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黒鉄重工

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東北project~Trains' last tour. その13【2017/10/7~8】

2020-05-28 22:29:59 | 旅行・イベント記
くりでんミュージアムも見終えて、くりはら田園鉄道公園は一周し終えたことになるのですが、あと2時間はバスが来ず身動きができないのでもうしばらく公園でのんびりします。

まだじっくりと見ていなかった貨物列車の車両を観察してみます。これは主力電気機関車だったED20形3号機(ED203)
1950(昭和25)年の栗原軌道線電化に合わせて中日本重工製の凸型電気機関車をED18形として3台導入しました。自重18tだったのでED18。
中日本重工というのは要は三菱重工業です。1945年からの財閥解体の一環で旧三菱重工を3社に分割したものです。この3社は結局その後合流して2代目三菱重工業になりますがそれはまた別のお話。

製造当時の栗原軌道は軽便鉄道でしたから、車体は小型の軽便規格になっています。ところが1955(昭和30)年に軌間1,067mmに改軌しました。これは、石越駅で栗原軌道から東北本線への貨物の積み荷の積み替えが非常に手間だったため、東北本線と軌間を合わせて貨車を直通させて積み替えを解消してしまおうという意図のためです。
製造5年で廃車にすることもないので、台車を交換して継続使用しました。この時に台車を交換した分太ったので形式がED20に変わっています。
軽便規格の車体に対して狭軌の台車なので、台車と車体の幅が同じという独特の形態をしているのが魅力(厳密にはわずかに台車の方が幅広らしい)。
栗原軌道→栗原電鉄、また主力の貨物輸送を渡り歩いたくりでんの生き証人のような機関車です。引退後3機全てが保存されましたが、うち1機は撤去されたとの情報あり。


貨車です。


ト10形(ト102)。1907(明治40)年、もしくは1917(大正6)年製なので、動態保存機としては日本有数の古さです。改軌に合わせて西武鉄道から買ってきたもの。細倉鉱山からの鉱石輸送で使われ、貨物輸送廃止後は保線用の砕石散布車でした。


同ト103。


ワフ7形(ワフ74)。1914(大正3)年製でこれも古豪。やはり西武鉄道から購入。
車掌室付の有蓋緩急車です。有蓋緩急車として貴重な現存例と言えるでしょう。


M153号。


1番線にある転轍機テコ。現役です。


架線が無い以外は往時の栗原電鉄を連想させる光景です。
非電化路線のくりはら田園鉄道に移行後も架線柱は撤去されなかったと言われていますが、現在の旧若柳駅構内にはそれは残っていないです。


KD95形が到着。元は軽便規格だったED20形の小ささにも注目です。


14時15分にもう一度チンドン貨物列車が走ると聞いたので、再び沿線で撮影します。まずは14時発のKD95形。


午後になって光線が変わってこちらが順光になりました。かっこいい。


続く貨物列車。午前中と同じ編成です。往路は動画撮影だったので写真は無いです。


取扱い上難しいのかも分からないですが、ED203を先頭にした貨物列車を見てみたいですねぇ。


入換機とKD95の並び。


保線モーターカー。



旧若柳駅駅舎。現役時の外板は白く塗られていたはずですが、開業時を想定した茶色の外観に復元されました。この部材は取り壊された他の駅舎から持ってきたそうな。

室内も復元されていると思いますが、全体的には「鉄子の旅」で見たまんまのような雰囲気で、見覚えのあるような感じでした。



時刻表。概ね1時間に1本、たまに2時間に1本。



窓口。駅舎の事務室は保存鉄道の事務所になっていました。事務室の有効活用。


KD95が駅に到着。現役時代にもよく撮られていた構図でしょうなぁ。


KD95とTMC100Fの並び。


M153はそういえば車内に入れるんですしたので、侵入します。


車内はロングシート。座席には昔の写真が並べられていますが、こうするとさり気なく席に座るなと言ってきてるので、保全の観点ではいいかもしれません。


車内銘板。走行機器担当の三菱電機、台車担当の住友金属、車体製造担当のナニワ工機の3社が一緒になったのは珍しいですね。
三菱が担当しているのは、やはり三菱の傘下だから・・・?という勘ぐりはしますよね。


乗務員室の壁は真っ赤!この塗り方は初めて見たけど暑苦しそう。

というところで今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. その12【2017/10/7~8】

2020-05-19 22:00:06 | 旅行・イベント記
検修庫に戻ってきました。個人的にはここがくりでんミュージアムのもうひとつの目玉展示物だと思っています。


検修庫の外板はきれいに貼り替えられていましたが、内張りは原型を留めています。






検修庫の奥にあるのは数々の工作機械です。これは大型旋盤でござい。摩耗部品の削正加工に使ってたっぽい。


(これは独立した電源で動いているのかな・・・?)


