもあるわけですが、それゆえに名曲名唱が様々に残されている事は昭和歌謡曲の美点のひとつかもしれません。

内藤やす子が昭和59(1984)年に出した本日掲載のシングル盤A面曲「六本木ララバイ」も、全くそのとおりの仕上がりでしたから、ロングセラーヒットになっている事は皆様ご存知のとおりです。

もちろん、それは彼女の歌唱力と雰囲気の作り方があってこその結果ではありますが、もうひとつの魅力として、この「六本木ララバイ」は酔っぱらっても、また歌がターヘでも、それなりに素敵に歌えるというか、その場に居並ぶ仲間や知り合い、あるいは、たまたま同じ店に来ていた他のお客さんにしても、それほど顰蹙にはならないという気がするという、なんとも味わい深い名曲と思うんですが、いかがものでしょう。

そのあたりを作詞作曲のエド山口、そして曲作りに関わった岡田史郎、さらにアレンジを担当した松井忠重が、どこまで狙っていたのはか知る由もありませんが、極言すれば所謂「鼻歌」でもイケる雰囲気を持っているあたりは、流石!

まさにR&B歌謡の保守本流ですよねぇ~♪

ちなみにエド山口は俳優や漫談、あるいはラジオのDJ等々、幅広い芸風を持ったタレントではありますが、音楽方面の仕事としてはベンチャーズスタイルのギタリストとして、東京ベンチャーズを率いている正体も良く知られるところでしょう。

そしてサイケおやじは、その東京ベンチャーズのライブに数回接しておりますが、纏まりの良い演奏に加えて、エド山口の「喋り」が、なかなかに面白いんですよ ♪♪~♪

閑話休題。

ということで、今は世界中が逼塞中でカラオケなんてのは独りっきりの楽しみでしかありませんが、また以前の様に宴会モードに戻れる日には、この「六本木ララバイ」を熱唱したいものです。

それは当然ながら、ターヘの極みという真相があろうとも、自分に酔うのもカラオケの楽しみであり、ギターを弾きながら、自宅で口ずさむのも、自粛の友かもれません。

うむ、東京の夜明けに歌う子守唄が待ち遠しいです。

 

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