OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

十字路で熱演のクラプトン、でもジャケ写は?

2009-07-21 09:02:47 | cream

Crossroads / Cream (Polydor / 日本グラモフォン)

全てがブッ飛ばされる瞬間って、誰しも一度は経験するものでしょうが、サイケおやじにとっては、このシングル曲もそのひとつでした。

演じているクリームはご存じ、エリック・クラプトン(g,vo)、ジャック・ブルース(b,vo)、そしてジャンジャー・ペイカー(ds,per) というトリオで、それまでのロックの既成概念を大きく逸脱しながら、新しい可能性を見事に提示したバンドでしたが、その凄い部分が日本では、リアルタイムできちんと伝わっていたかといえば、答えは否でしょう。

クリームと他のバンドの一番の違いは、レコードで世に出る演奏とライブの現場での音が完全に異なっていることですが、それは極めてジャズに近いアドリブの応酬でした。

もちろんクリーム以外のバンドにしても、実際のステージではレコードと同じ演奏や音を出しているわけではなく、間奏や全体の纏め方が異なっているのは当然なのですが、それは失礼ながら、ある種の「ごまかし」であり、ミスを転じてスリルになっている事が少なくないのです。

しかしクリームは、それを意図的にやっていたんですねぇ。

つまりロックンロールのジャズバンドというか、ジャズで言えば「テーマ」にあたる曲メロ演奏と歌があって、間奏のパートがアドリブ! それもギンギンにドロドロ!

このあたりが当時の日本では音楽マスコミの伝え方がイマイチ上手くなくて、少年時代のサイケおやじにしても、クリームは凄いらしいが、それは……??? という気分でした。

ところが昭和44(1969)年になって、ようやく日本でも発売された名盤アルバム「クリームの素晴らしき世界 / Wheels Of Fire」のライブパートに入っていた演奏を聴けば、それは怖いほどに真実を突いていたのです。

ちなみに、その「クリームの素晴らしき世界」は欧米では前年に2枚組LPとして世に出たのですが、どういうわけか日本では1枚目のライブパートが「金色」、もう1枚のスタジオパートが「銀色」という、オリジナルデザインを色分けした単独アルバムという形式で発売されています。

それでも1枚が1750円でしたからねぇ……。中学生だった私には、とても買えません。しかし友人が持っていた、その「金色」を聞かせてもらってからは、あまりの衝撃に唖然とするほどでした。

特にA面ド頭に入っていた「Crossroads」の物凄さ!

スピード感満点にカッコ良すぎるキメのリフからスタートし、ドカドカ煩いドラムスとグイノリに蠢くエレキベースに後押しされ、幾分不安定なエリック・クラプトンのボーカルがあって、ついに鳴り響くギターソロの恐ろしさ! 全くそれまで聴いたことのなかった世界でしたねぇ~。音色もフレーズも、またノリそのものが、それまでのロックやR&Bとは完全に異質でした。また背後から襲いかかってくるが如きジンジャー・ベイカーのドラミングも容赦なく、さらに好き勝手に弾いているとしか思えなかったジャック・ブルースのエレキベースが、完全に私の好きな世界です。

それは既にザ・フーのジョン・エントウィッスルやゴールデンカップスのルイズルイス加部の演奏によって知っていたスタイルではありましたが、ジャック・ブルースの演奏はさらに飛躍していたというか、今になって思えば、それはジャズ!

ちなみにジャック・ブルースもジンジャー・ベイカーも当然ながらジャズバンドでの活動がクリーム以前にあったわけですが、それにしてもロックビートでそれをやってしまう発想と実力は凄すぎますねぇ~♪

しかしエリック・クラプトンの存在感は、そんな諸々を完全にブッ飛ばす勢いで、特に2回目のギターソロに入った瞬間の、まさにロックンロールの突然変異的なフレーズと「泣き」が「官能の叫び」に覚醒したようなギターの音色! もちろん当時はセックスなんかしたこともなかったサイケおやじにしても、ここでのバンド各人の絡みは、なんか野獣のような性行為を妄想させられる瞬間までありました。

バンド全体のグルーヴは明らかに「前ノリ」だと思うのですが、エリック・クラプトンのギターソロは独特のタメとモタレがブルースの本質を維持しつつ、完全に「ロックギター」の新しき夜明けという感じでしょうか?

そしてLPが買えなかった私がゲットしたのは、本日ご紹介のシングル盤というわけですが、それにしてもレコード屋の店頭で手にしたジャケットの???の気分は、今でも鮮烈です。

だって演奏は完全にエリック・クラプトンが主役なのに、ジャケ写ではジンジャー・ベイカーのでっかい顔が!?! まあ、当時の雑誌に載っていたクリームの写真にしても、メンバーは長髪に髭、さらに「老け顔」だったとはいえ、これはねぇ……。

ということで、「Crossroads」で完全にエリック・クラプトンに魅了された私は、ビートルズに客演した「ホワイトアルバム」での「While My Guitar Gently Weeps」とか、クリームの他のレコード、ブラインド・フェイスやデレク&ドミノス、さらにゲスト参加していた様々なセッションレコーディングも聴いていくのですが、個人的な気持ちとしては、エリック・クラプトンは、やはり「Crossroads」が最高!!!

ちなみに「Crossroads」は天才ブルースマンだったロバート・ジョンソンのオリジナルで、歌の内容には十字路で悪魔に魂を売るとか、神様に出会うとかいう話らしいというのは後で知ったことですが、とすれば、エリック・クラプトンがクリームの時代に既に「神様」扱いだった事も、納得する他はありません。

実際、ここでのエリック・クラプトンは人間を超越した、何かを感じさせます。

極言すれば、これを聴いていたからこそ、後にエリック・クラプトンがレゲエや気抜けのビールのようなレイドバック、さらにグチっぽい「Wonderful Tonight」をやっても、私は笑っていられたのかもしれないのです。

そして何時か再び、神様は「Crossroads」の瞬間に降臨するはず!

本当に、そう思います。

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ザ・フゥーを好きになる

2009-07-20 08:57:13 | The Who

キッヅ・ア・オーライト / ザ・フゥー (Brunwick / テイチク)

1960年代から今も活動を続けるザ・フーの諸作の中でも、伝説のひとつとなっているレコードが本日ご紹介の日本盤シングルです。

まずバンド名が「The Who」を律儀に日本語発音した「ザ・フゥー」ですからねぇ~!

