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黒鉄重工

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北陸project ~Hokuriku Master Side M. その3【2018/4/28~5/3】

2021-01-19 20:43:13 | 旅行・イベント記
2018年4月28日(土)7時30分
富山県中新川郡立山町 黒部湖駅
立山黒部アルペンルートの第3区間「黒部ケーブルカー」の麓側の駅「黒部湖駅」に来ました。
この黒部ケーブルカーから反対側の立山ケーブルカーまでは、立山黒部貫光という会社が運営しています。非常に特殊な立地で運営している交通機関ですが実は民間企業。


さっきの関電トンネルはダム建設時の資材搬入路を転用した形で観光道路になっていますが、このケーブルカーは建設時から純粋に観光用として敷設されたものです。だからでしょうが、隧道の断面が道路用とは異なっています。
アルペンルートははじめ全線自動車道で建設する動きもありましたが、環境保護団体の反対があってそれは止めになって今の乗り物を乗り継ぐ形になったそうな。
自動車道だったらバス移動になるでしょうから、今の方式と比べると比較的味気ないでしょう。おそらく自家用車は通行禁止になるでしょうし。


通り抜け切符を見せて乗り場へ。地下ホームです。地下鉄です。全線地下のケーブルカーって他で聞いたこと無いな。
隧道を掘ったのは、雪害対策ですね。環境保護の側面もあるでしょうが。


第6走者:立山黒部貫光黒部ケーブルカー(コ11号)黒部湖7:50→黒部平7:55
では乗ります。なおトロリーバスでは立ち乗りさせられるほどいた乗客は黒部湖の時点で半分程度に減っていました。アルペンルートのハイライトは黒部ダムなのでそこで引き返す人が多いようです。他には、山に挑んでいったツワモノも少しいるでしょう。
車両のコ11は開業時から走っている典型的ケーブルカーです。パンタグラフが可愛いし正面の金太郎塗りがイカします。形式の「コ」の意味するところは一見分からないんですが、たぶん客車の重量区分(<22.5t)だと思います。これの重量は9.06t。



乗客が少ないおかげで前面展望を確保できました。
なんだか先へ進むにつれて勾配が急になっているような気がしますが・・・。最大勾配は587‰っていうインフレ数値です。
しかしこんな急勾配の隧道を掘るの大変だったろうなぁ。麓側から掘るしか無いと思いますが。


製造銘板を見つけました。1969(昭和44)年汽車製造(汽車会社)製でした。汽車製造末期の製造ですね。


7時50分、黒部湖駅を出発。隧道を貫いていきます。車窓いっぱいに広がるは灰色のコンクリートですが、これはこれで格別。


中間地点で山頂側の車両とすれ違い。


ものの5分で山頂側の黒部平駅へ到着。定期のランプが点いていますが、臨時列車も走るのですか。たしかに、運転間隔は20分で片道5分で着きますから、運転間隔を10分に縮めることはできますね。


降ります。客が減ったと言っても乗り物の容量も減っているので車内は満席です。


なんだかだんだん乗客のツワモノ率が高くなっている気がしますが。一方我々、酔狂なただの通りすがりです。


黒部平駅には拠点あり。これは駅そばの範疇に入るのでしょうか。
どうでもいいですが鴨居の上に掛けてある液晶画面は、2010年代後半から出現してきたアイテムで、後々撮影年代不明の写真の撮影時期を絞る手がかりになりそうですねぇ。


トンネルを抜けると雪国であった。雪国っていうか雪山。冬じゃん。
いやぁこんな山深い雪深いところに足を踏み入れるなんて登山家どもでないとできないですから、アルペンルート様様です。しかしただの通りすがりの我々、装備が弱く寒いのですぐに屋内へ撤収。



朝飯を食わせろと駄々をこね、今の黒部そばでわさびコロッケそばをば。高地で食べる蕎麦はうまいな。


黒部平駅はただの中間地点なのでとっとと次に行きます。次は立山ロープウェイに乗ります。今度は山を渡りながら登っていく感じでロープウェイです。


うわぁー、支柱がないですね、これ。ワンスパンというやつですか。これも雪害対策でしょうねぇ。


ロープウェイの籠がやって来ました。2012(平成24)年導入の3代目です。
ロープウェイの奥に見えるのがあの立山です。たぶん。


第7走者:立山黒部貫光立山ロープウェイ 黒部平8:10→大観峰8:17 ※5分延
アルペンルートの第4区間。では乗ります。なお遅れて運行していました。通勤ラッシュかな?


出発です。はい絶景とばかりに真っ白な景色が見えます。空も澄んでいるし、いい眺めだな。


黒部湖も見えました。手前側が下流です。いや、登ってきましたねぇ。何も労せずここまで登ってきた。


雪の表面に幾条もの筋が通っています。たぶん水流の流れ。雪解けが始まっているということでしょうなあ。


着きました。山頂側から見るとめちゃくちゃ登ってきたんだなって。


ここは大観峰駅です。標高2,316m。


積雪がえげつないんだろうなぁと思わせるクソ頑丈そうな造り。これ冬場は雪が吹き込んできて乗り場が埋まってしまわないんだろうか。

というところで今日はここまで。


その4へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その2【2018/4/28~5/3】

2021-01-11 22:56:19 | 旅行・イベント記
立山黒部アルペンルートの第1走者関電トンネルトロリーバスに立ち乗りして、黒部ダム駅へ着きました。ここに降り立った時、そこはもう赤沢岳を超えて・・・というか潜って富山県です。
バスのモーターはVVVFインバータ制御だったので、それの音が聞こえてくるのはやはり不思議な感じです。


駅の端っこ。トロリーバスは基本的にバック運転を想定していないので、駅は一方通行のループ状になっています。
路線終端がループ状になっているのは、バスはもちろん鉄道でも日本では珍しい構造じゃないかと思いますが、よく調べていないので分かりません。バスターミナルがループ状になっているのはよく見ますけどね。鉄道だと今は亡きトゥーンタウンの路面電車がそれでしたね。


最後に300形のお顔を見てお別れ。1993(平成5)年製ですが、当時のどのバスメーカーの車両にも似ていない変な車体をしています。後で調べてみると、大阪車輌工業製なのだそうな。なるほどそれでか。ここは特殊車両や鉄道車両の改造を主にやっているのだそうで。

いつまでも乗り場に留まっていれるような雰囲気じゃなかったのでそそくさと退散。これでトロリーバスとはお別れですが、最終運行年の各種企画が盛り上がったおかげなのか車両保存の機運が高まって、1台扇沢に保存されることになったのでまた会いに行くことは出来にけり。


階段を登って外に出ると姿を現しました、黒部ダムです。よく黒四ダムと呼ばれますけど、黒部川第四発電所から取られていて、黒部第四ダムではないのだ。私未だに時々間違えてしまいますが。
実はここに来るのは2度目。初回はもう何年前かは定かではないですが、家族旅行で白馬へ行った時に寄りました。ただしこんなにまだ雪が残っている季節じゃないですしこんなに朝早い時間でもなかったです。いやこれは寒いです。


黒部湖です。水深めっちゃ深そうなんですよね・・・。
ここにダムが建てられたのは豊富な水量と発電時の高低差の高さからなのはご存知の通りですが、このような富山県の奥の奥によく目を付けられたと思いにけり。


