黒鉄重工

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北米project 4 ~Is the order a warbird? その62【2016/03/04~10】

2018-10-06 21:50:25 | 海外旅行記
ボーイングB-47Eストラトジェット(1947年・255機目)
爆撃機を作るのが俺の道と決めたボーイングが戦後に開発したジェット爆撃機。開発は1944年から始まっていますが終戦から2年後には初飛行に漕ぎ着けてるんで、すげぇなって(小並感)
B-29とB-50の後継機として開発されたものです。なのでかは知りませぬが爆弾搭載量はB-29の9tを少し上回る10tです。大型爆撃機であるところの例のB-36は最大で30tくらいまでは積めたので、搭載量では見劣りしていました。
それでもB-36が搭載量とコスト以外の性能がアレだったのでB-47がバカスカと2,000機以上も造られる大所帯になったのでした。こんだけ造っておいて輸出は一切行われなかったので全機がアメリカ国籍なのでした。アメリカ空軍の主力機だったと言っても過言ではないでしょう。
あとはまあ、当然ですけど核爆撃機です。息をするように核爆弾搭載を前提にしています。まあ狂ってますよ。


スッキリとしたコックピット。当時としてはなんだか爆撃機離れした印象を受けるんですよね。
乗員は機長、副操縦士、爆撃手/航法士の3名。機長と副操縦士は風防のところにタンデム配置で座ります。たった2名で飛ばすことが出来るのだ、というのはすごいよなと。
爆撃手/航法士は風防より前の機首の中に座っています。窓はないんですけど、どうやって爆撃してたんだ。航法だってどうやってたんだ・・・。気になりますが今回は飛ばします(手抜き)
機首の部隊章は御存知SAC: Strategic Air Commandことキチガイの集まり戦略空軍です。星模様の青帯に稲妻を掴んだ巨人の腕の部隊章が目印。この部隊章と銀色と白の塗装が戦略空軍の爆撃機のトレードマークになっています。
この銀と白の塗装私には妙にかっこよく見えるんですが、別におしゃれで塗っているんではなくて、核爆弾を投下して爆発した時の高熱を逸らすための対策として塗られたという極めて現実的な塗装なのです。やっぱり狂ってんなぁ。


エンジンは片側3発。エンジンポッド2+1発の構成です。大型機のジェットエンジンをポッドにまとめて主翼下に吊り下げるという方式は確かB-47が初めてと言われていて、画期的な機体だったわけです。
なおエンジンポッドから伸びている車輪は補助輪です。主脚は胴体の前後に自転車のように配置されているので、この補助輪がないと横に倒れてしまうのです。


爆弾倉。B-47は脚が短いんで覗きづらかった・・・。


尾部の機銃。あ、付いているんですね。でも誰が操作するんだこれ。


愛知九九式艦上爆撃機・・・もといバルティーBT-13Aバリアント(30分ぶり3機目・256機目)
心のきれいな人には日本海軍の艦上爆撃機、九九艦爆に見えますが、その実態は実はアメリカ陸軍の練習機を九九艦爆っぽく魔改造した機体なのです。これは一度見てみたかった機体です。

戦時中に訓練用の仮想敵として改造された・・・というわけではなく、1970年公開の映画「トラ・トラ・トラ!」での航空シーン撮影用小道具として調達されたものです。今だったらVFXを駆使して撮影をするんでしょうが、当時は実機を用いた空撮が行われたのです。
日米開戦のきっかけになった真珠湾攻撃を題材にした映画ですので、日米の航空機が必要になります。アメリカの航空機の調達はわけなかったでしょうが、日本側の航空機(零戦、九九艦爆、九七艦攻)はまともなものが残っていませんでした。
そこでBT-13やT-6といった日本機に近い練習機を魔改造して出来るだけ姿を似せたのです。T-6を改造して出来た零戦「テキサン・ゼロ」なんかは有名ですかね。BT-13は九九艦爆および九七艦攻の素材に使われました。T-6もBT-13もおそらく数は大量だったとは言え歴史的な機体には違いないので、このような大改造を敢行したのは大英断ではなかったかと。
改造された機体は各機種複数あったので、小道具としての役目を終えた後は散り散りになりました。博物館の収蔵品になった機体もいれば個人所有になった機体もあり、中には今でも飛行可能な機体もありにけり。飛行可能機は貴重な日本機枠ということでエアショーで飛ぶこともしばしば。


