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OLD WAVE

サイケおやじの生活と音楽

クリスマスの夢

2015-12-25 16:33:07 | Rock

夢見るクリスマス / Greg Lake (Manticore / ワーナーパイオニア)

クリスマスと言えば、キリストじゃ~なくて、サンタクロースというのが子供達の本音でありましょうか。なんたって寝ているうちにプレゼントを枕元に配達してくれるという、なかなか奇特な人物ですからねぇ~~♪

もちろん、それを信じているのは幼少期の数年であって、実は自分の父母や親族の代行作業に気がつくのは時間の問題ですし、だからこそ堂々と前もって欲しい物を公言出来るという、それもまたクリスマスという慈愛の日には相応しいものと思います。

そして大人になっても、尚更にサンタクロースを信じるという心持ちは、叶わぬ願いへの不条理な想いの表れかもしれません。

本日ご紹介するのは、まさにそれがストライクゾーンのど真ん中!

エマーソン・レイク&パーマー=ELPのグレッグ・レイクが自己名義のシングル曲として1975年に出した「夢見るクリスマス / I Believe In Father Christmas」は、

 天にも地獄にも 必ずクリスマスはやってくる

という強烈なキメの一言を含む痛切なメッセージを全篇でアコースティックギターと盛り上がっていくストリングスやコーラスの静謐で大仰な彩で包み、確信を得て歌い込むグレッグ・レイクの潔さは、なかなか素敵なんですねぇ~~♪

もちろんそこには世界の平和、家族愛、未来への希望が託されているわけで、作詞はキング・クリムゾン以来の盟友たるピ-ト・シンフィールド、作曲は当然ながらグレッグ・レイクというクレジットには、プロデュースも両者共同という真相もありますから、本国イギリスでは相当なロングセラーになっています。

そして後年には、しっかりELP名義の作品となり、1977年にはアルバム「ワークス Vol.2 / 作品第2番」に収録されたのですが、それは別バージョンですから要注意!

違いとしては、何故かELP名義のアルバムバージョン方がアコースティックなフィーリングで、グレッグ・レイクのボーカルも野太いのに対し、こちらのシングルバージョンは逆にELP風味が強いという本末転倒も興味深いところでしょうか。

個人的にはシングルバージョンが圧倒的に好きですが、それにしてもグレッグ・レイクのアコースティックギターは味わい深くて、これまた大好きという愛の告白♪♪~♪

ということで、ガチガチの異教徒には、こんなクリスマスの幻想なんて通用しないとは思いますが、平和な暮らしや未来への希望を求める心はひとつ!

そこには「サンタクロースを信じる」という、些か幼稚な例えに仮託したピュアな気持ちが必要なのでしょう。

あぁ、安らかな日々の尊さよ!

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偉大なり! エルヴィス!

2015-12-17 15:32:33 | Rock

The Real Elvis / Elvis Presley (RCA)

 A-1 冷たくしないで / Don't Be Cruel
 A-2 I Want You, I Need You, I Love You
 B-1 Hound Dog
 B-2 My Baby Left Me

好き嫌いは別にして、音楽や社会文化的な観点からだけでも、エルヴィス・プレスリーの偉大さ、凄さを否定するなんて事は出来ないでしょう。

極言すれば、今日のロックに繋がるロックロールという白人音楽は、エルヴィス・プレスリーが登場しなければ、決して出来上がらず、また定着もしなかったと思います。

しかし、そんな事を言い放つサイケおやじは、当然ながらエルヴィス・プレスリーが世界中に衝撃を与えた1950年代中頃の大ブレイク時をリアルタイムで知っているわけではありません。

恐らくは失笑されるにちがいない個人的体験の中でのエルヴィス・プレスリーは、街頭に貼られていた映画ポスターの中のスタアであり、少年期のサイケおやじは、この偉人を小林旭みたいな人かと思い込んでいたんですよ。

もちろん、この書き方は小林旭を軽んじているわけではなく、次元の異なる凄さが両者にはあるという事で、比較出来るはずもない強い存在感が偶然(?)にも映画という媒体によって、サイケおやじの前に提示されただけの事です。

で、そんな言い訳よりも認めざるをえないのが、ボーカリストとしてのエルヴィス・プレスリーが持ち前の「深い」声質から滲ませる特有のグルーヴ感でありまして、それは所謂「黒っぽい」フィーリングであると同時に、感傷的な気分も自然体としか思えない雰囲気で表現してしまう、そうした天性の才能でありましょうか。

エルヴィス・プレスリーが我々に残してくれたレコードの数々には、全てそうした魅力が詰まっていると断じてみれば、今年になってゴッサムシティでゲットしてきた掲載の4曲入りEP盤も、これが世に出た1956年から今日まで、リスナーをシビレさせ続けてきた宝物にちがいありません。

まずは何と言ってもド頭に収録された「冷たくしないで / Don't Be Cruel」こそが、まさに白人ロケンロールの完成形とも言うべき大傑作で、軽快なビートと調子の良い合の手バックコーラスを従えたエルヴィス・プレスリーのグイノリボーカルが実に痛快ですよねぇ~~♪

しかも要所でキメる独特のタメは、まさにナチュラルな名人芸でしょう。

それは強いグルーヴを発散する「Hound Dog」においても同様で、しかも当時としては白人がここまでエグ味を出してしまう節回しなんて、如何にも黒過ぎてアメリカの一般社会からは忌避されたという推察も今や伝説!?