堰堤の上は道路になっていて、ここを歩いて渡ってアルペンルートは続いていくのじゃ。道路の上のゴマ粒みたいなのが人間なので、クソデカイダムだなとなるわけです。

堰堤の上を歩くと分かりますが、ダムはW字のように折れ曲がっています。これは、堰堤の中央部の弧を描いている部分がアーチ式ダム、両端の折れ曲がって直線状になっているのが重力式ダム、というふうに2種類の方式のハイブリッドだから。専門用語だとコンバインダムと呼ぶのだそうな。
アーチ式ダムはダム湖の水圧を堰堤ではなく両岸の山に負担させます。水圧を堰堤で負担する重力式ダムに比べてコンクリートの使用量を少なくすることが出来にけり。未開の地で物資搬入がえらく大変な黒部ダム建設では特に適した工法でした。ただし両岸には水圧に耐えるだけのとても強固な岩盤が必須条件です。
しかし、黒部ダムの両岸の山は水圧に耐えられないことが分かりました。黒部ダムは初めはアーチ式ダムでやるつもりでしたが、これじゃだめなので端だけは重力式にして耐圧と資材量の低減を両立したのでした・・・と、前に流れていたブラタモリでやっていました。


黒部ダム周辺の模型です。右側が下流です。
ダム自体は水を貯めるだけで、肝心の発電所は10kmくらい下流にあります。右端に第四発電所の文字がありにけり。これだと見にくいけどね・・・。ダム湖から発電所まではダム湖に導水路を開けて水を通しています。ダム湖から発電所までの落差は545mあります。これが水力発電日本第4位の最大発電量33.5万kwを出します。


遥か向こう北アルプスを見てみる。いや普通に雪山ですがな。しかしこの雪が少しずつ融けていくので、黒部川は通年に渡って安定した水量を保っているんだそうな。


陽向と日陰の境界。これは朝でないと見れぬな。


こんな朝から出店があります。きっと住み込みで働いているのだろう。ご苦労さまです。


単にデカイと言うより、厚くて背が高いダムですな。これは本当にたまげる。


これは建設時に使った機材ですね。


黒部ダムの堰堤のコンクリートを運搬するためのコンクリートパケットです。たぶん流し込んで固まったものを入れて運んでいたと思われ。


パケットを上から吊り下げるためのフックです。


作業用の穴でしょうなあ。


少し下の階層へ降りてみます。堤高186mは日本一の高さです。天端とほぼ同じ高さですかね。
天端の下には10門の洪水吐がありにけり。これは単純に溢れただけ流れ出るだけの自然式です。あとは、ハウエルバンガーバルブが高・中・低水位用に設けられています。有名な観光放水はこのハウエルバンガーバルブから流れ出ているものです。
観光放水はせっかくダム湖に貯めた水を発電せずにただ下流に捨てるだけで無駄でしかないんですが、だから”観光”と但書のように呼ばれとるんでしょうな。
まだシーズン開始直後のこの時期は観光放水をしないので、今はただ静かな黒部ダム。ちなみに以前訪れた時も観光放水は見ていません。この先3度目の訪問があるとすれば観光放水を見ておきたいものです。


ダム直下。川の水は流れているっぽいですが、どこから出ているのかよく分からん。


謎構造物。建設時に使っていたものでしょうかねぇ。遺跡みたいだ。
後で調べてみたら、ケーブルクレーンの基礎だったものでした。ケーブルクレーンは黒部川両岸に跨って架けられていたので、対岸にも同様の基礎があります。しかし地面からの高さは右岸の方が高く迫力が大きいので、よく写真に撮られるのはこっちのようです。
この基礎は軌道状になっていて、この写真から見ると左右方向にクレーンを動かすことができるのだそうな。さっき見たコンクリートパケットはこのケーブルクレーンから吊り下げられて、コンクリートをダムに降ろしていました。


そいでは、堰堤の天端を歩いて渡ります。ダム湖の貯水率はまあまあありそうです。


日陰だから寒い・・・。
川を渡るというより山を渡るという言葉がふさわしい威容を感じさせます。


奥の山に左岸側のケーブルクレーン基礎があります。


水力発電、なんだかんだ周辺の環境を激変させてしまうので他の発電方式と比べて目に見えて環境破壊が大きいんですが、それでもこの黒部湖と北アルプスの取り合わせは美しいなぁ、とこぼしてしまいます。


ダムの左岸は堰堤の天端からすぐに地下へ潜ります。以前訪れた時は黒部ダムの天端を歩いて引き返したので、この坑口からは未踏の領域となります。


黒部湖の巡視船(?)のしらとり丸が陸に揚げられていて坑道内に置かれていました。冬季はこの中で冬眠しているんですね。これからまたダム湖に戻るのかな?

というところで今日はここまで。


その3へ→

北陸project ~Hokuriku Master Side M. その1【2018/4/28~5/3】

2021-01-10 22:19:34 | 旅行・イベント記
Side MのMは松任のM(超適当)

新シリーズ、2018年のゴールデンウィークの旅行です。北陸等に行きます。今回は実質6日間連続で行くので、まあまあ長丁場です。
では早速始めましょうか。


2018年4月27日(金)21時20分
静岡県静岡市葵区 JR静岡駅
今旅行は28日から開始ですが、実際はその前日から移動開始します。お察しの通り、夜間移動というわけです。そういうわけでまずは静岡駅へ。
初っ端から余談というかボヤキですが、この頃から構内にはリニア新幹線の自社広告がデンと突っ立っています(今もしぶとく突っ立っている)。リニアが通ると便利になるんやでとか通過県にも恩恵あるんやでだからとっとと着工させろやとか書いてありますね。
ひかりとこだまも増えるとか書いてありますけど、リニア全線開通後も現行の運転本数が維持されるとは思えんのですが。のぞみの大部分はリニアに転移するだろうし、東海道新幹線の路盤の保全の観点から運転本数は今よりだいぶ減らされるんじゃないかなーと思います。
ひかり、こだまが増えるにしてもそのイメージ図にはならんやろ・・・というのが私の予想です。ちょっとバカにしすぎでは・・・。


第1走者:東海道新幹線「ひかり」522号東京行(N700系)静岡21:41→品川22:35
広告見てアホくさとか思いながら新幹線ホームへ。正直なところ、のぞみは停めんでいいからひかりをもう1本停めるだけで十分だと思うんですけどね。
まずは「ひかり」で東京へ行きます。


品川駅乗り換え。



第2走者:JR山手線外回り(E231系)品川→新宿
山手線に乗り換えます。今日の山手線くじはE231系でした。


新宿駅で下車。一度改札口を出て、先に待ち構えていたZBSを連行、再び改札口を通り中央線特急ホームへ。金曜日の夜、中央線特急ホームとくれば、あとは分かるな?


