松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

秋田弁講座第1話「しび」

2015-03-12 18:43:19 | 日記・エッセイ・コラム

 秋田弁を都会の真ん中で大声でしゃべるには相当勇気が必要です。しかし秋田弁は元を正せばたいへん由緒ある言葉で、歌舞伎には良く残っているみたいです。ただ無精がたたって口の開きが小さいのと短縮系のためになまって聞こえるので田舎弁として定着してしまったのでしょう。でも、関西弁がこっちでウケるように、遠く離れれば離れるほど、会話の中にさりげなく訛りを入れると喜んでくれますよ。
 さて、今回は「しび」。「しぶ」とは違います。そんなに渋くはありません。また語尾に「ん」をつけると全然別の意味になるので注意が必要です。使い方は、例えばとても話好きの嫁がいて、電話をしているのを聞いた姑が「まんずこのふと(ひと)は電話せば終わるしび知らね」となるわけですね。つまり「すべ」がちょこっとなまっただけだすべ。これは違いますよ。「すべ」イコール「じゅつ」(術)てだて、方法、手段。先の会話を訳すと「終わり方を知らない」なんて詩的な表現なことでございましょう。ボクらの先人は父上の代も含めてとてもウイットに富んだ人間だったのですね。これを田舎のじっちゃからババまで、まんべんなく使いこなしていたとは、空恐ろしいくらいでございます。日本人ってもしかして地球一かしこかったんと違います?。
 あと「頑是ない」のなまった「がんぜねえ」という言葉昔よく聞きました。えっ、今でも使ってる。いいことです。これは「幼くてききわけがない」という意味です。いいおとなが有罪なのに法律を盾に居座ったりする時、「がんぜねえヤツだ」という風に使います。きっと精神年齢の幼いヤツなのでしょう。この言葉なんか仏教の影響を強く意識させますよね。いまどきのタレントや幼い人間の使うギャル言葉とは、なんという隔世の観なことでしょう。言葉はその時代と共に変化するものだそうです。この頃のおとなが「なのかな」なんて軟弱な言葉を伝染させているのを聞きますけど、私は絶対自分の目の黒いうちは使わないス。でも目が白くなった時と、白黒させた時は、使ってしまうかも。

 「なのかな」が14年も前に、すでに市民権を得ていたことに驚いています。当時、居座っている人間が誰かは忘れましたが、多分政治屋か何かでしょう。今日も寒い一日で、油が徐々に値上がりしているにもかかわらずガソリンを満タン入れました。冷たいガソリンは、温かいガソリンより体積が小さいので、お得ですよ。何円分得かは、計算できませんがね。

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