若者を狂熱させるところは白人だからこそのギリギリの選択というか、素晴らしいとは分かっていても堂々と認めるわけにはいかなかった黒人音楽を公平に分け与えてくれるエルヴィス・プレスリーに対する感謝の気持ちの表れというコジツケも!?

ちなみに「Hound Dog」と「冷たくしないで / Don't Be Cruel」の初出は共にシングル盤の裏表に入れられ、1956年の夏に両面大ヒットになっていたんですから、その勢いは「飛ぶ鳥」だったわけですが、やはりその前作シングルとして発売されたのが「I Want You, I Need You, I Love You」と「My Baby Left Me」のカップリングであった事も認めざるをえません。

特に情熱的なバラードソングの「I Want You, I Need You, I Love You」は、白人C&Wと黒人R&Bが最良の形で融合したとしか思えない傑作で、楽曲そのものは普通っぽいポップス歌謡になってしまいそうなところが、エルヴィス・プレスリーだけの節回しが全開すれば、ここまでグルーヴィに仕上がってしまうという典型的な例かと思うばかり!

当然ながらエルヴィス・プレスリーに肖ろうと他の歌手によるカバーレコーディグも聞いたことがありますが、その規範は全てがエルヴィス・プレスリーであって、例えば我が国では内山田洋とクール・ファイブが「夢待ち人」の邦題による日本語バージョンを出していますので、前川清のリードボーカルからは、やはりエルヴィス・プレスリーが滲んでしまういうあたりは妙に嬉しくなりますよ。

また「My Baby Left Me」はCCRでもお馴染みのカバーが作られているほど、このエルヴィス・プレスリーのバージョンにおけるドラムスとベースのコンビネーションが鮮やかな演奏パート、そして威風堂々のソウル&カントリーなスタイルのボーカルを披露するエルヴィス・プレスリーは最高♪♪~♪

ということで、書き遅れてしまいましたが、このブツは4曲入りEPとはいっても、我が国の同形態である所謂コンパクト盤とは異なり、きっちり「45回転」仕様なので、アメリカプレスに特徴的な音圧の高さが、これまた素晴らしいですっ!

うむ、こういうレコードの溝を抉るような音の迫力って、現代の最新デジタル技術でも再現は難しいかもしれませんねぇ~~。

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ハッピー・トゥゲザーという魔法

2015-12-14 14:45:50 | Rock

Happy Together / The Turtles (White Whale / キングレコード)

洋楽のフォークロックには何時の世も耳に残る名曲名演が数多あり、1967年にタートルズが大ヒットさせた本日掲載のシングル盤A面収録の「Happy Together」も、そのひとつとして決して忘れられないでしょう。

なにしろ曖昧ながらも不思議と胸キュンなメロディ、浮遊感が滲む演奏アレンジも印象的ですが、タートルズが聞かせてくれるボーカル&コーラスの逆説的な高揚が、もしも計算されつくしたものならば、これほどの成功例は無いと思うばかりなんですねぇ~~♪

また、サイケおやじと同世代の皆様ならば、昭和47(1972)年頃からラジオの文化放送で夜の9時スタートだった「落合恵子のハッピートゥゲザー」のテーマ&ジングルとして、このタートルズのヒット曲が使われていたからこその刷り込みもあるんじゃ~ないでしょうか。

いゃ~、こう書いていて、なにか強く思いだされる、あの頃のあれやこれや♪♪~♪

という感慨はさておき、主役のタートルズは掲載のジャケ写では6人組で紹介されているものの、その実態はハワード・ケイラン(vo) とマーク・ヴォルマン(vo,g,key,etc) の高校同級生コンビが常に主役であり、そこへタートルズとしての公式デビュー時にはアル・ニコル(g) が加わり、次いで1970年頃の解散までにジム・タッカー(g)、チャック・ポーツ(b)、チップ・ダグラス(b)、ジョン・バーバータ(ds)、ジョエル・ラーソン(ds)、ジョン・セイター(ds) 等々が去来していたようです。

そしてフォークロックのグループとしてはお約束というボブ・ディランのカバー曲は言わずもがな、1965年にその「悲しきベイヴ / It Ain't Me Babe」を初めての大ヒットにして以来、P.F.スローンが作った「Let Me Be」やスティーヴ・バリ関連の「You Baby」等々の定番ヒットを出し続け、ついに放ったチャートトップヒットこそが、この「Happy Together」でありましたが、もちろん他にもメンバー自らが作編曲した名演名唱はシングル&アルバムで数多く残しています。