いた。あいつです。そうです、ムーンライト信州です。
189系はもう風前の灯でしたから、軽い人だかりができています。


ちょっとそこのリュック男邪魔💢
回送幕でやってきたので、到着後に幕回しです。特急「あさま」です。
そういえば引退前にリバイバル「あさま」等の運転はついぞしなかったですね。まあ仕方ないね。


快速「アルプス」。


第3走者:JR中央本線・大糸線快速「ムーンライト信州」81号白馬行(189系)新宿23:54→信濃大町5:11
今夜はこれに乗って寝泊まりします。ムーンライト信州に乗るのは4年ぶり3度目。そしてこれが最後になるだろう、という気はしていました。翌年からは運転されていませんから、ギリギリセーフでした。



ホームは撮り鉄が多くて騒がしいのでとっとと車内に入ります。189系に乗るのもこれが最後になりました。
今回、珍しく普通乗車券で乗っています。18切符期間外だからだと思いますが、車内はさほど混雑していませんでしたね。乗客の大半は、この列車の想定する本来の利用客である登山者です。いや、今回は我々もその範疇に入っているのですが、荷物が軽装過ぎる・・・。
発車後はどうにかして眠りにつきました。途中大月か甲府で起きかけましたが無理やり眠りました。


それでも岡谷あたりで目が覚めてしまい塩尻駅へ。塩尻駅では停車時間が少し長いので、外に出て189系の編成写真を撮っておきました。やはりあさま色は秀逸な塗装です。
あとこの塩尻駅の真中のホーム、ホーム上にぶどうの樹が植わっているんだな、さすが塩尻だなー。


塩尻を出たらもう一眠りして、信濃大町駅へ到着しました。夜が明けたばかりの高地、外は寒いです。


山男たちが続々と列車を降りていきます。


189系を見送ります。さよならさよなら~。


早朝の信濃大町駅。まだ人間の活動が始まる前の時間は冷たく澄んだ空気で満ちており、浅い眠りばかりでまだ調子の出ていない私の身体にも入り込んできて叩き起こされます。つまり寒いんだということ。


立 山 黒 部 ア ル ペ ン ル ー ト
長野県大町市と富山県立山町を結ぶ観光山岳経路です。飛騨山脈、立山連峰という日本の屋根を土木の力でぶち抜いています。これによりワイのような一般人のド素人でも通ることが出来ます。
ここを走る交通機関は、バス、トロリーバス、ケーブルカー、ロープウェイ、鉄道と、あらゆる陸上交通が集結した交通博覧会の様相を見せている側面もあります。

ムーンライト信州に乗って信濃大町までやってきた理由はこれです。前々よりここを突っ切りたいとは思っていましたが、この度関電トンネルトロリーバスのトロリーバスが電気バスへと置き換えられることが決まったため、その前に乗ってしまおうとついに行くことに。立山連峰を貫き、北陸を目指します。


今からあの山々に挑むのだ。ふふふ・・・。
いや、乗り物の手を借りるだけで何もしないんだけどね。


第4走者:アルピコ交通大町扇沢線(日野セレガR)信濃大町駅5:35→扇沢6:15
アルペンルートの第1走者は、アルピコ交通の路線バスです。これでまずは鳴沢岳の麓、扇沢駅へ。



山道を登っていきます。もう4月も終わりですが、ここにはまだ残雪がありますねぇ。


扇沢駅に到着。ここで関電トンネルトロリーバスに乗り換えます。扇沢駅からはまた切符を買わないとならないのですが、なかなか長い列が。こんな人数どこに乗っていたんだとなりますが、自家用車で来る人もいますしね。
買った切符は扇沢→立山通り抜け切符です。つまりその区間の片道切符なわけですが、特に運賃が割り引かれてるとかは無しです。いちいち乗換駅で切符を買わずに済むのが良いところ・・・くらい。値段は8,000円強。半分アトラクションのようなものとはいえ、結構します。なお信濃大町駅~富山駅まで含めると1万円超えるので、ギエピーです。


始めにも書きましたがこの年はトロリーバスの最終運行年なので色々盛り上がっています。鉄コレも出たしな。この日は最終運行まで残り216日でした。


80年代チックな改札口。あの舟がいいですね。


こちらが関西電力300形トロリーバス。どう見てもバスですが、日本の法律上鉄道として扱われていることは一部では有名です。法律が追いついていないだろ・・・という気がしますが。
おかげでこれを運転するには自動車の大型二種免許の他に動力車操縦者運転免許、ようは電車の運転免許証が追加で必要です。運転手の養成に手間がかかりそうなのは想像に難くなく、大型二種だけで済む電気バスに更新された背景にはこれもありそうです。


第5走者:関電トンネルトロリーバス(300形)扇沢6:30→黒部ダム6:46
実質的にはここからが立山黒部アルペンルートの入り口と感じる方も多いだろうトロリーバスに乗っていざ黒部へ。
乗車列の最後の方だったので、乗るバスは最後尾の方へ・・・。


なお座れんかった模様・・・。16分間これか。いわゆるツーステップバスなので、立ち乗りだと天井が窮屈・・・。
特に身動き取れぬまま関電トンネルを走ります。破砕帯の部分も見たよ。黒部の太陽だね。

というところで今日はここまで。


その2へ→

バンクーバーの保存鉄道の旅 最終回【2016/5/21】

2020-06-20 23:49:09 | 旅行・イベント記
バンクーバーのウォーターフロントにあるバンクーバーハーバー水上空港まで歩いてきました。水上機でも見ようかなというところ。


DHC-6-100 (C-FGQH)が離水していきました。





DHC-3T (C-GHAR)。


DHC-2 (C-FJOS)旧塗装。


DHC-2 (C-GFDI)新塗装。


やはり水上機のいる景色は好きです。


この調子ならバンクーバーを訪れるのはこれが最後の予定だったので、少し耽けながら水上機や海を眺めていました。


アオサギが水浴びをしていました。


あまり動かないし逃げないですね、人馴れしている?


お顔。


そろそろ帰りのフェリーに乗るために移動する時間になりました。ウォーターフロント駅からスカイトレイン・カナダ線に乗って南下します。しかし微妙に時間が余っていたので、乗換駅のブリッジポート駅を通り過ぎてアバディーン駅へ。
ここのホーム上でバンクーバー空港から離陸する飛行機の撮影を少しだけしました。空が曇天なのであまり気分が上がらなかったのは残念。
これはエアカナダ・エクスプレスのDHC-8-300。


ウェストジェットのB737-700。


ルフトハンザのA340-600 (D-AIHB)。600型なげぇ~。これが見れたのは収穫でした。


旅客機を待っている間はカナダ線の電車も撮影。やってくるのは全て100形(便宜的形式名)。
割合かっこいいですよね。


後追い。回送電車でした。


アップで撮影。


NFI D60LF (R6060)。
時間になったのでブリッジポート駅へ戻ってそこから#620系統のバスに乗り換えてフェリーターミナルまで行ってそこからBCフェリーに乗り換えてビクトリアの方へ帰っていきました。

おしまい。

バンクーバーの保存鉄道の旅 その5【2016/5/21】

2020-06-19 22:43:26 | 旅行・イベント記
フレーザーバレー保存鉄道を離脱しました。あとはもう帰るだけなのですが、ついでなのでバンクーバーのダウンタウンへ寄っていきましょう。保存鉄道の駅から北へ向かって歩いていって、58 Ave at 176a Stのバス停からトランスリンクの#320系統Surrey Central Stn.行きのバスに乗ります。車両はNFI D40LF (S7313)でした。