ふと天井の方を見て気づく。工作機械からはゴムベルトが天井に向かって延びていて、それは1本のプロペラシャフトに繋がっていて・・・・・・え!?こんな方式で機械を動かしていたの!?
マジか、聞いたことはあったけどいかんせん古い方式(名前が分からない)なのでとっくに廃れた方式で、実物を見たのは初めてだ・・・。


要はこれ、外部動力源の回転運動をゴムベルトと滑車で窓の上にあるシャフトに伝えて、伸びるシャフトに付いている各機械へと伸びる滑車とベルトで各工作機械に動力を再分配するという方式です。イギリスの産業革命の説明で見たことがあるよ。
この一番左の滑車へ繋がっている機械が動力源となる電動機です。


回転するシャフトは各工作機械に動力を伝達するのです。シャフトは手前と奥の2本あります。手前のシャフトは奥のシャフトから動力を分配してもらいます。


これも旋盤です。今説明したような動力方式なので、この旋盤には独立した電源がありませぬ。旋盤自体もとても古そうな格好をしています。


ネジやボルトを締める部品ですかねぇ。テコの原理で思いッきしキツく締めるのだ。


卓上グラインダーとボール盤。これは独立した電動機を持っているので比較的最近の機械なのでしょう。


横から見る。これはいい・・・かっこいい。何しろこう構造が分かるように残して展示してくれていることがありがたいのです。KD95の動態運行と同じくらい感激していますよ。


手仕上げ作業で使う工具です。この机に置いてあるのはケガキ道具です。道具一式が揃っている点が素晴らしいです。よく散逸させずに残したと思います。
ここでは「ケガキ作業は工作の出発地点」と説明していますが、よく言ったものです。くりでんミュージアムの解説や説明は中身が濃いものが多いです。現地で読んでみる価値はあると思います。


古い鉄道車庫の検修庫には残っていることのある鍛冶場です。私の近場だと天竜浜名湖鉄道とか。


ほど(炉)です。ほどは電動送風機付。自由鍛造に使います。


鍛造・鋳造用の工具。ひとつずつ説明していくのは大変なので写真だけ。


機関車庫の中に入ります。前回も書きましたが改軌時に大型車両が収まるように軽便規格の小型車庫を基礎を高くして嵩上げしてあります。なのでコンクリート基礎が不自然に背が高いです。
ここにはKD95形KD952が静態保存されています。


天井の柱は妙に複雑ですが、後から補強工事をしたような部材が見られます。


KD952の推進軸。


エンジンはPE6HT型で、これも路線バス用エンジンです。


運転室周りの間取りは一般的なLE-DC的。
反対側の運転室では運転シュミレーションをやってました。初手なので停車で失敗してしまいました。それでも丸車で運転シュミレーションするのは気分が良いです。


KD95形の内装はやはり良いなと思います。
今日ここに来る以前のくりはら田園鉄道との直接の関わりはなくて、漫画およびアニメ「鉄子の旅」で取り上げられていたのが唯一ですが、わりかし印象深く残っています。今日来てみて劇中と同じ内装、社員の制服、若柳駅構内だったので、当時をよく保っているものだと少し感激しましたね。


快晴でも薄暗いですが資料保存としてはこっちの方がいいのかも。たまに外に出して干してやることも出来ますし。



また検修庫へ戻りにけり。検修庫にある螺旋階段は登ることが出来るので少し高い位置からKD12を見てみます。

くりでんミュージアムの魅力の詰まった建物です。
敷地の規模に似つかない中身の濃い資料館でした。お土産も買いたくなるものです。

というところで今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. その11【2017/10/7~8】

2020-05-17 23:46:48 | 旅行・イベント記
くりはら田園鉄道公園に併設されているくりでんミュージアムの検修庫に来ました。
検修庫にはKD10形(KD12)が保存されています。表の公園に保存されているKD11と合わせて2両編成を組んで朝の通学ラッシュ専用に使われていた模様。たぶん平日朝だけの運用でしょうから、近所の鉄道オタク以外が乗ったり撮ったりするのは大変だったろうなぁ。
KD10形は名鉄のキハ10形のうち2台を払い下げてもらったので、現存率100%です。くりはら田園鉄道の車両は現存率の高い車両が多くて、KD95形も100%、ED20形も少し前まで100%でした(今は66.666...%)。まあ母数が少ないんでアレですが、KD10とKD95は一箇所に複数台を保存しているという点で特筆されることと思います。普通、1台でも残れば御の字ですからね。
余談ですがこの初期LE-Carは今は全て現役を退いていますが、意外と各社の車両がだいたい現存していて、結構恵まれています。