また、それで要注意なのが、アレンジを担当したチップ・ダグラスの存在で、その魅力的なサウンド作りの妙がアメリカの音楽業界では殊更高く評価されたのでしょう、以降はタートルズを抜け、広くポップス畑の縁の下の力持ちという裏方の実力者になっていくのですから、侮れません。

それはタートルズ本隊にしても同様であり、この頃から発表していくLPにおいては所謂トータルアルバム指向が顕著となり、今となっては一般的なポップスファンよりも、マニアックなロック愛好者の間で人気が高い作品が残されているんですねぇ~♪

中でも個人的にはキンクスのレイ・デイヴィスがプロデュースに関与した1969年の「タートル・スープ」が、如何にも当時のキンクスが十八番にしていたホノボノ系ロックオペラスタイルをアメリカ西海岸風味に変換させたような雰囲気で、大好き!

しかし、グループとしてのタートルズは、この頃から失速し、所属レコード会社との確執もあって、ついには翌年に解散……。

それでもハワード・ケイラン とマーク・ヴォルマンはフロー&エディとなって、例えはフランク・ザッパのバンドに加わったり、様々なセッションに顔を出している他、自分達名義のプロジェクトも様々にやっていますので、これまた何時も面白いコンビですよ。とにかくそれらを聴くと、ハワード・ケイラン とマーク・ヴォルマンこそがタートルズの正統と納得する他はありません。

ちなみに件のフランク・ザッパとの関わりについては、ザッパ御大がタートルズのライブステージが大好きだったという伝聞がありまして、残念ながらそれに接した事の無いサイケおやじは、ますますタートルズが気になっていた時期が確かにありました。

ということで、タートルズの音源はそれなりにCD化されているはずですから、往年のアメリカンポップ&ロックをお好みの皆様であれば、一度はお楽しみ下さいませ。

これまた個人的な趣味嗜好になりますが、やはりサイケおやじが大好きなソンビーズとの共通項も見出せるような気がしているのでした。

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そして皆、いなくなったのか…

2015-12-13 15:23:00 | Rock

アブラハム・マーティン・アンド・ジョン(魂は今も)/ Dion (Laurie / キングレコード)

さて、次なるリーダーと目されているアメリカのトランプ次期大統領候補の発言が何かと問題になっていますが、その元凶はイスラム系テロ集団であって、決してイスラム圏、あるいはイスラム教信者の人々では無い事が確かな以上、やはり包括的な差別は好ましくありません。

ところがアメリカは多民族による国家形成が是認され、それこそがアメリカであるという歴史がありますから、その裏返しのような人種差別や貧富の差が、これまた堂々とまかり通ってしまうという二律背反の常識があるんですから、件の候補者ばかりか、妙な立場に追い込まれ、ついには命を落としてしまったリーダーが大勢いた事は説明不要かと思います。

極言すれば、アメリカなんていう国は「恥」を売って栄えてきたようなものかもしれません。

そして、思い出してしまったのが、本日掲載のシングル盤A面曲「アブラハム・マーティン・アンド・ジョン(魂は今も)/ Abraham, Martin And John」でした。

ご存じのとおり、この歌はシンガーソングライターのディック・ホラーが、1968年のロバート・ケネディ上院議員の暗殺事件に触発されて書いたと言われ、それを幾つかの競作レコードがある中で最もヒットさせたのが、ご紹介のシングル盤の主役たるディオン(日本盤ジャケ写の表記ではダイオン)でありました。

もちろんロバート・ケネディはアメリカ大統領として同じく暗殺されたジョン・ケネディの実弟であり、共に人種差別問題に深く関与していたことは説明不要でしょう。

そして当然ながら、この「アブラハム・マーティン・アンド・ジョン(魂は今も)/ Abraham, Martin And John」の曲タイトルと歌詞に登場しているのはアブラハム・リンカーン、マーティン・キング、そしてジョン・ケネディという、偉大なるがゆえに葬られたリーダー達であり、その最後にはロバート・ケネディと思しき人物も登場しています。

 彼がどこに行ったのか知っていますか
 大勢の人々を自由にしたけれど
 どうやら善人は早死にするのでしょう
 
 しかし周囲を見ても
 彼はここにいない

 彼等が立ち上がって求めたものを
 君は大切だと思いませんか

 彼等はあなたや私のために
 何か素晴らしいものを見つけようとしていたのでしょう

 私たちは自由になれるでしょう
 きっと何時か 
 きっと何時の日か 早いうちに

というような歌詞の中身は、もちろん前述した偉人を讃えて、歌われているんですが、もちろんサイケおやじがそれを知ったのは後の事で、リアルタイムというか、1969年頃にラジオの深夜放送で偶然にも聴いた「アブラハム・マーティン・アンド・ジョン(魂は今も)/ Abraham, Martin And John」は、とにかく弾むような如何にもフォークロックなメロディ展開と動きまくるベースが印象的な洋楽ポップスであり、しかも流麗にして刺激的なストリングスも良い感じ♪♪~♪