また曲目の表記も原題「The Kids Are Alright」を「キッヅ・ア・オーライト」にしているところにも、苦笑を禁じ得ません。

これは当時の我が国の洋楽事情が、如何に情報不足と歪曲に満ちていたかの証明でもあるんでしょうが、ザ・フーに関して言えば、リアルタイムで正式にデビューした時から既に、契約の諸問題でレコードの配給が混乱していた事実も、確かにありました。

そのあたりの経緯については今回、あえて逃げを打っておきますが、とにかく1965年1月にイギリスでザ・フーがデビューし、忽ち大ブレイクした後、我が国で彼等のレコードが発売されたのは昭和41(1966)年秋頃だったとされていますから、せっかくのブリティッシュビートやエレキの大ブームがありながら、ここまで人気バンドの登場が遅れてしまったのは、後々まで日本での過小評価に繋がった事と無関係ではないと思います。

さて、サイケおやじがザ・フーを初めて聴いたのは昭和42(1967)年の春休み、ラジオから流れた永遠の熱血ロック「My Generation」が最初でした。それは説明するまでもなくモノラル放送だったわけですが、それにしても団子状で襲いかかって来るとしか表現出来ないロックバンドの迫力、その中で暴れるドラムスと要所でキメのリフやブレイクのソロを披露するエレキベースの恐ろしさ! さらに意図的に吃音を使った歌い方や乱れ気味のリズムギターという、その何もかもが当時のロックやポップスの常識を外れていたように、少年時代のサイケおやじは吃驚仰天!

特にベースの物凄さには最初、これはギターだろう!? と思う他はないほどでした。

そこで小遣いを貰うと速攻で足はレコード屋へ向かったのですが、なんと「My Generation」はシングル盤が出ておらず、LPのみの収録……。あぁ、ここでもまた、お金が無いことの辛さ、現実の厳しさを身をもって知るわけですが、その時、お店のお姉様が、これも素敵よ♪♪~♪ なんて聴かせてくれたのが、本日ご紹介のシングル盤でした。

特にB面の「The Kids Are Alright」は、完全に初期ビートルズの味わいがモロにコピーされたような名作メロディが胸キュンの素晴らしさ! しかもハートウォームなコーラスと軽めのギターとは対照的に暴れまくるドラムスと地底怪獣のように蠢くベースが強烈な印象でしたから、サイケおやじは忽ちお買い上げ♪♪~♪

ちなみにA面の「A Legal Matter」も、軽快なビートと如何にもエレキなギターのイントロが印象的という、ちょっとストーンズ風の曲と演奏になっていますが、個人的にはB面ばっかり聴いていましたですね。

それと印象的だったのが、ジャケットに写るメンバー達の鼻が全員、大きいんですねぇ~。

まあ、それはそれとして、当時のバンドはロジャー・ダルトリー(vo)、ピート・タウンゼンド(g)、ジョン・エントウィッスル(b)、キース・ムーム(ds) で、作られるレコードは凝っていながら、あくまでも4人でステージ再現が可能な演奏を第一義にしていたようです。つまりそれだけ、メンバー各人の技量とバンドとしての纏まりが最高だったんですねぇ~♪

そして海外ではザ・フーの圧巻のライブステージが大きな評判を呼んでいたわけですが、我が国で少なくとも私が衝撃を受けたのは、当時の若者向けテレビワイドショウとして朝の7時20分から土日を除く毎日(!)放送されていた「ヤング・セブン・ツー・オー」で、そこでは例のモンタレー・ポップ・フェスティバルで狂乱のステージを展開したザ・フーの熱演と楽器破壊のパフォーマンスがっ!!!

これも強烈でしたねぇ~。

もちろん、と同時にジミヘンの凄すぎる演奏も知ることになるのですが、それは別の機会に譲ります。

こうしてザ・フーが好きになった私は彼等のレコードを集めようとしたのですが、なんと当時はその発売状況が芳しくなく、売れ行きが悪いからレコード屋でも新譜を即座に店頭入荷させないというような感じでした……。

もちろんLPは買えないし、出ているアルバルにしても、ほとんどが疑似ステレオで音質が悪かったのも、マイナスだったように思います。

ということで、今でも大好きなザ・フーの諸作を私が実質的に楽しめるようになったのは、1970年代に入ってからでした。それでも、このシングル曲を含むデビュー期の歌と演奏については発売状況が決して良いとは言えず、それゆえにサイケおやじは尚更に愛着の強い1枚となったわけです。

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フォークロックはイギリス産か?

2009-07-19 12:11:28 | Pops

愛なき世界 / Peter And Gordon (EMI / 東芝)

ビートルズの弟グループとしては、その元祖というか、ピーター&ゴードンも忘れられません。なにしろ本日ご紹介のデビュー曲からして、「Lennn / McCartney」というお墨付きがあったのですから!

ピーター&ゴードンはピーター・アッシャーとゴードン・ウォラーの男性デュオで、2人とも医者の息子という恵まれた家庭環境で育ち、PP&Mのようなフォークソングを歌っていたらしいのですが、如何にも育ちの良さがはっきりとしたルックスは、彼等の実力と同じほどに評価され、忽ちレコード会社から契約を得ています。

それは1964年初頭の出来事だったそうですが、実はピーターは子役として既に映画界で活躍していた実績もあり、また妹のジェーンが当時はポール・マッカートニーの恋人でもあった事等々も少なからず好結果に結び付いていたものと思われます。

そしてデビュー曲がポール・マッカートニーがメインとなって書いた「愛なき世界 / A World Without Love」ですから、その胸キュンのメロディと品格が滲む歌唱、そして口当たりの良いサウンド作りが見事に融合し、世界中で大ヒットしています。

我が国でもリアルタイムの昭和39(1964)年に発売され、忽ちラジオを中心に人気があったと思われるのですが、告白すると若き日のサイケおやじはビートルズよりも、ピーター&ゴードンの方が素晴らしいと思っていたほどです。

それは当時の我が国の洋楽流行が、決してビートルズが一番ではなく、またエレキブームも翌年からが本格的な盛り上がりだったことを思えば、当時を知らない皆様にもご理解願いたいところです。つまり騒がしいエレキのバンド=ロックグループよりも、もっとポピュラー系の歌手やグループがウケていたのですねぇ。

ルックス的にもビートルズよりは髪が短かったのも大人達の許容範囲だったのでしょう。なんと我が家でも、日頃から無理解な母親が、私の希望を入れて、このレコードを買ってくれたほどですから!?! いゃ~、その時のありがたさは、今も忘れていません!

しかし翌年になって日本でも本格的にビートルズの旋風が吹き始めると、ピーター&ゴードンは正体を暴かれたというか、そのデビュー曲も、また後でヒットした「逢いたくないさ / I Don't Want To See You Again」もポール・マッカトニーが書いたという真相が明かされるにつれ、ビートルズの本物の魅力が尚更に再認識させられた感じです。その中にはポール・マッカトニーが変名や他人名義で提供した曲もあったとか!?

ですから、ピーター&ゴードンが一番人気が高かったのはアメリカで、イギリスではデビュー曲以降、それほどのブレイクはなかったようです。

そして彼等は1968年頃に解散し、ゴードン・ウォラーはソロ歌手となり、ピーター・アッシャーはビートルズが設立したアップルレコードの制作担当に席を置き、あのジェームス・テイラーを世に送り出すのですが……。

以降はご存じのとおり、ピーター・アッシャーはアメリカでウケる音作りを選択し、ジェームス・テイラーの他にもリンダ・ロンシュタットを大ブレイクさせました。

今となってはピーター&ゴードンが「愛なき世界」だけで思い出となっているのは当然かもしれませんし、リアルタイムでのアメリカでの人気は知る由もありませんが、昭和40年代の我が国ではアメリカよりもイギリスで流行った「音」が売れていたという事象を証明するレコードかもしれません。

なによりもサイケおやじはビートルズよりも前にピーター&ゴードンが好きになり、また以前にも書きましたが、バーズも同様だったことを思えば、そのオリジナルメンバーだったロジャー・マッギンとジーン・クラークが、当初はピーター&ゴードンを目標にしていたという話も、あながち噂だけとは思えません。

ピーター&ゴードンもバーズも、極めてアメリカ的でありながら、実はイギリスにどっぷりというフォークロックの真相があるように感じます。

フォークロックはブリティッシュロックと同義語!?

