甲子園を注目していた、もう一つの国があった。それは87年前に準優勝した嘉義農林を持つ台湾だ。この話は嶋崎前監督の講話にもあったし、何度か耳にした。
ロゴで現わすと良く分かる。KANANOに対してKANO。ユニフォームの文字が良く似ている。
境遇も似たようなものだった。KANOは台湾ではエリート学校ではない。中南部の田舎から、しかも人種の入り混じった複雑なチームだった。日本人もいたし、地元先住民もいて、中華系(漢人)もいた。
どこの馬の骨とも分からない(言い過ぎました)集団が、台湾代表になったこと自体がセンセーションだった。その上、甲子園では試合の都度、強さを発揮し、割と大差で決勝まで勝ち進んだ。
そんなチームを率いたのが近藤監督で、母校である松山商業仕込みの練習で鍛え上げた。
この地域が安定した作物を生産できるようになったのも、八田與一のダムと給水路網があるからだ。
この記事を読んで、台湾でも金足農業が話題になったことが良く分かった。
秋田では、かように甲子園の余韻に、今でも浸っていられるわけですよ。
朝日系極左翼新聞を購読していて、こんなに良かったと、思ったことは、悪いけどないね。今まで投資してきた甲斐があったと言うべきか。
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