さらに歌っているダイオンじゃ~なくて、ディオンもまた今や説明不要、所謂オールディズの有名スタアとしてディオン&ベルモンツ名義では1958年の「I Wonder Why」、そして続けて翌年からは「A Teenager In Love」や「Where Or When」等をヒットさせ、さらには1960年からソロに転じては「Lonely Teenager」「浮気なスー / Runaround Sue」「The Wonderer」等々、洋楽ファンならずとも、それこそ一度は耳にした事があろうという歴史的な大ヒットを飛ばしていたんですが、告白すればサイケおやじがディオンを強く意識したというか、真っ直ぐに聴くようになったのは、この「アブラハム・マーティン・アンド・ジョン(魂は今も)/ Abraham, Martin And John」がきっかけでしたから、前述した履歴は当然ながら後追い鑑賞による認識です。

それは流行のR&Rから白人系ドゥワップと云われるジャンルであり、だからこその人気を集めたディオンの魅力だったのですが、1960年代に入るとボブ・ディランに触発されたかのような、大衆ヒットとは縁遠いハードフォークな楽曲も吹き込んでいた事をサイケおやじは同時に知ってしまったんですねぇ~~!?!

ということは、ディオンにとっての「アブラハム・マーティン・アンド・ジョン(魂は今も)/ Abraham, Martin And John」は決して突発的な傑作じゃ~ないという真相があるんじゃ~ないでしょうか。

ちなみにディオンは本名がディオン・ディ・ムーチというイタリア系のニューヨーカーで、父親は歌手、そして母親は女優だったという芸能一家に育ちましたから、少年期からテレビ出演やレコーディングもやっていたらしく、だからこそ前述したディオン&ベルモンツから別れてのソロ活動にも場慣れがあったのかもしれません。

実際、なかなか堂々とした歌いっぷりはレコードはもちろん、残されている映像からも感じ取れるあたりは流石の存在感だと思いますので、こ~ゆ~歌手こそ、レコード会社横断のコンプリート&アンソロジーが望まれると願っているのはサイケおやじだけでしょうか。

ということで、冒頭の話に戻れば、渦中の次期大統領候補だって、決して極右的な票集めだけで発言したわけではなく、国を思う気持ちが偏った方向へと表れてしまったような気もします。

そりゃ~、確かにアメリカのような、あっちこっちで恨みや因縁を作ってしまう国家を纏めようとすれば、それなりに過激な思想や行いは必要なはずで、しかし、だからこその自制がなければ、人の上に立つなんてことは困難が付きまとうはず……。

そんな気分のサイケおやじは、もちろん、そうした立場の深層心理は理解出来かねる凡人というわけです。

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みんなニッコリ、ハニーカムズ

2015-12-10 15:09:21 | Rock

Is It Because? / The Honeycombs (pye / 日本コロムビア)

シーラEと同じくというか、1960年代中頃に人気を集めた女性ドラマーがハニ・ラントリーでした。

それは掲載したシングル盤のジャケ写からも一目瞭然、実は彼女は所謂ブリティッシュビートの大ブームから飛び出したハニーカムズのメンバーであり、当然ながらライブの現場では激しく叩きまくるアクションも華やかでしたから、当時の音楽マスコミも扱い易かったでしょうし、様々な意味でファンも多かった事は説明不要と思います。

また、バンド名の「ハニーカム」とは、彼女の芸名というか、ニックネームの「ハニー」と同じくヘアスタイルが蜂の巣=Honeycomb に起因している逸話は有名でした。

しかし、ハニーカムズは決してそれだけのバンドではなく、実はトルナドースの「Telstar」やジョン・レイトンの「霧の中のジョニー / Johnny Remember Me」等々で知られるイギリスの鬼才≒奇才プロデューサーだったジョー・ミークに認められていたという力量は、確かに残されたレコードを聴くかぎりにおいても、ジョー・ミークが想起作成した宇宙的なミステリアスサウンドをきっちり出せているのですから、侮れません。

それは1964年に公式デビュー2作目として発売された、このシングル盤A面曲「Is It Because?」でも素晴らしく、性急なビートで突っ走る歌と演奏を彩るギターの澄んだ音色と不思議系フレーズの妙は、なかなか独特の面白さがありますよ♪♪~♪

ちなみにハニーカムズのメンバーはデニス・デル(vo)、マーティン・マレイ(g)、アラン・ワード(g)、ジョン・ラントリー(b)、そして前述した紅一点のハニー・ラントリー(ds,vo) というのが通常の布陣とされていますが、レコーディングの現場はともかくも、実質的なバンドの顔ぶれは解散前後も含めて、なかなか流動的だったと言われています。