ちなみにピーター&ゴードンは昭和40(1965)年春に来日していますが、そのバックを務めたのが、当時の日本では一番にブリティッシュロックの音を出していたスパイダースだったという事実を付けくわえて、本日はお開きとさせていただきます。

妄言、ご容赦……。

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明日を歌うアイビーズ

2009-07-18 11:48:52 | Rock

Maybe Tomorrow / Iveys (Apple / 東芝)

「第二のビートルズ」なんていう宣伝文句は星の数ほどありましたが、それを実現出来たバンドはひとつも無いのが、これまでの歴史です。

しかし小型ビートルズとか、そっくりさんバンドというのは、これまた星の数ほどあり、その中でも特に「弟バンド」として注目され、人気が高かったのがバッドフィンガーでした。

そして本日ご紹介は、その彼等がアイビーズと名乗っていた頃のデビューシングル盤です。

その経緯には様々な紆余曲折があるのですが、特にラッキーだったのは、彼等のマネージャーだったビル・コリンズがポール・マッカートニーの父親と音楽仲間だったこと、またビートルズのツアー担当だったマル・エバンスとのコネクションがあったことから、1968年にビートルズが設立したアップルレコードの新人発掘企画に潜り込めたというのが、大凡の事情だったようです。

ちなみに当時のメンバーはピート・ハム(g,vo)、トム・エバンス(g,vo)、ロン・グリフィス(b,vo)、マイク・ギビンズ(ds,vo) の4人組でしたが、バンドそのものはメンバーチェンジを繰り返しながらも、既に数年のキャリアを積んでいたのですから、曲作りも演奏もツボを押さえた技量がありました。

そしてポールとジョージが彼等を気に入ったことから、ついに7月から5年の契約を獲得し、制作・発売されたのが、このシングル盤というわけです。

まずA面の「Maybe Tomorrow」は、ビートルズというよりも、当時はソフトロック路線で人気が高かったビージーズのような、優しさと秘めた情熱が上手くミックスされた素敵なメロディが魅力の名曲♪♪~♪ ストリングスの使い方がモロにビージーズしていて、思わずニンマリです。しかしドラムスの力強さや演奏全体の纏め方は、これまたホワイトアルバム期のビートルズに近い雰囲気が濃厚ですから、たまりません。

日本はもちろんのこと、欧州各地でも忽ちのヒットを記録しています。

しかし何故か本国のイギリスでは全くヒットせず、アメリカでも小ヒットがやっとでした……。う~ん、何故だ!?!

そして当時に作られていたデビューアルバムも、昭和44(1969)年に日本とドイツだけの発売だったと言われているほど、イギリスでは人気が出なかったんですねぇ……。

このあたりの状況は、ちょっと不思議に思えるほどなんですが、B面収録の「ダディは百万長者」はプレ・ニューウェイヴという勢いさえ好ましい、実に痛快なロックナンバー! 我が国のカーナービーツかジャガーズあたりが日本語バージョンを出したとしても、全然OKでしょうね♪♪~♪

こうして中途半端なデビューを飾ったアイビーズは結局、1970年に入るとパッドフィンガーと改名し、ポール・マッカートニーが直々に書いた名曲「Come And Get It」で再デビュー! もちろんブレイクを果たし、ここからが小型ビートルズとしての本領発揮になると思われますが、それ以前のアイビーズ時代も決して侮れません。

日本優先で発売され、幻化したデビューアルバムも現在はCD化されているようですし、パッドフィンガーとなってからの作品群も同様に聴くことが出来るのは幸いだと思います。

その後の様々な事情から、一部では「悲劇のバンド」なんて呼ばれることもある彼等も、このデビュー曲を出した頃の新鮮な気分は、永遠に不滅じゃないでしょうか。

たぶん、明日になれば……、と歌うアイビーズが、せつなくも好きです。

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真っ白なサンタナ

2009-07-17 12:48:07 | Rock

Welcome / Santana (Columbia)

本日はジョン・コルトレーンやビリー・ホリディ、そして石原裕次郎という偉人の命日ですから、本来は所縁のレコードを聴くべきなのかもしれませんが、現在のサイケおやじには、なんとかこのアルバムを引っぱり出すのが精一杯でした。

というのも、この作品は当時、東洋思想に基づくと思われる宗教に帰依していたカルロス・サンタナが、より高次元の精神性を求め、その過程では晩年のジョン・コルトーンのような所謂スピリチュアルな演奏に踏み込んでいた頃に作られたものだからです。

録音は1973年5~6月に行われ、その直後には伝説の来日公演もあったことから、既にそのステージで聞かれた曲も入っているという、リアルタイムを体験していたファンには忘れ難いアルバムだと思います。

ただし、それゆえにラテンムードの快楽性に期待した従来からのファン、あるいは後追いで聴き進んでいる皆様にとっては、なにかと人気が低い作品のひとつだと言われているのですが……。それでも発売された昭和48(1973)年としては、最も進歩的なフュージョンロックだったのです。

 A-1 Going Home
 A-2 Love, Devotion & Surrender
 A-3 Samba De Sausalito / ソウサリートのサンパ
 A-4 When I Look Into Your Eyes / 君の瞳
 A-5 Yours Is The Light / 輝ける光
 B-1 Mother Africa / 母なるアフリカ
 B-2 Light Of Life / 聖なる光
 B-3 Flame-Sky
 B-4 Welcome

まず当時の流行というか、このアルバムにしてもLP片面に収録の演奏に曲間がほとんどありません。つまりひとつの流れで楽しんで欲しいというミュージシャン側からの「強要」があるんですねぇ。

実は既に述べたように、このアルバム発売前の来日公演では、会場に「御香」が焚かれ、演奏が始まる前には黙祷の時間までが設けられていたというのは、今でも凄いと思います。つまり完全にミュージシャン主導の主張に、リスナーやファンがついていけるかが大きな分岐点だったのです。

ちなみにこのアルバムでの演奏メンバーはカルロス・サンタナ(g,vo,per)、マイク・シュリーヴ(ds,per)、ホセ・チェピート・アリアス(per) だけが公式デビュー当時からのメンバーで、後は助っ人軍団! その中にはフローラ・プリム(vo)、アーマンド・ペラサ(per)、ジョー・ファレル(fl,sax)、ジョン・マクラフリン(g)、レオン・トーマス(vo,per)、トム・コスター(key)、リチャード・カーモード(key)、ダグ・ローチ(b) 等々、ほとんどがジャズフュージョン系のミュージシャンが加わっていたのですから、その演奏もまた、おのずと傾向が決まっていたというわけです。