ちなみにバスに乗った時の時刻は14時半過ぎでここまで昼飯無しだったんですが、バス停近くのコンビニでなにか買ったような記憶です(覚えていない)


終点のサレー・セントラル駅で下車します。ここは路線バスのハブ停留所とスカイトレインの鉄道駅が接続するサレー地域の交通結節点です。ここからはある意味BC電鉄の生まれ変わりと言える高架鉄道のスカイトレインに乗り換えます。
乗ったのは1984年の開業時から使われているMk.I形電車。ハリボテみたいな電車で、いわゆる額縁顔ですが無人運転なので窓がない・・・。

この後は途中レンフルー駅(Renfrew)でぶらり途中下車して近くの鉄道模型屋"Central Hobbies"に立ち寄ってお土産を買っていきました。買い物が終わったらまたスカイトレインに乗ってダウンタウンへ。


中央大学・明星大学駅みたいな付け方をした名前のスタジアム=チャイナタウン駅 (Stadium-Chinatown)で下車して、そこから歩いてギャスタウン (Gastown)へ。バンクーバーの観光地のひとつですが、そういえばまだ行ったことなかったなと思ったので寄りにけり。


ギャスタウンは、この元蒸気船水兵でここにバーを開いたジョン・”ギャシー・ジャック”・デイトン (John "Gassy Jack" Deighton)が名前の由来です。なので銅像が建っています。
執筆時現在は銅像を倒して池に沈めるのがアメリカでブームになっていますが彼の明日はどっちだ!?
どうでもいいですが、像を水の中に沈めるとそれから先、球団が長期低迷に陥る呪いが掛かるというのは日本昔ばなしでも知られた寓話です。アメリカ球団の今後の成績に注目です。


昔は荒廃して治安も悪かったそうですが、再開発後はなんだか洒落たオールドタウンだヨみたいな感じを出していますね。これだけでレトロな雰囲気に浸れると言われるとそうかぁ?と返してしまいますが。
こういうのにはあまり馴染めない体質です。


ギャスタウンに行ったら蒸気時計を見るのがお約束、観光ガイドブックにもそう書いてある。
蒸気機関で動くのならそこそこデカイんやろなぁと思って探してみたら、想像より小さすぎて見つけるのに苦労しました。これは札幌時計台に匹敵するがっかり観光地・・・。


ただ蒸気で動かしているのは本当です。ちょっと写りが悪かったですが上の突起からは蒸気が漏れ出ています。
あの四隅と中心にある突起は蒸気機関車の汽笛みたいなものです。時刻になると汽笛が鳴るのです。汽笛はそれぞれ音階が異なるので曲を奏でることが出来にけり。
毎時0分に時報を流すのですが、それは日本人なら嫌になっちゃうほど聞いたことのある学校のチャイムです。なんでやねん!とツッコミが入りますが、あのチャイムの元ネタはビッグベンの鐘のチャイムなので、この蒸気時計もビッグベンの鐘を元ネタにしたのでしょう。時計台繋がりだし。
時報を鳴らした後に中心の汽笛が時刻の数字分汽笛を鳴らします。午後6時なら6回ですね。


まあこれは映像を見てもらったほうが早いでしょうということで貼り付け。


蒸気時計の中は透けてみることができます。
これは蒸気機関車でおなじみのピストンシリンダーで、ピストンの往復運動を回転運動に変換する装置。ただ回転運動にした車輪の先に続くもの(ベルトなり歯車なり)が見当たらないのでこれはただの飾りの可能性が。これを見れば蒸気機関車を連想させて、この時計が蒸気で動くんだと視覚的に理解させるのかもしれませんが・・・。真の心臓部はこの装置が乗っかっている鉄板の下にあると思われ。


謎ボール。えー、あんまり覚えていない(手抜き)


ギャスタウンはあんまり面白くなかったので短い時間で離脱。ウォーターフロントの方へ歩いていきます。
これはその途中で撮影したNFI E40LFR (#2228) #7系統。


Nova LFS (9574) #50系統。



カナダの通勤・近郊鉄道の始発駅ウォーターフロント駅の奥に広がるカナディアンパシフィック鉄道(CPR)の貨物ヤード。CPRが旅客列車を運行していた時代は客車区だった場所です。


海上コンテナを二段積載できるウェルカーが停まっていました。


CPRのGP38-2形4415号機とGP38AC形3009号機。旧型のGP38なので入換とヤード間移動に使われていると思われ。


ウォーターフロント駅の駅舎。今はスカイトレイン、通勤用近郊鉄道のウェストコーストエクスプレス、ノースバンクーバーへの渡し船が使用していますが、もともとはCPRの太平洋岸の始発駅でした。始発駅にふさわしい立派な造りといえます。赤茶色の外壁もCPRらしいのではないでしょうか。

ちなみに競合のカナディアンナショナル鉄道のパシフィックセントラル駅も現存していて、こちらは長距離列車の始発駅になっています。


柱の上にCANADIAN PACIFIC RAILWAYの彫刻が残っています。駅舎の使用者が変わっても撤去されないのは他の都市の駅舎でも見られるものです。懐が深いのか無頓着なのか・・・。

というところで今日はここまで。



バンクーバーの保存鉄道の旅 その4【2016/5/21】

2020-06-11 23:44:53 | 旅行・イベント記
フレーザーバレー保存鉄道の車庫を見学中ですが、ここで1225号の列車の2便目が駅に戻ってくる時間になったので、見学を一時中断して到着を出迎えることに。


クローバーデール駅(Cloverdale)に到着する1225号。クローバーデール駅はBCER時代に実際に存在した駅です。ただし駅舎は復元で、建っている場所も現役時代とは異なっています。


インターアーバンいいですねぇ。
意外と側窓の天地が大きいのですね。というか側面はほぼ窓しか無いじゃんっていう。

1225号は1913年製造、1958年2月末廃車。廃車後はカリフォルニア州のオレンジエンパイア鉄道博物館で保存。ここ、2ヶ月前に行った博物館です。インターアーバンの保存に自信ニキなので、その関係で取得したんでしょうかね。
で、2005年にバンクーバーへ里帰りして動態保存されています。


手前に咲いている花✿。


前回見た1207号。1225号とは細かいところが異なります。



こっちは架台に乗っかっている1304号。これも1225号とも1207号とも違う車体です。個体差多い・・・。
1304号は1911年自社工場製。1945年9月に走行中に火災に遭って車体を焼失。しかし1946年1月に車体を再製作して復活したそうな。(自称)北米で最後に製作された木造インターアーバンという称号を持っています。
1955年に廃車後、オレゴン州の保存鉄道に払い下げられまして、2012年に里帰りしてきたそうな。目下復元作業中です。