KD10形を始めとした初期LE-Carの特徴の台車FU-30。これは付随台車のFU-30T。
台車なので、昔の燐寸箱客車のように台枠に固定されていたわけではないです。ただし乗り心地は良いとは言えず、横揺れが頻発していたそうです。


よく見えないけどエンジンの日産ディーゼルPE6H型。本来路線バス用のエンジンを流用した形です。


この気の抜けた顔が好き。塗装は名鉄時代と同じですぞ。


工作台ですね。溶接の時に顔に被るやつとボール盤がありにけり。後で知ることになりますが、ここの隠れた目玉はこういう工作機械だと思います。


車内にも入れます。初期LE-Carに乗るのは初めてのことです。ロングシートなので結構鉄道臭いですが、車体構体はまるっきり路線バスのそれだとわかります。側窓はもう完全にバスの流用ですがな。


ピット線には潜ることが出来るぞ。


なるほどねぇ。





奥は研修設備ですが、その前に左側にある出口へ。


車両係員詰所です。それって誰ぞやと思いましたがそうも運転手っぽいです。


時計はちゃんと時刻合わせしてあって、さすがっすね。正面の事務机が部長の席かな。


個人ロッカーがあるのは良い会社(うちにはない)。
しかしいつの時代のやつだ。


気動車のブレーキハンドルと鍵を閉まっておくための箱。栗原電鉄時代からの物。末期は気動車5台、入換機1台が在籍していたということね。


鉄道車庫見学をすると必ず見る、御存知安全綱領。
その左の事故防止の目標は見たことないです。社内目標かな。


表に出ます。「安 全 確 保」のイカス看板のある方が詰所です。
その横にあるのがKD95の保存されている機関車庫です。機関車庫の基礎の高さが高いことに注目です。これは、軽便鉄道時代には十分だった高さが1,067mm狭軌に改軌した際に車両も大型化しようとしたら天井にぶつけることが分かったので、上モノはそのままに基礎の高さを上げて高さを確保したという経緯から。うまいこと考えましたね。


木造有蓋車のダルマ。
来歴は1922(大正11)年製で西武鉄道の払い下げです。軽便の栗原鉄道時代に使っていたものの1955(昭和30)年の改軌で使えなくなってしまったので、ダルマにして倉庫として使っていたのが現存しているということです。


ワ101、ワ102の2台だということですが、どっちがどっちか分からん。
貴重な大正時代製の貨車だということで、屋根付きで保存されていることは特筆されます。ここは他よりも貨車の扱いが良いと思います。やっぱり貨物輸送の歴史が深いからかしら。


修復途中なのか、原型を残して資料性を保たせているのか、ちょっと聞き忘れてしまいましたが、私の想像では後者ですかね。とはいえ製造時から残っている部材はどの程度の割合があるのか・・・というのは考慮する必要があるでしょう。倉庫時代に補修された部分もあるかもしれません。


倉庫時代に後付されただろう部品。
塗装がすっかり剥げ落ちてしまった看板です。「油置場」と書かれているところまではわかりました。そうなるその右の赤い箱状の枠は消火器入れでしょうかね。



検修庫の裏側。外板は資料館整備時に補修されているみたいです。合わせて耐震補強っぽいのもやってるかも。
というところで今日はここまで。

その12へ→

東北project~Trains' last tour. その10【2017/10/7~8】

2020-05-11 21:49:50 | 旅行・イベント記

貨物列車の運転後はDB101は切り離されて留置していました。一般的な協三工業のモーターカーというかんじ。


KD10形KD11。元名鉄キハ10形で、富士重工のレールバスLE-Carの最初期の車両です。なんといっても2軸車が特徴です。ほぼ燐寸箱客車。
バス用部品を多用することで車両製作コストを削減することを目的にしたのがLE-Carでした。小型軽量なので運用コストも下げられたはず。
ただ鉄道会社で使ってみると小型故にラッシュ時には輸送力不足になって2両編成にしなければならず、却って運用コストは増えた模様。小型車2台連結するよりも大型車1台の方がいいよねということになって、以降は大型化したLE-DCに移行しましたとさ。生産期間は1984年から3年間だけでした。それと車両寿命も短かったようです。現役でいる車両は1台もいませぬ。
攻めた設計の車両でしたが、攻めすぎたので後継車では設計が修正されるというのはなんだか後の209系みたいよなぁと。