まず初っ端の「Going Home」は、有名なドボルザークのメロディを極めて精神性を強くして演奏したインスト曲ですが、荘厳なオルガンの響きや勿体ぶったギターの使い方、等々は明らかにアリス・コルトレーンあたりが作り出す大袈裟なムードに一脈通じています。これを胡散臭いと感じてしまえば、ここで針を上げるのが正解でしょう。ただし前述した初来日公演のスタートも、やはりこの曲でしたから、避けては通れません。

確かに大袈裟な思わせぶりが終わり、そこへ被さるように流れてくるカルロス・サンタナの官能的なギター、そして十八番のラテンパーカッションのフュージョン的な使い方が冴える「Love, Devotion & Surrender」は、快楽的なメロディと宗教的な歌詞の対比が面白いといっては不謹慎でしょうが、演奏が実に気持ち良いんですねぇ~♪

さらに続くのが如何にもフュージョン期のサンタナが証明される「ソウサリートのサンパ」で、エレピのアドリブがこれまた気持ち良く、数人が参加した打楽器の饗宴がさらに気分を盛り上げてくれますよ。

また「君の瞳」や「輝ける光」は来日公演でも披露されたボーカル主体の親しみ易い曲で、レオン・トーマスやフローラ・プリムのボーカルもフィール・ソー・グッドな軽さが憎めないところですが、演奏パートの充実度は一部の隙も無い完成度! キメのリフとキーボード中心のアドリブパート、さらにリズムの熱気は流石だと思います。特に「君の瞳」の後半におけるファンキーなグルーヴは、もっと聴いていたいところで終わるのが残念なほどです。

そして気になるカルロス・サンタナのギターソロは、「輝ける光」になってようやく本格的に楽しめるという憎い仕掛けが賛否両論でしょう。正直、ここでやっとサンタナらしくなったという気分なんですよっ♪♪~♪ そうしたところが、このアルバムを不人気にしている要因なんでしょうねぇ……。しかし、これが実に気持ちE~~~♪ サンタナ、最高っ!

そういう高揚感はB面へと見事に引き継がれ、ハービー・マンとサンタナが共作した「母なるアフリカ」ではポリリズム系打楽器の乱れ打ちが痛快ですし、それが宇宙的な広がりとなった後の静寂からスタートする「聖なる光」の内側から湧いてくる信頼のパワー! これを実にヤバイというか、アブナイものに感じるのはサイケおやじだけでしょうか?

そしてお待たせしましたっ! いよいよ始まる「Flame-Sky」はカルロス・サンタナ対ジョン・マクラフリンの魂の兄弟が、官能と情熱のギターバトル♪♪~♪ いや「バトル」というよりも「コラポレーション」といった方が穏やかなんでしょうが、この妥協の無い精神の交流は圧巻!

このあたりは2人が本格的に共演を果たした前作アルバム「Love Devotion Surrender」の熱演をさらに昇華させんとする意気込みが素晴らしく、バックアップするメンバー達も気合いが入っています。ちなみに「泣き」を大切にしているのがカルロス・サンタナ、よりアグレッシヴな「エグ味」を全面に出すのがジョン・マクラフリンだと思いますが、それでも2人の気持はひとつ! う~ん、やっぱり凄い11分半は至福です。

こうして迎える大団円は、ジョン・コルトレーンが傑作アルバム「クル・セ・ママ (impulse!)」で演じていた名曲オリジナルの「Welcome」です。もちろんカルロス・サンタナのギターはジョン・コルトレーンが吹いていたサックスのフレーズを丁寧に蘇らせんと奮闘し、ここでもバンド全員が気持ちをひとつにした熱演を聞かせているのですが、それがイノセントなジャズファンやコルトレーンのコアなマニアからは白眼視されているのも、また事実でしょう……。

ロックの奴らがコルトレーンの聖域を踏みにじった!?!

なんて、当時は真剣に言われる場面があったんですよっ!

ですからサイケおやじにしても、なんとなく「うしろめたい」気分で聴いていたのは否めないわけですが、それでもサンタナの魅力は絶大♪♪~♪ ラテンフュージョン、大いに賛成です。

ちなみにジャケットはサンタナ版「ホワイトアルバム」として、掲載画像は白紙撤回って感じですが、アナログ盤ジャケットの表面には「Welcome」の文字が型押しが浮かび上がっております。撮影、下手ですみません。

しかし、こういう真っ白な決意表明は尊いと思うのですが……。

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スライ・ストーンのファンクな飛び蹴り

2009-07-16 10:56:30 | Soul

Fresh / Sly And The Family Stones (Epic)

スティーヴィー・ワンダーの「トーキング・ブック (Tmala)」やキャロル・キングの「ファンタジー (Ode)」を聴き狂っていた昭和48(1973)年のサイケおやじを、更なるファンク天国へと誘ったのが、本日ご紹介の通称「飛び蹴り」、あるいは「ライダーキック」というスライのアルバムでした。

主役のスライ・ストーンはテキサス生まれの黒人ですが、幼少の頃からサンフランシスコで育ち、ゴスペルやR&Bを歌いながら独学で様々な楽器を習得し、やがて地元ラジオ局のDJとして人気者になり、そこでは黒人歌謡だけでなく、ビートルズやボブ・ディラン等々の白人流行音楽も積極的に流していたと言われています。これは人種差別が当然だった1960年代のアメリカでは、ラジオ局そのものも含めて、番組自体が白と黒に偏向されていた時代背景からすれば、いくらサンフランシスコという自由の空気が濃密な地区だったとしても、相当に独創的な事だったと思われます。

そしてスライ・ストーンは地元のマイナーレーベルでレコード制作の仕事も出がけるようになり、ついには自分のバンドを結成し、それがスライ&ファミリーストーンでした。

ちなみにスライ・ストーンの本名はシルヴェスター・スチュワートですが、スライの芸名を使うようになったのはラジオDJ時代からで、「小賢しい」という意味が強い「スライ」という言葉を選ぶあたりが、後年のクールで熱い活動を象徴しているように思います。

気になるバンド活動はスライ・ストーン(vo,g,key)、フレディ・ストーン(g,vo)、ラリー・グラハム(b,vo)、グレッグ・エリコ(ds)、シンシア・ロビンソン(tp,vo)、ジェリー・マルティーニ(sax) という白黒男女混成という強烈な存在としてスタートし、そのロックもR&Bもジャズもラテンもゴッタ煮とした音楽性とリアルで斬新な歌詞、熱気満点のステージライブによって、忽ち人気沸騰! 1967年に出したデビューアルバム「新しい世界」から大ヒット作を連発しています。

その中で特に世界中へスライの凄さを印象づけたのが、1969年に開催されたウッドストック音楽祭でのステージで、これは映画になりましたから、尚更に大ブレイク! 告白すればサイケおやじも、その映画で観たファンキーロックに燃え上がる演奏で興奮させられ、劇場からの帰り道でレコード屋に直行! 「スライと踊ろう / Dance To The Music」なんていうLPを買ったのが、その出会いでした。もちろん後は大熱中♪♪~♪