それはリーダーだったマーティン・マレイが人気沸騰時の1964年秋、ステージライブの最中に事故で手足を骨折し、そのまんま代替メンバーを起用されてからの大ブレイク、さらにはプロデューサーのジョー・ミークの急逝、そしてハニー・ラントリーばかりがスタア扱いという内外諸々のゴタゴタが重なっては、グループとしての存続は難しく……。

結局は4年ほど活動した後の1967年、解散しています。

ところがハニーカムズは本国イギリスよりも、ドイツやイタリア、そして日本での人気が高かったようで、サイケおやじは当然ながら接していませんが、来日公演もあり、その時のレコーディングも残されていたように記憶していますし、これまた自然の成り行きとでも申しましょうか、1990年代には再結成ハニーカムズをサイケおやじはドイツで見ています。

もちろん、ここで「見た」と書いたのは、書き遅れていましたが、全盛期メンバーのジョンとハニーのラントリー兄妹が中心の巡業バンドのテレビ出演だったからで、それが本当に演奏していたかは、些かあやふや……。

それでも、確かに若さは失われていたものの、ハニー・ラントリーは例のヘアスタイルで、バシバシ叩きのアクションを披露していましたですよ♪♪~♪

ということで、こんなふうに書き進めてしまうと、ハニー・ラントリーはキワモノみたいな女性ドラマーと思われる皆様も大勢いらっしゃるかもしれません。

しかし個人的には、ハニーカムズのサウンドの要はラントリー兄妹が弾き出していたリズム&ビートに重きがあると思っていますので、今日でも映像で残されているハニー・ラントリーのアクションドラミングだって、それなりに大切な意味があるはずっ!

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バカを承知でやるのは悲しすぎます

2015-11-15 15:33:25 | Rock

戦争をやめよう / Grand Funk Railroad (Capitol / 東芝)

昨日のパリのテロ事件は、もはや「事件」というよりも「戦争」を強く感じさせられました。

もちろん、あのような光景は「戦場」では日常茶飯事であり、しかしそれがほとんど大きくマスコミでは報道されない現実に鑑みて、平和を謳歌している「市街地」でそれがあれば、忽ちの大騒ぎになってしまうというあたりは、決して他人事ではないでしょう。

そして直ぐに出された「犯行声明」に対し、「報復」が無言のままに決定されている現実は当然の気持ちであり、しかし本当にそれで良いんだろうか……。

と思わざるをえない気分が、サイケおやじには確かにあります。

人間同士の殺し合いには利害関係に加えて、対人関係というか、宗教でも生活様式でも、左右ソリが合わない事象の積み重ねが絶対にあるはずで、おまけに地球上の生き物で、これほど堂々と殺し合いをやらかすのは多分、人間だけだと思えば、何時までも終わりの無い悲しみの連鎖なんて、これほどくだらないものはありませんよっ!

ただし、当然ながら、もしもあのような大惨事が我が国で発生し、自分の家族や親族や友人が犠牲になったとしたら、激しく憤るのは必定ですし、必ずや報復を期待画策するのは絶対の真理です。

しかし、それなりに上に立っているリーダーが思いきって「戦争をやめよう!」という言動を示せば、何かしらでも事態は変わるんじゃないか?

というような儚くも甘っちょろい夢想も捨てきれないんですよ、サイケおやじには。

そこで本日のご紹介は、あまりにもベタではありますが、アメリカのハートロックバンドにして1970年代前半に世界的な影響力を発散していたグランド・ファンク・レイルロード=GFRが1971年に出した「戦争をやめよう / People, Let's Stop the War」です。

まあ、賛否両論あるでしょう、やっている事については。

それでもリアルタイムでは、物悲しいイメージのイントロからワウワウ&ソウルフルなリズムギター、低重心のベース、さらにドカドカバタバタのドラムスに煽られた絶叫調のボーカル&コーラスがシンプルにして切迫感の歌と演奏を聴かせてくれるんですから、単純にロックが好きな若者には、英語の歌詞の意味が完全に理解出来なくとも、伝わってくる何かが必ずやあるはずと思っていますし、実際サイケおやじは、そうでした。

何よりも、これだけはっきり「People, Let's Stop the War」と歌いきってしまう姿勢の潔さは、勘違いとか時代錯誤と言われようとも、恥じる事の無い、普遍の素晴らしさがあるはずなんですよっ!

