黒鉄重工

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北方project ~Welcome to Hokkaido. その5【2017/5/3~7】

2018-11-27 23:58:25 | 旅行・イベント記
小樽市総合博物館の屋外展示車両を見ています。どんどん見てきましょう。


DD51形615号機
ナンバープレートが欠けてるんでちょっと間抜けなことになってますが、堂々の幹線用ディーゼル機関車です。なのでここに保存されているディーゼル機関車の中では最大です。
蒸気機関車の置き換えのために登場したもんですから、デビューした頃は鉄道オタクからそれはもうひどい言われようだったようです。今はもうオタクの世代も変わってきているんでそういうこともないどころか人気者なわけですが。

今までの保存車両同様これも機関車の後ろに車両を繋げてひとつの列車に仕立てている展示をしています。DD51の場合救援列車をやっています。


オエ61形309号
救援車というお客を乗せない事業用の車両です。線路上で脱線事故や災害が発生した際にその復旧用の機材を載せた車両を前もって備えておくことで、迅速な復旧作業に取り掛かれるようにするための車両です。
現代では問題が発生しても沿線の道路から取り付けるようになったとかそもそも鉄道の重要度が低下してるとかの理由で減少傾向です。ていうかもう絶滅したんじゃないかと。

いざという時のための車両で普段は使うことがないという性格上、イチから救援車が造られるということはまず無く、使われなくなった客車を改造して再利用することが一般的でした。オエ61形もそのクチで、マニ36形という要らなくなった荷物車から改造された車両です。
改造にあんまりお金を掛けられない事情もあったのでしょう、原型から大きく姿を変えているわけではありません。車体は妻面貫通路と右側の荷物用扉を塞いだ以外は原型のままと思われ。車内も作業用機材を積み込むにはうってつけの荷物車なので大きな改造は必要なさそうですがそこら辺はよく知りませぬ。


車内も見れます。
車内の半分くらいは人が乗る部屋になっています。機材といっしょにそれを動かす作業員も運ぶのです。さらに救援車は現場の前線基地の役割もありますので、作業員が休憩や食事を摂るための設備も持っているのです。


もう半分が機材置き場です。枕木とかが載っています。


スエ78形5号
これも救援車で、70系客車の荷物車から改造されたもの。70系って聞いたことのない名前なんですが(自分の記憶では35系か60系あたりまでしか遡れない、それより前だと一気にナハ22000やハ1005あたりまで行ってしまう)、戦争で被災して損傷した客車の台車や台枠を再利用して車体だけ新製してできた「戦災復旧車」と呼ばれる客車群です。
戦後混乱期に造られた客車で簡易・急造・応急処置・間に合わせといった設計や改造がなされたので、その種類は混沌を極めることは想像に難くないです。
外観の特徴は色々あるようですが、窓が他の客車と異なり2段窓になっているのがポイント。大きい窓ガラスが手に入らなかったでしょうからね・・・。

スエ78-5はマユニ78形から改造されました。さらにマユニ78はオハ78からの改造なので、迷宮ですね。普通の座席車からの改造だからなのか知りませんが、荷物車の扉にしては扉の幅が狭いように見えます。


救援車らしく床下には替えのレールを装備しています。こういうの好き。
なお70系の現存車はこれだけです。まあ品質の悪い戦災復旧車なので喉元を過ぎればもう用済みでしょうし、どれもあっさり解体されたんだろうなと。


注目は台車で、なんと3軸台車を履いています。たぶんTR71だと思います。
荷物車時代から履いていたようですが、荷物車にこれが選定された理由はよく分かりません。わざわざ3軸を使う必要はないと思うんだけれども。


チキ6000形チキ6141
平たい荷台を持つ長物車。コキ5500を改造したやつだそうな。ちなみにコキ5500はチキ5500を改造したやつなんで、先祖返りしてますねコレ。
後ろに連結されている操重車の控車として使われるやつもいました。クレーンのブームが長いんで張り出た部分を収めるために連結してます。
他にも作業で使う道具も置いてますね。何に使うのか分かりませぬが。右側の道具ってあんなブームから離れたところに置いて取り付けが大変だろうなと思いましたが、荷台の上に台車とレールが敷かれているんで簡単に荷台の上を移動できるんですね。うまいこと考えるもんだ。