で、このKD11は動態保存車なので時々KD95形に替わって走る日もあるのだそうで。


M15形M153。1955(昭和30)年に栗原電鉄が762mmから1,067mmに改軌したのに伴い3台新造した電車。ナニワ工機製。Mは電動車、15は15m級車体を意味します。分かりやすいね。
両運転台単行電車ですが、増結用の片運転台付随制御車C15形がありにけり。ことでん600形みたいなやつですね。
ノーシルノーヘッダーの金属製車体にコイルばね台車を持つ当時の地方私鉄としては意欲的ないわゆるデラックス電車です。接続する当時の東北本線は蒸気機関車時代ですから、さぞや近代的に見えたと思います。これだけの電車、鉱山マネーで造ったんですかね?
非電化後も廃線まで若柳駅で倉庫に使われていたのが効いて、今も保存されています。保存車は新しく建てられた屋根の下で保存されています。風雨を凌げるだけでも物持ちに大きく作用しますがこれを建てるだけでも数百万円掛かるでしょうから、大事にされていることが伺えるのです。


これは整備用車庫。公園整備に際し新しく建てたと思われ。
廃線まで使われていた車庫はこの奥にあって、資料館になっています。これから行きます。


TMC100F。


廃線したとは思えない活気のある駅になっています。車両が多く置かれているのもそうですが、それがきちんと整備されて輝きがあることや人間がホームに立っているのもうまく作用していると思います。


ED203と貨車だけで展示されています。完全に貨物列車です。良いです。


KD95形が戻ってきました。


スロープを敷きます。段差ありますからね。でもKD95形には車内のステップが付いていないんです。



乗客が下車。この通り、結構乗っています。


M153。前面は湘南顔を平面に潰したような感じもしますし小田急2200形のような印象にも感じます。


昼飯時になったので、鉄道公園のすぐ隣にある農産物直売所「くりでん」にある食堂でお昼ごはんを食べました。
「はっと汁定食」です。はっと汁は東北地方太平洋側の郷土料理で、すいとんと餃子の皮の中間のような薄く伸ばした小麦粉生地の皮が入っています。汁はけんちん汁みたいな醤油味。
それと焼きおにぎり、惣菜2皿が付いていきます。おにぎりの量が少ない以外は満足の定食でした。



保存鉄道は一通り楽しみましたので、次は「くりでんミュージアム」に行ってみましょう。くりはら田園鉄道の若柳車庫を活用した資料館です。


機関車庫(右)と検修庫(左)が現存します。
車庫と検修庫の外にも線路が延びていて、庫内にある車両を表に出すことも出来るようになっていますね。なお、若柳駅と車庫の間の線路は道路に寄って分断されています。
外観をざっとみたところで、入館します。入館料510円也。あとはお土産とお布施を兼ねてM15形の鉄道コレクションを買っていきました。この鉄コレは一般販売もされていますが、屋根が末期時代の紺色の資料館限定版もありにけり(一般版は初期の灰色屋根)。私は両方買っていきました。両方買うとM153の番号がダブるんですが、ダブった方は江ノ電みたいな緑とベージュの塗装に塗り替えてM152の番号を充てがうのもいいかもしれませんね。そう思っていながらまだ手を付けていないんですけども。


館内にはくりはら田園鉄道の来歴とか道具とか書類とか切符とかジオラマとか色々あります。
初めから鉱山鉄道として建設されたわけじゃなく、栗原地域と東北本線を繋ぐための鉄道だったのね。会社の体制が二転三転どころか七転八起くらいしているのも興味深いです。細倉鉱山まで延伸したのは1940年代初頭の戦時需要の高まりからで、その頃から第三セクター化するまでの間、三菱鉱業系の会社になってます。ここにも三菱が出てくるとは。しかし鉱山マネーが無ければ21世紀を迎えることは出来なかったでしょうし。
詳しくは現地に行ってみてね。


ちなみにこれは昔の水準器。使い方ワカンネ。


資料館の間を抜けると、機関車庫です。KD10形が保存されています。

というところで今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. その9【2017/10/7~8】

2020-05-10 20:35:41 | 旅行・イベント記
11時発の列車を撮影します。撮影地点は駅から1つ目の踏切から。


真正面を捉えます。


分岐器を通過。


ゆっくり走行するのでいくらでも撮影できますね。


後追い。


折返しは腕木式信号機と合わせて。信号機の現示がさっきとは違うのに注目。ちゃんと進行の現示になっています。ちゃんと稼働するんですね~。


引きでも撮影。


KD95形のFU34HD台車。こっちはエンジンと繋がった動力台車。反対側の付随台車はFU34HTです。

KD95形が駅に到着した後、園内放送が流れ始めこんなことを言いました。「貨物列車を特別運行する」と。お、本当ですか?


