■太陽の彼方に / 藤本好一 with 寺内タケシとブルー・ジーンズ (テイチク)
昭和を過ごされた、特にサイケおやじと同世代の皆様にとっての夏は、ノッテケ、ノッテケ♪♪~♪ でしょうかねぇ~♪
と、今日もまた独断と偏見の書き出しになりましたが、しかし本日ご紹介のシングル曲「太陽の彼方に」が出なければ、日本の音楽史を大きく変革したエレキブームもなかったといって過言ではありません。
ご存じのように、そもそもの元ネタは、アメリカでは売れていなかったアストロノウツの「Movin'」というインスト曲なんですが、これが我国独自の大ヒットになったことから、そこへ日本語の歌詞をつけた歌謡曲バージョンが出るのは、当時の洋楽と我国の芸能界双方では当然が必然!
発売されたのは昭和39(1964)年5月とされていますが、とにかくその年はもちろんのこと、夏になると必ず流れてくる必殺定番のひとつとして、ノッテケ、ノッテケ♪♪~♪ 誰もが一度は耳にしたことのある名フレーズは不滅でしょう。
そのポイントは完全エレキ歌謡に仕立て上げた寺内タケシのアレンジの素晴らしさ、そしてブルー・ジーンズの演奏力の凄さが絶対です。
とにかくイントロのギターリフのノリが、当時としては完璧にロックしているんですねぇ~♪ そして全篇で演じられるリズムギターのビートも同様ですし、もちろん寺内タケシが間奏やボーカルのバックで炸裂させる強烈なリードギターのアドリブも唯一無二!
まあ、今となってはレコーディング技術の問題や日本人にも分かり易くするためのビート処理等々に、ちょいと気恥ずかしいところもあるのが正直な気持です。しかし、これがリアルタイムでは強烈なロックだったんですよっ!
ちなみに当時のブルー・ジーンズのメンバーは寺内タケシ(g)、加瀬邦彦(g)、市山正英(g)、鈴木八郎(org)、石橋志郎(b)、工藤文夫(ds) と推察しておりますが、その纏まりの良さは流石だと思います。
肝心の藤本好一はロカビリー系の歌手で、ブルー・ジーンズ専属のひとりでしたが、その頃の芸能界の成り行きとして、歌手&バックバンドという関係から、バンドが主導権を握り始めたのも、この時期じゃなかったでしょうか。
折しも海外ではビートルズが大ブレイクし、また我国でもいよいよ本格的なエレキブームが到来し、アストロノウツに続いてベンチャーズが外タレのトップに躍り出た時期であれば、それは自然の流れではありますが、やはり寺内タケシという、先見の妙に長けた天才ギタリストが居ればこその結果だったと思います。
そして、この日本語歌詞付きバージョンが人気を博したことにより、エレキブームは尚更に過熱していくのです。
まさにノッテケ、ノッテケ♪♪~♪
アマチュアバンドにも必須の演目になったのは、言うまでもありませんが、実はサイケおやじが学生時代、仲間の実家が経営していた地方の海浜ホテルに合宿を兼ねたアルバイト演奏に出かけた時、この曲をリクエストされて面映ゆい気持になったことも忘れられません。
また昭和47(1972)年には、セクシーアイドルのトップグループだったゴールデン・ハーフがリバイバルヒットさせたこともあり、やはり昭和の夏にはノッテケ、ノッテケ♪♪~♪
ということで、本日の1枚はジャケットの大人しい感じに違和感を覚えるほど、中身は強烈な和製ロック! その元祖として絶対に外せないんじゃないでしょうか。
今となっては藤本好一のボーカルスタイルが些かのミスマッチかもしれませんが、それすらもロックにしてしまった寺内タケシとブルー・ジーンズは最高♪♪~♪
そして「ノッテケ、ノッテケ」の名フレーズを作り出した作詞家のタカオ・カンベも、永遠のロックンローラーだと思います。
日本夏は、やっぱり、これですよっ!
ゴールデンハーフやりましたね~
ゴールデンハーフ、恥ずかしながらオカズにしました(笑)
サイケおやじ先輩のブログ読まなかったら一生思い出さなかったかも。
コメント、ありがとうございます。
人に歴史あり、男にオカズあり!
ということで、よろしくです(笑)。
当時流行っていた記憶はありますが、この人は残念ながら忘れておりました(笑)。う~ん…、ベンチャーズ以前なんですね。64年時点ではひょっとしてアストロノウツのほうがベンチャーズよりもブレイクしてたかもしれませんね。
このノー天気さは気分次第では少しカンに障る危険性がありますね。
僕の友人は聴いているうち、衝動に駆られたたき割ったそうです(笑)。
コメントありがとうございます。
アストロノウツ→藤本好一があんまり売れまくったんで、東芝が対抗するためにベンチャーズを持ってきたというのも、真相のひとつらしいですよ。
まあ、ノーテンキ塩梅は夏の灼熱地獄に免じて下さいませ。
実は私も、アタマニクル感じがアブナイと思っているのでした。