松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

念願の「願人踊り」を見てきた。

2015-05-05 10:15:22 | 日記・エッセイ・コラム

 5月5日に行われる願人踊りは、近いのに、いつも見逃す念願の行事だった。大概、連休最終日となると、疲れて明日の仕事の事を考え、家でじっとしていることが多かった。

 八郎潟町は昔、一日市(ひといち)と言った。ひといちの盆踊りは県内では良く知られるが、ここ追分で盛んだった頃の踊りは、その流れを組むシンプルなもので、太鼓のリズムだけで踊るものだ。

 今年はもう一日あるほかに、新聞で時間から駐車場から知らせてくれたので、事前にイメージトレーニングも出来た。神社に向かって、子供たちが歩いて行く。先頭に立つのは元上司の畠山氏。ビックリしていた。隣にAABのカメラがいたせいかも知れない。

 神社での子供たちの奉納の踊りが始まった。この「一直踊り」を表現するのは難しい。言葉では、同じ方の手と足が一緒に出る、という表現になる。これは見たものしか理解できない。しかし左の子の動きは、我ながらうまく捉えたと思う。

 次は歌舞伎の山賊・定九郎とじっちゃ(爺様)の掛け合いの寸劇。よどみなくセリフが出てきて、皆を和ませる。

 続いて大人による奉納。ダイナミックさが違う。近いので、踊る手が、こっちに飛んで来る。あの先輩の余興を見たことがあるが、妖しいばかりの腰つきが、見事だった。踊りは、腰ですよ、腰!

 子供のを見たあとなので、展開が読めた。このじっちゃ、どう見ても女性のようだが、軽妙なテンポで山賊に切り返す。その方言によるセリフが、あまりに見事で、皆を笑わせる。

 何度もチャレンジしたが、どーもタイミングがつかめない。この踊りを最後に締める。すると観客から記念写真の催促があって、

 すっかり人気者になっている。

 入れ替わり、何人か次々撮っていた。いいのかな神社の境内で。奉納なのに。終わったからいいか。

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