そうした中ではマイルス・デイビスがスライに夢中だとかいう噂も、嬉しいものがありましたし、後に世紀の名盤と認定される「スタンド」あたりは、世界中のミュージシャンが好きなアルバムと公言するほどにウケていたのですが、残念ながら我が国では、スライ&ファミリーストーンという存在そのものが、それほど人気があったとは言えません。

しかも前述した「ウッドストック」の映画が公開された後の1971年頃からは、スライ・ストーン本人の活動が、ちょいと内省的というか、怖いファンクとドロドロの感性がミックスされ、ほとんどの楽器を自分でやってしまったという「暴動」なんていう極みの混濁アルバムを出して以降は、沈黙期に入ってしまうのです。

いゃ~、今でこそ、この「暴動」は愛聴出来るようになりましたが、当時は困惑させられましたですねぇ~。音楽マスコミでは絶賛されていたんですが、本当にそう思って文章を書いていた評論家の先生方の気持ちを、失礼ながら疑ったほどですよ……。

そして時が流れました。逼塞しいていたスライが久々に新譜を出すという情報が流れ、ついに発売されたのが、「輪廻」なんていうアブナイ邦題がつけられた、本日ご紹介のアルバムです。

 A-1 In Time
 A-2 If You Want Me To Stay
 A-3 Let Me Have It All
 A-4 Frisky
 A-5 Thankful N' Thoughtful
 B-1 Skin I'm In
 B-2 I Don't Know (Satisfaction)
 B-3 Keep On Dancing
 B-4 Que Sera, Sera
 B-5 If It Were Left Up To Me
 B-6 Babies Makin' Babies

まずA面ド頭の「In Time」が強烈! 一瞬、サンタナ!? みたいなラテンパーカションが鳴ったかと思うと、直ぐにリズムマシーン系のビートがスタートし、そこへシンコペイトしまくったドラムスとエレキベースが割り込んでくるという仕掛けに悶絶させられます。

ちなみに、この時点でのバンドはメンパーチェンジがあり、ロージー・ストーン(key,vo)、ラスティ・アレン(b)、アンディ・ニューマーク(ds)、パット・リッツォ(sax,fl) が交代参加し、さらにリトル・シスターと名乗る三人組の女性コーラス隊までもがジャケットに表記されいますが、アンディ・ニューマークは以降も様々なバンドやセッションで大活躍していく白人の凄腕ドラマーとしてご存じのとおり♪♪~♪ またラスティ・アレンは当時は十代ながら、物凄いペースワークが全篇で冴えわたりですよっ!

それは意図的に抑揚の無いメロディを倦怠感を強調して歌うスライとは逆に、カッコ良すぎるシンプルなホーンのリフ、ゴスペル風味が濃厚な女性コーラス隊、さらにシャープでクールなドラムスとベースが鋭く自己主張していく5分半強のファンク天国♪♪~♪

このあたりは、やはり同年に発売されたカーティス・メイフィールドの傑作アルバム「バック・トゥ・ザ・ワールド (Budda)」やニューオリンズファンクのミーターズ等々にも通じる快感です。

さらに続く「If You Want Me To Stay」が、これまた感涙♪♪~♪ サイケおやじが生涯の愛聴曲「Sunny」を快感ファンクに焼き直したような確信犯的名演で、これは確か、当時シングルカットされ、FENでも流されていましたですね。とにかくスライの投げやりで猥雑な歌いっぷり、キーボードの隠し味とタイトなドラムス、さらに直截的なベースや単純明快なネタばれホーンリフが、最高の気持ち良さ♪♪~♪ あぁ、永遠に聴いていたいほどです。

こうしたファンクピートの快楽は、続く「Let Me Have It All」や「Frisky」、さらに「Keep On Dancing」や「If It Were Left Up To Me」といった従来路線の曲においても絶大な魅力となり、その革新的とさえ評価されたリズムとビートのコンビネーションは、スライと女性コーラスの歌を尚更に盛り上げていきますが、むしろそうしたリズム隊に耳が先に行ってしまっても許されるでしょう。おそらくそれがスライの狙いなのかも? なんて極端な推察までしています。

その意味で本当はつまらない曲と演奏かもしれない「Thankful N' Thoughtful」にしても、不思議と高揚した気分で聴けるんですから、これも深遠な目論見ですよねぇ~♪

そしてB面に入っては、ほとんどマイルス・デイビスの電化トランペットが出てきそうな前奏から黒い魂の迸りが強烈な「Skin I'm In」で、いきなりの剛球勝負! 伝統的なソウルグルーヴを大切にしたホーン隊、ジャズファンクなリズム隊の働きも抜群です。

またタイトルどおりにストーンズを揶揄してんのかっ!? と思わず言いたくなる「I Don't Know (Satisfaction)」の憎め無さ! 怒るより前にニンマリさせられますが、これは賛否両論というか、冗談が通じなくても熱くなってはいけませんよね。

それは、アッと驚く選曲となった「Que Sera, Sera」でも同じでしょう。あのドリス・デイの「ケ・セラ・セラ」ですよっ! それをゆるやかなファンクのグルーヴを存分に活かし、心地良い倦怠感として表現するスライ&ファミリーストーンの歌と演奏は、ソフト&メロウでもあり、黒人ならではのセンスの良さの最高峰でもあり、これも聴かずに死ねるかの決定版! 私の葬式には流して欲しいほどの候補曲でもあります。

しかし、そうした至福の時間を見事に覆してくれるのが、オーラスの「Babies Makin' Babies」で聞かれる不気味な躍動感というか、希望と悪い予感を同時に表現してくれたような歌と演奏です。意図的に柔軟さを避け、硬質なグルーヴに徹したリズム隊が逆に良い感じ♪♪~♪

ということで、これは今でも私の愛聴盤ベスト選には、ノー文句で入るというアルバムです。なによりもファンクなドラムスとベースを聴いているだけで気分は最高♪♪~♪ スライのボーカルも時には熱く、また時にはトホホなオトボケが本当に適材適所! 演奏の細かい部分とまで、しっかりと連携している緻密な作りが確かにあると思います。

しかし現実的には我が国では当時、ほとんどヒットしていません。洋楽マスコミはロック優先でしたし、その頃はサザンロックやウエストコースト物が人気を集め、シンガーソングライターのプームは深化し、グラムロックやフログレという分野も決してアダ花では無かったのです。

結局、同じニューソウルでもスライ&ファミリーストーンのような革新的なファンクよりは、もっとメロディ優先主義のモータウンやフィリーといった流行が日本でも確かにあり、それは後にディスコブームへと直結していくのですが、そう言われれば、このアルバムで聞かれるような音楽じゃ、日本人は踊るのが至難でしょうねぇ……。

ただし、こういうシンコペイトしまくったファンクの快感は、虜になって聴けば絶対! 暑い夏にも効果は絶大ですよ。ジャケ写どうり、ファンクな蹴りをキメたスライが最高に潔いです。