11時15分になると本当に貨物列車が来ました。わお!
仕業表に書かれていた15分発と45分発の臨時スジがここで伏線回収されます。事前の告知は無かったはずで、サプライズ運転でした。これは嬉しい誤算です。


貨物列車とはいいますが、これは中々のガチャコン列車では・・・。


列車はこの通り、入換動車、有蓋車、無蓋車*2、電気機関車、保線モーターカーの6両編成です。滅茶苦茶だよ。


入換動車のDB101。1965年協三工業製。東北本線との接続駅の石越駅と終点の細倉鉱山で使われていた貨車の入換機です。動態保存機でして、貨物列車の牽引機です。


ワフ74。有蓋車と車掌車を合体させた貨車です。


ト102、ト103。無蓋車ですね。


ED20形3号機(ED203)。本線で活躍していた貨物列車用の電気機関車です。
なんで電気機関車が・・・という疑問への答えがくりはら田園鉄道の歴史にも繋がります。
くりはら田園鉄道は1950(昭和25)年~1995(平成7)年までは電化路線で、社名も栗原電鉄でした。その時代に使用されていたのがED20形なのです。ED20にはさらに線路の改軌の歴史も持っているのですが、それはまた後ほど。


保線モーターカーのTMC100F。クレーン付き。
細身高身長のED20と低身長デブのTMC100Fとの体格差がすごいね。


後追い。
乗客を載せない貨物列車の動態保存をするのはまあ珍しいです。走らせてもお客を乗せないので収入が入りませんからね。鉄道マニア向けのフォトラン列車ぐらいじゃないでしょうか。鉱山からの貨物輸送が主体だったことを伝える素晴らしい取り組みだと思います。


折返しも撮影。TMC100Fはパトランプや前照灯は点灯しながら走行します。


いいですねぇ~。


後追い。


すぐに11時30分発のKD95形が出発しました。

今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. その8【2017/10/7~8】

2020-05-05 23:23:50 | 旅行・イベント記

今日は宮城県栗原市にあるくりはら田園鉄道公園へ来ました。2007年4月に廃線になったくりはら田園鉄道(石越~細倉マインパーク 25.7km)の車庫があった旧若柳駅を活用した公園です。鉄道車両、駅舎、鉄道施設が保存されています。



ここは驚くことに保存鉄道もやっていて、廃線まで使っていた気動車を始めとした複数台の車両を動態保存しています。そして今日は月に1度の気動車の運転日なのです。
まずは乗車しようと思いましたので、駅の改札できっぷを買ってホームへ入場。乗車券は300円とこの規模にしては安いと思います。
改札を抜けるとホームに気動車が停まっていました。ホームは廃線時から姿を変えていないといいますから、これはすばらしい雰囲気を出しています。



気動車の型式はKD95形。富士重工製の軽快気動車で、随所に独自仕様が見られる結構手の込んだ車両です。



座席が2+1列なっているとか床材や座席に木材が使われているのが独特です。



展開式の机があるのもおしゃれ。




10時になって、KD95の列車が発車しました。走行する線路は若柳駅から石越方面へのかつて本線だったところで、900mあります。日本の保存鉄道としては中々の距離でしょう。折り返し待ちの時間を含めて乗車時間は往復で11分ありますから、満足できる時間だと思います。



田んぼを進みます。乗り心地は軽快気動車そのものです。当たり前ですが。



折り返し地点の片町裏信号場に着きました。たぶん保存運転に際し設置された信号場でしょう。
車止めの先にも線路が続いていますが、道路との踏切は撤去されています。この先延伸しようと思うとちと大変そうですね。



仕業表です。30分ごとに走るKD95形のスジに加えて臨時スジが隠れています(伏線)。



折り返し運転が始まりました。



復路は前にかぶりついてみます。
ちなみに運転士を始めとした係員の着ている服はくりはら田園鉄道の制服だったもので、こういうのもいいですねぇ。



本線には数箇所の踏切があります。踏切には係員が往来の安全を確認しています。彼らも列車の保存運行には欠かせませんね。



若柳駅に到着しました。楽しかったです。
列車は30分ごとに運転するので、次は線路沿いで撮影してみますか。



駅から2つ目の踏切で陣取りました。そして10時30分発の列車が発車。



腕木式信号機があります。しかも稼働します。



信号機を通過するKD95形。KD951とKD953の2台が動態保存されています。2台も稼働状態にあるとはすごいと思います。



踏切の直前で曲線に入るので動きのある写真も撮れます。2両編成なのもあってかっこいい。



後追い。細倉側がKD953です。
復路は動画で撮影したので掲載なし。

今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. その7【2017/10/7~8】

2020-05-04 21:41:22 | 旅行・イベント記
2017年10月8日。
仙台市で2日目を迎えました。昨晩はネカフェ民だったので朝ごはんはそこらへんの喫茶店で摂りました。コーヒーとサンドイッチ。