ということで、「戦争」という愚行には、お互いに善悪を決めつける事なんて、それに勝利した者が作る歴史の上でしか語れません。

つまり相手をペシャンコにするまで終わらない、それこそウルトラセブン=モロボシダンがキメの一言であった「血を吐くまで終わらない、悲しいマラソン」ですよ。

悲しいかな、それが現実であることは否定のしようもありませんが、どうか勝つと分かっている喧嘩だけは、止めて欲しいと願っています。

だって、それは弱い者イメジでしょう。

あぁ……、平和や心の安寧の尊さが身に滲みます。

そして犠牲者には、衷心よりのご冥福を祈り申し上げます。

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仮装の告白

2015-11-01 15:26:06 | Rock

Long Train Runnin' / The Doobie Brothers (waner Bros. / ワーナーパイオニア)

昨夜は案の定、街は仮装の狂騒になっていましたが、本場(?)アメリカにしてもハロウィンは決して宗教行事ではなく、普通の秋祭り(?)的なお遊びなんですから、日本においても気軽に楽しんで悪いはずもありません。

だいたい人は皆、仮装願望があるんじゃ~ないでしょうか。

極言すればメイクやヘアスタイルを流行に合わせたり、憧れのルックスを真似たりする事だって、今や普通ですからねぇ~~。

もちろんサイケおやじにしても、そんな前科(?)はどっさり積み重ねてきましたし、例えば学生時代にやっていたバンド活動では、コピー対象の音楽様式は当然の事、そのルックスやファッション&アクションまでも真似ていたのですから、今や笑ってごまかすしかありません。

本日掲載したシングル盤のジャケ写に登場しているドゥービー・ブラザーズは、まさにその典型例でありまして、こ~ゆ~革ジャンにジーパン、長髪にブーツという、バイカー&ロッカーなカッコをしていた昔の自分の写真なんか見てしまうと、いやはやなんとも、額に汗が滲みます。

しかし、あえて言い訳させていただければ、少なくとも1970年代までの我が国では特にロックのコピーをやろうとすれば、そのカッコを真似るというのは必須事項であり、例えばそれがストーンズであれば、殊更キース・リチャーズのライブにおけるギターアクションを洋楽雑誌のグラビアに掲載のライブショットを眺めつつ、あれこれキメを模索しては「なりきる」道へ一直線だったと思うのはサイケおやじだけの感慨でしょうか。

まあ、そ~ゆ~時代もあったという事なんですよ。

ということで最後になりましたが、取り上げたドゥービー・ブラザーズのシングル盤は説明不要、1973年に発売された傑作アルバム「キャプテン・アンド・ミー」からカットされた「Long Train Runnin'」をA面に入れた彼等を代表するヒットシングルで、もちろん我が国でもウエストコーストロックの代名詞とされた人気曲でしたから、サイケおやじもコピーに勤しんだ若かりし日が確かにありました。

うむ、ハロウィンが過ぎ去れば、今度はクリスマスかぁ~~。

時に流れは早すぎますねぇ~~。

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継いで繋がれる大切さ

2015-10-07 15:40:17 | Rock

Teach Your Children / Crosby, Stills, Nash & Young (Atlantic/ 日本グラモフォン)

2日連続で日本人がノーベル賞に輝いた事は本当に素晴らしいと思います。

それは受賞者各々の学識の深さ、研究に対する真摯な姿勢と柔軟な思考、さらには学問研究以外のところでも奥行きを感じさせる人間的な魅力等々、それはここで書き足りる事は決してありませんが、もうひとつ、絶対に忽せに出来ないのが成功へと辿り着くまでの「教育」の力であり、それこそが我が国の大きな底力と思います。

ただし、サイケおやじが近年感じているのは、どうにも自分は真っ当な教えを受けていなかったんじゃ~なかろうか?

という責任転嫁的な気持ちであり、広く考えれば、日本の義務教育は、もっと社会の仕組みをきっちり教えるべきじゃ~ないか?

と思っているんですよ。

それは例えば「納税」に対する仕組みと義務、「年金」や「社会保障」の仕組み、「裁判制度」の段取りから「法治国家」としての在り方等々、世間の中で本当に生きていくのに必要な最小限度の決まり事を、しっかりと子供時代から教えておかなければならないんじゃ~ないでしょうか。

もちろん、ここでの「最小限度」という言葉は勘違いかもしれませんが、それでも人は何とか税金を払わない工面に知恵を働かせ、何とかして法律の抜け道を模索しているのが現実でしょう。

しかし社会保障の進んだ北欧あたりでは、「脱税」はもちろん、「税金の滞納」、あるいは「公共料金の滞納」でさえも、「殺人」と同等の重罪であることをきっちり子供時代から教えていますし、未払いの税金に対する取り立てだって、嘘偽りなく、鬼の様だと言われています。

平たく言えば、国家という概念の中で暮らしている以上、税金を払わないなんてことは非常に恥ずかしい事であり、そういう者には刑法でも、また社会的にも、厳しい制裁があるわけです。

したがって、それを司っている政治家や役人達が、もしも出鱈目な税金の使い方をやっていようものなら、とんでもない仕打ちがあるというのも、また事実のようです。

それと所謂社会的弱者と分類される人達は、「年金」や「社会保障」そのものの仕組みを知らない場合が極めて多いわけで、極端に言えば、年金の掛け金払い込みを全くやっていない人だって、決して少なく無いというのが、現在の日本の実情でしょう。

そして同様に「裁判制度」のあれこれ、例えば何かの事件に関連したとして逮捕~起訴されるまでの道筋というか、警察による「任意」という言葉の意味さえも理解していない容疑者が多いそうですし、「起訴」という言葉についても???