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永田町のテーマはバラ・バラ♪?~♪

2009-07-15 09:55:46 | Rock

バラ・バラ / レインボウズ (CBS / 日本コロムビア)


混迷を極める永田町を見ていると、サイケおやじは、ついつい、この曲を口ずさんでしまいます。

オリジナルはドイツのグループらしいレインボウズが1966年に放ったヒット曲ですが、我が国ではGSブームで火がついたバンドが、例えばスパイダースあたりは、しょっちゅう演じていましたですね。

その曲調は典型的なロックンロールで、マ・ベビ・ベビ・バラバラ~♪ と繰り返し歌うだけというシンプルなノリが最高でした。もちろん何も考える必要がない8ビートのドラミングやコピーしやすいギターとベースが良い感じ♪♪~♪

クライマックスでのバラ・バラ・バラ・バラ・バラ・バラ・バラ・バラ♪♪~♪ なんていうところは、いっしょに歌って踊れる痛快さが、実にヒット曲のストライクゾーンがど真ん中でしょう。

アップしたシングル盤は、昭和42(1967)年に我が国で発売されたものですが、なんともキッチュなデザインが中身の楽しさを予感させ、憎めません。もちろん少年時代のサイケおやじもレコードを買って、いっしょに歌っていたわけです。

さて、こんな曲を大音量で流しながら街宣するっていうアイディアは、どうでしょう。

どっちが政権をとっても、決して良くならないことが今から分かっているという不幸が、国民を信頼に導かない永田町のテイタラク……。もちろん全ての日本人の中で総理大臣に相応し「顔」を瞬時に思いつかないという哀しさもあるんですけどねぇ……。

そんなせつなさをブッ飛ばすものこそ、こうしたシンプルなロックンロールかもしれません。

ということで、バラ・バラ・バラ・バラ・バラ・バラ・バラ・バラ♪♪~♪ と歌いながら、サイケおやじは今日もノーテンキに生きているのでした。

それも幸せ!?

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運命という至上のエレキ

2009-07-14 09:49:51 | 日本のロック

運命 / 寺内タケシとバニーズ (キングレコード)

渡辺香津美や高中正義、あるいはチャーがどんなに凄くても、寺内タケシには絶対に敵いません!

もちろんリッチー・ブラックモアやヴァン・ヘイレンでさえも、寺内タケシには敵ではないのです!

寺内タケシはエレキの神様!

なにしろ戦前の子供時代からエレキギターを自作し、空襲警報用のスピーカーで鳴らしていたという伝説さえ残されているのです。

生家が電気屋で、ご母堂が三味線の師匠だったという家庭環境もあったかもしれませんが、寺内タケシはギターとマンドリンに幼少の頃から天賦の才を発揮していたそうですし、学生時代からマンドリンにかけては古賀正男を感心させる腕前であったとか!

そして時代の流れでカントリー&ウェスタンやロカビリーのバンドでギターの凄腕を披露し、忽ち最高の人気を得るのですが、それが全開したのは、やはり昭和40年からのエレキブームでした。アストロノウツベンチャーズという本場アメリカのバンドと互角の、時にはそれ以上の演奏を聞かせるテクニックとエレキ魂は、今でも驚嘆の記憶になっているほどです。

しかし人気絶頂だった寺内タケシが、様々な事情と自らの病気の所為でブルージーンズを脱退したのは、当時の芸能ニュースでも大きく報道され、一時は再起不能という噂まであったところから見事に復活し、さらに大きく飛躍したのが、新バンドのバニーズを率いてからの活動です。

それは昭和41(1966)年の事でしたが、既に世間は「エレキは不良」の大合唱! しかし当時の若者はエレキにシビれ、ロックのビートで踊るのが青春の構図でしたから、寺内タケシが本当に凄いのは、そこでエレキギターを弾くだけでなく、実際に無理解な教育関係者に面談し、青少年の育成に真っ向からエレキを活かそうとしていたことかもしれません。

このあたりの活動は後に高校を巡るコンサート活動に継続され、国からも表彰されるほどの成果をあげるのですが、そんな最中に生み出されたのが、クラシックの名曲を見事にエレキ化した傑作アルバム「レッツゴー運命」でした。

このアルバムは昭和42年というGSブームの真っ只中、まさに日本のロックの全盛期に発売され、アッという間に大ベストセラーとなり、レコード大賞の編曲賞も獲得し、海外でも高く評価されるほどの大名盤になっています。

そして本日ご紹介は、そこからのシングルカットで、同年の秋に発売されたヒット盤!

A面曲はご存じ、誰もが知っているベートーヴェンのシンフォニー第五番ですが、寺内タケシのアレンジは分かり易く、さらにロックのビートを極限まで活かした痛快感が不滅ですし、なによりも本人のギターが物凄いピッキングと早弾きフレーズの大洪水! その恐ろしさゆえにバンドの纏まりが危なくなるギリギリのところまで、とにかく行ってしまおう! という勢いはロック魂究極の姿じゃないでしょうか。

ちなみに当時のバニーズのメンバーは寺内タケシ(g)、黒沢博(g)、鈴木義之(g)、荻野達也(key)、小野肇(b)、井上正(ds,per) という精鋭揃いながら、もちろん寺内タケシの厳しい指導と薫陶があっての成功でした。

寺内タケシのギタースタイルは、今の若い皆様からは古臭く感じられるという気持は私も理解出来ます。しかし、その個性は海外において「Terry-sh」と呼ばれるほどに崇められ、後追いするギタリストが今もって続出しているほどです。例えば、この「運命」で聞かれる早弾きのフレーズは、リッチー・ブラックモアが大いに影響を受けたとして既定の事実になっています。

それは体操のウルトラ級の大技が、それを個人技とした演技者の名前を付けられるのと同じほどの名誉として、まさに名人の証なんですねぇ~♪ そういうギタリストは寺内タケシの他に、我が国では存在していません。流石、レス・ポールやチェット・アトキンスと並び称される三大ギタリストのひとりだと、強く納得する他はないのです。

そして寺内タケシの凄さの、もうひとつの先進性として、バンドで使う機材の開発を自分でやってしまうことがあげられます。例えば独自開発のエレクトーンやPAシステムがあればこそ、昭和40年代から実演ライブの現場では他バンドを圧倒する音の迫力が強烈でした。もちろんバンドメンバー各々のテクニックの健実さも、それがあればこそ、尚更に輝くのです。

その強烈な印象は、実際にライブを体験するのが一番なんですが、そうした迫力を見事にスタジオでレコードに封じ込めた録音の確かさが、このレコードの魅力のひとつでもあります。特にB面収録のロック化されたシューベルトの「未完成」では、火の出るような寺内タケシのエレキのアドリブとパンキッシュな鳴り、そしてバンドアンサンブルを構成する楽器のひとつひとつが、クッキリと鮮やかに楽しめます。