架台は人が入り込める高さがあって、台枠の補修ができるようになっています。つよい。


工具がたくさん。
壁に貼ってある看板は保存鉄道のスポンサーとか寄付者とかの名前が書かれています。安全綱領みたいなのは見当たりませんでした。


1304号も車内に入れます。
デッキには車内の電気暖房のスイッチがありにけり。


車内はがらんどうでした。


がらんどう。


電車3台分格納できる車庫。天井もたっぷりありますよ。


ここにも作業台。ちなみにこんなところでマキタ(Makita Canada)の名前を見ることになるとは思わなかったです。


架台もありますが、車体を補修するための足場も組まれているという。


車体外観の復元はほぼ終わっている感じ。あとは細かい表記類を書き込めば・・・というところだと思います。


1207号を正面から。なお、弊サークル同人誌の表紙です。



アップの写真。


外には1304号が履いていただろう台車が分解された状態で転がっていました。これも整備中のようです。


電動台車の車輪。


相方の台車。電動機が外された状態です。親近感ある~。


台車の上面を見ることもそうないですよ。


トラックモバイル(Trackmobile)という軌陸車ですが、ちょっと変わった車種。


道路用車輪と軌道用車輪が垂直に配置されているので道路と軌道では進行方向が90度変わるのだ。


後ろにはアントみたいな小型モーターカーと腕木式信号機がトレーラーに乗っかっていました。


インターアーバン電車と電気機関車に使われていた電動機。電車と機関車で同じ型式を使っていたのですね。歯車比で性能に差をつけていたのかも。しかしこんな地面に直置きして大丈夫でしょうか?


これもスピーダーです。後ろには手作りの客車も。


これにお客を乗せて走らせることもあります。線路の先は、1225号が走る線路へと繋がっています。本線へ接続するまでの引込線内くらいまでは走るんじゃないでしょうか?知らんけど。


1225号の3便目が出発したのを確認したら、ここから撤収します。
大変気に入ったので僅かばかりですが募金箱へお金を寄付していきました。


フレーザーバレー保存鉄道は想像以上の中身の濃さを持つ保存会でした。蒸気機関車の保存鉄道は数あれどインターアーバンという北米が発祥の鉄道形態を今に伝える保存鉄道は相対的に少ないです。蒸気機関車の方が衆目を集めやすく、転じて運営資金が調達しやすいという構図は、北米でも同様のようです。
インターアーバンに乗車出来るのはもちろん、復元作業の現場を間近で見られるのも特徴でしょう。車庫の中まで入れてくれるというのは一般的ではないです。

フレーザーバレー保存鉄道はバンクーバーのダウンタウンから日帰りで訪れることの出来る保存鉄道です。トランスリンクの路線バスでも無理なく行くことができます。もちろん駐車場完備なので自家用車やレンタカーでもOK。大都市近郊にこれだけの保存鉄道があるのは貴重なので、ぜひ行ってみてください。

というところで今日はここまで。



バンクーバーの保存鉄道の旅 その3【2016/5/21】

2020-06-10 22:24:48 | 旅行・イベント記
バンクーバー南部の町サレーにあるBC電気鉄道 (British Columbia Electric Railway; BCER) 保存鉄道「フレーザーバレー保存鉄道」には整備用の車庫があります。列車運行日は整備作業はしないのでしょう、作業はなく車庫内が一般公開されているので、電車に乗車後は寄ってみるとよいでしょう。
印象としては、真新しい車庫でとても整った環境に見えました。羨ましい・・・。

ところでBC電鉄について説明がまだだったので、ここで軽くしておきましょう。
BC電鉄は電力会社のBC電力 (BC Electric→現BCハイドロ)の子会社で、バンクーバーとビクトリアでインターアーバン、路面電車、トロリーバス等を運行する会社でした。
これらの路線網は元々1890年に3社の私鉄が立ち上げましたが、その後の不況で3社とも立ち行かなくなってしまったので、1895年に統合され1897年にBC電鉄に改組しました。

20世紀に入ると毎度おなじみモータリゼーションとそれに伴う路線バス転換がやってきてインターアーバン大絶滅時代が到来します。とはいえBC電鉄は比較的持ち堪えたほうで、1950年に末端区間が廃止されたのを皮切りに段階的に1958年2月末で全線廃止となりました。
ただし線路はいわば地方私鉄と呼ぶべきショートラインのサザンレイルウェイ・オブ・ブリティッシュコロンビアという貨物鉄道に払い下げられて現在も現役です。加えて、一部区間の敷地は高架鉄道のスカイトレインに転用されています。

といった具合です。電車は7台程度の現存が確認されています。廃線時に民間へ払い下げられたものを近年になって保存会が買い戻したりする動きがいくつかあったようです。意外とそういうもんですよね。
ちなみに路面電車も数台現存するようで。


とりあえず外にある保存車を見てみます。これはスピーダー(Speeder)といういわゆる保線用の小型モーターカー。詰め込めば8人くらい乗れそうな大きさです。
これはBC電鉄由来の車両というわけではなさそう。そして実は現役なんじゃないか・・・?


地味に両運転台です。しかもとても視界が良さそう。


961号機電気機関車。1912年アルコ製です。元々はアメリカ・オレゴン州ポートランドのオレゴン電気鉄道(Oregon Electric Railway)の機関車で、1946年6月6日にBC電鉄へ譲渡されてきたそうな。
電気鉄道ですので機関車も電気です。貨物列車の牽引に使われていました。
BC電鉄内完結の貨物列車というよりは、カナディアンナショナルやカナディアンパシフィックといった他路線を直通する貨車をBC電鉄内で牽引していたんじゃないかとも思えますが、これは確認できず。

車体は典型的凸型電気機関車です。まあ当然ですがその昔日本がアメリカから輸入していた凸型電気機関車と似ていて、他人とは思えない親近感があります(ただアルコ製凸型電気機関車の輸入例はたぶん無かったと思いますが・・・)。唯一、前面排障器だけはアメリカらしさを主張するパーツです。
集電は電車と同じで集電ポールを使います。貨車入換の時は進行方向を頻繁に変えますから、いちいちポールの向きを変えてやるのがとても面倒だったんじゃないかなぁと想像します。
ちなみに凸型電気機関車は英語でいうと"Steeple cab"と言います。steepleというのは尖塔という意味なので尖塔型機関車と直訳できますが、尖塔というには尖り具合が足りないような・・・。その点凸型電気機関車というのは的を得た表現でとても秀逸です。


台車。典型的ボールドウィン台車っぽいイコライザー式ボギー台車ですな。日本的に言うと日車D台車に近い構成。
ぱっと見電車用っぽくて、なんだか電気機関車っぽくないです。諸元表に拠ればC80型という台車で、車軸の軸箱の蓋に"NATIONAL FLEXO-4 AAR-1943"と書かれていますが、詳細不明。
台車と車体が鎖で繋がれているのは、脱線した時に両者がバイバイしないように繋ぎ止めておくもの。そんなにしょっちゅう脱線してたんか・・・?昔からの慣習が残っているだけか?