なぁ~んていう現実は否定出来ないと言われているんですから、冤罪も無くならないわけです。

ちなみに時々話題になる「再審請求」についても、それが行われるのは「無罪」という決定が先にあっての事で、つまりは「冤罪」を作り出し、「誤審」をやらかした関係者が存命中の場合では、なかなか難しい問題のようです。

で、とにかくそういう諸々の仕組みを子供時代から教えておかないと、人生の「勝ち組」「負け組」がはっきりする要因は何時までも大きく在り続けると思うんですよ。

もちろん、人はダラダラしているよりは働いている場合に報われる確率が高いわけで、必ずしもそうで無くとも、何かしらの堅実性を目指す生き様は、それぞれに必要ですよねぇ~。

ということで、本日は当て所ない話になってしまいましたが、それにコジツれば、ご紹介は掲載シングル盤A面曲、説明不要のCSN&Yが1970年に出した「Teach Your Children」しかありません♪♪~♪

ご存じのとおり、グラハム・ナッシュが書いた和みの人気曲であり、その穏やかにして人懐っこいメロディとハーモニーの魅力は不滅と思うばかりですが、しかし一方、シンプルな英語で綴られた歌詞の中の多様な意味合いは、なかなか深い味わいがあるようです。

それでも、「人として生きていくには、ルールを身につけよう」とか、「夢は親から子供へ、また子供から大人へ」等々の忘れがちな常識を歌いながら、実は難儀な人生の有様を表現しようとしたような気がします。

うむ、お気楽に人生を過ごせれば、それはそれで素晴らしいわけですが、ほとんどが苦難と苦渋に満ちた場合が多いのは言うまでもありません。

そしてそういう時こそ、子供時代から培われた知識が人生の知恵として生かされるんだと思っています。
 
上はノーベル賞から下は キリが無いけれど、それなりに受け継ぎ、受け渡していく作業は素晴らしい!

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ロックは平和を希求する

2015-02-09 15:39:52 | Rock

Gimmer Shelter / Grand Funk Railroad (Capitol / 東芝)

どうにも平和が遠のくばかりのイスラム圏のゴタゴタは、ついに我が国をも巻き込んでの世界的な紛争になりつつありますが、そんな時こそ平和を訴えた歌や演奏が有用と思うのがサイケおやじを含む、1960年代半ばからをリアルタイムで今日まで過ごした往年のロック少年少女でしょう。

もちろん、そんな中で流行って来た多くの楽曲には、戦争という最高にくだらないエネルギーの暴虐を阻止する力は無かったのですが、だからこそ聴き継がれてきた歌の数々は人類共通の遺産だと思いますし、肯定も否定も、正論も逆説も併せて含むところには、ロックがロックであった時代の真剣な前向きさがあったにちがいありません。

本日掲載のシングル盤A面曲「Gimmer Shelter」は説明不要、ストーンズが1969年に発売した傑作アルバム「レット・イット・ブリード」に収められ、以降のライブ演目では定番の人気曲になった反戦歌!?

特に歌詞の中で、戦争は直ぐ傍に来ている、拳銃一発でそれは始まる、しかし逆に言えば、キッスひとつで、平和が訪れるという一節があるかぎり、それは如何にもストーンズの「らしさ」が全開していましたからねぇ~♪

アマチュアバンドからプロが演じたカバーバージョンも天文学的ものになる中にあって、このグランド・ファンク・レイルロード=GFRが1971年に出したパワートリオ版は、なかなか勢いがあって、サイケおやじは今も好きです。

それはちょっぴりお経のようなベースワークを核にした、まさにどっしりとドロドロした感覚が滲み出る目論見が成功したというか、シンプルなビートを刻むドラムスや分かり易いギターの存在感共々、ストレートに訴えかけてくるボーカルも良い感じ♪♪~♪

ちなみにGFRのアルバム「ザバイバル」に収録のバージョンは6分20秒弱でしたが、このシングル盤では3分半ほどに短縮編集され、良く知られているように、その作業はGFRが同年の来日時に東芝のスタジオでGFRのメンバーとプロデューサーのテリー・ナイトが直々に行ったという逸話は当時、世界的な人気の絶頂期にあったバンドが日本を如何に重んじていたかっ!?

というような、些か穿った優越感を日本のロックファンに与えてくれたものでした。

しかし、後に冷静になってみると、だとすれば、このシングルバージョンはオリジナルマスターテープからではなく、日本のレコード会社にあったマスターコピーが使われたのかっ!?