それはシングル盤でありながら、「STEREO」仕様として発売されたのもムベなるかな! これは当時としても画期的なことでした。

う~ん、それにしても寺内タケシのギターは凄すぎますねぇ~~~♪

ちなみに、このシングル曲が収められた前述のアルバム「レッツゴー運命」を私は直ぐに買うことが出来ず、そこでシングル盤となったわけですが、当時の寺内タケシとバニーズはテレビでも「運命」を演奏することが多く、それでいてレコード化が遅れていた事情も鑑みれば、如何にアルバムセッションが綿密に企画進行されていたかが推察出来ます。

もちろん当時の寺内タケシは東宝映画「エレキの若大将」にも出演し、ベンチャーズとの共演ステージを筆頭に人気が大爆発した過密なスケジュールだったと思われますから、ここまで完成度の高い演奏が作られていたことは、全人類にとっての至福でしょう。

私は結局、翌年の正月にお年玉でアルバム「レッツゴー運命」を手に入れていますが、そこには当然ながら、この「運命」のシングル盤と同等の凄い演奏がぎっしり収められていました。

その感激は今も忘れていません。

クラシックの名曲をエレキで演じる企画について、リアルタイムでエレキは不良という間違った認識に対する反抗精神、だったかどうかは知る由もありませんが、とにかく痛快無比な演奏は寺内タケシの凄さの証明として、ぜひとも、お楽しみくださいませ。

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キャロル・キングのニューソウルな夢

2009-07-13 10:34:42 | Singer Song Writer

Fantasy / Carole King (Ode)

世紀の傑作「つづれおり」を筆頭にするキャロル・キングの名作アルバム群の中にあっては、ちょっと異質の1枚だと思いますが、スティーヴィー・ワンダーの名盤「Talking Book (Tmala)」を聴き狂っていた1973年のサイケおやじを夢中にさせた、これも青春の思い出という愛聴盤です。

確かアメリカで発売されたのは1973年の春頃だと思うのですが、ちょうど日本の梅雨明け時にはラジオ放送からアルバムが丸ごと流されていましたですね。それは全体の作りにトータル性があったからでしょう。

実際、アナログ盤はAB両面に別れていますが、収録の歌と演奏には曲間がなく、LP片面がメドレー形式になっているのです。

 A-1 Fantasy Beginning
 A-2 You've Been Around Too
 A-3 Being At Way With Each Other
 A-4 Directions
 A-5 That's How Things Go Down
 A-6 Weekdays
 B-1 Haywood
 B-2 A Quiet Place To Live
 B-3 Welfare Symphony
 B-4 You Light Up My Life
 B-5 Corazon
 B-6 Belive In Humanity
 B-7 Fantasy End

まず特筆すべきは、そのサウンドスタイルが当時流行のニューソウル色に染まっていることです。そしておそらくは初めてでしょうか、全ての曲がキャロル・キングの単独作品なんですねぇ~。

そのサウンド面の要は参加メンバーにあって、デヴィッド・T・ウォーカー(g)、チャールズ・ラーキー(b)、ハービー・メイソン(ds)、ボビー・ホール(per)、さらにキャロル・キング(p,key) から成るリズム隊が最高にしなやかで強靭! もちろんそれはモータウンやフィリーといった都会派ソウルのグルーヴであり、ジャズっぽくてロックの芯も失っていないという、後年のAORやフュージョンの先駆けでもありました。

そしてそこへトム・スコット(sax,fl)、アニー・ワッツ(sax,fl)、ジョージ・ポハノン(tb)、チャック・フィンドレイ(tp) 等々の超一流ホーンセクションやストリングスが加わるという重厚な布陣ですから、たまりません。

このあたりは前作アルバム「Rhymes & Reasons」の一部でも既に実現していたわけですが、シンガーソングライターとして本格的にスタートしたソロ第一弾「Writer」以来の付き合いだったジェムス・テイラー(g) やダニー・コーチマー(g)、ジョエル・オブライアン(ds)、ラス・カンケル(ds) といった盟友と別れた意味合いも強く感じられるのです。

そしてキャロル・キング自身が作るメロディは、持ち前の仄かに暗いAメロから開放感のあるサビの展開という黄金律が自然体で冴えわたり♪♪~♪ それがメドレー形式だと、さらに気持の良い流れになっているのです。

演奏面でもハービー・メイソンのシャープでファンクなドラミング、デヴィッド・T・ウォーカーのジャズもソウルもゴッタ煮のメロウなギター、チャールズ・ラーキーの自在に蠢いて、さらに飛び跳ねるベース、ラテンもロックもソウルもお任せというポビー・ホールの打楽器が、全ての面でキャロル・キングの歌をがっちりとサポートし、時にはリードしているほどの充実度です。

それはA面初っ端の「Fantasy Beginning」が終わり「You've Been Around Too」が始まるところで煌めくデヴィッド・T・ウォーカーのギター、重心の低いグルーヴを叩き出すハービー・メイソンのドラムス、黒いフィーリングがいっぱいのキャロル・キングの歌いっぷり、そして彼女だけのメロディ展開を彩るストリングやブラスのアレンジが、ほとんど当時のダニー・ハザウェイやマービン・ゲイ、あるいはカーティス・メイフィールドの世界に近くなっています。

こうした流れはアルバムが進んでいくにつれ、ますます顕著になるのですが、それにしても、どこを切ってもキャロル・キングという金太郎飴的なメロディが、実にサイケおやじの好みにジャストミートしています。

それは裏を返せば、好きな人にしか楽しめない世界かもしれませんし、なんだ……、またかよ……、という正直な気分の皆様も、きっといらっしゃるでしょう。しかしそれを飽きさせないのが、ここで繰り広げられている演奏の妙技じゃないでしょうか?

特にデヴィッド・T・ウォーカーのギターが全篇で素晴らしく、私はこのアルバムでデヴィッド・T・ウォーカーに強くシビレました♪♪~♪ そして以降、この人の演奏を意識して聴くようになるのですが、ここでは「Directions」の圧巻のパッキング、「Haywood」での異次元ファンキーなフィーリング、しぶといイントロやバックの合の手が流石の「Welfare Symphony」、ソフトな黒っぽさがメロウな「You Light Up My Life」はオカズの美味しさに思わず舌鼓ですよっ♪♪~♪

またハービー・メイソンにしても、このアルバムが出会いだったというか、同年に出たハービー・ハンコックの「Head Hunters (Columbia)」と共に、まさに瞠目させられるほどカッコ良いドラマーだと思いましたですね♪♪~♪

肝心のキャロル・キングは、まず鍵盤奏者としての実力も決して侮れないと再認識しています。彼女は元々はソングライターとして1950年代からの実績があったわけですが、そこではユダヤ人モードで作られたスタンダードのコード進行をロックンロールの8ビートに乗せるという「型」を確立させていただけに、ジャズの素養も充分ですから、ここでも違和感がありません。随所でキラリと光るピアノの伴奏というか、弾き語りの味わい深さに加え、このセッションではオルガンも素敵♪♪~♪ 特に「That's How Things Go Down」の間奏には嬉しくなりますよ。

そして彼女が独りで書いた歌詞の中身も、それまでの作品に染み出していた女性としての生き様や愛の形よりも、社会的なメッセージ性や政治的な提言が強くなっているようです。なにしろアルバムタイトル曲では、「ファンタジーの世界では、私は黒くも白くも、女にも男にもなれる」なんて言い切っていますし、反戦や悪いクスリの害悪、貧困や人種差別、孤独やシングルマザーの哀しみ……、等々がグリグリに提出されていきますから、それだけ聴いていると重苦しいムードに包まれるほどです。

実際、このあたりは英語が完全には分からない日本人で良かったと思うほどですが、そうした気分をスカッとブッ飛ばしてくれるのが、ラテンフュージョンで演じられるラブソング「Corazon」のファンキーな楽しさでしょう♪♪~♪ ハービー・メイソンとポビー・ホールが作りだすリズム的な快感、さらにバンドが一丸となったグルーヴがたまりませんし、スカッとするキメのホーンリフも痛快です。

それが「Haywood」では、グッとシンプルなノリになっていて、実は個人的には、こっちの方が好きかもしれません。チャールズ・ラーキーが実に良い感じですし、ちょっとヘヴィな雰囲気が逆に好ましいところ♪♪~♪ おぉぉ~、ダニー・ハザウェイ!?