昨晩は地下鉄に乗りましたが今朝は歩いて仙台駅まで来ました。


これから乗る電車のホームへと行きます。一ノ関行の701系500番台が停まっていました。
後ろにはE721系もいます。どうやらここまで6両編成でやってきて、編成の分割作業中をしているところのようです。


E721系1000番台岩沼行。ありゃ、回送じゃなくて営業運転するの。しかも一ノ関とは逆方向に走るのか。こういうダイナミック運用がまだあるんだな。


阿武隈急行の8100系。1日2往復、阿武隈急行の終点槻木駅から東北本線に直通して仙台駅まで乗り入れます。
阿武隈急行の電車は仙台駅での撮影が今までの全てですので、特に阿武急内で撮影したいところですね。これもE721系に置き換えられますし。


そいでは701系の8時1分発一ノ関行に乗ります。乗り場では駅員が、前後の電車で行き先と方向が違うことをしきりに注意していました。そりゃ間違える人もいるでしょうしね。


陸前山王駅の留置線には使われなくなった大量の719系が留置されていました。この時点でもう大半が運用離脱してしまっていたのね。
仙台を東北本線で通る時にはよく乗っていたので、寂しい思いもありますね。


塩釜駅を出ると、仙石東北ラインの東北本線と仙石線の渡り線がありました。下り列車の場合は上り線を平面交差するので、ここが運行上の支障になりそうですね。


小牛田駅で20分弱の小休止。隣には719系0番台が停車していました。これが719系0番台を見た最後の瞬間でありました。ちなみに、標準軌台車を履いた5000番台がまだ山形線を走っています。


石巻線の貨物列車で活躍するDE10形1651号機。DE10形が牽引を務める貨物列車も随分と珍しくなったような気がします。


乗車中の701系500番台。お前は本当に209系と同世代なのか?と疑うほど、前時代的な国鉄チックの前面なのは以前より気になっています。まあ割と好きですけど。


陸羽東線のキハ110系が到着しました。これの接続をもって我々の一ノ関行も出発します。


降りましたは石越駅。初下車です。
あれま、駅舎は建て替えられてしまいましたか。2011(平成23)年に建て替えられました。


石越駅といえばくりはら田園鉄道が発着していた駅ですが、乗り継ぎのバスの出発まで時間がないので、とりあえず後回しにして路線バスに乗ります。まあパッと見痕跡はほとんど消えていました。
9時35分発、栗原市営の市民バスのくりはら田園線に乗ります。名前からしてくりはら田園鉄道廃線後に引き継いだ路線ですね。
運行はグリーン観光バスというところに委託しています。車両はふそう・エアロミディで、運賃窓と出入口窓が残る典型的な神奈中古でした。


若柳中町(9時43分着)で下車。どうも旧若柳町(現栗原市)の中心地区っぽいです。


道中見つけた旧若柳町のマンホール蓋。中央に大きく町の鳥ハクチョウ、その奥に町の木ヤナギ、外縁部に町の花サクラをあしらったもの。



こっちはちょっと謎なマンホール蓋。宮城県章が入っていますが、このへんの広域自治体の共通デザインかしらね。


で、バス停から歩いて5分くらいで着きました。「くりはら田園鉄道公園」です。今日はここを満喫しようと思います。

今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. その6【2017/10/7~8】

2020-04-27 05:53:23 | 旅行・イベント記

17時頃、山交バスはJR山形駅に到着。ここで降ります。



さすがは県庁所在地の駅なので大きいです。



べにちゃんバスの日野ポンチョ。市内循環バスですか。
西廻りと東廻りの2系統がありますが、車体にデカデカと西と書いているということは車両ごとに運用が明確に分けられているということですかね。



山交バスの日野レインボーRJ。ハイビームの積極活用。



日デスペースランナー+西工96MC。



山形駅構内に進入。
左沢線用のキハ101形普通左沢行をば。左沢線は朝夕の通学時間帯にはいつもこんな具合の4両編成が、最長では6両編成が行き交っているんですが、なんでそんな長くなっているのかは気になるところです。列車本数が少ないのか、沿線に学生が多いのか・・・。
ローカル線の気動車でこれだけ長い両数も最近では珍しいですから、腰を据えて撮影しに行きたいところです。



山形線の719系5000番台普通米沢行。



乗るのはこちら、17時59分発、仙山線のE721系1000番台快速仙台行。
仙山線は仙台市と山形市を2県の県庁所在地を1時間半弱で直に結んでいるので、一見ドル箱路線に見えます。が、実態は並行する高速バスにギッタギタのメッタメタにボコられていて、元気が無いです。おおよそ1時間に1往復しか走ってませぬ(仙台側は区間便あり)。
仙山線と高速バスの本数はそれぞれ18往復と80往復、運賃はそれぞれ1,170円と950円、所要時間はどちらもだいたい80分(仙山線は快速の場合)。まあ、そういうこと・・・。仙山線の強みは定時性くらいかしら。
バスに乗ってみるのも一興でしたが、長井からここまでのバスで1,500円くらい使っていたんで、ここは週末パスで乗れる仙山線で我慢。ところで仙山線は2010年に乗ったことがあるんですが、その時よりも本数が減っている・・・?