なぁ~んていうマニアックな推測も楽しいわけですねぇ~♪

それと告白すれば、既に「ストーンズ命」の世界に入っていたサイケおやじにしても、混ぜてもらっていたバンドで「Gimmer Shelter」をやる時には、ほとんどGFRのバージョンをお手本にしていたんですよ。

つまり、それほどキャッチーなシンプルさがロックの必要十分条件を満たすほど、GFRは強い存在であったのです。

そりゃ~、確かに初来日を峠にGFRの人気は下降線を辿り、あれやこれやの再ブレイクも果たしてはいますが、やはり初期デビュー期の勢いが眩し過ぎた所為でしょうか、なんとなくGFRが安く見られるのは哀しいものあります。

閑話休題。

ということで、誰もが好きで争ってはいないはずと思うサイケおやじにすれば、こうした歌や演奏が好きだと声高には言えない気持ちがあります。

ところが同時に、そうした楽曲にはノー文句で夢中にさせられる「何か」があるのも、また事実!?

そんな罪の意識(?)よりは素直に熱くなっても許されるのが、音楽の持つ魅力のひとつなのかもしれませんねぇ……。

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迎春エレキインストの志

2015-01-03 15:58:42 | Rock

春がいっぱい / The Shadows (Columbia / 東芝)

サイケおやじが憧れ、幾ら練習しても決して出来ないのがイギリスのインストバンドでは一番有名なシャドウに在籍のハンク・マーヴィンが十八番のスタイルです。

それはビブラートとエコーが特徴的な澄み切ったギターサウンドであり、神業とも思えるピッキングの魔法は、シャドウズを決して忘れられないグループする源でしょう。

中でも本日掲載のシングル盤A面曲「春がいっぱい / Spring Is Nearly Here」は、その優しい曲メロを存分に活かした、まさに夢見心地の名演として、世界中のリスナーを魅了し、夥しいギタリストがコピーしまくってはトーシロとプロの境界線が明瞭化されてしまう至高の名品♪♪~♪

その思いっきり伸びのあるエレキのリードギターを初めて聴いた昭和42(1967)年のサイケおやじは、てっきりハワイアン等々に用いられているスチールギターかと思い込んでいたほどです。

しかし実際のハンク・マーヴィンのプレイはトレモロアーム付きのフェンダーストラトキャスターであり、アンプはヴォックスだったと言われていますが、エコーマシンについては勉強不足で知る由もありません。

ただし洋楽雑誌に掲載のライブにおける写真を見ると、ステージではバーンズを使っているみたいなので、前述の使用楽器云々については、ここまでとさせていただきます。

ちなみにシャドウズの最初の出発点はクリフ・リチャードのバックバンドの仕事であり、ハンク・マーヴィンと相方のギタリストであるブルース・ウェルチは常にバンドを牽引する中心人物でした。

というか、シャドウズ本隊は公式レコーディグ開始当初から顔ぶれが数次変化していたのですが、このコンビが存続しているかぎり、インストでも歌物でも、シャドウズの「らしさ」はそれほど変わらないと思います。

実際、ブルース・ウェルチが、例えばこの「春がいっぱい / Spring Is Nearly Here」を含めた多くの素敵な曲を書き、ハンク・マーヴィンがそれを柔らかな歌心で表現する時、この名人ギタリストコンビの存在こそが、シャドウズの魅力と感じ入るわけです。

ちなみに「春がいっぱい / Spring Is Nearly Here」の初出は1962年、多分シャドウズ名義としては2作目のLPに収録されたトラックのひとつだったんですが、それがど~して5年後の日本で流行ったのか、サイケおやじには今も謎のひとつになっています。

またレコーディングメンバーについても不明なところがあり、前述のハンク・マーヴィンとブルース・ウェルチの他に同曲の共作者(?)でもあるブライアン・ベネットがドラムスを担当しているであろう事は推察可能なんですが、するとベースはジェット・ハリスかブライアン・ロッキングか? これまた明確な答えを知り得ません。

しかし、それはあんまり関係無いと言えば問題なんでしょうが、とにかくハンク・マーヴィンとブルース・ウェルチが織りなすギターのコラボレーションが泣けてくるストリングスの響きと融合し、ジンワリと聞かせてくれる甘美な世界があれば完全にOKなんですねぇ~、それだけで♪♪~♪

さて、実は今年のサイケおやじが目論んでいる宴会芸にエレキギターを用いた所謂「歌の無い歌謡曲」を想定しているのですが、それは通常、歌ってしまうカラオケにボーカルではなく、自らが弾くギターを合わせよう!

という試みなんですよ、恥ずかしながら!?

そこで久々に様々なエレキインスト盤を出しているうちに、本日の1枚には惚れ直しという次第です。

ということで、シャドウズについては今回、簡単に述べさせていただきましたが、もちろんこんな事て済ませられるようなグループではありませんので、何れはきっちりと思うところを書いてみようと思います。

また独善で試みる「歌の無い歌謡曲」の結果につきましても、後々ご報告させていただきますね。

ど~なりますやら。

コメント (1)
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