ちょうどBT-13を見たばかりなので再掲してみよう。
いやぁ、結構手が入ってるねこれ。原型が行方不明。たぶん殺された。


九九艦爆と言えば脚という人と楕円翼という人でかつて核戦争の一歩手前になりかけたという逸話がありますが(無いです)、同機の特徴である楕円翼はこの魔改造機では再現されていないようです。
飛行特性が大きく変わりそうですし、まあ残当。その代わりもうひとつの特徴の脚はきちんと再現されています。


可愛いと噂の脚。


機首が黒いのが日本機の特徴なのだ。一説ではエンジンの放熱が目的とか言われてますが、あんま効果がなかったのか戦争後半になると


ダグラスEA-1Eスカイレイダー(1日ぶり2機目・257機目)
ちょろっとだけ海軍機がいます。これはアメリカ海軍のイカス攻撃機A-1。プラモデルで作ってみたいけど定番商品でいつでも手に入るからと後回しにされるやつ上位です。

このE型はちょっと変わり種でして、機長と副操縦士が横並びに座る座席配列になっていること。風防の内側をよく見てみると座席が横に並んでいるのです。
さらにA-1の型番の前にEが付いていることから察せれるように電子系の機体です。電子妨害とか夜間攻撃とか種類はいくつかありますが、これは早期警戒機なんだそうな。
で、そのレーダーオペレーターが乗り込むための座席が操縦士の後ろ側に付いています。かまぼこ状の小窓が付いている部分です。オペレーター席は電子機器を操作しやすいよう暗くするために敢えて窓を小さくして外からの光が入らないようにしているのです。
機体の何処かに早期警戒用レーダーがあるはずですが、見つけられず。胴体の中に収まっているのかもしれないし、機外搭載だったのかもしれません。


ダグラスTA-4Jスカイホーク(1日ぶり4機目・258機目)
海軍のイケてる攻撃機。型番にTが付いていることから察せれるように複座練習機型なのです。
ソ連の星マークとソ連っぽい洋上迷彩が塗られていて、飛行訓練時のアグレッサー機として使われてたんじゃないかなと。
この機体は2003年のアメリカ海軍のA-4が退役する最後まで飛行していた機体のひとつだそうです。


LTV A-7DコルセアII(1日ぶり2機目・259機目)
A-7は元々アメリカ海軍がA-4の後継機としてF-8を土台に開発した艦上攻撃機です。ですがこのD型は空軍専用として派生した型式です。
ベトナム戦争において空軍は地上部隊を援護するための近接航空支援(CAS)用の地上攻撃機を求めるようになったのですが、何せこれからの戦争は核兵器を撃ち込めば一発でケリがつくから通常兵器なんていりませんよとマジで考えていたんで、通常兵器を用いた対地攻撃機なんて何も開発していませんでした。
そういうわけなんで、いざ攻撃機が必要になっても手持ちがなにもないわけです。そこで空軍は海軍からA-1を譲り受ける屈辱を受けます。しかもこのA-1全部海軍ではすでに要らなくなったお古でありますからに。
しかし時が経つとさすがにレシプロ機では性能的にキツイと思った空軍は、またも海軍の攻撃機A-7を採用することになります。これは導入当時も生産中でしたから新造機が導入されています。
そんな経緯で導入されたD型ですが、そこは空軍の意地があったのか、元々の愛称だった「コルセア」は使用せず、愛称無しか「SLUF」というよく分からん名前を使っていました。またエンジンは空軍専用のものをわざわざ用意しています。


セスナA-37ドラゴンフライ(1954年・260機目)
さっき見たT-37ツイート練習機を軽攻撃機(COIN機)に仕上げた機体。ドラゴンフライと書くとかっこいいですが、要はトンボですからね。まあそういう飛行機なんでしょう。
アメリカ空軍ではそんなに使われた形跡はなく、F-5みたいに親米の中小国へばら撒くために造られたと思います。ゲリラ組織や暴徒の鎮圧目的の飛行機ですので、ガチの戦争では使えたもんじゃないですし。


ダグラスB-26Cインベーダー(1942年・261機目)
第二次世界大戦時に開発されたアメリカ陸軍の攻撃機です。使われ方はほとんど爆撃機だったんですが、なんでAナンバーにしたんだろうね。
WWII後も退役せずに継続使用され、空軍独立後はB-26に型番変更されてそのまま朝鮮戦争に投入されます。さらに後のベトナム戦争でも使われることになります。A-1といい、ベトナム戦争はWWII世代のアメリカ機が使用された最後の戦争だったのです。
なおベトナム戦争の最中、型番が再びA-26に戻されるという迷走をしました。上記の対地攻撃機不在問題に際して急遽その候補として浮上した模様です。