そしてアルバムのクライマックスは力強く人間の愛と義を歌い上げる「Belive In Humanity」で、そのファンキーロックなグルーヴは最高潮! 「私は間違っているかもしれないが、人間性を信じたい」という切なる願いは、アルバムタイトルどおりに夢物語でしょう。しかし、今の時代には本当に必要かもしれませんね。

ということで、演奏面ではストリングやブラスのアレンジも含めて、キャロル・キングが当時やりたかったことがストレートに表現された傑作だと思います。ただし、それ以前の作品に比べると売上はイマイチだったようですし、マスコミからのウケも良くありませんでした。おそらくは歌詞の中身の問題が大きいように推察しておりますが、いかがなもんでしょう。

その点、繰り返しますが、英語が完全に理解出来ないことが、ここでは結果オーライ! ニューソウルど真ん中で作られたサウンドの魅力、そしてキャロル・キングがワン&オンリーのメロディを楽しめれば、それはそれで素敵だと思います。

ちなみに私は両面ともに甲乙つけがたいほど愛聴しておりますが、ただ「That's How Things Go Down」から「Weekdays」へと続く流れが好きなので、A面に針を落とすことが多いです。ここは、ほとんど初期のユーミンや吉田美奈子、ですよっ♪♪~♪

しかし、これがCDでアルバム全体をブッ通して聞いても、やはり最高♪♪~♪ ですから、車の中には常備しているほどなんですが、やっぱりA面を律儀に聴き終え、レコードをひっくり返してB面に針を落とすという儀式が、このアルバムへの敬意という気もしています。

そして最後になりましたが、当時はキャロル・キングと結婚していたチャールズ・ラーキーのペースが、最高に好きです、と愛の告白♪♪~♪ さらにアルバム全体のニューソウルな味わいが、サイケおやじには今もって必須な生活条件なのでした。

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孤独の世界は和製フォークか!?

2009-07-12 12:57:19 | Singer Song Writer

孤独の世界 / P.F.スローン (Dunhill / 日本ビクター)

昭和40年代の日本ではGSブームと共に、もうひとつの大きな音楽的な盛り上がりがありました。それは所謂フォークソングで、生ギターをメインに皆で集いながら歌いましょう~とか、あるいは独りでシミジミと私小説みたいなネクラを演じるとか……。

そんなブームの中では、例えば新宿駅西口広場の集会で反戦や反体制を歌うとか、集まった人からカンパを集め、ガリ版刷りの歌詞カードを配って、それでは皆さん、ご一緒に歌いましょう~、とか……。

こんな集会は当時の日本では各地にあったのです。

もちろん大学生のサークルでは、もっと爽やかに恋愛ごっこを歌ったカレッジフォークなんていう流行も忽ち歌謡フォークに取り込まれ、これも大きなブームになったのは皆様ご存じのとおりです。

しかし若き日のサイケおやじは、どうも集合して歌うという行為が自分の感性に合わないというか、前述した新宿西口広場や反戦運動集会には、ある意味の不気味を感じているほどでしたから、フォークソングには妙なトラウマが今でもあります。

しかし決して歌謡フォークやフォークロックが嫌いなわけではなく、それが手段に使われてるのが、どうにも……、なのです。

さて、本日ご紹介のシングル曲は、そうした日本のフォークソングに多大な影響を与えたであろう、我が国だけの大ヒット洋楽の決定版!

歌っている P.F.スローンは本来がソングライターであり、スタジオセッションのミュージシャンとして、ハリウッドの芸能界では1950年代末から活動していた「裏方さん」ですが、実は知るほどに大きな実績を残しています。

例えば1960年代のサーフィンミュージックのブームでは、スタジオで作られた架空のバンドだったファンタスティック・バギーズであり、同様にジャン&ディーンでは堂々のリードボーカルを一部で務めていたり、等々の活躍は氷山の一角でしょう。

ソングライターとしては、盟友のスティーヴ・バリと組んで多くのヒット曲を量産していますが、特に有名なのがベンチャーズでお馴染みの「秘密諜報員」でしょうし、ロックの歴史の中ではボブ・ディランを過剰に拡大解釈したバリー・マクガイアが歌う「明日なき世界」、あるいはグラス・ルーツのヒット曲の大半が、今でも印象的♪♪~♪

という偉人なんですが、しかし当時の P.F.スローンは西海岸の顔役プロデューサーだったルー・アドラーのお抱えスタッフにしか過ぎませんでしたから、自らの名前で出すレコードも、実はそんな制作過程で作られていたデモテープに手を入れたものだったと言われています。また、親分のルー・アドラーにしても、1968年頃には自らが設立したダンヒルレーベルから手を引いてしまった事もあり、結局は本国のアメリカでは歌手としてのブレイクはありません。

しかし確かに良い曲を作る才能は間違いのないところでしょう。

この「孤独の世界 / From A Distance」は、P.F.スローンが1966年に出した2枚目のアルバム「Twelve More time」に収録されていたものですが、それがどういう経緯か我が国だけでシングル曲として発売され、ラジオから流れる度に売れていくという局地的な大ヒット! もちろんそれが数年続くロングセラーになったのは言うまでもないほど、胸キュンの素敵なメロディが大きな魅力ですから、中学生だったサイケおやじも、まんまとゲットさせられました。

イントロのアルペジオで奏でられるギターの響き、日本人好みのメロディとコード進行のせつなさには、当時のフォークソングの元ネタがいっぱい♪♪~♪ 軽快なロックビートを叩き出すドラムスも調子良く、つまり、どっかで聴いたことのあるような美味しさがあるんですねぇ~♪ それゆえに、ついつい別な曲の日本語歌詞を歌ってしまうのですが、それも許してもらえるでしょう♪

歌手としての実力も、P.F.スローンという個性が確かにありますし、中道路線の声質とか、自作自演の強みを活かした節回しとか、さらりとしていながらコクがあります。

実はここ数日、選挙関連の集会に半ば強制的に出席させられ、立候補者の夢物語を聞かされていると、ついついこの曲のメロディが頭の中に流れてくるのでした。

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