日本人の鉄道オタクは物珍しいのか途中からボランティアのおじいちゃんが案内してくれて、軸箱の中を見せてくれました。
静態保存車でここが簡単に開くものは多くはないよ。車軸を油を染み込ませた毛糸と接させて過熱を防ぐやつ。ころ軸受でない昔ながらの構造です。車軸が意外ときれいなのねというのと、刻印が消しては彫られを繰り返されていて訳わからんのがなんとも。


やけにスポーク本数の多い車輪。初めて見た。


もっと奥を見てみる。やはり吊り掛け駆動方式ですね~。
なおボランティアのおじいちゃんは「この日本人どこ見とるん・・・」みたいな顔をしていました。自分も普段ここまで入るこむことはあまりない。
モーターはゼネラルエレクトリック製212A型190馬力を4つ。


車内も見せてくれました。キャブの中央に鎮座しているのが電流の伝送装置。


運転台。
壁の用箋挟には詳細な諸元が書かれていますが、ここに取り上げるほどではないんで備忘録的にこういうのがあるよと書き記すだけにしておきます。運転台の制御機器、ブレーキバルブ、コンプレッサー、ギヤ比等々・・・。


マスコン。日本のそれと似ていますね。


ブレーキハンドル。2本付いていて、上が独立弁ブレーキ(Independent Brake)、下が自動弁ブレーキ(Automatic Brake)。独立弁は機関車単体、自動弁は貨車も含めた列車全体に制動を掛けます。
これも日本のそれと同じです。現代に至る電気機関車の運転機器構成はアメリカ型の影響を受けていることが改めて分かります。当時のヨーロッパ方面の電気機関車はよく分からんですが・・・。


何かあっただろう空間。


ボンネット部の中は抵抗器がたくさん。
961号機は以上。


車庫の中に入ります。車庫の一角には作業部屋があって、工具がたくさん。作業机もあって、小物の復元作業なんかに使っていると思われ。いい環境だ。
なお、さすがにこれだけの設備をボランティアの自己資金で揃えるのはいくらなんでも難しいです。実際にはスポンサーからの援助を受けています。


次は車庫の中のBC電鉄1207号を見てみます。
後で見ますが、さっきの1225号とは実は少し違う車両です。パッと見似ていますけどね。


イコライザー台車。ただしいわゆるボールドウィン台車とはちょっと違う印象。



1207号の車内。1225号と同じラタン生地の転換クロスシート。
ちなみに1207号は1905年にニューウェストミンスターの自社工場で製造されたんですが、新製当時は車体が異なっていました。現在の姿は車体更新を受けたものということです。なお廃車はBC電鉄廃線と同じ1958年。


転換クロッスィー。


こっちは喫煙席。ちょっとこの椅子は人権への配慮が無いでしょ・・・。


喫煙席表示。
額縁のNO SMOKING表示は路面電車とバスでの禁煙を周知するためのものです。


運転台は似たような配置。


マスコン制御器はカナディアン・ゼネラルエレクトリック製。GEのカナダ法人です。主電動機がGE製なのでその流れでしょう。なお電動機は75馬力、電圧600Vです。

ついでなんでこの1207号の諸元をメモ程度に少し書いておくと、車体長15.3m (50ft 40in)、重量32.5t (71,550lbs)。
車体は木造で、禁煙席32席、喫煙席24席。
1207号は1958年2月28日の廃車後、ワシントン州の個人に引き取られて保存され、1989年にバンクーバーへ里帰り、その後復元工事が行われて1992年に完了しています。今は静態保存車です。


手ブレーキがあるんだ。
なお左で見切れているのが案内してくれたボランティアおじいちゃん。この蛍光オレンジジャケットは保存鉄道ボランティアの共通装備みたいなところがあって、だいたいどこでも着用しているような印象。日本の保存鉄道にもいかがでしょうか?


左が電動発電機(MG)のスイッチ。右が制御器のリセットスイッチ。



車内全景。非常にノスタルジックで良いです。

というところで今日はここまで。



バンクーバーの保存鉄道の旅 その2【2016/5/21】

2020-06-01 20:49:32 | 旅行・イベント記
バンクーバー南部の街サレーにある保存鉄道「フレーザーバレー保存鉄道」にやってきてそこの運行する列車に乗車します。
手前側の扉から乗車します。進行方向は奥側です。
ところでこれは電車なのですが、上を見てみると架線が張られていません。しかしここから見る限りディーゼル機関車が連結されている様子もありません。これの走行方式は以外な方法が採られていることが保存列車の降車後に判明します。


車内は盛況です。ほぼ満席でした。インターアーバン電車なのでロングシートの通勤仕様を想像していましたが、なんと転換クロスシート(車端部ロングシート)でした。しかし2人掛け座席は現代の基準で見ると小さめ。
インターアーバンは大雑把に言えば都市間を結ぶ電気鉄道で、北米各地の都市で19世紀末から20世紀なかばまで存在した交通手段です。距離にして数十kmの路線が多かった模様。有名なのはロサンゼルスのパシフィック電鉄ですかね。


この電車、単車ですが車内に間仕切りがあって、喫煙室と禁煙室が分離されています。このBC電鉄ことBCER1225は1912年製ですが、当時から分煙意識があったとは驚きです。後年改造されたか、元々は1等/2等合造車だった可能性もありますが。
私が座ったのは喫煙室です。現在では全車禁煙になっています。座席割合は喫煙:禁煙=1:2くらいです。
座席も喫煙席と禁煙席とでは種類が違っていて、喫煙席は木の板のクロスシートですが禁煙席はバスケット柄のクロスシートになっています。

さて11時になるとBCER1225が発車しました。電車の床下からは重厚な吊り掛けモーター音が響いてきます。なんとモーターで自走しているのです。驚いたと同時に自走方式が気になります。
電車は東向きに走りながら小さな貨物ヤードの脇を通ると本線上に転線し、一旦停車。ここで方向転換するようです。なんだ、1km弱くらい走ってここが折り返し地点か。カナダにしちゃ短めなのかなと思いました。
しかし違いました。また駅に戻るのではなく、分岐器を転換して実際の貨物線の本線を走り出したのです。保存鉄道が現役の貨物線を走るのも感激ですが、この線路は元々はBC電鉄のフレーザーバレー線だったところなので、かつての営業線を走っているのも萌ポイントです。


運行範囲を地図上に記すとこんな感じです。フレーザーバレー保存鉄道の乗降場は貨物線の引込線のようなところにあり、まずはそこから貨物線本線に出てくる格好になります。そこから西へ向きを変えて走行し、州道10号線を踏切で渡り、旧サリバン駅まで走ったところが折り返し地点となります。往路と復路は同じ経路です。片道の走行距離は約7kmで、長いですよね。乗車時間は往復1時間とたっぷりあります。


乗車中の見せ場、州道10号線の踏切の通過です。
ちなみにカナダの道路では踏切通過時に自動車を一時停止させる必要は無いので、幹線道路に踏切があろうが道路が詰まることは無いです。


先頭はトラクターとピックアップでした。
運転手も、貨物列車と鉢合わせかよと悪態をついたと思ったらやって来たのはヨタヨタ走る単行電車なので少し驚いたかもしれません。電車の写真を撮っている運転手もいましたね。


いやこれはいいね。
この後は折り返し地点の旧サリバン駅まで走行。


車内にも慣れてきたので各部の観察でも。
これは運転台。マスコンとブレーキなんてのは、日本のそれとそっくりな形状ですね。
日本の鉄道はイギリスを範に取ったのはご存知の通りですが、電車や電気機関車に関してはアメリカの影響を強く受けている部分が見受けられます。現代からは想像しづらいですが、昔のアメリカは電気鉄道先進国の一面も持っていたのですよ・・・。この運転台機器もそれと無関係というわけではないでしょう。