仙台駅に着きました。ところでこれ、719系を置き換えるため最近増殖している4両編成の1000番台なんですね。やけに赤帯が退色した電車だなぁ貼り替えてやれよと思いましたが、このピンク色で正解だそうです。



仙山線普通愛子行。「あやし」と入れてもグーグルさんは変換してくれなかったので「あいこ」と入力しました。キミ、これ変換できないんかい。
で、これは在来のE721系0番台。この赤帯の印象があるので1000番台のピンク帯は退色しているふうにしか見えんでしょ・・・。



キハE129・・・もといHB-E210系。初めて見たぞ。ただし今回乗りません。



701系とHB-E210系。


E721系500番台仙台空港行に乗ります。空港アクセス鉄道があるとか仙台空港強いよね。


仙台空港駅に着きました。


なんで乗りに来たかといえば鉄道むすめ杜みなせのスタンプがここにあるからなのでした。


なんやこいつらと思ったらウェイクアップガールズでした。しかし名前が書かれていないので誰だか分からん。分かる人にだけ分かれば良い仕様でしょう。
しかし仙台空港鉄道の制服はJR東日本の女性制服と大差ないのでは・・・?


すぐに折り返します。なお仙台空港鉄道は週末パス利用対象外です。
今思えば仙台空港にも一瞬でいいから顔を出せばよかったかも・・・。


乗ってきた電車で折り返します。


仙台駅に戻ってきました。これはE721系1000番台。そういえば719系を見ないけどもう仙台周辺は置き換え終わったのかしら(伏線)


1往復だけ走るという石巻線直通の仙石東北ライン女川行。
仙石東北ラインも、接続線を電化して交直流電車のE531系でも入れれば良かっただろうにと思っていましたが、非電化路線の石巻線に直通しようとするなら、ハイブリッド気動車のHB-E210系にも存在意義がありますね。


E721系と701系を撮影したら駅を出ます。


仙台市営地下鉄で勾当台公園駅まで乗ります。


実はもう21時を回っていますが飯がまだでしたので、駅を出た近くの一番町で食べることにしました。
10月に宮城県に来たので、そりゃ牡蠣を食べますね。生牡蠣、蒸し牡蠣、焼き牡蠣の3点セットだ!それと日本酒。うんめーぞ。


あとはご飯物で、いわゆる海鮮親子丼をば。
ちなみに店名は「ととびすと」という名前ですが、なんか閉めてしまったらしく、今はどうなっているのかちょっと分かりません。昼間のラーメンと言い、この日はこればっかりか。

ご飯を終えたらネカフェへインして今日の行動は終了。翌日へ続く。



東北project~Trains' last tour. その5【2017/10/7~8】

2020-04-24 23:06:30 | 旅行・イベント記
JR山形線(奥羽本線)に乗って高畠駅の1駅隣りの赤湯駅で下車します。2010年に山形鉄道に乗りに来たことがあって、それ以来になります。今回もそれに乗りに来ました。ログハウス風の駅舎は健在です。


駅舎は線路の東西にあって、ログハウス風の西口は山形鉄道の、東口はJRの管理になっています。
ちなみに今回使っている「週末パス」は山形鉄道も乗車可能なので追加料金無しです。

跨線橋は自由通路というわけではないです。通り抜けだけする時は便利な入場券を買ってね。
跨線橋には東北地方の鉄道むすめの等身大立ち絵がずらずら。


E3系2000番台「つばさ」181号山形行が到着したので撮影。山形鉄道の列車と接続します。


14時35分発の山形鉄道フラワー長井線に乗ります。車両はYR-880形です。
山形鉄道は御存知かと思いますが、国鉄の赤字ローカル線のひとつだった長井線を引き継いだ第三セクター鉄道です。


途中の今泉駅でJR米坂線の列車と接続します。E120形でした。
小国・坂町方面~山形方面への移動にはここで乗り継いだ方が、米沢経由よりも便利だそうで、接続が図られています。


山形鉄道の上り列車とも列車交換します。
今泉駅から先1.7km程は山形鉄道と米坂線が1本の線路を共用する珍しい区間です。逆に言えば方向の違う2路線が交わるので運行上制約が出やすい区間です。接続を取るのも大変そう。