ソ30形ソ34
操重車、つまりクレーン車です。事故の復旧用に造られたものです。めちゃくちゃインパクトのある車両ですが、保存車はあんまないです。元々弾数が少ないしね。
ソ30は元々蒸気機関で動く蒸気クレーンなのです。なのですが1970年代にディーゼルエンジンに換装されてしまって当時の姿は見るまでもなく・・・。


暗くてあんまり中が分かりませんでしたが、蒸気機関ではないのは確かっす。
機関部の形状は全く変わってしまっていて、どっちかというとソ80に近い形状になっていますかね。


ヨ6000形ヨ7904
貨物列車の一番後ろに連結する車掌車です。1960年代、これだけで900台造られたっていうんで、当時の貨物列車よほど多かったのかなぁって。
北海道の極寒に対応した車両は7900番台に区分されているんだそうで、なので番号が7900まで飛んでるんですねぇ。

救援列車は以上。


屋外展示車の一部はプラットホームを模した土台の横に展示されていますが、これって京都鉄道博物館で見るやつですね。この手法はここが先でしたのね。
光線が逆光アンド逆光なんでちょっと撮影条件厳しめ・・・。


ED76形509号機
函館本線の電化に合わせて1968~1969年に投入された電気機関車です。ED76は九州向けの0番台が先行して投入されてましたが、それとこの500番台は外観も中身も性能もガラッと変わってます。車軸配置と蒸気暖房搭載くらいしか共通点がないので型式を変えてもいいくらいですが、新形式を起こすと労働組合との折衝がアレを極めることから、当時の国鉄は機関車の形式数をむやみに増やさない方針を採っていたので、ムリヤリ同形式に収めたんだと思います。なんか1950年代のアメリカ空軍みたいだ。
D級機関車なんですが、動力台車の間に軸重軽減用の無動力台車を挟んでいるんで車体は意外と長め。
意外にも旅客列車専門だったんですが客車列車は早々に消滅してしまい、貨物列車への転用も非電化区間からディーゼル機関車を直通させてきたほうが楽だ、となっているんで30年経たずにすべて廃車になってしまいました。以降津軽海峡線を除いて北海道に電気機関車が走ることも無くなっちゃいました。

ED76の後ろには客車が3両繋がっていてさながら現役時の旅客列車です。


スユニ50形500番台スユニ50-501
国鉄の一般型客車の50系客車の形式のひとつ。電車みたいな車体が特徴。地方の通勤列車のための開発が主ですが、荷物車/郵便車も新たに起こされまして、スユニ50もそれのひとつで、郵便荷物合造車です。500番台は北海道専用です。
1978~1983年にかけて製造されましたが、1986年に荷物/郵便列車が廃止されてしまったので登場から十年経たずソッコーで要らない子になってしまい、ほとんど廃車になりました。国鉄ホントそうゆうとこだぞ。

スユニ50では、旧型客車がよく履いていた旧式のTR47を履いているのに注目です。通常の50系は新しく開発された台車を履きます。
まあ、旧型客車からの廃車発生品です。ところがスユニ50の場合、台車を提供した旧型客車からの改造で出来上がった車両という名目になっているのが面白いところ。車体も台枠も新造しているんですけど台車を以て改造扱いするとは、これもう分からないです。まあむやみに車両新製できなかったんだろうという事情は察せますけども・・・。


車内にも入れます。中では郵便局員の敏郎(仮名・左)と恒造(仮名・右)が業務に邁進しています。
この仕事、楽ではないと思うんですけど、何か手当とかは付いてたんでしょうかね?


オハ36形オハ36-125
旧型客車オハ35系一門の門下生の一人。同じく門下生のスハ42が修繕工事を受けたところダイエット効果があったので軽量化したのだが、客車は重さで格付けが変わるので「ごく重い」の「ス級」から「ってたより重い」の「オ級」へと改名したのだ。ついでに数字も変えた。
北海道形は500番台なのだがこれは125番。内地の客車を持ってきたかもしれないけどそこら辺はよく分からず。


オハフ33形オハフ33-364
旧型客車オハ35系一門の門下生の一人。緩急座席車として600台くらいがジャカジャカ造られた、オハ35系を代表する門下生だ。大井川鐵道でも現役だぞ。


今日はここまで。




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