OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

フォークロックはイギリス産か?

2009-07-19 12:11:28 | Pops

愛なき世界 / Peter And Gordon (EMI / 東芝)

ビートルズの弟グループとしては、その元祖というか、ピーター&ゴードンも忘れられません。なにしろ本日ご紹介のデビュー曲からして、「Lennn / McCartney」というお墨付きがあったのですから!

ピーター&ゴードンはピーター・アッシャーとゴードン・ウォラーの男性デュオで、2人とも医者の息子という恵まれた家庭環境で育ち、PP&Mのようなフォークソングを歌っていたらしいのですが、如何にも育ちの良さがはっきりとしたルックスは、彼等の実力と同じほどに評価され、忽ちレコード会社から契約を得ています。

それは1964年初頭の出来事だったそうですが、実はピーターは子役として既に映画界で活躍していた実績もあり、また妹のジェーンが当時はポール・マッカートニーの恋人でもあった事等々も少なからず好結果に結び付いていたものと思われます。

そしてデビュー曲がポール・マッカートニーがメインとなって書いた「愛なき世界 / A World Without Love」ですから、その胸キュンのメロディと品格が滲む歌唱、そして口当たりの良いサウンド作りが見事に融合し、世界中で大ヒットしています。

我が国でもリアルタイムの昭和39(1964)年に発売され、忽ちラジオを中心に人気があったと思われるのですが、告白すると若き日のサイケおやじはビートルズよりも、ピーター&ゴードンの方が素晴らしいと思っていたほどです。

それは当時の我が国の洋楽流行が、決してビートルズが一番ではなく、またエレキブームも翌年からが本格的な盛り上がりだったことを思えば、当時を知らない皆様にもご理解願いたいところです。つまり騒がしいエレキのバンド=ロックグループよりも、もっとポピュラー系の歌手やグループがウケていたのですねぇ。

ルックス的にもビートルズよりは髪が短かったのも大人達の許容範囲だったのでしょう。なんと我が家でも、日頃から無理解な母親が、私の希望を入れて、このレコードを買ってくれたほどですから!?! いゃ~、その時のありがたさは、今も忘れていません!

しかし翌年になって日本でも本格的にビートルズの旋風が吹き始めると、ピーター&ゴードンは正体を暴かれたというか、そのデビュー曲も、また後でヒットした「逢いたくないさ / I Don't Want To See You Again」もポール・マッカトニーが書いたという真相が明かされるにつれ、ビートルズの本物の魅力が尚更に再認識させられた感じです。その中にはポール・マッカトニーが変名や他人名義で提供した曲もあったとか!?

ですから、ピーター&ゴードンが一番人気が高かったのはアメリカで、イギリスではデビュー曲以降、それほどのブレイクはなかったようです。

そして彼等は1968年頃に解散し、ゴードン・ウォラーはソロ歌手となり、ピーター・アッシャーはビートルズが設立したアップルレコードの制作担当に席を置き、あのジェームス・テイラーを世に送り出すのですが……。

以降はご存じのとおり、ピーター・アッシャーはアメリカでウケる音作りを選択し、ジェームス・テイラーの他にもリンダ・ロンシュタットを大ブレイクさせました。

今となってはピーター&ゴードンが「愛なき世界」だけで思い出となっているのは当然かもしれませんし、リアルタイムでのアメリカでの人気は知る由もありませんが、昭和40年代の我が国ではアメリカよりもイギリスで流行った「音」が売れていたという事象を証明するレコードかもしれません。

なによりもサイケおやじはビートルズよりも前にピーター&ゴードンが好きになり、また以前にも書きましたが、バーズも同様だったことを思えば、そのオリジナルメンバーだったロジャー・マッギンとジーン・クラークが、当初はピーター&ゴードンを目標にしていたという話も、あながち噂だけとは思えません。

ピーター&ゴードンもバーズも、極めてアメリカ的でありながら、実はイギリスにどっぷりというフォークロックの真相があるように感じます。

フォークロックはブリティッシュロックと同義語!?

ちなみにピーター&ゴードンは昭和40(1965)年春に来日していますが、そのバックを務めたのが、当時の日本では一番にブリティッシュロックの音を出していたスパイダースだったという事実を付けくわえて、本日はお開きとさせていただきます。

妄言、ご容赦……。

コメント
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