運転台の天井。日本でも見覚えのあるような部品もあって、妙な親近感があります。
吊り下がっている白い紐は呼び鈴の紐でしょう。


車内広告は当時物の復元と思われ。


帰ってきました。駅に到着する直前に通る引込線のところから見える貨物ヤード。コンテナの荷役場っぽいです。黒い入換機関車もいますね。

このヤードを過ぎると駅に到着して終了です。
北米の鉄道の一分野とも言えるインターアーバンに1時間近くも乗れたのは良い体験でした。


駅に到着して1225号の旅は終わり。降り際に座席を撮影していきます。これは喫煙席の木の板の座席。この通り転換クロスシートです。現代人が2人並んで腰掛けるにはやや窮屈です。



こっちはバスケット生地の禁煙席。こちらはなんだかクッションが入っていそう。


駅舎内の資料を見てみる。マーポール駅の時刻表です。いつの時刻表なのか分からないのが残念でありますが。
マーポール駅はルルアイランド線とウェストミンスター・エバーン線が乗り入れる駅で、ルルアイランド線はスティーブストン方面が下り、バンクーバー方面が上り、ウェストミンスター・エバーン線は当駅が起点で、ニューウェストミンスター方面が下りです。
基本的に30分間隔の運転で、当時としても近郊電車としては普段遣い出来る設定だと思います。ニューウェストミンスター方面は1~2時間間隔ですが、これは支線ですかね?
終電の遅さが際立っていて、スティーブストン方面は午前1時30分、バンクーバー方面は2時30分という東京もビックリの時刻です。この設定にはどういう背景があったのか気になりますが、調べる術無し・・・。

ちなみにBC電鉄の路線図はこのサイトが分かりやすいので、参考にしてみてください。マーポール駅は現在のバンクーバー空港の近くにあるよ。


1923年当時の写真。サリバン駅に到着する列車です。1700号を先頭にした4両編成で、1700号は荷物車ですね。
ところで1両目と2両目はよく見ると集電ポールを上げていないんですけど、どういうこっちゃ?3~4両目は不鮮明でよく確認できず。


さて冒頭の疑問の答えです。無架線の線路を走るBCER1225電車はどうやって自走しているのか?正解は、発電機を載せた台車を連結してそこから給電して走る、でした。
1225号の前に連結されているのがいわば発電車です。おそらく手作りと思われる台車の上にそこそこの大きさのする発電機を載っけています。しかも、前照灯、ディッチライト、尾灯も備えていて、本線走行できる仕様です。発電機自体も1225号と合わせた塗装になっていて、雰囲気を大きく損なわない工夫がされています。
発電機で発電した電気は配線を通って1225号に伝わり、モーターや照明等に使われます。連結器はアダプターを介した特殊な形状になっています(これも手作りか)。
これの利点は、1225号の走行機器が原型を保たれるという点でしょう。発電機との配線工事程度の改造で済むと思われます。似たようなアプローチに京都市にある蓄電池で走行する京都市電がありますが、1225号は電源を外部搭載しているので資料性はより高いと言えます。これは上手いことを考えたなと思います。


12時半になると2便目の列車が出発です。


後追い。こちらから見る分には普通のインターアーバンの走行写真です。

というところで今日はここまで。



バンクーバーの保存鉄道の旅 その1【2016/5/21】

2020-05-31 23:04:16 | 旅行・イベント記
2016年5月21日。
この日はビクトリアから日帰りでバンクーバーへ行きました。目的地はバンクーバー南部にある保存鉄道「フレーザーバレー保存鉄道」 (Fraser Valley Heritage Railway) に乗りに行くためです。
去年の秋の終わりぐらいにその存在を知ったのですが、その時はすでにその年の運行を終えていてすぐ乗りに行くことは叶わず、来季まで持ち越しになってしまいました。そして今季が始まった5月にいよいよ乗りに行くことにしたのです。

ビクトリアからバンクーバーまでは、いつも通りフェリーに乗って海峡を渡ります。朝7時出港のBCフェリーのツワッセン港行 (Tsawwassen Bay) のフェリーに乗船すべく、BCトランジットの#70系統スワーツ港 (Swartz Bay) 行のバスに乗ってフェリー乗り場へ。車両はAD Trident 3 (#9031) でした。



船内食堂で洒落たエッグベネディクトの朝食を食べたら、甲板に出ます。スワーツ港出港から1時間弱くらいは、ガルフ諸島の島々の間を縫うように航行するので景色の移り変わりを楽しめておすすめです。特にメイン島 (Mayne Island) とガリアーノ島 (Galiano Island) の間の水道は航路の中でも最も狭隘で、しかもそこを違うフェリーと離合しますから中でも迫力があります。私は必ずこの時間だけは外に出ています。


水上機が上空を飛んでいきました。シーエアのDHC-2 (C-GOBC)のようです。定期便ですかね。


すれ違いのフェリーがやってきました。BC魂ことスピリット・オブ・ブリティッシュコロンビア (MV Spirit of British Columbia) です。BCフェリーでは最大のフェリー船です。同型船にスピリット・オブ・バンクーバーアイランドがありますが、これは私が今乗船している船です。


それで、8時30分すぎくらいに対岸のツワッセン港に入港。慌てずに急いで下船して、接続しているダウンタウン方面への路線バスに乗り換えます。
9時ちょうど発、トランスリンクの#620系統ブリッジポート行き (Bridgeport) に乗ります。トランスリンクはバンクーバーの公共交通機関で、路線バスとスカイトレインという新交通システムみたいな軽量高架鉄道なんかを運行しています。
バスはD60LFでした。なおバスはおおむね3台で運転されるので積み残しが起こる可能性は低いと思います。


いつもは終点のブリッジポートまで乗っていきますが、今回は途中のラドナー乗継場 (Ladner Exchange) で下車します。要はこの周辺の各路線の集まる停留所のハブです。ここで違う系統のバスに乗り換えます。


場所はここです。ツワッセン港はここから南西方向です。


#620系統の2本目。NFI XDE60 (R12025)。ハイブリッド連接バス。


ローカル線用の小型バス、GMC C5500 + ElDorado National Aero Elite (S359)です。GMのバンのシャーシ、エンジンとボディビルダーの車体を装荷したやつ。
なお2017年に廃車になってしまっています・・・。


回送のNFI D40LF (S7315)。これも2018年に廃車済み・・・。このLFシリーズはここ数年でバンクーバーに限らず各地にて急激に勢力を減らしていると思います。


これはツワッセン港行の#620系統XDE60 (R12001)。


その脇を通るオリオンバス工業 (Orion Bus Industries; OBI) Orion V 05.501 (R9272)。
急行用のトップドアツーステップバスです。この構造だと座席数を多く取れるのです。車内はハイバックシートが並んでいるので通常の路線バス車よりも快適に乗車できます。ツーステップですが車いす用のリフトを搭載しているバリアフリー対応車です。ちなみに運転席側の風防が大きく傾斜しているのは、映り込み防止のためです。見た目は悪いですが機能面では効果ありです。
これも導入から20年程度経過しているので現在進行形で廃車が増えています。この個体も2020年に廃車済み。後継車は二階建てバスのAD Enviro 500。


