OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

川村ゆうこの思い出

2020-05-19 19:46:20 | Singer Song Writer

風になりたい / 川村ゆうこ (FOR LIFE)

我が国で歌謡フォークが全盛だった昭和50(1975)年、突如として設立された「フォーライフレコード」は、まさに当時の芸能界を震撼させ、それに纏わる諸々が社会現象となった騒動(?)は、サイケおやじと同世代の皆様であれば、記憶されていると推察する次第です。

なにしろ設立に参加した主要メンバーが吉田拓郎、小室等、泉谷しげる、そして井上陽水という、まさに当時の歌謡フォークをリードしていた面々でしたし、一般大衆にとっては決して相性が良いとは思えなかった前述の4人が、手を組んで始めるレコード会社の先行きに期待と不安を抱かされてしまったという、なかなか面白いプロジェクトだったんですねぇ~~!?

もちろん、今となっては皆様ご存知のとおり、当初の方針と異なる会社運営、つまりイノセントなシンガーソングライターやフォーク歌謡のレコードを出していくはずが、当然ながら利益優先が求められた結果、如何にもアイドルっぽい新人の売り出し方法や俳優やタレントのレコード制作にまで手を広げては、創業者であり、役員でもあった前述の4人の結束も乱れたのでしょう、泉谷しげるが真っ先に退社してしまって以降は、ちょいと節操が……。

ちなみに泉谷しげるは、これを契機に俳優の道へと進んだようで、その成功は言わずもがなの結果オーライでしょう。

しかし、やっぱり会社発足当初の勢いは物凄く、昭和50(1975)年に開催された最初の新人オーディションには関係者が驚くほど膨大な数のデモテープが集まったそうで、実はサイケおやじの知り合いも本気になってオーディションに応募していたんですが、当然結果は落とされて……。

そして、見事にそこでグランプリを獲得したのが、本日掲載のシングル盤の主役たる川村ゆうこでありました。

発売されたのは昭和51(1976)年春、もちろん芸能マスコミは率先して煽りに加わり、何故ならば件のデビュー曲「風になりたい」は作詞作曲&プロデュースが吉田拓郎でしたからねぇ~~~!

もはや、これが売れなきゃ~、この世は終わり!?

みたいな雰囲気が当時は確かにありましたですよ。

しかも彼女はルックスも、イケてましたし、肝心の楽曲「風になりたい」は典型的な拓郎節で、それを松任谷正隆が当時流行のウエストコーストスタイルのカントリーロックにアレンジしていましたから、そのミディアムテンポの長閑な雰囲気と彼女のナチュラルに切迫感が滲む節回しと声質が、絶妙の緊張と緩和を与えてくれるという仕上がりは流石と思うばかりだったんですが……。

やはり現実は厳しいというか、それほど周囲の期待どおりに大ヒットしたとは言い難く、むしろ各方面からの誹謗中傷までもが確かにあって、そこには所謂「やっかみ」がミエミエだったのは、いやはやなんとも……。

実際、前述した「オーディションに落ちた知り合い」は、ボロクソに言い募るという醜態を晒していましたですね。

でもねぇ~~、サイケおやじは、そんなに酷くは無いと思っていたんですよ。

実際に生で接した彼女のミニライブでも、自分好みの可愛さ余って憎さ百倍というよりも、素直に好感が持てましたですよ。

それでも、ちょいと同情すべきは、彼女は所謂シンガーソングライターにジャンル分けされながら、自作曲がシングル盤のA面に入れてもらえないという事が度々で、同様に作られていたアルバムにしても、他人からの提供曲がメインというのでは、物足りなさも確かにありました。

そして何時の間にかフェードアウトしてしまったんですが、近年は再び活動されている事は喜ばしいと思いますよ、本気でねっ!

ということで、時代の寵児ともなっていた「フォーライフレコード」が最も純粋に期待を集めていた頃にデビュー出来た川村ゆうこが、それゆえに仇花扱いされる事さえあるのは、ど~なんでしょう?

そんな誹謗を言いふらしているのは極一部とはいえ、それを信じる自由を認める前に、虚心坦懐に彼女の歌声に耳を傾けるのも、決して悪くは無いと思っているのでした。

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