松美の言絵(いえ)

私は誤解されるのが好きだ。言い訳する手間が省けるから。

吉田拓郎と小田和正の会話は「いい話」が多かった。

2013-10-22 07:28:16 | テレビ番組

二人は同じ世代。拓郎はあと3年すれば、70を超える。

小田はあと4年で、70になる。まさかこの二人が現役とは

当時、考えられなかった。特に拓郎は。

拓郎は飛ばしに飛ばしていた。声はガラガラ、徹夜で飲んだ次の日

伝説の名曲を歌ったりする破天荒な生き方だったから、もうすでに

おまえは死んでいる。今の拓郎は残りカスみたいなもんだ。

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片や小田和正。澄んだ高音が今でも健在。酒は飲まない。

ストイックなまでの毎日。ラブソングを歌う割に、アスリートだ。

コンサートの体力を維持するため、ランニングとジムに通う。

「ラブ・ストーリーは突然に」「言葉にできない」「YES・NO」「さよなら」

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オフコースの時代、まあ彼らは人気があった。ドラムの大間ジローが

地元だったことを割り引いても、女の子の支持率は秋田でも絶大だった。

しかし小田はそれが「すごく嫌だった」という。なぜか、それは9年という長い

離陸するまでの時間があって、すでに年は30を超えていた。

キャーキャー言われるのが、今はとってもうれしいんだけど、同級生とかが

見たらどう思うだろうか、あいつ何なの、と思われるのが嫌だった。

そういうのはアイドルが受けるものだろうと思っていたので「すげえ恥ずかしかった」

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二人は曲の作り方がまるで違う。拓郎は全盛時、曲がどんと降りてくる感じが

したらしい。だろうと思った。言いたいことをギターに乗せてしゃべっている感が

あった。だから音符と言葉が合わない。言葉の方が多い。

今は七転八倒してやっと1曲。それも納得の1曲ではない。

小田は仲間とまず、リズムを決める。次にコード進行を詰めていく。

その中から、イメージに合ったメロディが生まれてくる。最後に詩をつける。

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あの頃のシンガーソングライターは、テレビが嫌いだった。

拓郎は単純にカメラが苦手だったのだ。

小田はいう。テレビに出してやる、感が強かった。嫌なら帰っていいよ、

と随分言われた。現場行って必ずもめて、マイク1本しかないのに、それで

全部歌えと言う。どうすんのこれ、みたいな。あとは口パクが嫌でね。口パクは

もうはなはだ音楽的じゃあなかったから。今考えりゃ楽な話なんだけど。

そこの階段、歩いて歌え、とか。手はどうしましょみたいな。それでもう

相当、屈辱的だったんだよ。

そうまでして歌う必要はなかった。

こんなことは、今だから言える話なんだろう。

だからそのまま流す。NHKは反体制が良く似合う。

小田は相手の話を聞くのがうまい。拓郎が自分の自慢話をしていると、

「いい話だね」と返す。多分、どうでもいい場合でも、「いい話だね」と

言うのだろう。そう言っておけば相手はゴロッとしているだろうし、

自分の立場に影響もない。

これは、話の腰を折らずに済む便利な言葉だ、と思った。

コメント
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