■沖縄ベイ・ブルース / ダウン・タウン・ブギウギ・バンド (東芝)
いやはやなんとも、掲載したのは当時も今も決して似合っているとは言い難い衣装で、しかも波打ち際でキメのポーズも眩しいダウン・タウン・ブギウギ・バンド=DTBWBの傑作曲「沖縄ベイ・ブルース」をA面に据えた昭和51(1976)年発売のシングル盤ジャケットなんですが、これが暑苦しい日本の夏にはジャストミートの歌謡ロックなんですねぇ~~~♪
もちろん作詞作曲は阿木燿子&宇崎竜童ですから、まさに夫婦付随のロック魂というよりも、芸能界の保守本流を知り尽くして、さらに反抗を忘れない姿勢は流石の仕上がりだと思います。
しかしリアルタイムでは、特にロック好きの野郎どもが、これを大っぴらに好きだ♪ なぁ~んていうと、速攻で、ダッセ~~~ッと言われてしまうのがオチでありまして、特に洋楽ファンからの視線は冷たかったんですよ……。
ところが既に皆様ご推察のとおり、基本的に歌謡曲が好きなサイケおやじは、この「沖縄ベイ・ブルース」が発散してくれる下世話な熱気やスタックス系南部ソウルを強く滲ませるサウンドのフィーリングが大好きでしたから、周囲の扱いは言わずもがなでしょう。
だけども、結果的に歌はヒットしましたし、それが例え歌謡曲のフィールドであろうとも、DTBWBにしか演じられない魅力が今も継続しているのは確かです。
このあたりの感覚は、例えば映画であれば、既に昭和40年代から、どんなジャンルでも海外製作品を日本映画よりも高く評価するのが本当の映画ファン! という風潮が一般的であり、それが音楽の世界でも、歌謡曲やGS、あるいは歌謡フォーク等々よりは洋楽ポップスやロック、R&Bやジャズの方を本物とするのが、そのまんま優越性に独りで浸り込むような雰囲気と言えば、お叱りは覚悟しなければなりません。
それでもサイケおやじは、日本映画が大好きでしたし、何故に時には難解過ぎる作品も少なくなかった洋画が全て優れているのか? 不条理を覚えるほどでした。
まあ、そのあたりの天の邪鬼が、常に反主流のサイケおやじの立場の表れだとすれば、リアルタイムから気分はロンリーでエレキギターを弾きながら、「沖縄ベイ・ブルース」を唸ってしまう事もあった自らの過去を青春の迷い道と決めつけるのは易いのかもしれません。
ちなみに歌の中身は皆様に聴いていただくのが一番かと思いますが、まさに昭和のアクション系日本映画が十八番としていた、せつなくもやるせない場面が端々に吐露されていますので、その頃は封切作品ならば、ロマンポルノばっかり劇場鑑賞していたサイケおやじの思い入れも尚更に強いわけですが。
ということで、最後になりましたが、当時のDTBWBはメンバーチェンジはあったものの、宇崎竜童(vo,g)、和田静男(g)、千野秀一(key)、新井武士(b,vo)、鈴木洋行(ds) という顔ぶれで、まさに全盛期の勢い!
しかしヒットを連発しながら、その裏側では放送禁止扱いの楽曲が少なくなかったという現実も踏まえ、レコード会社との対立も相当にあったと言われています。
その意味で、広く大衆的な方向を求める制作側とバンドサイドのバランスというか、極言すれば宇崎竜童の妥協とは言えないプロの仕事が、すんなり商業主義に受け入れられたのは、なかなか深いんじゃ~ないでしょうか。
ロックと言えども、聞いてもらえなければ売れませんし、売れなければ聴いてもらえないのが現実です。
それを乗り越えて、きっちりロックしていた宇崎竜童とDTBWBこそ、蒸し暑さには効き目も大きいと思うのでした。