長井駅に到着。山形鉄道で一番大きい駅ですね。


長井駅には山形鉄道の駅務係鮎貝りんご嬢の等身大ポップがおりました。彼女はもう、尻の一言です。販促・・・もとい反則。
で、この時期は鉄道むすめのスタンプラリーをやっていましたのでこれを押しに来たというのがありました。


スタンプラリーに合わせてミニスタンプとアクリルスタンドを抱き合わせた商品を売っていたので買いました。
これ、薄いけど面積のかさばるアクリルスタンドと小さいけど厚みのあるスタンプを悪魔合体させて1つの箱にぶち込んでパッケージしたので、箱が無駄にかさばるものになってしまいました。箱を開けてみると中は余白ばかりなんですね・・・。箱自体も結構かさばるので、電車で各地の鉄道むすめのスタンプを集めながら旅行しようと思うと、複数このグッズを抱えて旅行するにはかさばりすぎてイカンなと。
今回の旅行で複数箇所のスタンプを集めましたが、アクリルスタンドを買ったのはここだけにしました。かさばるので。はっきり言ってこのパッケージは旅行者本位ではないです。まあスタンプラリーはとっくに終わっていますがまだこの商品の在庫は各地で売られていると思いますよ。

コレの他にも山形鉄道独自のグッズ展開もしていました。かさばらなさでは最強のクリアファイルを買っていきました。迷った時はクリアファイルですよ。


長井駅の駅舎。改築されていますが基本的には1914(大正3)年に建てられた建物とされています。
ですが、後述の理由で2019年5月を最後に建て替え工事が始まり、今は跡形もありませぬ。


山形鉄道はここで乗り捨てて、市役所の方へ向けて歩いていきます。



ココス長井店です。前回、2010年に山形鉄道に乗りに来た時にここでお昼ごはんを食べました。健在でしたか。


いい感じの角の店舗。


長井市役所の庁舎です。1958(昭和33)年築なので、古い方から数えたほうが早そうな庁舎建造物です。これも割りかし好きですね。
しかしながら長井市役所庁舎はいま新庁舎の建設中で、これはいずれ取り壊されます。新庁舎は長井駅に建てられます。行政と交通拠点を一体化してしまおうという考えです。これによって長井駅の駅舎も建て替えられることになったのです。


長井市役所まで来たのは、このバスに乗るため。
山交バスの長井市役所発山形市役所行の路線バスです。車両は日野セレガの路線バス型。
山形鉄道の終点荒砥駅まで乗って折り返しているとちょっと時間が掛かりすぎるのでこれに乗って山形駅までショートカットします。荒砥駅から左沢線へ抜ける路線バスが昔はあってそれに乗れれば一番良かったんですけどね・・・。今はないです。


自分以外の乗客は1人だけだったので、最前列席を確保。
バスは国道287号線の脇道(旧道?)を走ります。幹線の脇道を通るのは路線バスっぽくて良いですな。


荒砥駅に到着。ちなみに再度山形鉄道に乗って荒砥駅からバスに乗ることも当然考えましたが、それではバスに間に合いませんでした。


荒砥駅からは国道348号線を走行します。小滝峠を越えるので山道です。


峠を越えて下り坂。

今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. その4【2017/10/7~8】

2020-04-14 22:34:33 | 旅行・イベント記
浜田広介生家に上がっています。
土間。まあ寒そう。


笠とか。


客間ですかね。


二の間でしょうね。
この家はどのくらいの地位にある人の家なのかイマイチ分からないんですが、近所の豪農級の家なのかしらねぇ。


こっちも書斎?


客間。正直書くことがあるほどうんちくを持っていない。


縁側。夏は涼しそう。


薬箱的な。


米農家だったっぽいです。


土壁。


玄関から退出。


記念館ではなにかお祭をやっていました。高畠駅でも出店が出ていましたが今日はなんかそういう日なんですかね?


この後は廃線跡を通ってJR高畠駅へ戻ります。戻る途中、どうやら「つばさ」が通りそうだったのでさっき撮影した場所にもう一度行ってそこでE3系2000番台「つばさ」135号を撮影。流し撮りにしました。


もう1本、E3系1000番台「つばさ」142号を撮影。踏切を走るE3系を撮りたかったのだ。


だから何だという看板ですが、見た人は新幹線は速度が速いから気をつけようと思うのかもしれません。
400系の写真が残っているのがエモポイント。


貸し自転車を返却して駅の改札口へ向かいます。土産、軽食、農産物を売っている売店あり。


改札口の脇にあるのが温泉施設「太陽館」の入り口。朝7時~夜10時までやっているので使い勝手が良さそう。まあ今回は入りません。


それでは719系5000番台の奥羽本線普通山形行に乗って高畠を離れます。