9時25分。始発の#C76系統Scottsdake (Scottsdale Exchange)行きのバスが乗り場に着きましたんで、乗ります。車両は今見たGMC C5500 + ElDorado National Aero Elite (S359)。
なお#C76系統は執筆時現在では#310系統に番号を変えています。

ちなみに原稿を書く前にこの4年前の経路を辿ってみましたが、系統番号の変更等はありますが基本的に再現可能です(下記にグーグルマップによる経路検索あり)。お試しあれ。ただしそこは路線バスなので乗継が厳しい場合あり。


畑の中の道路を走る面白い路線でした。確かに人は乗らなさそう。どういう需要があって設定されているのか気になります。
で、「Northbound Scott Rd @ 62 Ave」で#C76系統を降ります。そこから120th St.を北へ歩いて64th Ave.との交差点を東へ曲がり、「Eastbound 64 Ave @ Scott Rd」で次のバスを待ちます。
10時11分、乗継の#364系統Langley Centre行きのバスに乗ります。車両はNFI D40LFR (S7496)。ちなみにCentreの綴りは、これイギリス式でして、これできちんと合っています。


64th Ave.を真東に走っていって、「Eastbound 64 Ave @ 166 St」で下車。10時38分、同じバス停で#341系統Langley Centre行きのバスに乗り継ぎます。車両はD40LFR (S7481)。
この#341系統は執筆時現在では全く違う経路に変わっているので注意。

そして10時50分、「Eastbound Hwy 10 @ 177B St」で下車して移動終了です。都合、バスを4台乗り継いできました。
なお私はツワッセン港フェリーターミナルの出口でトランスリンクの1日乗り放題券を買いましたので、いくら乗り継いでも定額です。


ちなみに2020年の路線網で行こうとするとこうなるみたいです。最後の#341系統が#320系統になって、降りる停留所が変わる以外は、経路は同じです。
バンクーバーのダウンタウンを経由する方が分かりやすいですが時間がかかるので、それよりもバスを乗り継いでいった方が近道なのです。あとは、バスをやたら乗り継いで移動してみたいというのもありました。こういう移動ができるのは路線網が網の目状に展開されるトランスリンクならではです。


バス停から歩いて3分くらいで今日の目的地「フレーザーバレー保存鉄道」へとやって来ました。
建物の写真は簡単に済ませて、まずは中へ入って列車の切符を買います。実は11時発の列車の出発までもう時間が無いのです。


滑り込みセーフ。切符を買ってホームへと上がりました。線路にはすでに出発待機している”電車”の姿が。
これ、アレですね、インターアーバンというやつですね。訪問に際し予習はしてきましたが、インターアーバンを生で見るのは初めてのことなので、これは胸が高鳴るというもの。しかも動態保存車です。


ゴツいアンチクライマーが目に入りますが、注目すべきはアンチクライマー下にある矩形の標識灯。
私が推察するにこれはどう見ても後付けの装備であり、現役時のものではありません。これはディッチライトという左右一対装着される点滅式の標識灯で、安全上の観点から現代の本線走行する鉄道車両には装着が義務付けられています。
つまりは、この電車本線走行するんじゃ?という期待があるわけです。どういう走りを見せるのか楽しみです。


これが買った切符。切符には今乗っているBC電鉄ことブリティッシュコロンビア電気鉄道(BCER)1225号のマグロ絵が描かれています。古めかしく大変好ましいインターアーバンです。すばらしい。

というところで今日はここまで。



東北project~Trains' last tour. 最終回【2017/10/7~8】

2020-05-29 22:12:49 | 旅行・イベント記

最後にお布施も兼ねてKD95形の最終列車に乗りました。



現役時に行ってみたかったですねぇ。



反対側から。良い保存鉄道だと思いました。



今日の運転はもうおしまいということで、貨物列車の入換をしていました。
最後の最後にED203先頭の列車を見ることが出来ました。パンタグラフが下がっている以外は満足。



これにてくりはら田園鉄道公園からは撤収です。
とても内容の充実した保存鉄道、鉄道博物館でした。くりはら田園鉄道をこの先も伝え残していこうという関係者の意気込みも感じました。行ってみる価値はありますぜ。



若柳中町15時41分発の栗原市市民バスくりはら田園線で石越駅に戻ってきました。車両は行きと同じグリーン観光の神奈中古エアロミディ。
このくりはら田園線というのは路線名の通り、旧くりはら田園鉄道の路線を引き継いだもので、細倉まで走っています。しかし運行本数は土休日は鉄道の半分以下・・・。転換後も同程度の利便性を確保できるのかという点でローカル線廃止の代替バスがあまり信用できない点です。



石越駅前は整備されたのでくりはら田園鉄道の駅舎や線路は撤去済みで、痕跡はほぼ残っていません。
駅設備のあった土地は駅前駐車場になっています。



駐車場の奥まで行くと、途切れたくりはら田園鉄道の本線がありにけり。まだ線路が残されている部分があるのね。よく見ると途切れた線路の手前には枕木が埋まったまま残っています。



石越駅を出ると左カーブ。線路を歩くのはやめましたが、航空写真を見ると旧若柳駅まで線路は続いていました。ただし道路との踏切部分は分断されています。



ものすごい幅広の架線ビーム。くりでんの土地に入り込んでいて、恐らくは貨物輸送時代の連絡線がここを通っていたんじゃないかと思います。



くりはら田園鉄道が現役時代に使われていた駅前駐車場。今は荒れ地。



この石畳は謎でした。



駅の土地を再利用した駐車場の車止めはなんとPC枕木でした。くりでんの廃品活用?



JR石越駅の駅舎。2011(平成23)年建て替え。近年のJR東っぽい駅舎ですかね。



この地域の主要駅なのか、事務室があって駅員も務めています。



3番乗り場へ。手書き看板が風情を残しています。



東北本線小牛田行の701系500番台に乗ります。栗原市ともお別れ。細倉鉱山とかにも興味が湧いてきたので、また行ってみたいところです。



終点小牛田駅でE721系1000番台仙台行に乗り換えます。



仙台駅到着後は、鉄道むすめ巡りのスタンプを集めに仙台市営地下鉄東西線に乗り換えます。東西線はまだ開業したばかりの路線です。
スタンプ設置駅の荒井駅へ向けて2000系に乗車。



荒井駅到着。終点です。




荒井駅で仙台市交通局のスタンプをゲット。仙台市交通局の鉄道むすめは青葉あさひです。東北新幹線みたいなお名前。



駅の中をすこしほっつき歩いていると、なんだか解像度の低いアスカの人形が・・・。これ、旧世紀に作られた人形?
荒井駅にはこれしか無かったので、たぶん綾波とかは他の駅に飾られていたんだと思います。



やることやったので仙台駅に戻ります。車体が小さいなぁと思いましたが、案の定これも近年流行りのリニアモーター式の小型地下鉄でした。



仙台駅の必修課題、伊達の牛たんを履修。相変わらず美味いぜ。塩味が美味いが味噌味も捨てがたい・・・ということで最近は合掛けを食べることが多いです。



最後はE5系の19時53分発東北新幹線「はやぶさ」38号東京行に乗ってお家へと帰っていったのでした。
充実の東北と保存鉄道の旅行でした。おしまい。