この機体は1954年退役なので朝鮮戦争まで使われていたということですね。真っ黒な塗装はおしゃれではなくて夜間攻撃用の夜間迷彩なんでしょう。


というわけで展示機は以上です。だいたい50機くらいいました。たくさん見ましたね。
あとは落ち葉拾いでもしましょうかね。


エンジンが展示してある一角があったんで見てみましょう。これはプラット&ホイットニーR-4360ワスプメジャー。B-50、B-36、C-119などに採用されていました。
7気筒*4列という凄まじいエンジン。空冷エンジンの厚みじゃない。
空冷エンジンで空気を当てて冷やす必要があるので各列が少しずつズレて配置されているのが異様な姿の印象を与えます。


これはソ連のクリモフVK-1ターボジェットエンジン。MiG-15やMiG-17に採用されたエンジンです。
遠心圧縮式のエンジンなので左側のごちゃごちゃした部分がエンジンの本体、右側の筒はただの排気管です。
で、これはイギリスのニーンエンジンのコピーでして、イギリスの共産系政党の労働党がニーンエンジンのソ連への輸出を承認しちゃったためです。ソ連はここぞとばかりにニーンをコピーします。当たり前だよなぁ?


筒側。まあ筒ですね。


こっちはゼネラルエレクトリックI-16ターボジェットエンジン。I-16というのはGEの社内呼称みたいなもんで、正式名はJ31。つまりP-59に搭載されたジェットエンジンです。
J31はGEのジェットエンジンデビュー作となるエンジンです。元々電気屋として創立したGEですが、発電用タービンで会得した技術を航空機の排気タービンに活かし、さらにその時の経験からジェットエンジンの開発も行ってしまいました。そして今ではジェットエンジンの開発メーカーの一角になるまで成長したのです。写真フィルム技術を転用して化粧品メーカーに成長した富士フイルムみたいなもんで、どの技術がどう転ぶか分からないもんです。

J31は独自開発ではなくてイギリス初の実用ジェットエンジンであるホイットルW.1を基にしたというかコピーしたエンジンなんですが、ここでひとつ誤算があり、W.1は英国面を持ったエンジンなのでした。
取入口から吸気された空気は遠心圧縮されて燃焼室に送り込まれるんですが、そこで向きが180度変わってさらにもう1回180度向きを変えられて排気管から後ろへ排気されます。一度向きを反対にして空気を流すわけですから、取入口から排気管まで一直線に空気を流すよりも無駄なエネルギーを使い出力低下を招くのは自明です。なんでこういう構造にしたのか謎ですが、まあ英国面なんで・・・。

さらに不運なのはこれを例のP-59の搭載エンジンとされてしまいその上P-59が制式採用されてしまったこと。おかげでJ31もP-59もダメエンジンにダメ戦闘機の烙印を押されてしまったのでした。
ちょっと同情する。

というわけでダメエンジンだったわけですが最初期のジェットエンジンとしては貴重なわけで、それを外に置いておいていいのかよという気がします。


ターボファンエンジンに見えたけど実はゼネラルエレクトリックYJ93ターボジェットエンジン。
Yナンバーが付いている通り、試作止まりになったエンジンです。搭載機はあのXB-70バルキリーです。
YJ93は軸流圧縮式なので横に細長いエンジンになっています。

他にも色々なエンジンがありましたが説明書きがなくて名前が分からんので割愛。写真もろくなの撮らなかったし。


前にSR-71のエンジン本体を撮り忘れたと書きましたが、最後の落ち葉拾いで撮ってました。
というわけでプラット&ホイットニーJ58エンジンです。


セスナO-2スカイマスター(50分ぶり2機目・262機目)
なんか撮り忘れてました。さっきも見た胴体の前後にプロペラがついてるやつです。
でもこんなに変わった形状をしていてもざっくりとした印象はハッキリとセスナと分かるもんですね。


というところでマーチフィールド航空博物館は以上です。
膨大な収蔵機があるのはここまで読んでくれたならよくわかったと思います。まともに見ようと思ったら1日がかりになるでしょう。
定番から珍しい機体まで色々いるので近くまで来たら一度寄ってみるのも良いと思います。中々行きづらいところにありますけどね・・・。
今回初めて見た機体も多く、収穫のある見学でした。どうにか開館時間中に見終えることが出来ましたし。

では今日はここまで。次の舞台へと移りましょう。